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風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

書を捨てよ、野へ出よう

2017年05月05日 | 「新エッセイ集2017」

「ぼくは速さにあこがれる。ウサギは好きだがカメはきらいだ。」
これは、寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』の書き出しの文章だ。
この本が出版されたのは、ちょうど50年前の1967年のこと。その頃から日本人はひたすら速さに憧れ、速さを追求してきたのではなかっただろうか。
そして、やがてシフトダウン。スローライフの勧めや、ゆとり教育などが提唱されるようになる。週休2日の制度や祝日の増加などで、すこしはゆっくりのんびりした生活リズムを取り戻しただろうか。

おりしも連休中だが、あわただしい町へ出るのはやめて、野へ出てみることにした。
近くの公園で、3家族でバーベキューをする。おとなが6人で子どもが4人。少子化、高齢化、いかにも現代の日本の世相を象徴するような野外パーティーの一日となった。
かつては、どこへ行っても子どもの方が多く、子どもが賑わいの中心だった。そんな子どもだった者たちが、今はせっせと火をおこしている。そして新しい子どもたちは、火のそばへ寄ってくることもない。火を燃やすということは、めったにない楽しい経験だと思うのだが、そんな原始的なものにはあまり興味が沸かないのか、子どもたちはクールに火の外にいる。
古代からヒトは、火のそばで暮らしてきたはずだが、どこかで生き方の習慣が、断絶してしまったのかもしれない。

それでも、肉が焼けていく匂いには引きつけられるようだ。みんな肉食獣の野生は残している。カルビ、ハラミ、ロース、セセリ、トントロ、カシワなど、やはり炭火で焼いて野外で食べる肉は、肉そのものの味がする。
タマネギ、ナスビ、シシトウなどの野菜類は、あまりお呼びではないようだ。どうも現代っ子は嗜好が偏っていて、まず食べてみるということをしない。飢えというものを知らず、食べなければ死ぬということも実感がないから、食べるということに貪欲にはなれないのだろうか。
肉食獣になって血がもえたところで、ボールを投げたり蹴ったりして、久しぶりの汗をかく。 そのあと疲れた大人たちは草の枕でひとときの夢をみ、若者たちはスマホで夢の続きを追いかけている。以上が昼の部だった。

夕方は、サザエ、ホタテ、イワシ、イカなどの海鮮を主体に焼く。
サザエは、はらわた部分を先っちょまで切れないよう、慎重に引っぱり出して食べる。
貝でも魚でも、はらわたがいちばん美味しいのだが、子どもらは気味が悪いとか、汚いとかで敬遠する。おかげで、こちらは旨いところを遠慮なく堪能できたが、子ども達よりも大人の方が貪欲だというのもさみしい。
子どもらは、まず飢えということを知るがいい。動物は飢えるから食べるのだ。生きるために必死で食べるものなのだ。
飽食の子どもらは飢えさせてから、ウサギの野に放つ。書はとっくに捨てられている。スマホも捨てよ、野に出よう、だ。


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ふらんすへ行きたしと思へども

2017年05月01日 | 「新エッセイ集2017」

新しい5月のカレンダー、爽やかな季節だ。とくに5月の朝は特別な朝、明るい光の中で目覚めもいい。
5月の朝の東雲(しののめ)、と口ずさみながらベランダに立って、明るくなってゆく東の空をしばし眺めていた。

    ふらんすへ行きたしと思へども
    ふらんすはあまりに遠し
    せめては新しき背広をきて
    きままなる旅にいでてみん。
    汽車が山道をゆくとき
    みづいろの窓によりかかりて
    われひとりうれしきことをおもはむ
    五月の朝のしののめ
    うら若草のもえいづる心まかせに。   (萩原朔太郎『旅上』)

27歳の朔太郎のふらんすは、どんなフランスだったのだろうか。

20代の頃、フランス語を少しだけかじったことがある。
『太陽がいっぱい』、『ぼくの伯父さん』、『シェルブールの雨傘』など、ぼくのフランスは、映画館の暗闇をひたすらに彷徨っていた。『昼顔』のカトリーヌ・ドヌーブのような、怪しく美しいアテネ・フランセのフランス人女教師。やわらかい口元から転がるように漏れてくる魅惑的な言葉。
“Qu'est-ce que c'est?”(ケスクセ?)。美しいひとの言葉は、響きも美しかった。
あの頃は、5月の緑色の風も吹いていなかったけれど、「われひとりうれしきことをおもはむ」と、貧しく熱く、昼も夜もやたらと街を歩き回ったものだった。

ふらんすはあまりに遠し……、あれからずっと、ぼくのフランスは遠いままだ。
この5月の休日、ルイ・ヴィトンのバッグを提げた日本人が、ルーブルやベルサイユ宮殿を気軽に逍遥しているのだろうか、などと夢想しながら、ぼくは近くの公園の草むらに寝転んで、若葉のみずみずしい茂みを見上げている。
重なり合い、空を覆うほどに、樹にはどうして、あんなに沢山の葉っぱがあるのだろう。樹にとって、それは必要なものなのなのだろうかと、ぼんやり考える。樹が答えてくれるわけでもなく、植物学の知識がないぼくに、正しい答えなどないが、ただ漠然とそんな考えに引き込まれていく。
眺めている間にも、生長を続けているだろう緑の群生の遥けさは、徐々に5月の空へと萌えあがってゆく。ぼくの未熟な夢想の中で、緑色したフランスは涼やかにそよぎはじめる。

その空の、緑色の波にのって、無数の緑色の果実が漂っている。
ぼくが寝転がっていたのは、梅の木の下なのだった。
青梅に塩をつけてかじり、あとで腹痛をおこした少年時代。梅の実を見つけると採ってかじらずにおれず、そのあと決まって腹を押えてうずくまっていた。ただ食べることに貪欲だった無知なる時代があった。
うら若草も知らず、緑色の風も知らず、フランスも知らず、ただ梅の実の苦くて酸っぱい記憶ばかりを、ポケットにいっぱい詰め込んでいた。そんな青い時代。

そして緑色の波を越えて、はるか向こうにパリの空。淡いピンクとグレーの流れはセーヌ川だろうか。
アポリネールはうたう、
    ミラボー橋の下をセーヌは流れる
    ときは流れる 私はたたずむ
マリー・ローランサンもうたう、
    死んだ女より もっと哀れなのは
    忘れられた女です

ローランサン22歳、アポリネール27歳の若い旅の時代。セーヌ川のそばでふたりの恋は始まり、セーヌ川を流れ流れて、やがてふたりの川は忘れられた。
5月のいまは緑色のとき。フランスはなおも遠く、セーヌ川はさらに遠い。
ぼくはうら若草の流れの中にいる。固くてあおい梅の実が揺れて漂っている。少年の臓腑が痛む。いつしか緑色の川を流されている。
Bon voyage! (よい旅を!)



美しい言葉

2017年04月28日 | 「新エッセイ集2017」

『わたしが一番きれいだったとき』という、茨木のり子の詩を読んだことがあるひとは多いと思う。実際もきれいなひとだったらしくて、『櫂』という詩誌の同人だった川崎洋が、初対面のときの印象をきれいなひとだったと、どこかで書いていた。

彼女の『二人の左官屋』という詩の中に、「奥さんの詩は俺にもわかるよ」という詩行がある。たしかに彼女の詩はやさしく読める詩が多いので、幅広い年齢層に親しまれているようだ。
彼女の詩の読みやすさは、散文に近いということもあるが、一見やさしそうにみえる詩の背後に、社会に対する透徹した見識や厳しい創作の姿勢があるから、何気ないやさしい言葉が、共感を得る美しい言葉となっているのだろう。

『美しい言葉とは』という自身のエッセーの中で、日常会話においても文学作品においても、美しい言葉とは「いつまでも忘れられない言葉」のことだと述べている。
読むひとや聞くひとの胸に、棘のように刺さってくる言葉であっても、「良くも悪くも一人の人間の紛れもない実在を確認できるもの」であれば、それは美しい言葉であるという。ひとりの人間が、その言葉の中に見えるか見えないか、それは美しいと同時に重い言葉でもあろう。
そのひとの弱さをあえて隠さない言葉であり、整理しても整理しきれない部分を含んだ言葉であり、語られる内容と過不足なく釣り合っている言葉、などが美しい言葉だという。言葉に対しての、かなり厳しい姿勢が要求されている。

どんな些細なことであっても、そのひとなりの発見を持った言葉は美しいという。そのことを、表現する言葉が正確であり、あるいは正確さへと近づこうとしている言葉は美しいという。
そしてさらに、言葉以前の問題として、そのひとの「体験をみずからの暮らしの周辺のなかで、たえず組みたてたり、ほぐしたりしながら或る日動かしがたく結晶化させる」ことだと述べている。

独自の発見があるということ、表現が正確であるということ、さらには内容において、これまで見聞した経験が十分に自分の中で純化され、自分独自の認識になっているということ。これらのことは、あたりまえなことのようだが、美しい言葉へのハードルの高さを感じさせられる。

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
       (『倚りかからず』)

できあいの思想や宗教や学問には倚りかかりたくないという。さらには、いかなる権威にも倚りかかりたくないと、凛として言葉と真摯に向き合い、倚りかからない詩人の言葉は、ことさらに美しくもあり厳しくもある。



