大木昌の雑記帳

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佐々木朗希(2)―完全試合の背景に何が?―

2022-04-20 19:48:35 | スポーツ
佐々木朗希(2)―完全試合の背景に何が?―

前回書いたように、佐々木朗希は、4月10日に完全試合を達成するまで、全て
が順風満帆できたわけではなかった。

とりわけ、東日本大震災(3.11)で父親と祖父母、そして家を失ったことは、
少年期の朗希に大きな心の傷を残したはずである。

そして、高校3年生で、夢の甲子園出場まで、あと一歩のところで監督が出場を回
避した時も、彼は挫折を味わったに違いない。

しかし、こうした不幸と挫折は、悪いことばかりではありませんでした。むしろ、
その後の朗希の野球人生において、プラスに働いたと面もあったと思われます。

何よりも、人格形成における成長です。言い換えると、“肚が据わっている”、物事
に動じない胆力が備わったと言えます。

4月10日の完全試合を達成した日の投球をみても、あれだけの緊張状況の中で、
彼は冷静に投げ続けました。

試合後に彼は「脱力しながらストライク先行で投げることができた」と語っていま
す『東京新聞』(2022年4月12日)。

20才の若者が、あの歴史的な試合で、あれほど「脱力」して冷静沈着に投げるこ
とができたというのは、普通ではとうてい考えられません。

この「脱力」こそが、朗希の投球を支えているキーワードです。

さて、朗希を迎えたロッテの首脳陣が彼をチームの宝、いや球界の至宝として大事
に育てたことも彼にとって非常に幸いでした。

入団が決まった初年度、現場を預かる井口監督は、「しっかりプランを立てながら
育成をやっていく」と浮かれた様子はなかったという。

そのために、朗希の指導者として、吉井理人投手コーチ(54)が付いたことは、
朗希にとって非常に幸運でした。

吉井氏は、近鉄に入団後、現役時代に日米7球団を渡り歩き、引退後は日本ハム、
ソフトバンクでのコーチを経て現在ロッテで指導を続けている。培った投球論と指
導力には定評があり、その信条は「まず選手の意見を聞き、その後選手に合った指
導法を提示する」というものです。

スポーツライターの広瀬真徳氏は、「佐々木はロッテで大正解 その根拠は吉井コ
ーチの存在」という記事を書いています(注1)。

高卒の新人でも、超高卒級の「令和の怪物」とまで言われた朗希の場合、即戦力と
して入団1年目からローテーション入りさせても不思議ではありません。

しかし球団は、入団1年目の一昨年は朗希を体力づくりに専念させ実践登板はなく、
2年目の昨年の5月にようやく1軍にデビューさせました。

その際にも、コンディションを配慮して中10日以上空けての登板でした。結局、
球団は最初の2年間を、体力作りに専念させたことになります。

この2年間の最も重視されたのは「下半身強化」でした。朗希は、入団1年目はお
世辞にも「プロの体」とは言えませんでした。

特に体力面では他の新人にも劣り、新人合同自主トレの12分間走では中盤から後
退し、最終的に7人中3位でゴール。練習終了後には疲労困ぱいの様子で声も出せ
ないほどだったという。

この姿を見た球団関係者らは口々に「この体力と走り方ではプロで通用しない。せ
っかくいいボールを持っているのだから、下半身を徹底的に強化しないといけない」
と漏らしていました。

以降、当時の吉井投手コーチやトレーナーらとともに時間をかけて下半身の強化に取
り組みました。

そのおかげか、昨季終盤から走力が飛躍的に向上し、「朗希はプロ1年目から一軍に
帯同して体力強化を行っていましたが、当時は一軍の投手との軽いランニングでもつ
いていくのがやっと」、という感じだった。

しかし、コーチやスタッフによれば朗希について、
    昨年の終盤ごろからでしょうか。走力のある一軍投手と一緒にダッシュをし
    ても引けを取らないどころか他を引き離すことも珍しくなくなった。明らか
    に下半身が強くなり馬力がついた証拠。このところ試合終盤まで160キロ
    台の球速を維持できるのも下半身強化のたまものでしょう。今季の好投連発
    はそんな努力が一気に開花したのだと思います(注2)。

