ドイツはようやく春が訪れたと思ったらこのところ初夏を思わせるような暑い日々が続いています。
でもレンギョウや桜が咲く美しい季節の到来は嬉しい限りです(桜はもう散ってしまいましたが)。
今週末までデュッセルドルフにある「恵光ハウス」の地下にあるショールームでは「エンゲルベルト・ケンペル展」が開かれています。
ケンペルは1690年から長崎の出島にオランダ商館付の医師として約2年間滞在しました。
1691年と1692年には江戸に参府し将軍・徳川綱吉にも謁見しました。
滞日中はオランダ語の通訳・今村源右衛門の協力を得て江戸時代の日本の資料を精力的に収集しました。
ケンペルはヨーロッパにおいて日本を初めて体系的に記述した「日本誌」の原著者として知られています。
ケンペルの遺稿をもとにイギリス国王の侍医だったハンス・スローンは「日本誌」をロンドンで出版し、その後、フランス語、オランダ語、ドイツ語にも訳され出版されました。
各国語に訳された「日本誌」は当時、ヨーロッパの知識人の間で一世を風靡し、ゲーテ、カント、ヴォルテール、モンテスキューらも愛読したということです。
シーボルトもこの本の影響を受けた一人ですが、シーボルトが日本に渡ったのはケンペルのかなり後、約140年後でした。
「恵光ハウス」の展示で特に私の興味をひいたのは江戸参府に向かうケンペルの馬上姿と将軍に踊りを披露するシーンです。
ケンペルは将軍の前で踊ったり、飛んだり、酔っ払いのまねをしたり、ドイツ語やオランダ語で本を朗読し、唄ったりと見世物小屋のようなことをしぶしぶやらされたと後に述べています。
江戸参府は別にして出島を離れることは許可されていなかったケンペルが2年間でかなり詳しく日本の情報を得られたのは通訳の今村源右衛門の協力があったからだということです。展示会のパンフレットによると始めはなかなか話してくれなかった源右衛門ですが、当時ヨーロッパで人気があったリキュールを飲ませたりしているうちに、色々の話してくれるようになったということです。
余談ですが、来月の日本行を楽しみにしている夫(ドイツ人)はこのケンペル展のパンフレットを始め、旅の準備として日本関連の書物を読んでいます。そのためかこの間は「ショーグンが観光地を案内してくれて、最後にサムライの称号をもらった」という何ともおかしな夢を見たということです。
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