ファッションと文化(2)―ファッション(流行)はくだらないか?―
前回は,「人はなぜ服を着るのか」というテーマで,ファッションを身体論の観点から考えました。そこでのキーワードは,
「身体加工」でした。
考えてみると,地球上のあらゆる生物の中で,自ら身体に加工を加える生き物は,人類だけです。この意味で,身体加工とは
類という種が行う際立った文化であるといえます。なぜなら,文化とはそもそも「自然を加工すること」に他ならないからで
す。(注1)
ところで,身体加工の仕方は,個々の文化や社会によって異なります。そこに私たちは,それぞれの民族や社会の固有の文化
を見ることができるのです。
以上を前提として,再び文化としてのファッションについてもう少し具体的に見てみましょう。
まず,「ファッション」という言葉には,「流行」という意味と,今日もっとも普通に使われる「(しばしば最新の)流行り
の服装」という意味があります。
「ファッション」という英語が普及する前は,フランス語では女性名詞の「モードmode」という語が使われました。そして,
「モード」という語は,古くは(1)個人の生き方,振る舞い方,考え方,(2)ある時代・国・環境に固有な集団的な生き
方・考え方,を意味していました。(注2)
「モード」が「流行」という意味で使われるようになったのは18世紀以降のことで,「ある一定の社会内で上品とみなされる,
集団的な好み,一時的な生き方・感じ方,つまり「流行」という今日的な意味で使われるようになりました。
ところで,ファッションを歴史と社会の文脈の中で学問的に論じたのは,フランスの歴史学者,フェルナン・ブローデル
(1902-1985年)の『日常性の構造』でした。(注3)
以下に,ブローデルの所説を紹介しながら,服装と流行の両面からファッションの問題を考えてみたいと思います。(文中の
ページ数は,上記の本のページを表わす)
世界のさまざまな文化・文明圏の服装の歴史を検討すると,一旦,ある服装が一旦定着してしまうと,数百年の間,それが続
いてきたことがわかります。
インド,アラブ・イスラム圏,中国などの主要な文化圏では,服装に関してほとんど不動の伝統が支配してきました。特に
インドやアラブ・イスラム圏に見られる,大きな布を体全体に巻き付ける服装は今日でも一般に見られます。
また,現在の東南アジア地域でも広く見られる,筒状の布を腰の回りに巻き付ける衣服,アンデスのインディオたちが着る
ポンチョ,日本の「キモノ」なども数百年の長きにわたって変化してこなかったのです。
今日,ファッションといえばヨーロッパを指すように思われていますが,西ヨーロッパにおいてさえ,3~5世紀から12
世紀ころまで長い中世の間,のローマ文化の影響を強く受けた時代の伝統服,女は足まで垂れ,男は膝まで届く長衣を変わら
ず着ていました。
ブローデルは,ファッションが長期にわたって変化しなかったのか,あるいは逆に,どんな時変化するのかを問いかけて,
相互に関連した二つの状況を挙げています。
一つは,その社会の人々がおしなべて貧困な状態にある時で,このような状況ではファッションは変化しません。
このような時,人々はその土地で得られる最も安価に手に入る素材を使った衣服を着ることになります。
貧困な社会では安定しきっていてすべてが不動を保っているであろうし,富もなければ移動の自由もない,したがって変化
の可能性もありません。
このような社会の場合,服装を変化させる刺激や誘因がないからです。ファッションが変化するには,社会の中に経済的な
余裕が生じていることが必要なのです。
二つは,社会に階級分化がない場合です。そもそも,ヨーロッパで連続的にファッションが変化していった構造的な要因は,
王侯貴族などの上流階級が,自分たちより下層の人々との差別を見せつけるために,豪華な服装や服飾品を身に着けること
でした。
しかし,庶民の中でも富裕層(たとえば商人など)が現れると,彼らも上流階級の人々の真似をするようになります。
すると,上流階級の人々は,さらに新しく豪華なファションを身に付けるようになります。
ブローデルは,上流階級の夫人が髪飾りを高くすると,市民階級の富裕層の女性も高くするので,さらにこの競争は激しく
なり,最後には上流階級の女性の目が全体の半分ほどになってしまったほどである,と書いています。(447ページ)
こうした豪華さの追いかけっこを,時系列を追って見てみると,その一連の変化が「流行」という意味のファッションとし
てとらえることができるのです。
