Tender Feelin’s / Duke Pearson
1959年10月ドナルド・バードとペッパー・アダムスクインテットが新たなリズムセクションと共にツアーに出たが、その新たなピアニストはデューク・ピアソンであった。
その年の1月にニューヨークに出てきたばかりの新人で、ジャズテットで演奏していたのを聴き、声をかけたのはドナルド・バードであった。
アトランタ出身で地元、そしてフロリダ中心にプレーしていたが、元々はトランペットを志していたそうだ。歯に問題があってトランペットをプレーできなくなり、ピアノに転向したのが1954年24才の時というので遅咲きのピアニストだ。ウィントン・ケリーなどとも親交があったようなので、その影響を受けたのか、よくスイングする小ざっぱりしたピアノで日本での人気も高い。
彼を起用したドナルド・バードの眼力も正しかったと思うが、それ以上に一目惚れしたのが実はブルーノートのオーナー、アルフレッド・ライオンであった。
10月4日のドナルド・バードのFuegoの録音に参加したがライオンの目に留まり、バード達が地方公演から帰ってきた直後の10月25日にはピアソンのリーダーアルバムを作ることになる。プレスティッジと較べるとアルバム作りには拘りがあるはずなのだが、そんなことはお構いなしでわずか3週間後の録音、珍しく速攻で事が進んだようだ。
当然、マーケティングにおいてのライオンの右腕、フランシス・ウルフは、そのレコードの録音発売は早すぎる、如何なものかと考える。しかし、ライオンの熱意に負けてファーストアルバムProfileは世に出た。
果たしてセールス的に成功したかどうかも??だが。
さらに性懲りもなく、そのアルバムを吹き込んでから2カ月も経たない12月には2枚目の録音が行われた。よっぽどピアソンに惚れ込んだのだろう。後に、ピアソンがブルーノートのプロデューサー、A&Rマンに就任する布石はこの時から敷かれていたのかもしれない。
色々接点がありながら、最後までブルーノートとは縁が無く、契約できなかったペッパー・アダムスとは大違いだ。
その2枚目のアルバムが、このTender Feelin’s。ベースはジーン・テイラーだが、ドラムはドナルド・バードのクインテットと同じレックスハンフリーが務める。
ピアノ好きの方には人気があるアルバムだが、確かにピアニストとしてのピアソンをじっくり聴くにはこの頃のアルバムしかない。自分はデューク・ピアソンをビッグバンドのリーダーとしては注目していたが、このアルバムは単に気軽に聴けるピアノアルバムとしか認識していなかった。今回聴き直して、大きなパズルの一角にこのアルバムがスッポリハマった感じがする。
もし、歯の具合がよく引き続きトランぺットを極めていたらこのアルバムは無かったし、このピアノが無かったらアルフレッド・ライオンも気にかけなかったかもしれない。人生何が災いとなり、何が福となるかは分からない。ピアソンの人生の分岐点にもなったアルバムだと思う。
この録音の頃、ペッパー・アダムスは、Sixth Avenueを始めとして各所でジャムセッションに嵩じていた。そういえば、1959年はビリーホリデイが亡くなった年でもある。個人一人一人だけでなく、ジャズ界全体が転換期であったのを感じさせる1959年の年末であった。
1. Bluebird of Happiness
2. I'm a fool to want you
3. I love you
4. When sunny gets blue
5. The Golden Striker
6. On Green Dolphine Street
7. 3 A.M.
Duke Pearson (p)
Gene Taylor (b)
Lex Humphies (ds)
Recorded at Rudy Van Gelder Studio on December 16, 19, 1959
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