A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

熱心なファンのお蔭で、2人の出会いから時間が経たないうちに初アルバムが

2015-04-23 | MY FAVORITE ALBUM
Jazz Is Universal / Kenny Clarke & Francy Boland Big Band

リーダーアルバムBig Brassをアメリカに戻って録音したベニーベイリー、翌年再びクインシージョーンズのオーケストラに加わってヨーロッパに渡ると、そのまま西ドイツに留まり活動の拠点をヨーロッパに置いた。

当時、ヨーロッパで活動していたアメリカのジャズミュージシャンは多く、ドラムのケニークラークもその一人であった。MJQを辞めたのが1955年、その年と翌56年はフリータンスとして、特にSavoyレーベルではハウスドラマーとして数多くのアルバムを残している。
ところが、その56年にクラークはアメリカでの仕事を精算してフランスに渡る。まさにハードバップ全盛期を迎え、さあこれからというタイミングに何故?と思うのだが・・。

どうやらこれは、1946年に結婚したカーメンマクレーとの関係を清算したのが理由らしい。そこ頃まではマクレーはまだピアニストとしての仕事が多く、歌手としてはまだ第一人者にはなっていなかった。夫婦関係も、クラークの浮気で必ずしも上手くいっていなかったようだ。
55年になってやっとアルバム”By Special Request”が作られる。これを機に、彼女が歌手として独り立ちできる確信を得たのも、2人がそれぞれの道を行く決心をしたひとつのきっかけだったのだろう。

ヨーロッパに活動拠点を移したクラークはスタジオの仕事をする一方、ヨーロッパに来るアメリカのミュージシャンともよく共演していた。しかし、アメリカのジャズ界が活況を呈していた中、本来であればその中心的な役割を果たしていたはずだが、何となく主流から外れてしまっていた感じもする。

そのような活動をしていた1959年にベルギーのピアニストフランシーボランと共演する機会があった。意気投合した2人は、ボランが作編曲も得意としていたこともあり、2人のビッグバンドを持ちたいという夢を持つようになった。ちょうど時代も同じ、サドメルのサドジョーンズとメルルイスの出会いのようなものであった。
しかし、経済的な面でレギュラーバンドをすぐには持てないのはヨーロッパでもアメリカでも同じであった。そこで、まずはオクテットから活動を始めた。

サドメルと較べると素早い対応であったが、実は、この2人の活動をサポートした西ドイツのケルン出身のジジ・カンピという人物がいた。熱狂的なジャズマニアで、自らプロデュース、メンバー集めレコード制作、クラブ出演の段取りまでつけていたようだ。彼のお蔭でまずはオクテットの録音が完成する。

次はビッグバンドという事になったが、これはケルンに新しくできたジャズクラブ「ストーリー・クラブ」のこけら落としのために編成するという段取りをつけた。メンバーはアメリカそしてヨーロッパ中から集めたオールスターズ編成。しかし、いざ本番という時に、クラブ側の不手際で公演がキャンセルとなってしまった。
サドメルでの初の日本公演で同じようなトラブルがあったが、このカンピの偉い所は、せっかくミュージシャンがスケジュールを空けて集まってくれるのであれば、ライブは駄目でもレコーディングをしようということで、急遽予定を変更した。

公演の方はゲスト歌手も呼ぶプログラムになっていたが、アルバムの方はビッグバンドオンリー。作編曲を担当したボランも、であればということで急遽、曲やアレンジを書き直してレコーディングに臨むことになった。

そして、目出度くこのアルバムが誕生した訳だが、結果的にこのアルバムがクラーク・ボランビッグバンドの初アルバムという事になった。メンバーはアメリカを含む7か国から集まったオールスターメンバー。
トランペットセクションには、すでにヨーロッパではお馴染みのベニーベイリーも加わった。

このクラーク・ボランのビッグバンドはその後MPSレーベルで作られたアルバムが多い。重厚なオーケストラサウンドはMPSの録音のせいかと思っていた。それで、この初アルバムは少し厚みが足りないのかと思ったら、編成が標準編成よりメンバーが少ない。しかし、あの重戦車のような迫力に通じる音はしている。やかり、ボランのアレンジ、そしてクラークのドラミングに因る所も大きいのだろう。

サドメルよりも一足先にスタートしたこの2人のビッグバンドも、これから10年近く活動する。60年代を代表するビッグバンドの一つであり、自分の好きなビッグバンドでもある。このカンピはバラバラに活動してメンバー達を年に2カ月は、このクラーク・ボランのビッグバンドに参加させるべく飛び廻っていたらしい。国をまたがったオールスターバンドだが、熱心なジャズファンジジカンピがいたので、無事に立ち上がることが出来、継続して活動できたのであろう。

1. Box 703, Washington, D. C.           Francy Boland 5:02
2. The Styx                   Francy Boland 3:50
3. Gloria                     Bronislaw Kaper 4:35
4. Los Bravos                    Francy Boland 5:00
5. Charon's Ferry                  Francy Boland 6:06
6. Volutes                       Francy Boland 5:56
7. Last Train From Overbrook             James Moody 6:37

Ahmed Muvaffak Falay, Benny Bailey, Jimmy Deuchar, Roger Guerin (tp)
Pat Peck, Ake Persson(tb)
Derek Humble (as)
Carl Drevo, Zoot Sims (ts)
Sahib Shihab (bs,fl)
Francy Boland (p.arr)
Jimmy Woode (b)
Kenny Clarke (ds)

Supervised By Gigi Campi
Enginee : Wolfgang Hirschmann
Recorded in Cologne, West Germany, December 13, 1961

ジャズ・イズ・ユニヴァーサル
クリエーター情報なし
ワーナーミュージック・ジャパン
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