飛鳥の風になって

2017年04月25日 | 「新エッセイ集2017」

近鉄飛鳥の駅前で、レンタサイクルを借り、中学生の健太くんとふたり、飛鳥の風になって野を駆けた。
風が気持ちええなあ、と健太くん。
うん、飛鳥は千年の風が吹いてるよってな、特別なんや。

古代の不思議な石像なんかに出会いながらの、気ままなサイクリングになりそう。猿石からスタートして、鬼の俎板と雪隠へ。
石棺も主が居なくなると、鬼の棲みかになってしまうんやな。
iPodをポケットに入れた健太くんが低い声で歌っている。

    私のお墓の前で
    泣かないでください♪

その次の亀石は、あまりにも何気ない民家の陰にあったので、通り過ぎてからUターン。
亀はあざ笑うかのような笑みを浮かべて突っ伏していた。
そやけど蛙にも見えるなあ、と健太くん。
そう言われれば大きながま蛙にも見える。
飛鳥はすべての石像が、千年の謎をかけてくるから敵わない。

甘樫ノ丘で持参のおにぎりを食べる。
大和三山も、春霞みの中で小島のように浮かんでいる。たゆたう風景も、時を超えて流れついたようだ。
飛鳥寺の鐘が、ときおり深い水の底からのように、ぼ~んと浮き上がってくる。
お腹が落ち着いたところで、がらんとした国立飛鳥資料館で、軽く学習タイムにはいる。
気に入った川原寺のせん仏を、カメラで覗いていたら、そいつにかぎり撮影禁止とか。シャッター切ったあとだから、データはしっかり残ったけどね。
仏像は記録するものではなく、祈祷するものだったんだね、ちょっぴり反省。

古代の道は平坦ではない。自転車でもときどきは、押して歩かなければならない。
中学生は元気だが、こちらは次第にペダルをこぐ足が重くなる。
竹林を抜けて酒船石へ。この石もまた謎かけをしてくる。だがもう、推理する気力も限界。どうせ学者にだって解けない謎なんだから、謎は謎のままでいいとしよう。
だが元気な健太くんは、しきりに頭をかしげている。これは君の宿題にしておこう。面倒なことは何でも、宿題にしてしまう先生みたいやけど。

最後は、発掘されてまだ新しい亀形石像物を見る。
小石が敷き詰められた窪地に、造形的にもすぐれて美しい石像物がふたつ。先端と尻に穴があり、ふたつは連結している。水が流れたり溜まったりした様子が、容易に想像できる。
ボランティアのおじさんガイドが、何でも質問してくれと言うので、何に使ったものでしょうかと訊ねると、さあ、すべては推定ばかりですと、そっけない。こちらも疲れているので、はあ、そうですか。それ以上の追求は止めた。
しずかに石が歌っている。

    そこに私はいません
    眠ってなんかいません♪

じやあ、どこにいるんだ。なにをしてきたんだ。
おまえのことを誰も知らない。
中学生の健太くん、きみには長い時間が残されている。いつか、千年の時間を超えることもできるかもしれないね。
飛鳥の風が、千の風になって吹き渡っていた。


涙は小さな海だろうか

2017年04月19日 | 「新エッセイ集2017」

娘の家族が、潮干狩りで収獲したアサリをくれた。
さっそく妻が砂ぬきをするのだといって、アサリを塩水に浸ける。
海水と同じ濃度の塩加減でないと、うまく砂を吐き出さないのだと言う。いつのまにどうやって、妻は海水の濃度など覚えたのだろうか。女だからわかるのか、それとも、年を食っているからわかるのか。
女はやはり、海の生き物に近いのかもしれない。

塩加減がよかったのか、アサリは活発に潮を吹いたので、すぐさま台所から風呂場に移されてしまった。
ぼくは気になって、ときどき風呂場を覗いてみる。
アサリは生きている。触角だか舌だか、軟らかそうなものを伸ばしている。
生き物だと思って眺めていると、なんだか情が移っていきそうになる。
縄文人ではないのだから、お前を食わなくても生きてはいけるのだ。

海水と、ひとの体液や涙の成分は似ているらしい。
アサリがさかんに飛ばしているものも、アサリの涙かもしれない。
「なみだは にんげんのつくることのできる 一ばん小さな海です」
といった詩人がいた。
海を恋いながら、風呂場の小さな海で溺れている、囚われのアサリは憐れでもある。

だが、そんな憐憫の情も明日になったら忘れているだろう。
酒蒸しだ、潮汁だ、アサリご飯だと、縄文人のしょっぱい血が騒ぎはじめるのだろう。
「夜が明けたら ドレモコレモ ミンナクッテヤル」
といった女の詩人のように、ぼくもまた生き物の涎をたらすだろう。
小さな海は、すぐに干上がってしまう哀しい海なのだ。


     (文中の詩句は、
        寺山修司「一ばんみじかい抒情詩」、石垣りん「シジミ」から引用)


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