自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

龍王さん

2020-04-18 18:33:01 | Weblog
4月15日 堂々川ホタル同好会のホームページをリニユーアルしました。
アドレスは dodogawa.com です。

春雷が騒ぐ4月18日の朝9時 10分で4mmの雨が降り、風も強かった。
この寒気を持つ低気圧は、この時間東京を過ぎて東北へ進んでいるでしょうか!

今日の話しは、広島県一の広さを持つ、神辺平野の東端
御領遺跡(佐賀県の吉野ケ里遺跡の4倍の広さを持つ)南側の山
戸の山(標高199m)の頂上にある神社にまつわる歴史秘話です。


戸の山 手前が現在の遺跡跡
多くの人が住む神辺町の平野(ひらの)地区


江戸時代の福山藩の三大歴史誌、備陽六郡志 作者は宮崎直ユキですぐ後の
福山志料(菅茶山作)や西備名区に大きな影響を与えている。
その作者が残した平野村の項に戸の山の頂上に女人禁制の龍王神社があり
その龍王神社は日照りの際の雨ごいに霊験あらたかな神様であるが
とにかく女性が嫌いと言うことで山の頂上にある。
地域の住民は4月の例祭の際、急な坂道を登らないといけないので
この神社を麓の法楽寺の境内に降ろした。


現在の山頂神社
手前は石鎚神社 奥が龍王神社


桜が咲き、チョウが舞う場所である。







菫もいたるところで咲き、ツツジも見事である。





4月のはじめ友人と山へ登った。


法楽寺88カ所の道を途中から分かれて急坂を登る。


話は戻り、延享5年夏の大干ばつで、近くの村と一緒に雨ごいをしたが
雨は降らなかった。
他の村の住民とは別に、平野村の住民は山頂へ登り、祈願した。
女性の通わない山頂での雨ごいは龍王が理解をして、空は一転入道雲が広がり

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平野村だけに雨を降らした。
平野村の人々はこの雨のおかげで作物は潤った。
村人はすぐに、法楽寺境内から山頂へ龍王さんを移した。
新しい祠を建立した。

この戸の山の頂上には真夏で枯れない小さな池がある。





今でも199mの頂上の


頂上の平たい場所


タネも仕掛けも見つからない。普通の小さな池であった。
池の淵は全て粘土で覆われていた。

この山の不思議は今でも続いていた。