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おとこ女

2011-06-24 23:02:31 | 日記
小学校低学年のときに住んでいた兵庫県の町には“おとこ女”という言い方があった。男のくせにナヨナヨ、クネクネした身の動き、妙に優しく白い顔で小柄・・・といった容貌容姿を言うことが多かったが、着衣の色柄(当時は男の子が赤やピンクのものを着ることは少なかった)をひやかす場合にも用いられた。 茨城の中学時代の同級生にホンモノのホモがいて、彼は自分の性癖を隠さなかった。といっても同級生のハンサムを功徳わけではなく、多くの時間を女生徒と過ごしていた。やがて彼はその道で成功し、錦糸町に酒場をもつことになる。私も二、三度その店を訪れたことがあるが、いかにもヤクザっぽい男性と結婚していた。あがて彼は、かなり有名な男芸者となって、テレビに出演したりしていた。少年の頃から身体をS字曲線にしながら甘ったれた声を出すのが似合っていたから、ある種の男達にはモテモテだっただろう。 化粧していない女性か、女性に見える男性か?と性別不明な小柄の人物が、稲生のMRI撮影の担当技士だった。普通、性別は声でわかるものだが、それも中低音でどちらとも受け取れる。  ま、男でも女でもMRIとは無関係なので、その人の指示に従い、入ればを外して上衣(ポロシャツ)を脱ごうとしたら、「あ、シャツは結構です。チャックのある、おズボンだけ・・・」と言われ、やっと私はその人を女性だと思った。15分ほどの撮影を終えて、家人にそのことを話したら、自分もわからなかったと笑いをこらえながら答えた。 家人の証言によると、検査技師のネームカードにはハッキリとした男性名が印されていたそうだ。淀川長治氏の口調を真似れば、最近の世の中、わかりませんねぇ、男か女かもわかりません、男の人だって“おズボン”なんていうのだから。

6月23日

2011-06-24 00:28:02 | 日記
午後からA病院でMRI撮影。昨年の夏、それまでのペインクリニックでの麻酔注射の効果が薄れてきたので、A医院のB医師とブロック療法の相談をしていた。 私には脳梗塞の前歴があるので、毎日血液サラサラ薬を服用していて、それを1週間とめないとブロック療法ができず、ペインクリニックの院長はそれ(梗塞の再発)を嫌っていた。しかし、毎日毎日、痛い痛いを繰り返していてもトンネルの出口は見えず、B医師と、少し涼しくなったら・・・と話し合っていた。そこへ8月24日の大動脈立破裂騒動が起き、その回復のことやアレこれあって今日に至る。 ブロック療法(注射)が施されるのは、次の木曜日であり、その間に脳梗塞の再発があるかどうかはギャンブルでしかないが、とにかく、このままでは先が見えないから賭けるしかないし、60年間培ってきたギャンブル感で言えば、勝ちの目だ。 腰痛が何かのことで治ることがあったらと考えるとき、思い浮かぶのがあの人この人の顔であり、歌の文句を借りれば、もういちど会いたい・・・である。毎日会っている家族とも、別の場所に行ってみたい。別の箱根や箱根でなくてもよく、大船の料理店でもいい。老人性ナントカ症みたいな文になってしまったが、とにかく期待は6月30日、あと168時間。

笑いをとる

2011-06-22 22:14:21 | 日記
ひょっとしておもしろいのかもしれぬ、と思ってテレビドラマを観始める。すると10分と経たないうちに、「ボンヤリ型の課長のところへ部下の女子社員がお茶を持っていき、それは例によって例のごとく熱湯で淹れたもので、ボンヤリ課長はたちまちとびあがる」という場面になる。 私はその先を観る気がしなくなる。 その程度のことで笑いがとれると考える製作者の作品がおもしろいはずはないからだ。 60歳以上の方で、最近のお笑い番組を観て大笑いした経験をお持ちの方は、ぜひその番組を教えていただきたい。 タモリの『笑っていいとも!』、笑っているのは出演者だけ・・・とは、某週刊誌の評であるあ、まさに正しい。 作られた笑いは、たしかにこの世に存在するし、それは例えば、古今亭志ん生の落語であるだろう。これは、つまりは芸が生んだ笑いであり、芸のない駄洒落レベルの喋りで笑ってくれるのは中学生の女の子までだろう。ワイドショ-的な番組の指揮者にも笑いを欲しがるのがいるが・・・。 私は結婚披露宴の司会を10数回経験したが、自分から冗句を言うことはしなかったし、そんなものは全く不必要であって、ごく自然に宴会を進めていけば、自然に笑いは起こるし、広がるものなのだ。何か気のきいたことを言って、その場の笑いを得たいというのは、誰もが持ついわば本能のようなものだろうが、即興的にはかなり難しい。 ナチュラル、タイムリーハイセンスの三冠王は存在するのか、と考えてみて、思い浮かぶのは、ただひとり山口瞳さんである。

