戦前の家庭用冷蔵庫は外側が木で内側はブリキ板のようなもので作られていた。 午前中に、自転車に乗ったオッチャンが運んできて、冷蔵庫の最上段に入れて行った。 3時になると、それをアイスピックで割りとって、カルピスかコーヒーシロップを飲んだが、まだ4,5歳だった私の舌にはコーヒー味の方がはるかに美味に感じられた。何年か前、その味が懐かしくなって、家人に探してもらったがみつからなかった。 家人は、いまどきそんなものは売れないのではないかという顔になっていた。 カキ氷を作る装置のようなものが我が家にあった時期、最高級のタネは練乳プラス茹でアズキだった。その頃私はほとんど菓子類を食べなかったが、それだけは好きだった。フシギに子供達は練乳オンリーを好んでいて、つまり茹でアズキは私と家人だけが食べるわけで、ケチ臭い言い方をすれば、缶詰1個開ければ2人で3日分の量なのに、2日目には缶はカラになっていた。昼間にカキ氷に使い、その残りを冷蔵庫に戻しておいたものを、夜の湯上りに家人が食べきってしまうのだった。私の、そして我が家のおおいなる救い(幸福)は、無類の甘いもの好きの家人の血糖値がごく正常であることだ。 晩酌の中心はウィスキーなので、水と氷の研究もした。 水のベストは、水道水プラス備長炭だったが、それで製氷してもこれは!という味にはならない。今では特別上等な酒が手に入ったときだけ、スーパーの店の氷を買ってくるが、それでも酒場(たとえばホテルのバー)のものには遠く及ばない。 あれはなぜなのか。たとえば、日本の名水でつくった日本の名氷というものがあるのかどうか。それとも一流酒場には、別の製氷法があるのだろうか。
菅首相はいつ辞めるのか、次は野田氏、鹿野氏・・・あるいは・・・と騒ぐ永田町→それをまたマスコミが予想屋(評論家など)の意見を加えて更に騒ぐ。そんなことは民主党内で決めること→思い出すのは、童謡『雀の学校』の歌詞、ちぃちぃパッパ、ちぃパッパ。 厭なニュースが多いが、義援金が被災者に届かないというのは、酷い話だ。孫正義氏の100億円から、小学生が貯金箱から取り出した1枚の硬貨までの善意の塊が、明日の食料を買うのにも悩んでいる方々に届いていないというのは酷い。 私は街頭募金や振込み寄付ではなく、被災地の先輩や友人の3人に食べ物を送ったが、これもまた運送の事情などでかなり遅れたが、義捐金よりは早く届いた。 妹からのファクシミリで、姪(妹の娘で、この4月から夫の仕事の関係で、東京都に属する小さな島に一家で移住している)が、6月30日にテレビで紹介されると知らせてくれた。 人の少ない島の生活や人情を撮ったものだと思うが、姪は、我が家に届く年賀状の中では傑出した1枚であることが多いので、来年の賀状の構成が田恩師箕田。小さな島の、どこの何を描くのだろうか。 孫娘が体育祭で踊る金ぴか服を家人が縫っていて、それを次女が受け取りに来た。訊いてみると、孫娘(高校1年)には、まだ好きな男性はいないそうだが、下の孫(中2)には相思相愛的にいるらしいと言う。いい話だとおもう。 すべての人に青春はあった。 モテない私にも青春はあった。石坂洋次郎の作品の題名を借りれば、青い山脈・山のかなたに・丘は花ざかり をすべて足し合わせたように、そしてソレにハチミツがかかるのか、それとも塩水がかかるのかにドキドキする日々だった。いまや孫達がそういう年齢になった。
「男の子の初恋は(たとえば幼稚園の優しい保母さんなど)、必ずオトナの女性である」とは、小沢昭一さんの説だが、初恋であるかどうかはともかく、男の子にとって気になるのは、幼稚園や小学校、あるいは近所の同年代の女の子である場合が多いのではないだろうか。 永六輔さんの「おててつないで幼稚園 積木ブランコ紙芝居~」の想い出の方が、たいていの男達の「青いレモンの味がする記憶」となっている気がするが・・・。 あの会社には美人の女の子が多いという言い方は、女性を軽視したものだと怒る女性評論家がいて、拍手を浴びていたのは、昭和30,40年代だっただろうか。たしかに女子社員を女の子と呼ぶのは、あまりよいセンスではないが、言葉というものは時代とともにあるわけで、当時は、女子社員地震が、その呼び方を嫌ってはいなかったと思う。女性評論家が怒るほどのものではなかったと思う。むろん現在は、今年の新入りの女の子達は~なんて会話はないのだろう。 前にも書いたが、私は妊婦の雰囲気を見て、生まれて来る子供の性別を見分けることができる(12例12的中)から、家人の場合も、6カ月あたりで女児誕生がわかったので嬉しかった(その頃は、エコー撮影による性別予見は不可能だった)。 普通は家系を継がせるための男子を欲しがることが多いかと思うが、家系というものは、優秀な人間がリレーしてくれるかどうかであって、性別は無関係である。それならば、10歳を過ぎたらムサ苦しい存在になる男よりは、成人してもヒゲの生えない清潔な女の子の方が何倍も価値がある尾・・・と、結果として2人の女の子をプレゼントしてくれた神様と家人に感謝している。この8月に、家人の姪夫婦に女の子が誕生する。 生まれて来る子には6歳上の男の子がいて、家人の恋人である。我が家の周辺の久々の愉しい話題だ。
