本田圭佑のプロ意識(2)―ACミラン移籍の舞台裏―
本田のACミランへの移籍話は何度も浮かんでは消え,日本のスポーツジャーナリズムは,
「エアー移籍」(架空の移籍)とからかっていました。
ところが,前回も書いたように,2013年12月に本田のACミランへの移籍が正式に決まりました。
この間に何があったのでしょうか。
本田の移籍がスムーズにゆかなかった一つの理由は,所属のCSKAモスクワとACミランとの条件(恐らく金銭面での)
が合わなかったという事情です。
もう一つは,本田が走るスピードが遅くスタミナがないと評価されていたからだと思われます。それでは,
なぜミランはその本田を獲得に踏み切ったのでしょうか。
時間を2013年1月に戻して本田の行動を,前回紹介したNHKのインタビューをとおして見ましょう。
2013年1月の短いオフ,彼は沖縄県の石垣島でキャンプを張っていました。その時彼は個人的に,ケニアから,大阪マラソンの
優勝者と2013年の世界陸上1000メートル銀メダリストとなった,世界のトップランナー二人を石垣島に呼びました。
10日間のキャンプ中,本田は速く走ること,スタミナをつけることに集中します。
ケニアのランナーからは,呼吸の仕方や腕の振り方などを学びます。そして,「もうだめだ,とは絶対言うな」と叩き込まれます。
そして,キャンプの終盤ともなると,ケニアのランナーたちと対等に走れるようになっていました。これ以後も本田は,
課題克服のため,必死に走り続けました。
この成果は,同年6月のコンフェデレーションズ・カップでの彼の動きに現れました。
この時本田は,この大会で良いところを見せれば,世界のトップ・クラブに注目されるはずだ,だから自分にとっては
ビッグ・チャンスだと語っていました。
試合は,ブラジル戦,イタリア戦とも負けて,日本には全くいいところがなかったように見えました。
本田自身失意に打ちのめされたかのように,試合後のインタビューで,今は何も考えられない,と早々に立ち去ってしまいました。
しかしこの時,実は本田の運命を変える重大な決定がなされようとしていたのです。
イタリア戦で最後まで走り続け,シュートを打ち続け,イタリアを苦しみ続けた本田をみてACミランの代理人は
さっそくACミランの最高経営責任者ガリアーニ氏に電話で報告します。
「実際に試合を見て,彼がかなり走る選手であることを目の当たりにしました。」,と。
彼はまた,本田について「とても質の高い選手で何よりも強い体力をもっていました」と語っています。
代理人は,これまでの,足が遅く体力がないという本田に対する評価を覆し正反対の評価をしたのです。
こうして,この年の夏からミランは本格的に本田の獲得に乗り出しました。一部のスポーツ紙では7月には
移籍するのではないか,といわれていました。
しかしCSKAモスクワとの交渉で条件的な)が合わず,結局,本田とCSKAモスクワとの契約が切れる12月を待って
正式に移籍がきまったのです。
自分の課題となっている壁を見つけ,それをひたすら練習によって克服しようとするところに本田のプロ意識を見る思いです。
彼は「壁があったら殴って壊す 道がなければ自分でつくる」,と語っています。移籍の経緯をみると,
まさにそれを実行したことがわかります。
さて,ACミランに移籍してからの本田はどうだったのでしょうか?
