大木昌の雑記帳

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21世紀の選択(2)―日本は「脱亜入米」でいいのか?―

2015-01-07 05:40:43 | 社会
21世紀の選択(2)―日本は「脱亜入米」でいいのか?―

前回は,2014年に日本人が選択したことのうち,国内問題の「アベノミクス」について書きました。

今回は,もう少し視野を広げて,日本という国が世界の中で,どのような立ち位置を占め,何を国の根幹に据えてゆくべきかを
考えてみたいと思います。

ソウル大学国際大学院教授のパク・チョヒル氏は,「新しい『脱亜入欧』という幻想」という記事で,日本は
新たな「脱亜入欧」の道を歩んでいる,と指摘しています。(『東京新聞』2014年11月30日)

パク氏によれば,21世紀に入り,中国の浮上という新たな現象に直面した日本には,新たな「脱亜入欧」とも呼ぶべき
アジアからの心理的隔離が現れている,と指摘しています。

韓国からみると日本は,アジアとは一線を引いたまま米国に代表される国際社会との関係を深めようとする動き
として映っているようです。

「脱亜入欧」という言葉そのものは,明治期に福沢諭吉によって,日本が進むべき道として唱えられた言葉ですが,
それはそのまま日本政府の立場でもありました。

つまり,日本はもはや「遅れた」アジアの一員から脱して,「進んだ」西欧の一員となるべきだ,という考え方です。

当時,アジア諸国は西欧列強によって次々と植民地化されており,日本政府は自らを守るためにも,あらゆる分野で
近代化・西欧化を急がなければならないと考えていました。

国を挙げての努力の結果,日本の「脱亜入欧」戦略は成功し,日本はアジアで唯一近代化に成功した国としてスタートしました。

当時の日本の国策は「富国強兵」でした。経済力を高め,軍事力を強化し,自らを西欧列強から守るだけでなく,
機会があれば日本も遅ればせながら,西欧のように植民地獲得競争に加わろうとしていたのです。

パク氏は,新しい『脱亜入欧』路線は「幻想」だと述べています。

その根拠の一つは,19世紀とちがい,近年の中国と韓国は経済的豊かさと社会的活気があるのに,
日本は「失われた20年」と呼ばれる経済的停滞に陥っていることです。

パク氏は,安倍首相の,強い日本を取り戻そうとする執心は,こうした現実を踏えた上で,中国や韓国を潜在的脅威
として認識し始めているからでなないか,と指摘しています。

次に,日韓中の三国は,人口においてもGDPにおいても世界の五分の一を占めており,この地域が21世紀における
世界経済の中心地であり,成長の要であることを示唆している,と述べています。

パク氏が指摘する,日本の経済的停滞はその通りですが,中国,韓国経済が「経済的豊かさと社会的活気がある」
という認識には多少,誇張があります。

というのも中国も韓国も,GDPこそ増えていますが,国内に大きな格差を抱えており,この格差がそれぞれの社会内部で
深刻な不安定要因となっているからです。

この問題とは別に,明治時代の日本とアジア諸国の経済的・軍事的力の差に比べれば,現在その差は,
はるかに小さくなっていることは確かです。
 
現在,経済的には,中国のGDPは2010年にはすでに日本を抜いて世界第二位となっており,軍事的にも中国は近年急速に
近代化と規模の拡大を続けています。

さらに,明治期に日本が「脱亜入欧」を唱えたとき,日本人には,アジアは遅れているから西欧に近づこう,
という認識がありました。

反面,日本の指導者たちには中国や韓国を「遅れた国」として低くみていたと思われます。しかし,現代ではこのような認識は
現実的ではありません。

ところで,パク氏が最近の日本の戦略を「新しい脱亜入欧」という言葉で表現した意図は理解できますが,
この言葉は誤解を生じやすいので,少し補足と修正をしておきたいと思います。

まず,日本が名実ともに「脱亜入欧」を唱えた19世紀の明治期は,日本とヨーロッパ諸国との間には科学技術や
経済力・軍事力などの面で大きな差がありました。

このような状況下で,ヨーロッパに「追いつけ追い越せ」という気概を込めて「脱亜入欧」という言葉には現実味がありました。

しかし,現在は,日本とヨーロッパとの間には文化の違いはありますが,科学技術や近代化の程度に差はありません。

もう一つ,19世紀「入欧」の「欧」は文字通りヨーロッパ世界を指していましたが,戦後,アメリカが世界をけん引する
大勢力になると,「欧米」(ヨーロッパとアメリカ)という言葉が使われるようになりました。

しかし,アメリカとヨーロッパとは必ずしも一括りにできません。たとえば,アメリカが主導したイラク戦争やアフガン攻撃
において,ドイツやその他のヨーロッパ諸国は参戦を拒否したり,積極的に賛同はしませんでした。

アメリカの盟友,イギリスのブレア首相はこれらの戦争に賛同して攻撃に加わりましが,イギリス国内においてさえ,
「ブッシュのプードル」,つまり「アメリカの言いなりになる飼い犬」と笑い者にされ批判されたのです。

日本は,第二次世界大戦での敗戦を契機に日本はアメリカの占領下に置かれ,戦中の「鬼畜米英」から手のひらを反すように,
親米路線をとるようになりました。

しかも,日本は敗戦から現在までアメリカの影響下から脱することができません。この状況は「脱亜入欧」というより,
「脱亜入米」といった方が適切かもしれません。

歴代の自民党政権は,アメリカの要請にいかに応えるかを中心に運営されてきました。安倍政権は,さらに一歩進めて,
日本がいかにアメリカと一体化し,アメリカに喜んでもらえるかにエネルギーを注いでいるようです。

「集団的自衛権」の行使は,アメリカの戦争に日本が先兵となって参加するできるため,
「特定秘密保護法」も米軍との共同の軍事行動にかかわる秘密を守ることが大きな目的の一つでした。

経済的には,TPPへの参加によって,農畜産物や自動車だけでなく,金融や保険といった,アメリカが優位に立っている分野で
日本は大幅に譲歩を迫られるでしょう。

「脱亜入欧」と「脱亜入米」とは言葉は似ていますが,両者の間には歴史的な背景と,意味するところには大きな違いがあります。

ヨーロッパには「福祉国家」の理念と伝統がありますが,アメリカには「福祉国家」の理念はなくヨーロッパ世界とは大きく異なります。

アメリカは軍事力を背景に政治・外交を展開し,経済的には徹底した市場原理主義で,マネーゲームで富の蓄積を図り,
国内的には自己責任の名のもとに貧富の格差を限りなく大きくする国家です。

このようなアメリカと日本が一体なるのは,どう考えても日本のとるべき道ではありません。軍事・外交面でも経済面でも,
アメリカと日本とはあまりにも力に差がありすぎます。

日本はアメリカと一体となったつもりでも,軍事・外交面ではアメリカに従属し,経済面ではアメリカの利益に奉仕する損な役回り
を演じさせられるだけでしょう。

日本は敗戦と占領の呪縛から解き放され,アメリカとは従属ではなく対等な友人としてつきあうべきです。

この意味で,「脱亜入米」ではなく「脱米入亜」する時期に来ているのではないでしょうか。というのも,パク氏がいうように
「脱亜入欧」(私の言葉では「脱亜入米」)はやはり幻想にすぎないと思うからです。

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