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自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

新堂々川の砂留

2011-03-05 20:35:48 | Weblog
”祇園精舎の鐘の声
今日は平家物語を述べるのではなく堂々川の枕ことばとして使う。
1673年(延宝元年)、旧暦5月14日、3尺先が見えないほど降る大雨に、
じっと我慢の大原池が堤防を越える水にこらえ切れず堰を切る。
ダダダダダ、ザワー、ゴー、周りの石や木を巻きこんで急流をかき下る。
半里下って最高に勢いがついたところが備後国分寺。
言葉では言い表せない音とともに濁流が運ぶ木・石・水あっという間に国分寺を飲み込んだ。
門前町も同じ運命、逃げ遅れた人が結果的に63名、尊い犠牲者になってしまった。
あれから310余年、今日も供養の鐘が鳴る。



国分寺の西北にひっそりと建つ、供養塔。
誰がお供えするのか線香1本。



過去の災いをなくすために下流に住む住民と福山藩のお殿様は
2度と災害が起こらぬように砂留を作り始めた。
アーあれから300年。
堂々川の砂留は石積の技術、今も砂を防ぐ役割を果たしている、そして砂留群規模と大きさ
誰が何と言っても日本一なのであります。
さーて、その砂留にモニュメントが造られていたがようやく8基全数が完成した。
完成祝いに一挙にお見せする。
これでも気を使い広島県の工務課殿にはブログ掲載のお伺いをたてて了解をもらっている。
下流から1番砂留、2番砂留


石垣の近くの緑は水仙

この場にも水仙
誰も推薦してくれないから「はぶてて」花は咲かない


この砂留群8基が登録有形文化財になったのは2006年8月
私たち堂々川ホタル同好会が設立したのが2006年4月
何も関係ないが同じ年と言うのがいとおかし。清少納言なら「春は砂留いとおかし」と書くかなー。
3番、4番砂留





今は夕方でも散歩できるが2006年当時はタヌキは出るし、イタチは走る、兎に雉まで飛んでいた。
とても散歩と言うイメージはもてなかった。

5番、6番砂留
かなり上流まで登ってきた。





この6番砂留のモニュメントは窮屈そうに設置されている。
2006年当時はこの場所に樹齢80年の松があったがもう枯れてしまった。
鳶ケ迫、内廣砂留。
どちらも本流ではなく右岸の山の中にある。


道路から150mの山の中

こちらは道路から250mの山の中


日本一の砂留群、登録有形文化財の紹介は終わるが
土砂災害から我々を守ってくれる砂留
そして遠い昔の悲しい出来事を備後国分寺の鐘が供養してくれる。
現在のわれわれは少しでも御先祖様に恩返しをしないといけないのに
アーそれなのにそれなのにゴミを捨てる罰あたりがいる。