A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

821 Sixth Avenue New York

2014-02-09 | JAZZ LIFE
アメリカニューヨーク、マンハッタンの住所である。

昔であれば、ニューヨークの地図を見ながら大体の場所を想定する。
丁度、28丁目と29丁目の間、いわゆるマンハッタンの繁華街59丁目付近からすると大分南、Macy’sからも5ブロック位南、しかしグリニッジほど南にはいかない所。鉄道のペンステーション、マディソンスクエアーガーデンの横当たりの見当だ。旅行で行っても、どこか目的の店が無いと単にブラつく辺りではないと思う。土地勘のある人であれば大体その辺りの様子は想像できるが、行ったことのない人間にとっては、摩天楼が聳える所なのか、否昔ながらの街並みなのか、地図を見ただけでは皆目見当もつかない。




所が、現在のテクノロジーの進化は素晴らしい。
この住所をGoogle mapに入れると、いきなり地図上にポイントが表示される。さらにストリートビューを使えば、その辺りの最近の様子も手に取るように分かる。
821番地には街路樹の後ろに古い5階建てのビルが残っている。一階はファッションshopになっているが、昔のままの佇まいだ。

一昔前、コンピューターの世界で地図を表示するというのは一苦労であった。元地図を画像化すると重いデータになって非力なパソコンで表示するだけでも一苦労。カーナビの地図でも広域・詳細と複数の地図を使い分けながら何とかニーズを満たす機能を構築していた。さらにその画像データに色々な情報を付加しようとすると、ベースが画像データである限りは、色々制約が多くそれもまた一苦労であった。カーナビの機能の発展系を考えるとき地図データも問題と通信機能が大きな課題であった。

Google mapを始めとして最新の地図データサービスのプラットフォームは画像データではなくベクターデータに変わっている。地図イメージもいわゆる計算式取り扱えるようになった。ソフトで言うフォトショップからイラストレーターの世界への切り替えだ。複雑な画像データを計算式で扱えるようになって、CGの世界が格段に進化したのはご承知のとおり。写真クオリティーのCGデータをパソコンで扱えるようになったので映画やコマーシャルの世界も激変した。

地図データのベースがベクター化されると、地図と色々なデータとの融合がものすごくやり易くなる。人間の感覚として見慣れた地図に必要情報がマッピングされているのは実に使い勝手がいい。数値をグラフ化すると分かりやすくなるのと同様、位置情報は地図が一番。
知らない土地に観光に行って街に出ると、分厚い文字ベースの観光ガイドより、一枚の観光マップの方が格段に便利である。

ベクターベースの地図データに、位置情報さえつければ、アイコンだけでなく、画像であろうと、文字であろうと、音声であろうと何のデータでも地図上に表示させることができる。昔は位置情報を測定するのも一苦労であったが、位置情報そのものの付加もGPS付の携帯・スマホで簡単に把握、付加できる時代だ。

久々にグーグルマップを色々触ってみると、いよいよ本格的に位置情報サービスが提供できる環境が揃ってきているのを実感する。
唯一欠けているのが時間データ(いわゆるタイムスタンプ)の取り扱いルール。これさえ整理できれば昔考えていたキラーサービスは現実のものとなる段階だと思う。

というのも、実は、今から10年近く前、新たなメディアの開発の一環としてこの位置情報連動サービスの開発に参画していた。自分にとっては現役時代の最後の仕事であったので今でも思い入れはある。

当時はまだディバイスとしては位置情報サービスとして実用化され普及していたのはカーナビしかなく、各メーカーが製品の高度化に技術を競っていた頃だ。日本のメーカーがアドバンテージも持っていた時代。次世代のサービスに向けての基礎技術も日本メーカーやキャリアは十分に研究していた。製品としては成熟していたカーナビが通信機能を持ち、中身のコンテンツ、情報を自由に更新できるようになると、最初は車の中でインターネットを自由に見れば良い程度に考えていたものが、地図上のサービスの可能性がとんでもなく広がるのをエンジニアの方々は理解した。

ところが、技術の反映先が自ら手掛けるハード商品ではなく、サービスそのものというお題が目の前に現れると各社とも足がすくんだ。そこは自分達の本業ではないと。
世の中では、ITビジネスの次の段階はプラットフォームビジネスということも声高々に言われていた。それもハード面のプラットフォームだけでなく、サービス面のプラットフォームを含めての重要性が盛んに言われていたのだが。

しかし、その後サービス視点でプラットフォームを着々と構築していったのは、Yahoo、Googleであり、Appleであり、Amazonといった外資系ばかりである。ハードに依存してきた日本のメーカーは皆揃って商品のガラパゴス化、市場の縮小の中で、技術そのものを生かす場を失い、瓦解への道を歩んでいるということだろう。それを救うエンジェル企業も日本では育たなかった。

先日、SONYがテレビ事業と、パソコン事業を切り出す方針を発表した。技術のソニーといわれた時代の終焉、あるは昔のソニーの終わりかもしれない。自業自得といえばそれまでだが、あまりに寂しい限りだ。プラットフォーム構築にはじっと我慢の年月と、様々な技術を束ねるための地道な標準化作業が必要だ。一人でこつこつやるのは得意でも、皆揃ってやるのは不得手なのかもしれない。

アベノミクスの中で、元気な日本とか日本復活とか掛け声だけは威勢がいいが、いくらお金をばら撒いても、実はそれを支える人、ものの実態は何もないのが現実だ。実体のない中で好景気の継続などは絵空事でしかない。

日本の技術を大事にし、品質にこだわり、それを伝承する文化は何も明治維新に外国から持ち込まれたものではない。本来の日本人が脈々と築き上げてきた伝統を、西洋から導入された技術に適用して世界に通用する物を作り上げたものだと思う。

2020年の東京オリンピックの決定に浮かれているが、メーカーから技術者がいなくなり、建築現場から職人が消え、農業の現場から拘りの食材が消え、人々の日々の生活の中から感謝の気持ちが消えてしまった日本で一体どんなおもてなしができるのか、甚だ疑問である。

我々世代が元気に働けるのもあと10年、この間になんとかしなければと思うのだが。

「コーラス好きさん」のコメントに刺激され、話のイントロのつもりで始めたら檄文になってしまった。
大分話が横道にそれたので、本題は稿を改めることにするが、実は、821 Sixth Avenue New Yorkに今も残るこの建物が、モダンジャズの歴史を語る時に50年代から60年代にかけての生々しいジャズの最前線の生き証人となる大事な建物なのだ。

次回に続く。
コメント
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