「私と仕事とどっちが大事なの?」と妻に訊かれ、「オレのイノチはリクルート」と答えて離婚したのは、かの江副浩正氏である。反対に、「職場での出世なんか望まない。日曜出勤なんかとんでもない。 休日は家族と過ごす」と決めていた友人(地方公務員だった)もいる。私はそもそも、家庭と仕事のどちらが大事かという問いがわからない。 それは、どちらも大事にきまっているし、それ以前に比較対象にならないと思っている。私自身は、会社が多忙のときは連日の残業、時には社の近くの宿に1週間泊り込むこともあった。子供もまだ幼かったし、家人も淋しい紐あっただろうが、自分と仕事のどちらが大事かとは言わなかった。 それは残業・徹夜の手当で給料袋の厚みが増すということもあったかもしれぬが、やはり、そんはことを訊いてはいけないと知っていたのだと思う。 3年ぶりにA子さんに会って、「少し癒せましたか?」と言ったら、頚を左右に振った。それは、痩せたいと思っているのに痩せられない、と そんな誉め言葉・お世辞は辞めて欲しいという仕草だったが、私は正直な感想を言っただけだった。A子さんは夫であるB君ともども、サラリーマン時代からの付き合いで、若い頃は(再会した40歳代の戦友会も含めて)、どちらかと言えばふっくら肉体美の印象だったから、それはお世辞どころか、むしろ心配の意味だった。 テレビを観ても、活字を読んでも、女性はなぜ痩せたがるのかがわからない。 スリムであるか否かは、女性美の比較の物差しになるのだろうか。 女性美の物差しは、ただ1ツ、ソレで彼女が魅力的に見えるかどうかだと思うし、更に言えば、その物差しの目盛りに刻まれるのは色気だとも思う。たとえば~と、これ以上書くと「或る老人の好み」の話になってしまうので、ここまで。
高校時代はよくラーメンを食べた。クラスに複数のラーメン通がいて、あの店に35円で大きい焼き豚が入っているのがある・・・といった類のニュースが教室にとびかった。 下校時にコーヒー店に寄るかラーメン店に行くかは、経済的に重い選択だった。当時、コーヒーは1杯50円が相場だったが、ラーメンは35円~50円と幅があったから、味とサービスが物差しで、前述のような大きな焼き豚も選択条件の1ツだった。 しかし、たとえば、高田馬場に40円で旨い店があるということになって、渋谷から遠征するとなると、私は山手線の定期券がないから20円の電車賃が必要となり、それなら渋谷で60円の山盛りが食べられる勘定で、それでも遠出したのは、やはりラーメン交遊が愉しかったからだ。 渋谷の恋文横丁にあった小さな中華料理店『頂好(テンハウ)』のことは前にも書いた。 私はそこで呑む白乾児(パイカル)で酒の修業をした。結婚する前も直後も、よくその店で食事をしたが、私も家人も気に入っていたのがタンメンだった。今でも冬になると、市販の袋ものを買って来て、家人が昔の味を試みるが、未完成だ。あの独特の風味を持つ麺に合うスープの基本は何か? もちろん、スープのもと(粉末)はついているが、それだけでは不足。私は、野菜(主として白菜)をラードで炒めることだと思う。 祖父はてんぷらソバが好物だった。それも海老天であることが条件で、言い方を変えれば、台所に海老がある日は、それを揚げてソバを茹でろと言うほどだった。それ以外の、キツネソバ、たぬきうどん、かきあげソバ、煮込みうどんなどを軽蔑するようなところがあった。 そんな話を、8歳上の叔母から聞いたことがあるが、私の知る祖父(年齢差58)には、それは全くなかった。老いて味覚が変わったのか、それとも戦中戦後の食糧難時代の影響だろうか。私は後者だと思う。 私も、脳梗塞を経験した17年前以降、食べ物に関してのアレコレを言わなくなった。 海老天、キツネ、たぬき、ラーメン、冷やし中華・・・とにかくおいしく食べるが、すべてスープは飲まないのであり、そもそも麺を語る資格がない。