上流階級は富裕な市民と競争する一方で,ヨーロッパでも日本の江戸時代でも,庶民が豪華な服装を身に付けることを禁ず
る「奢侈禁止令」や「贅沢禁止令」を出してきました。
ブローデルは,「したがって奢侈禁止令は,諸国政府の叡智であるとともに,それ以上に成金に模倣された上流階級の腹立
ちに呼応するものであった」と断じています。
しかし,ヨーロッパで起こったように,ごくささやかであっても上位の社会階層の印である豪華な衣服を着たいという欲求
を抑えることができなかったようです。
このため,ヨーロッパでは,従来より斬新で豪華な服装や装飾が絶え間なく作り出されてきたのです。
ブローデルは,上に挙げた本の「服装と流行」という章の冒頭で,「服装はかって気ままに変化するように見えて,いたる
ところで社会的対立をあらわに示している」(420ページ)と述べていますが,それは,このような状況を指しています。
ところで,もう一度,今回の記事のサブタイトルである「ファションはくだらないか」というテーマについて考えてみまし
ょう。
ブローデルは,この点に関して:
みずからの伝統と断絶してゆく社会にこそ,未来は開かれていたのである。伝統は美徳ともなり,監獄ともなる。
・・・あらゆる進歩のための道具である革新にたいして門戸を開くためには,衣服とか靴とかの形とか,帽子・髪型
にまで心を労するような,ある種の落ち着きのなさがおそらく必要だったのではあるまいか。
と述べており(438-489ページ),ファッションのもつ社会変化のへ影響の重要性を指摘しています。
そして,その進歩や革新とは,「見たところ流行は,振る舞いにおいても,きまぐれにおいても,かって気ままなようで
はある。しかし,実際には,流行が進む道は,まえもって大幅に定められているのであって,その選択範囲は結局のところ
限られている」というのです。(434ページ)
私がファッションは決してくだらないものではない,と考えるのは,ある社会の支配的なファッションとその傾向をみると,
その社会の文化や,大げさに言えば文明が現在どんな性格を持ち,どちらの方向にむかっているのかを知る重要な手掛かり
になるからです。
世界のファッション史を見てみると,確かに,ファッションがもっとも激しく変化してきたのはヨーロッパ(特に西ヨーロ
ッパ)ですが,同時に社会変化がもっとも大きかったのもヨーロッパでした。
ブローデルの説に従えば,これはたんなる偶然ではなく,ファッションと社会の変化とは分かちがたく結びついているから
です。これを,身体観に現れた変化から見てみましょう。
中世ヨーロッパでは,キリスト教(正確にはカソリック)的な倫理観から,肌を露出することが禁じられてきました。
既に書いたように,この間にヨーロッパのファッションはほとんど変化しませんでした。
ブローデルは,ヨーロッパで伝統的なファッションが大きく変わり始めたのは,1350年ころからだと述べています。このこ
ろから,男性は全体に短く窮屈な衣服を着るようになり,女性の衣服は体の線がはっきりと出て,しかも胸が見えるように
襟ぐりが広く深く切り込まれるようになりました。
伝統擁護者や年長者の目には,憤慨に値するほどでした。
1350年ころといえば,イタリアでルネサンスが花開いた最盛期でもあります。ルネサンスは「人間復興」の主張とともに,
古い伝統を打ち破るかのように,新しい人間観,とりわけ身体観が堂々と登場しました。
人間の肉体は,覆い隠すべき醜いものではなく,美しいものだと,という身体観です。
それらが特に顕著に表れたのは絵画の世界で,たとえばラファエロの聖母子像に描かれたマリアは,もはや天上の「聖人」
としてではなく,胸のふっくらとしてふくらみが薄い絹の衣服から透けて見える成熟した「女」として描かれています。
またボッティチェリーの絵には全裸の女性が頻繁に登場します。
絵画に現れた身体観の革命的な変化は,間違いなく,その後のヨーロッパ文明が向かおうとしていた方向を示していました。
すなわち,中世的な「神による人間の支配」を脱して人間性を取り戻すという方向です。
もちろん,この方向は簡単に,一気に進んだのではなく,17世紀のカソリックとプロテスタントの壮絶な宗教戦争を経て,
そしてさまざまな科学的発展を経て,行きつ戻りつしながら,しかし大筋では後戻りすることはありませんでした。
ファッションの世界では,17世紀にはフランスがヨーロッパのファッションに圧倒的な影響を与えるようになり,それは今
日まで引き継がれています。
以上のように考えると,確かにヨーロッパ世界は,過去の伝統を断ち切り,ある種の落ち着きのなさを伴いながら,進歩と