シーズンの最後に移籍し,他の選手とのコミュニケーションも取れず,チーム全体の方針や特徴なども分からない中での
試合出場はかなり困難だったようです。
しかも,1日体を動かさないと取り戻すのに3~4日かかると言う本田が,移籍当初はミランの経営陣や関係者との食事や
メディアへの対応のため,ほとんど練習ができませんでした。
彼のデビュー戦で,格下のチームとの試合で後半の19分だけ出場しましたが,良いとこを見せることができず,
チームも負けてしまいます。
その後も試合にはでるものの,ゴールはおろかアシストさえできませんでした。
期待が大きかっただけに,地元メディアは本田に厳しい目を向けます。たとえば,“本田はおもちゃの兵隊だ。無駄で使いものならない”
といった言葉を投げつけます。
しかし,2014年の3月,それまでの監督はチーム低迷を理由に解雇され,セードルフが新監督として就任します。
この交代をきっかけに,彼は見違えるような活躍をするようになります。
内外の目を引き付けた,ある1シーンがあります。それは,4月25日の試合に本田は怪我をおして出場したときです。
ミランがゴールに比較的近いところでフリーキックを与えられました。これまでなら文句なしに,ミランのトップ選手である
カカが蹴る場面でした。
しかし,本田は自分が蹴るといって譲らず,ボールを持って離しませんでした。
この時は本田が折れてカカにキックを任せますが,ここにも本田の強気の姿勢が出ています。
ちなみに,同じような場面は後の試合にも訪れました。その時本田は最後まで譲らす,彼のフリーキックは見ごとに
ゴールをとらえたのです。まさに「有言実行」という本田の真骨頂です。
ところで,2013年度シーズンオフから本田は日本に帰国せず、欧州に滞在してフィジィカル系のトレーニングをやり直し、
肉体改造に取り組んでいました。
その成果は2014年のシーズンに確実に出始めます。つまり6月までの12試合に6得点,というすばらしい結果を残したのです。
「練習での態度は、まさにプロそのもの」という監督の信頼を得て、早々に結果を出したことで、クラブ内外からの賛辞を集めました。
上記のガリアーニ氏は「今年のホンダは強さばかりではなく、品格がある」と手放しの喜びようでした。(注1)
またセードルフ監督は,
本田には粘りがあります。試合中90分絶対に集中力が落ちません。これはすばらしい
ことです。ほかの選手にも要求したいことです。彼の姿勢をみて私でさえも刺激を受け,
他の選手にも良い影響を与えられればと考えています,
と絶賛しています。
本田は,同僚のカカやバロッテッリという世界の超一流選手に対して,
自分にはカカやバロッテッリのような身体能力は残念ながら僕にはないですから。彼
らのような豪快なゴールを今後も決められるか分からないですけれど。ただ彼らにな
いものをもっているという自負があるんで,それを最大限に生かせば,世界一に到達で
きるんだっていうことを,今までやってきた自分を信じて,その信念を貫いていきたい
と語っています。
この自負や信念の背後にはもう一つ,彼独自の才能や天才という存在に対する考えがあります。
天才なんかこの世の中にほぼいないと思います。ただ,才能の差は若干なりともあると
いうのも認めます。ただ,若干でしょ,ということを僕は言いたいんです。
ライオンと格闘するわけです,馬と競争するわけです。相手が別の生き物だからとか,
あいつだからっていう考えは馬やライオンにすればいいんですよ。そんな,天地がひっ
くり返るほどの差はないでしょって。だから僕よりも才能のある選手に僕は今までも
勝ってきたし。なぜならそんな差はなかった。その差は大きいとみるか越えられるとみ
るかは自分次第。それをみんな自分の限界を決めてしまって,挑戦することをやめてし
まう。だから夢がかなわないなんていうことになる。
ライオンと格闘し,馬と競争するなら話は別だが,同じ人間なら,才能の差は“若干でしょ”と言っているのです。
ここには彼が実体験をとおして感じた強烈な自信が込められています。(注2)
NHKとのインタビューの最後に,「プロフェショナルとは?」と問われて本田は,その質問は準備してなかったので,
ちょっと考えさせて下さいと言い,しばらく考えた後,
プロフェショナルとは,自分にとってのプロフェショナルとは,自分のしている仕事に
