次に訪れたKYOTOGRAPHIE会場は誉田屋源兵衛 黒蔵。
ここでは隣り合って二つの展示があったが、見たのは山内 悠の「自然 JINEN」の方。
屋久島に長く滞在し、その自然を撮った写真。
作者インタビューには、夜の闇に沈む樹々に対する恐怖心と、ある夜明けに感じた樹々との一体感を得たことで見える景色の変化について書かれていた。
作品はそうした思いと共に撮ったものだと言う。
その時の思いを作品に表すのが作者に求められる力で、そうした作品から何を読み取るのかが鑑賞者の力だ。
これらをどう養えばいいか、それがここ数年自分が欲して手に入れられていないものであることを思い出した。
この作者のように自分を追い詰めて真理を探すような行動は取れないので、日常生活の中で意識を高めていくしかない。
表面的にしか物事と向き合えない今の状態を変えられるのか。
無理なんだろうなと諦めている自分がいる。
それでもこんな風に写真展を訪れれば、写真に益する何かを得ようとする自分がいるから、そう思える内は足掻いてみるのがいいだろう。
さて、会場の誉田屋源兵衛 黒蔵は前にも入ったことがある。
広い間口の玄関を入り、土間を抜けてその奥にある青黒い壁の蔵の中が展示室。
靴を脱いで上り、一階、二階の作品を鑑賞。
真っ暗にした部屋には夜の樹々がいろんな高さに展示してあった。
二階からさらに狭い螺旋階段があって上に上れるのを思い出した。
三階は光溢れる草原と岩の写真で、インタビューに書かれていた島の夜と朝の光を表しているようだった。
ここでは隣り合って二つの展示があったが、見たのは山内 悠の「自然 JINEN」の方。
屋久島に長く滞在し、その自然を撮った写真。
作者インタビューには、夜の闇に沈む樹々に対する恐怖心と、ある夜明けに感じた樹々との一体感を得たことで見える景色の変化について書かれていた。
作品はそうした思いと共に撮ったものだと言う。
その時の思いを作品に表すのが作者に求められる力で、そうした作品から何を読み取るのかが鑑賞者の力だ。
これらをどう養えばいいか、それがここ数年自分が欲して手に入れられていないものであることを思い出した。
この作者のように自分を追い詰めて真理を探すような行動は取れないので、日常生活の中で意識を高めていくしかない。
表面的にしか物事と向き合えない今の状態を変えられるのか。
無理なんだろうなと諦めている自分がいる。
それでもこんな風に写真展を訪れれば、写真に益する何かを得ようとする自分がいるから、そう思える内は足掻いてみるのがいいだろう。
さて、会場の誉田屋源兵衛 黒蔵は前にも入ったことがある。
広い間口の玄関を入り、土間を抜けてその奥にある青黒い壁の蔵の中が展示室。
靴を脱いで上り、一階、二階の作品を鑑賞。
真っ暗にした部屋には夜の樹々がいろんな高さに展示してあった。
二階からさらに狭い螺旋階段があって上に上れるのを思い出した。
三階は光溢れる草原と岩の写真で、インタビューに書かれていた島の夜と朝の光を表しているようだった。