大木昌の雑記帳

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本田圭佑のプロ意識(1)―夢を諦めない男―

2015-01-21 05:23:08 | 思想・文化
本田圭佑のプロ意識(1)―夢を諦めない男―

前回のカズ,葛西,イチローはそれぞれ別の立場でプロ意識をもっていますが,今回はもう一人,気になっているアスリート,
サッカー選手の本田圭佑を取り上げてみたいと思います。

本田圭佑,1986年生まれ。大阪府摂津市出身。現在27歳。2008年に結婚。男の子が一人。

家族や親族には多くのアスリートがいる,アスリート一家という環境に生まれ育ちました。

本田圭佑を語る時,必ず引用されるのが,彼の小学校の卒業文集です。その一部を引用します。

  ぼくは大人になったら,世界一のサッカー選手になりたいというよりなる。
  世界一になるには,世界一練習しないとダメだ。
         (中略)
  Wカップで有名になって,僕は外国から呼ばれてヨーロッパのセリエAに入団します。
  そしてレギュラーになって10番で活躍します。
  一年間の給料は40億円はほしいです。
         (中略)
  セリエAで活躍しているぼくは,日本に帰りミーティングをし10番をもらってチームの看板です。

この年齢の男の子が夢を語る場合には,「~したいです」あるいは「~なりたいです」というふうに,漠然とした夢として表現します。

しかし本田は,「なりたいというよりなる」,「セリエAに入団します」,
「活躍します」など,夢のような話を,断定的に言い切っています。ここに本田の強い意志を感じます。

本田は,実際に2013年12月にロシアのCSKAモスクワから,小学校の卒業文集にあるように,セリエAに移籍し,
背番号もエースナンバーである10番をもらいます。

しかし,本田は必ずしも順調に現在にたどり着いたわけではありません。中学生の時,ガンバ大阪のユースチームへの昇格内定
が得られず,高校は石川県の星稜高校に進みます。

星稜高校時代,チームは全国大会でもベストフォーに進出し,本田もサッカー界で少しずつ頭角を現します。

高校卒業後は名古屋グランパスに入団しますが,2001年,21歳の時オランダの2部リーグのVVVフェンローに移籍しました。

VVVでは最初のうちあまり活躍できず,“役立たずの日本人”と批判されました。しかし,2008年のオリンピック後に目覚ましい働きをし,
“ゴール・ハンター”と呼ばれるようになりました。

そして2010年,ロシアのCSKAモスクワに移籍した後も好調は続き,主力選手として活躍しました。

この年は,同じく日本を代表するサッカー選手の香川真司がドイツ,ブンデスリーグ1部リーグの
ブルシア・ドルトムントに移籍した年です。

そして香川は2012年にはイングランド・プレミアリーグの名門チーム,マンチェスター・ユナイテッドに移籍し,
そこでの活躍が日本のみならず世界の注目を浴びました。

このころ本田は,いつの日かCSKAモスクワからヨーロッパの名門チームへの移籍を目指して試合と練習に打ち込んでいました。

それが,評価されて2013年12月,ついにACミランへの移籍が決まった時,サッカー界のビッグニュースとなりました。

このころからの彼の心境を,NHKの「プロフェショナル―独占密着 知られざる本田圭佑 “世界一”へさらなる前進
 500日の記録―」という特別番組で2回にわたって語っています。(注1)

インタビューの冒頭で,「奇跡」はあると思いますか,という問いに対して,やや考えた後,

  ”あるんかなと思う一方,奇跡はないと僕は言い切りたい。という意味は,奇跡を起こすのはあくまでも自分の行動だと思うんで,
  偶然ではない。いかにも奇跡というものが偶然に起こったように語るけど,それは必然だったと考えるべきだと思うんですね”,
と答えています。

ここには,あくまでも自分の道は自分で開いて行く,という強い意志が感じられます。

それだけ自分にプレッシャーをかけているとも言えます。

ACミランへの移籍が決まった時,彼はエースナンバーの10要求したそうですが,これこそ究極の,自分へのプレッシャーです。

歴史と栄光に輝く名門中の名門,ACミランは当時,グループの下位に低迷し,ファンは本田の加入に大きな期待を寄せていました。

もし期待を裏切るようなら,ファンからもメディアからも激しいバッシングを受けることは本田も分かっています。
  ”がっかりされることは分かってるんですよ。僕のクオリティはそのレベルだから,まだ”。

本田は,自らACミランのエースナンバーを要求したけれど,自分の実力がまだそのレベルに達していない,
“凡人”であるとも冷静に分析しています。

  凡人がね,メッシやクリスティアーノと張り合おうと思ったら,毎日,鬱ですよ。いかに暗闇にいるか。かなり変人やと思いますよ。

こうして,自分にプレッシャーをかけるのは,”ちょっとでも良くなりたいから”だ,と言います。

  批判されたり重圧を背負いたくなければ行動しないのが一番なんですね。でもそういうのは好きじゃないし,
  やはりハラハラドキドキしていたいし,それが悔しい時があろうと,常に挑戦者でありたい”。

ここでも彼は自ら困難な状況に追い込んでゆく,精神的なタフさが現れています。

本田のミラン移籍話は何回も浮上しては消え,そのたびに彼はがっかりした,という。しかいがっかりしている暇はない,
と自らを鼓舞してひたすら練習に励みます。

  僕の場合,困難に向き合っている時間が長いのか,それを楽しめないようじゃ人生やっていけないと思うんですよね。 

こうした全ての期待と重圧を自らすすんで引き受けてゆく本田の姿には,鬼気迫る迫力があります。

しかも,“だけどそんな体験ができるのはオレしかいないでしょ”,と,普通の選手ならホラとして嫌われそうなことを
平然といいます。

そこには彼の根本的な人生観が反映しています。“自分の夢をそんなに簡単に諦められるか,って話でしょ”。

本田は,夢を追い続けるけれども,それは自身で高い壁を作ることを意味しています。そのあたりのことを次のように表現しています。

練習や試合では,弱い自分が毎日出るが,その弱い自分を一つ一つ打ち負かしてゆく。こうして信念が少しずつ太くなってゆく,
と述べています。

彼は,精神的にタフな人間だと思われていますが,自分の内なる弱さをも十分自覚しています。

しかし,その弱さを打ち負かすことで少しずつ信念が確固たるものになり精神的に強くなってゆく,という生き方を選択します。

それは,次のようにも表現します。“自分はミスを犯すが,ミスを犯すことを恐れない。年齢を重ねると安定を求めるが,
自分は若手のようなミスを犯している。それを一つ一つクリアしてゆく”,と。

この部分は,自分はまだまだ若手のように挑戦的でありたい,という気持ちと同時に,ミスというものは,
それを克服していくことによって自分を成長させてくれるものでもある,という彼独特の哲学をも示しています。

以上書いたように,本田圭佑は,自分の夢をどこまでも追い求め,自分にプレッシャーをかけ,そしてそれをバネに
成長してゆこうとするアスリートです。

これは多くのアスリートが思っていることであり,また実行していることでしょう。しかし,本田が他のアスリートと異なるのは,
そのようなことを公言し,そして実現していることです。

うまくゆけば喝さいを浴び,うまくゆかなければ単なる「ホラ吹き」と馬鹿にされます。

それを承知で彼は敢てリスクを犯します。その背景には自信と誇り,そして“世界一練習しなければ”という卒業文集の通りの練習です。

一言でいえば,これらが全て,彼のプロ意識なのです。

次回は,ACミランに移る際の裏事情と,それを遠して本田圭佑のプロ意識に迫ってみたいと思います。


(注1)2014年6月2日,9日放映。

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