雨が欲しいのに!降るとは言うがほんとに雨は降るのだろうか。
降って欲しい。いや、お天道さんよ、絶対に降らさないと許さないのだ。
ああよかった。数滴雨が降りましたよ。17時現在。
7日15時 台風は山口県萩市沖を勢力を弱めて進んでいるようだ。
我が地では今、緩やかに西からの風が吹き、
高い雲は東に、低い雲は北にゆっくり流れている。

堂々川の堂々公園から見る山の木は枯れている
その上を雲は流れる
現在ある商品を開発したが名無しなので、名前を付ける為物語を探している。
日本書紀や古事記までさかのぼってみても面白いものは見いだせない。
仕方がないから時代考証を見ながら近隣の題材を拾ったその一つを見てもらう。
今回から2回に分けてくだらない話を読んでもらうことになった。
備後滝山城物語
この物語は鞆の津で足利尊氏が開祖した室町幕府の15代将軍足利義昭が
将軍末期を過ごし、征夷大将軍を辞退し滅亡した頃、備後での出来事である。
鎌倉幕府が倒れ新田義貞、楠正成によって京を追われた足利尊氏は鞆つまり
海の要衝で潮待ち港にある鞆小松寺で光厳上皇の院宣を受け、九州まで下って
勢力を回復し、武力を鞆に集結して臨時幕府をひらいた。
そして京都へ攻め上がり、建武3年室町幕府をひらいたのである。
それから歳月は流れ、
永禄11年
三好三人衆の勢力に抑えられていた足利義昭は織田信長、浅井長政などに警護され
京都へ上洛して朝廷から15代将軍の位を賜る。
が織田信長が自国へ帰還すると三好三人衆の巻き返しを受け
危機一髪のところで浅井長政、摂津の池田勝正、和田惟政等が奮戦して撃墜出来た。
義昭と勝正は後日鞆の津でも面談することになる縁があった。
その勝正は義昭に味方をしたが家臣の荒木村重や弟の下剋上内紛で追放され
和歌山方面へ行きのちに西国へ流れて行った。
義昭はこの後織田信長と仲良くしたり、
喧嘩をしたりしながらお互いを利用する繰り返しであったが
天正4年ついに織田信長は義昭を京から追放した。
義昭は毛利輝元を頼って備後鞆の津へ入り備後で亡命政府を作った。
これが鞆幕府と呼ばれ、天正16年義昭が将軍職を辞して
豊臣秀吉の軍門に下り出家したところで室町幕府は終わった。
話は変わって
備中と備後の境界に備後滝山城がありここは南北どちらからからも山が張り出し、
平野が狭くなっている山陽道の要衝であった。

備後滝山城があった滝山
この城は備後の有力武将の宮氏が治めていたが神辺合戦以降毛利と尼子の戦いでは
いつも矢面に立たされていた。
永禄年代に入り杉原盛重が毛利とともに尼子を山陰へ追いやり、
戦場が今の島根県安来に移ると神辺の街はしばし退屈の時間になった。

神辺城の対面要害山へ沈む夕日
次回へ続く
予告神辺城と滝山城の争い
ヒロイン姫の登場
物語には美女が出ないと面白くないので次号要期待
降って欲しい。いや、お天道さんよ、絶対に降らさないと許さないのだ。
ああよかった。数滴雨が降りましたよ。17時現在。
7日15時 台風は山口県萩市沖を勢力を弱めて進んでいるようだ。
我が地では今、緩やかに西からの風が吹き、
高い雲は東に、低い雲は北にゆっくり流れている。

堂々川の堂々公園から見る山の木は枯れている
その上を雲は流れる
現在ある商品を開発したが名無しなので、名前を付ける為物語を探している。
日本書紀や古事記までさかのぼってみても面白いものは見いだせない。
仕方がないから時代考証を見ながら近隣の題材を拾ったその一つを見てもらう。
今回から2回に分けてくだらない話を読んでもらうことになった。
備後滝山城物語
この物語は鞆の津で足利尊氏が開祖した室町幕府の15代将軍足利義昭が
将軍末期を過ごし、征夷大将軍を辞退し滅亡した頃、備後での出来事である。
鎌倉幕府が倒れ新田義貞、楠正成によって京を追われた足利尊氏は鞆つまり
海の要衝で潮待ち港にある鞆小松寺で光厳上皇の院宣を受け、九州まで下って
勢力を回復し、武力を鞆に集結して臨時幕府をひらいた。
そして京都へ攻め上がり、建武3年室町幕府をひらいたのである。
それから歳月は流れ、
永禄11年
三好三人衆の勢力に抑えられていた足利義昭は織田信長、浅井長政などに警護され
京都へ上洛して朝廷から15代将軍の位を賜る。
が織田信長が自国へ帰還すると三好三人衆の巻き返しを受け
危機一髪のところで浅井長政、摂津の池田勝正、和田惟政等が奮戦して撃墜出来た。
義昭と勝正は後日鞆の津でも面談することになる縁があった。
その勝正は義昭に味方をしたが家臣の荒木村重や弟の下剋上内紛で追放され
和歌山方面へ行きのちに西国へ流れて行った。
義昭はこの後織田信長と仲良くしたり、
喧嘩をしたりしながらお互いを利用する繰り返しであったが
天正4年ついに織田信長は義昭を京から追放した。
義昭は毛利輝元を頼って備後鞆の津へ入り備後で亡命政府を作った。
これが鞆幕府と呼ばれ、天正16年義昭が将軍職を辞して
豊臣秀吉の軍門に下り出家したところで室町幕府は終わった。
話は変わって
備中と備後の境界に備後滝山城がありここは南北どちらからからも山が張り出し、
平野が狭くなっている山陽道の要衝であった。

備後滝山城があった滝山
この城は備後の有力武将の宮氏が治めていたが神辺合戦以降毛利と尼子の戦いでは
いつも矢面に立たされていた。
永禄年代に入り杉原盛重が毛利とともに尼子を山陰へ追いやり、
戦場が今の島根県安来に移ると神辺の街はしばし退屈の時間になった。

神辺城の対面要害山へ沈む夕日
次回へ続く
予告神辺城と滝山城の争い
ヒロイン姫の登場
物語には美女が出ないと面白くないので次号要期待