とコメントしています。このような背景を考えると、今回の佐々木朗希による完全試
合の物語は、すでに入団時から始まっていたと言っても言い過ぎではありません。

しかし、体力があっても、完全試合というのは、そう簡単にできることではありません。
一人もランナーを出さず一人で投げ切ったのは、相手に打たせなかったからです。

科学的な見地から野球の動作解析やコーチング論などを研究している筑波大の川村卓准
教授は、相手チームが朗希の球をなぜ打てないかについて、次のように分析しています。

朗希は高校時代から誰にもできない投球フォームで投げていた。それは肩甲骨の柔軟性
に加え、背中の筋肉と腕の動きを巧みに連動させたボールへの力の伝え方だという。

川村准教授は「バレーボールのスパイクを打つように、体を動かしていく。ボールを加
速させる絶妙なタイミングの取り方は天性のもの」と分析する(注3)。

天才棋士の藤井聡太氏も、囲碁界の天才少女の仲邑董さんの場合もそうですが、プロなら
だれでも最大限の努力はしますが、そこで飛び抜けた成績や能力を発揮できるのは、やは
り努力だけでは超えることができない「天性」がものを言うのだろうか。

再び、完全試合の快挙について考えてみよう。

当日、朗希をリードしたキャッチャーは、18才の新人、松川虎生捕手でした。試合後、
彼は、「最後は何とかパスボールだけはやめようと思っていた。そこだけです」と、た
んたんと語っています。

160キロ以上のスピードで投げ込まれるボールを受ける事、完全試合を達成するために
は、捕り損ねてパスボールを後ろにそらせてしまうことは絶対に許されません。さららに
フォアボールを出してはいけない事、もちろんヒットを打たれてはいけない事、要するに
一人もランナーを出せない事、などを考えると、さぞ緊張したのでは、と思われます。

しかし彼は、恐怖や緊張より「ワクワクの方が大きかった」と言ってのけたのです。

怖さを知らない若さの特権、と言ってしまえばそれまでですが、18才という若い松川の
怖さに負けない強心臓のたまもの、とみるべきでしょう。

20才の天才投手と18才の怖さを知らない豪胆な捕手の組み合わせについて『日経新聞』
の編集委員の編集委員 篠山正幸氏は、「10年、20年に1人の才能といわれる2人。100年
に一度あるかどうかの出会いが生んだ快進撃。恐るべし、というほかない」と、最上級の
賞賛と驚きを語っています(注4)。

ところで、佐々木朗希の完全試合に関連してあまり話題にはなりませんが、私は、対戦相手
のオリックスも立派だったと思います。

もし、完全試合を防ごうとすれば、セイフティー・バンドとかさまざまな揺さぶりをかける
こともできたはずです。

しかし、オリックスの選手の誰一人、そのような素振りさえ見せず、正々堂々、真正面から
立ち向かってゆきました。

私は、オリックスの監督にも選手にも、武士道的なすがすがしさを感じました。

これからも佐々木朗希と松川捕手の息の合ったプレーが楽しみです。

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長い脚が方の方まで跳ね上げて投げる佐々木朗希                             捕手の松川が、完全試合のウイニング・ボールを佐々木に渡す。
(『東京新聞』2022年4月18日)                                   (注4)のweb 記事から  

(注1)『東京スポーツ』( 2019年10月28日 16時30分)
   https://www.tokyo-sports.co.jp/baseball/npb/1600374/
(注2)『東スポ Web』(2022年4/13日 5:15 配信)
   https://news.yahoo.co.jp/articles/169ae5f0f75b9a368ae8bdab60e7a0d75e94e1ad
(注3)『毎日新聞』デジタル版(2022/4/18 17:00(最終更新 4/18 18:43)
   https://mainichi.jp/articles/20220418/k00/00m/050/141000c?cx_fm=mailasa&cx_ml=article&cx_mdate=20220419
(注4)『日経新聞』デジタル(2022年4月19日) https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD173XZ0X10C22A4000000/?n_cid=NMAIL007_20220419_Y&unlock=1
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