風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

葉っぱの国はうつくしい

2017年11月04日 | 「新エッセイ集2017」

 

この日頃の、ぼくの行動はすこしばかり、あぶないおじさんに見られているかもしれない。
ひたすら地面を見つめながら歩き、ときどき何かを拾っている。とてもいいものでも拾ったような様子から、おカネか宝石でも拾ったにちがいない、と思われているだろう。
そんなとき、近くを通りかかった人は、
なにか、ええもんでも落ちてまっか? と言いながら、ぼくの手の中を覗こうとする。
はいどうぞと開いた手の中には、数枚の落葉があるだけ。
その人は狸にだまされた人間のように、なあんだとがっかりした顔をして去ってゆく。この人にとって、ええもんて何なんだろうか。みんな、なにかしらのええもんを求めて、朝は忙しくどこかへ出かけていくのだろう。

行くところもない人は、もうすこし、ぼくの落葉に関心を示してくれる。
それは特別な葉っぱでっか?
いいえ、すこしだけ美しい、ただの葉っぱです。
そんなん集めて、どないしはりまんの?
どないもしません。こんなんすぐに色あせてしまいますし。
ひま人の興味もそこまで。
現代人は、1銭にもならないものには付き合えないようだ。

落葉がおカネだったらええのにと、ウォーキングプア(Walking Poor )のぼくも考えないわけではない。参考までにワーキングプアとの違いは、歩くか働くかの相違だけ。貧しいことは同じ。
石がおカネだった時代もあるのだから、葉っぱだっておカネになれるはずだ。
夢想するだけでも、じつに愉快ではないか。そこらじゅう、いたるところおカネだらけ。みんなは知らずに踏んづけて歩いているなんて。
こんなにたくさん落ちているおカネに気づいたら、みんな夢中になって拾うだろう。会社に遅れようが学校に遅刻しようが、かまわない。木登りする人まで出てくるかもしれない。
またたくまに公園はきれいになり、みんなはおカネ持ちになる。こんないいことはない。

ここは黄金の国、美しくて豊かな国ジパング。
いままさに豊穣の秋。
落葉は黄金色に染まっている。形も色もこれはまさしく小判。おカネである。
みんな拾うがいい。今日からみんなカネ持ちだ。もうリッチもプアもない。ニートもパートもない。格差社会も解消。サービス残業なんか止めて、子どもたちと遊ぼう。もうおカネを借りる必要もないのだ。ただ拾えばいいのだ。
給料が下がろうが、年金が減らされようが、もう老後の心配もしなくていい。野山に木々の葉っぱがあるかぎり、ふところはいつも温かい。だから森や林は、すべて世界遺産に登録して大切に守ろう。これで環境問題も簡単に解決できる。
これからはコンクリート造りの都会で、ちまちまと暮らすこともない。黄金の山は田舎にあるのだ。みんな、なるべく辺境へ移住すればいい。いっきに地方再生も進むだろう。

あ~、えっへん。あんたぞなもし、そこな素浪人。
はいはい、なんでおまっしゃろ。
もうすぐ冬でござるがのう……。雪が降ったら落葉も拾えんじゃろ、どないしたもんかのう?
たっぷり貯えがでけた人は、のんびり遊んで暮らしたらええですがな。
いやいや、貯えに限りなんぞござらん。
仕方おまへんな。そやったら、落葉に包まって冬眠でもしなはるか。

やがて、また春が巡ってくるだろう。
緑色した、新しい貨幣の季節が到来することだろう。
そのときも、美しく豊かな国はそこにあるだろう。
たぶん。

 

 

コメント (2)