対して真摯であること,すなわち一生懸命であること,真面目であること
と,答えています。
意外にも平凡な答えに聞こえます。興味深いことに,この言葉は偶然にも,本田の入団の記者会見に立ち会った二人のイタリア人
ジャーナリストが語った,本田に対する,“真摯な姿勢”,“真面目な姿勢”という評価と同じでした。
本田は時として,非常に初歩的なミスをします。彼が本当にサッカーの才能があるかどうかは分かりませんが,
一人の人間として興味深い人物であることは確かです。
(注1)
http://www.zakzak.co.jp/sports/soccer/news/20141202/soc1412020830001-n1.htm
(注2)本題の,サッカーに関する語録は多くのウェブサイトでみられる。たとえば,
http://wisdom.xn--lckknw6bc11b.jp/post.html (2015年1月20日参照)はよくまとめてあります。
本田のACミランへの移籍話は何度も浮かんでは消え,日本のスポーツジャーナリズムは,
「エアー移籍」(架空の移籍)とからかっていました。
ところが,前回も書いたように,2013年12月に本田のACミランへの移籍が正式に決まりました。
この間に何があったのでしょうか。
本田の移籍がスムーズにゆかなかった一つの理由は,所属のCSKAモスクワとACミランとの条件(恐らく金銭面での)
が合わなかったという事情です。
もう一つは,本田が走るスピードが遅くスタミナがないと評価されていたからだと思われます。それでは,
なぜミランはその本田を獲得に踏み切ったのでしょうか。
時間を2013年1月に戻して本田の行動を,前回紹介したNHKのインタビューをとおして見ましょう。
2013年1月の短いオフ,彼は沖縄県の石垣島でキャンプを張っていました。その時彼は個人的に,ケニアから,大阪マラソンの
優勝者と2013年の世界陸上1000メートル銀メダリストとなった,世界のトップランナー二人を石垣島に呼びました。
10日間のキャンプ中,本田は速く走ること,スタミナをつけることに集中します。
ケニアのランナーからは,呼吸の仕方や腕の振り方などを学びます。そして,「もうだめだ,とは絶対言うな」と叩き込まれます。
そして,キャンプの終盤ともなると,ケニアのランナーたちと対等に走れるようになっていました。これ以後も本田は,
課題克服のため,必死に走り続けました。
この成果は,同年6月のコンフェデレーションズ・カップでの彼の動きに現れました。
この時本田は,この大会で良いところを見せれば,世界のトップ・クラブに注目されるはずだ,だから自分にとっては
ビッグ・チャンスだと語っていました。
試合は,ブラジル戦,イタリア戦とも負けて,日本には全くいいところがなかったように見えました。
本田自身失意に打ちのめされたかのように,試合後のインタビューで,今は何も考えられない,と早々に立ち去ってしまいました。
しかしこの時,実は本田の運命を変える重大な決定がなされようとしていたのです。
イタリア戦で最後まで走り続け,シュートを打ち続け,イタリアを苦しみ続けた本田をみてACミランの代理人は
さっそくACミランの最高経営責任者ガリアーニ氏に電話で報告します。
「実際に試合を見て,彼がかなり走る選手であることを目の当たりにしました。」,と。
彼はまた,本田について「とても質の高い選手で何よりも強い体力をもっていました」と語っています。
代理人は,これまでの,足が遅く体力がないという本田に対する評価を覆し正反対の評価をしたのです。
こうして,この年の夏からミランは本格的に本田の獲得に乗り出しました。一部のスポーツ紙では7月には
移籍するのではないか,といわれていました。
しかしCSKAモスクワとの交渉で条件的な)が合わず,結局,本田とCSKAモスクワとの契約が切れる12月を待って
正式に移籍がきまったのです。
自分の課題となっている壁を見つけ,それをひたすら練習によって克服しようとするところに本田のプロ意識を見る思いです。
彼は「壁があったら殴って壊す 道がなければ自分でつくる」,と語っています。移籍の経緯をみると,
まさにそれを実行したことがわかります。
さて,ACミランに移籍してからの本田はどうだったのでしょうか?
