大仏鉄道遺構めぐり<街中編>

2022-01-16 10:12:29 | その他旅行き
〈里山編〉の続き。
城山台公園から新興住宅地を右に見て、一山越すと信号のある大きな道路の交差点に出る。
そういえばここまで信号なかったな。
この交差点辺りに井関川橋梁というのがあったそう。
大仏鉄道が廃線になった理由は勾配のきつさ。
当時の機関車では時々上りきれないことがあったようで、今の木津回りの関西本線が迂回路としてできたため廃線になったらしい。
井関川橋梁もなるだけ高低差を出さないようにだろう、高い位置に桁を渡した写真が説明板にあった。



住宅街に入り、さらに太い道路にぶつかり左折。
大型商業施設が並ぶ幹線道路の緩い坂道を登る。



右手に次の遺構「松谷川隧道」の案内があった。
ここも道路から階段を降りたところにレンガ造りのトンネルがあった。



二層構造で下層を水路として、上層を人が通る道として使っていたそう。
反対側が壁になっているのは、今の上の道路を整備した時、当時の線路幅より大きく拡幅したから向こう側の道だか水路だかはあっさり埋められちゃったんだろうな。
当時と今の土木技術の差に唖然とするのであった。



周りは郊外の新興住宅地の眺めで、遺構以外に私の興味を惹く被写体がほとんどなくなり、この辺りからさくさくと歩を進めるようになる。



一度坂道を下り、再び登り返した辺りに次の遺構「鹿川隧道」がある。
と言っても「鹿川隧道」への見学用の道は設置していないと書かれていて、見ることはできないようだ。
ただ、眼下に広がる田畑の中を流れる用水路横を歩けそうなので、手前の信号を右に折れてぐるりと回り、この道路の下まで来れれば見えそうではある。
でも途中の道が私有地だったりして入れないのかも知れず、今回は看板の説明写真を見るに留めておいた。



さらに道を行くと大仏鉄道でもっとも標高の高かったらしい黒髪山トンネル跡が見えてくる。
大仏鉄道唯一の(汽車がくぐる)トンネルだったそうだ。
今は道路の拡幅工事で山は切り崩され、当時の面影はない。
道路の左右に立ち上がる壁を見上げて、ここは土の中だったのねと想像。



そこから道は下り坂。
スポーツ施設を横に見て下っていくと、住宅街に入った。
法蓮仲町の交差点を右に曲がるのだが、ここでだけ遺構めぐりの道しるべを見つける事ができなかった。
この辺りから街並みの雰囲気が変わり、昭和の時代が感じられるようになる。



道しるべはなくとも遺構めぐりマップとスマホの地図で間違いなく歩けたようで、最後の見学ポイントである大仏鉄道記念公園に辿り着けた。
公園は大仏駅跡地にあるそうだ。



さらに少し行った所に川が流れていて、その川底には佐保川橋脚跡が沈んでいるという。
橋から見下ろしてみたが、場所は特定できず。



そこから商店街のような住宅街のような細い通りを南に下り、油阪の交差点に出た。
右手の高架上に大和路快速の車両が見えた。
時刻は15時26分。
JR奈良駅までもう少しだ。