餓鬼大将

2011-06-22 21:55:23 | 日記
小学5年生になるときに転居した茨城の家は、15,6軒で形成される集落にあって、中学生以下の子供達のいわゆる遊び仲間も15,6人だった。仲間に入るにあたって、ガキ大将のAさんが「おまえは家で坊やと呼ばれているようだが、ここには坊やが既にいる。2人の坊やがいては煩わしいから、おまえは逆さ読みの“やぁ坊”でいいだろう」と言った。もちろん否も応もなく、私の呼び名は“やぁ坊”から“ヤボ”と縮められ、これは65年経った今でも、少なくとも同級生の間には残っている。 Aさんは、大将だけあって兵卒に人気があった。他のの誰かからイヤガラセを受けたら俺に言えというところがあった。年齢は3歳上で、35を過ぎるまで交際があった(というより世話になった)。 一滴の酒も口にしない体質だったが、胃癌で早逝した。硬派・兄貴型という言葉に接すると、私はすぐにAさんのことを思い出す。 5年前、夏の高校野球決勝で2人のヒーローが誕生した。田中将大君と斉藤佑樹君だ。私はブログに、「田中君はプロ向き、斉藤君は大学で4年間経験を~」と書いて、その通りになって2人とも成功した。 投手として成功するのはガキ大将型が多く、代表例が金田正一さん、堀内恒夫さん、江夏豊さんであり、将大君はその体質である。斉藤君は今年2勝しただけでフラフラしているが、彼は大将ではなく、どちらかと言えば優等生系だから、わかり易く言えばケンカの先頭に立つタイプではない。 立ち直るとすれば、ガキ大将的人間を見習ったときだろう。  ガキ大将型の政治家がいなくなった、つくづく思う。リーダーシップなんて恰好のいい言葉でなく、「オレに任せておけ、ここがケンカの正念場。オレはどうなってもいい!」というのがガキ大将の資格であって、多少のワガママ勝手はあるが、その信念が兵卒の心をまとめるのであり、すなわち大将としての魅力が大事なのだ。 菅やめろ、菅やめない・・・のダラダラ劇を捌く大将は、どこを向いても見当たらない。

自転車

2011-06-21 00:48:25 | 日記
初めて自転車に(補助輪なしで)乗れるようになった日の嬉しさは、誰にでも共通するのではないだろうか。 その喜びを満面の笑みで表している私(たぶん6歳時)の写真が残っている。少し時が経って、戦争が激化し、時々英霊の出迎えということが始まった。 それは戦地で亡くなった軍人のなきがらが入った白木の箱を駅まで迎えに行き、遺族に向かって頭を下げる、小さな儀式だった。これまたお叱りを受けそうだが、私はその出迎えが愉しかった。 子供用自転車でも、少々上等なもので、後部座席に、近所のA子ちゃんを乗せることができたからだった。男世帯だった中学3年の秋から高校1年の終わりまで、私の受け持ちは、買い物だった。家に帰って祖父からメモを受け取り、自転車で商店街に向かう。 男世帯だから、煮たり焼いたりが面倒で、佃煮、さつま揚げ、塩辛、納豆、豆腐、コロッケ、玉子、海苔が常連だったが、当時はレシートなんてものがなかったからナンボかの小遣い銭が稼げた。店のオバチャンとも馴染みになり、ガンモドキ1枚をオマケにしてくれたりした。轟夕起子さんの歌に「おつかいは自転車に乗って 颯爽と~」というのがあるが、その頃の自転車はパンクしたり、チェーンが外れたりの故障も多く、颯爽とはいかなかった。 自転車に乗った女性が走ってくる。スカートの全部を片手でおさえる。目は前方の空間を凝視していて、唇はかたく閉ざされている。つまりは、怒ったような表情であり、くだけて言えば、「じろじろ見ないで!」というポーズである。 誇り高くもあるが、彼女の容姿が必ずしも男達の目をひかぬ場合もある。 昭和の頃に、そういう風景があった。