A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

ビッグサウンドやハイノートばかりがトランペットの良さとは限らない・・・

2015-04-14 | MY FAVORITE ALBUM
Big Brass / Benny Bailey

独居老人が増えるに従い、一人暮らしの老人の孤独死が増えているという。日本では核家族化がもたらした社会問題、そうそう簡単に解決はできないだろう。自分自身の事を考えてみても明日は我が身。今までは毎日のように出歩けているが、だんだん外にも出歩かなくなり人付き合いも減ってくると最後は家族だけ。女房だけには先立たれることのないようにしたいものだ。

トランペットのベニーベイリーが母国アメリカを離れ、異国の地アムステルダムで亡くなったのは今から10年近く前になる。何故か、孤独死で死後何日かしてから発見されたという記事が記憶に残っている。
60年代ヨーロッパに渡って活動したアメリカのジャズミュージシャンは多いが、多くはまたアメリカに戻った。しかし、このベニーベイリーは活動の大半をヨーロッパで過ごし、最後もヨーロッパに骨を埋めることになった。そこまで気に入ったヨーロッパであったが、そこでは彼の死を看取る人が居なかったということになる。

このベイリーがライオネルハンプトンのグループに参加したのは1947年から1953年まで。オーケストラがヨーロッパをツアーしていたが、そこでバンドを辞めると一時イタリアで活動する。しかしその地は肌に合わなかったのか、結局スウェーデンに留まることになる。
この当時のハンプトンのオーケストラには、綺羅星のような若手が参加していた。特にトランペットセクションにはベイリー以外に、クリフォードブラウン、アートファーマー、そしてクインジージョーンズなど次の世代を背負う実力者が席を同じくしていた。

彼等はハンプトンの目を盗んでは地元のミュージシャンともセッションを繰り広げていた。それはハンプトンのバンドとは趣が異なる洗練されたサウンドであった。その中の一人クインージョーンズも作曲を学ぶために一時ヨーロッパに滞在した。その時ハリーアーノルドのオーケストラからもアレンジを頼まれ、アレンジャーとして着実に経験を積んでいた。このアーノルドのビッグバンドにはベニーベイリーが加わっており、このバンドのコンサートで2人は再会を果たしていた

それらの経験を経て、アメリカに戻ったクインシーは自分のビッグバンドを立ち上げた。あの有名なアルバム”The birth of a band”が生まれたが、それはヨーロッパ仕込みの洗練されたサウンドを引き継ぐものであった。
そして、その後クインシーのオーケストラは悪夢のヨーロッパツアーに旅立つ。このヨーロッパツアーのメンバーにはアルバム録音にも参加したフィルウッズやクラークテリーに加えて、ヨーロッパに居たベニーベイリーも加わった。クインシーにとっては、昔からの知己であった以上にクインシーのアレンジの良き理解者であり、ベイリーはお気に入りのトランペットであった。

バンドが演奏の場として予定していたミュージカルが公演途中で中止となり興業的には大失敗に終わった。しかし、メンバー達はそのまま現地に残りクインシーのアレンジによるビッグバンドの演奏活動を続け、ヨーロッパ中を彷徨うこととなった
メンバー全員が肉体的にも、精神的にもそして経済的にも行き詰って帰国することになったが、ここでへこたれなかったのがクインシーを始めとするメンバーの面々であった。リーダーとしてすべての責任を負ったクインシーは、この出来事を糧にアレンジャー&バンドリーダーからプロデューサー業、そしてマーキュリーレーベルの役員に大きく飛躍することにもなった。

バンドと一緒に一時アメリカに戻ったベニーベイリーも、帰国してすぐにリーダーアルバムを作る機会を得る。クインシーのバンドで一緒に苦労を共にしたメンバーから、フィルウッズ、ジュリアスワトキンス、レススパン、バディカレットの4人が参加した。ある意味、彼らにとっては過去を忘れて再出発のための仕切り直しの場であり、景気付けのアルバムでもあった。

ちょうど、クインシーのオーケストラも帰国後の録音をした直後であり、今度はバンドメンバーであるベニーベイリーのアルバムに皆が集まった形だ。そして翌年の2月にはフィルウッズのアルバム”Rights of Swing”が作られたが、これにも、ベイリーをはじめとしたクインシーのバンド仲間達が駆けつけている。

このベイリーはその後ヨーロッパに戻り、ケニークラーク&フランシーボランのビッグバンドに参加した。どちらかというとあまり目立つ存在ではなかったが、どこでもキーマンとして活躍している。いわゆる玄人受けするタイプの実力者になるのだろう。
元々トランペットを始めた時からあまり大きな音を出すのは苦手だったらしい。ハンプトンのオーケストラではトランペットセクションのどのパートでもこなしたというが、決してハイノートヒッターではない、フレーズ作りの上手い部類だ。クインシーがビッグバンドを立ち上げる時、このベニーベイリーに真っ先に声を掛けたというが、クインシーのビッグバンドのアレンジとは確かに相性がいいスタイルだ。

このアルバムでのフロントラインはクインシーのバンドメンバー達なのでバンドのサウンドには共通する物がある。アレンジは、クインシーが提供した曲以外に、オリバーネルソンやトムマッキントッシュのアレンジなどもある。どの曲も普通の3管編成と違ったサウンドがするのはアレンジ以前に楽器の構成が特異なこともあるだろう。ジュリアスワトキンスのホルンはクインシーのオーケストラにも加わっていたが、トロンボーンより丸みを帯びた音色だ。それにレススパンがフルートで加わり、フィルウッズも時にバスクラリネットに持ち替える。いわゆるハードバップ、ファンキー路線とは一線を画す、木管主体の上品なサウンドがするが、これがベニーベイリーのトランペットとは実に相性がいい。逆に言えば、ベニーベイリーのトランペットにはこのような編成、アレンジが似合うということになる。

このベイリーは、ヨーロッパに残った理由の一つがお金のためにプレーはしたくないという事だったらしい。晩年まで好きなヨーロッパで、自分の好きなスタイルで演奏を続けることができた反面、最後を看取る人がいなかったというのは寂しい限りだ。



1, Hard Sock Dance                  Quincy Jones 5:47
2. Alison                         Sean Smith 6:46
3. Tipsy                        Oliver Nelson 6:54
4. Please Say Yes                   Tom Mcintosh 5:58
5. A Kiss to Build a Dream On  Oscar Hammerstein II / Bert Kalmar / Harry Ruby 8:03
6. Maud's Mood                      Benny Bailey 6:25

Benny Bailey (tp)
Phil Woods (as,bcl)
Julius Watkins (fhr)
Les Span (fl,g)
Tommy Flanagan (p)
Buddy Catlett (b)
Art Taylor (ds)

Produced by Nat Hentoff
Engneer : Bob d’Oeleans
Recorded at Nola Penthouse Sound Studios, New York, November 25, 1960


Big Brass
クリエーター情報なし
Candid Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする