風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

心にのこる富士山

2019年01月17日 | 「新エッセイ集2019」

 

正月早々、上京したことがある。
久しぶりに富士山を見た。行きは新幹線のぞみ号の車窓からだった。大阪東京間2時間30分のスピードで見る富士山は、早回しのように視界を過ぎ去るのも速くてあっけなかった。
帰りはゆっくり見たいと思ったので、東名を走る昼間の高速バスに乗った。料金も新幹線の半額で経済だし、車窓風景を見るのも好きだから、ちょっとした旅行気分が味わえる。リクライニングシートも快適だった。

関東平野のはずれの、うっすらと白い丹沢山塊を右手に眺めるうち、その後方に真っ白な富士山が現れた。
足柄から愛鷹へと、御殿場付近を海へと向かって駆け下りていくバスの車窓に、さまざまな形で展開する富士山の姿を追いかけた。
富士川を渡り、由比から日本平へと、駿河湾の海と富士山の雄大なパノラマのなかを、まるで空中遊泳しているような心地よさだった。


若いころ東海道線の車窓から見た富士山は、越えがたく厳とした峠のようなものだったろうか。そこは、ぼくの生活にひとつの区切りがつく重要な地点だった。その先には、言葉や習慣の異なる関東の生活が待っていた。雲の上から威圧されるような富士山を見上げていると、体じゅうが緊張感で熱くなったものだ。
反対に郷里へ向かうときは、山裾へとなだらかに下りていく稜線の優しさで、しだいに緊張感がほぐれていくのだった。
いまも、その頃の心の鼓動は呼び覚まされる。そのような山が、今もそこに厳然とあることが懐かしくて嬉しかった。

帰宅して久しぶりにパソコンを開くと、たまたま富士山の写真が添付されたメールが届いていた。
くっきりと晴れた富士山と麓の街と海を一望する、遠くまで澄みわたった新春の風景だった。メールをくれたその人の自宅からか、あるいは近辺からの眺めなのだろう。
日付も、ぼくがその辺りを通過した頃に近かった。ぼくはバスの中で、そのあたりの何処かにいるだろう、まだ会ったこともない、その人のことを思い巡らせていたのだった。

その人は、ぼくたちの関係を魂の交友だといった。
だから、ぼくたちは互いの魂と向き合い、魂と対話することしかできなかった。いや、魂と魂で語ることができたと言った方がいいのだろうか。それは、言葉なく山と対峙することに似ているかもしれなかった。だがとても長い期間、ぼくたちは魂の深いところで繋がっていたと思う。
風のように風景のように、一瞬近づいて再び離れていく人と人、そして人と山。儚くてドラマチックな想いに浸るなかで、白昼の富士山は、明るい空に溶けようとする幻のようでもあった。
そんな富士山の新しい姿が、魂の山としてぼくの心に深く残ったのだった。

 

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