シーズンの最後に移籍し,他の選手とのコミュニケーションも取れず,チーム全体の方針や特徴なども分からない中での
試合出場はかなり困難だったようです。
しかも,1日体を動かさないと取り戻すのに3~4日かかると言う本田が,移籍当初はミランの経営陣や関係者との食事や
メディアへの対応のため,ほとんど練習ができませんでした。
彼のデビュー戦で,格下のチームとの試合で後半の19分だけ出場しましたが,良いとこを見せることができず,
チームも負けてしまいます。
その後も試合にはでるものの,ゴールはおろかアシストさえできませんでした。
期待が大きかっただけに,地元メディアは本田に厳しい目を向けます。たとえば,“本田はおもちゃの兵隊だ。無駄で使いものならない”
といった言葉を投げつけます。
しかし,2014年の3月,それまでの監督はチーム低迷を理由に解雇され,セードルフが新監督として就任します。
この交代をきっかけに,彼は見違えるような活躍をするようになります。
内外の目を引き付けた,ある1シーンがあります。それは,4月25日の試合に本田は怪我をおして出場したときです。
ミランがゴールに比較的近いところでフリーキックを与えられました。これまでなら文句なしに,ミランのトップ選手である
カカが蹴る場面でした。
しかし,本田は自分が蹴るといって譲らず,ボールを持って離しませんでした。
この時は本田が折れてカカにキックを任せますが,ここにも本田の強気の姿勢が出ています。
ちなみに,同じような場面は後の試合にも訪れました。その時本田は最後まで譲らす,彼のフリーキックは見ごとに
ゴールをとらえたのです。まさに「有言実行」という本田の真骨頂です。
ところで,2013年度シーズンオフから本田は日本に帰国せず、欧州に滞在してフィジィカル系のトレーニングをやり直し、
肉体改造に取り組んでいました。
その成果は2014年のシーズンに確実に出始めます。つまり6月までの12試合に6得点,というすばらしい結果を残したのです。
「練習での態度は、まさにプロそのもの」という監督の信頼を得て、早々に結果を出したことで、クラブ内外からの賛辞を集めました。
上記のガリアーニ氏は「今年のホンダは強さばかりではなく、品格がある」と手放しの喜びようでした。(注1)
またセードルフ監督は,
本田には粘りがあります。試合中90分絶対に集中力が落ちません。これはすばらしい
ことです。ほかの選手にも要求したいことです。彼の姿勢をみて私でさえも刺激を受け,
他の選手にも良い影響を与えられればと考えています,
と絶賛しています。
本田は,同僚のカカやバロッテッリという世界の超一流選手に対して,
自分にはカカやバロッテッリのような身体能力は残念ながら僕にはないですから。彼
らのような豪快なゴールを今後も決められるか分からないですけれど。ただ彼らにな
いものをもっているという自負があるんで,それを最大限に生かせば,世界一に到達で
きるんだっていうことを,今までやってきた自分を信じて,その信念を貫いていきたい
と語っています。
この自負や信念の背後にはもう一つ,彼独自の才能や天才という存在に対する考えがあります。
天才なんかこの世の中にほぼいないと思います。ただ,才能の差は若干なりともあると
いうのも認めます。ただ,若干でしょ,ということを僕は言いたいんです。
ライオンと格闘するわけです,馬と競争するわけです。相手が別の生き物だからとか,
あいつだからっていう考えは馬やライオンにすればいいんですよ。そんな,天地がひっ
くり返るほどの差はないでしょって。だから僕よりも才能のある選手に僕は今までも
勝ってきたし。なぜならそんな差はなかった。その差は大きいとみるか越えられるとみ
るかは自分次第。それをみんな自分の限界を決めてしまって,挑戦することをやめてし
まう。だから夢がかなわないなんていうことになる。
ライオンと格闘し,馬と競争するなら話は別だが,同じ人間なら,才能の差は“若干でしょ”と言っているのです。
ここには彼が実体験をとおして感じた強烈な自信が込められています。(注2)
NHKとのインタビューの最後に,「プロフェショナルとは?」と問われて本田は,その質問は準備してなかったので,
ちょっと考えさせて下さいと言い,しばらく考えた後,
プロフェショナルとは,自分にとってのプロフェショナルとは,自分のしている仕事に
対して真摯であること,すなわち一生懸命であること,真面目であること
と,答えています。
意外にも平凡な答えに聞こえます。興味深いことに,この言葉は偶然にも,本田の入団の記者会見に立ち会った二人のイタリア人
ジャーナリストが語った,本田に対する,“真摯な姿勢”,“真面目な姿勢”という評価と同じでした。
本田は時として,非常に初歩的なミスをします。彼が本当にサッカーの才能があるかどうかは分かりませんが,
一人の人間として興味深い人物であることは確かです。
(注1)
http://www.zakzak.co.jp/sports/soccer/news/20141202/soc1412020830001-n1.htm
(注2)本題の,サッカーに関する語録は多くのウェブサイトでみられる。たとえば,
http://wisdom.xn--lckknw6bc11b.jp/post.html (2015年1月20日参照)はよくまとめてあります。