革新の道をもっとも早く歩み始めました。
世界史的には,ルネサンスは中世的な世界から近世・近代への扉を開いたといえるでしょう。
しかし,ヨーロッパ発の「進歩と革新」が果たして人類に幸福をもたらしたかどうかは,また別の問題です。
ファッションが現代の日本と世界でどんな意味をもっているのか,何を目指しているのか,については,また別の機会に書
こうと思います。
(注1)文化の定義にはそれぞれの立場によって異なりますが,この記事の文脈では,「自然を加工すること」が適当だと思います。
鷲田清一『ちぐはぐな身体』32ページ。
(注2)フェルナン・ブローデル『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀:I-1 日常性の構造』(みすず書房,1985:
p.427-429の脚注30,p.443)
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『いぬゐ郷だより6』 5月4日,食べることの意味を考えるため,二羽のニワトリを解体しました。そして,頭部と足,内臓の一部を除いて,
全てを利用しました。その写真は「いぬゐ郷」のホームページでみることができます。
いぬゐ郷HP http://www.inoui-go.com/index.html
いぬゐ郷Facebook https://www.facebook.com/Inoui.go
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前回は,「人はなぜ服を着るのか」というテーマで,ファッションを身体論の観点から考えました。そこでのキーワードは,
「身体加工」でした。
考えてみると,地球上のあらゆる生物の中で,自ら身体に加工を加える生き物は,人類だけです。この意味で,身体加工とは
類という種が行う際立った文化であるといえます。なぜなら,文化とはそもそも「自然を加工すること」に他ならないからで
す。(注1)
ところで,身体加工の仕方は,個々の文化や社会によって異なります。そこに私たちは,それぞれの民族や社会の固有の文化
を見ることができるのです。
以上を前提として,再び文化としてのファッションについてもう少し具体的に見てみましょう。
まず,「ファッション」という言葉には,「流行」という意味と,今日もっとも普通に使われる「(しばしば最新の)流行り
の服装」という意味があります。
「ファッション」という英語が普及する前は,フランス語では女性名詞の「モードmode」という語が使われました。そして,
「モード」という語は,古くは(1)個人の生き方,振る舞い方,考え方,(2)ある時代・国・環境に固有な集団的な生き
方・考え方,を意味していました。(注2)
「モード」が「流行」という意味で使われるようになったのは18世紀以降のことで,「ある一定の社会内で上品とみなされる,
集団的な好み,一時的な生き方・感じ方,つまり「流行」という今日的な意味で使われるようになりました。
ところで,ファッションを歴史と社会の文脈の中で学問的に論じたのは,フランスの歴史学者,フェルナン・ブローデル
(1902-1985年)の『日常性の構造』でした。(注3)
以下に,ブローデルの所説を紹介しながら,服装と流行の両面からファッションの問題を考えてみたいと思います。(文中の
ページ数は,上記の本のページを表わす)
世界のさまざまな文化・文明圏の服装の歴史を検討すると,一旦,ある服装が一旦定着してしまうと,数百年の間,それが続
いてきたことがわかります。
インド,アラブ・イスラム圏,中国などの主要な文化圏では,服装に関してほとんど不動の伝統が支配してきました。特に
インドやアラブ・イスラム圏に見られる,大きな布を体全体に巻き付ける服装は今日でも一般に見られます。
また,現在の東南アジア地域でも広く見られる,筒状の布を腰の回りに巻き付ける衣服,アンデスのインディオたちが着る
ポンチョ,日本の「キモノ」なども数百年の長きにわたって変化してこなかったのです。
今日,ファッションといえばヨーロッパを指すように思われていますが,西ヨーロッパにおいてさえ,3~5世紀から12
世紀ころまで長い中世の間,のローマ文化の影響を強く受けた時代の伝統服,女は足まで垂れ,男は膝まで届く長衣を変わら
ず着ていました。
ブローデルは,ファッションが長期にわたって変化しなかったのか,あるいは逆に,どんな時変化するのかを問いかけて,
相互に関連した二つの状況を挙げています。
一つは,その社会の人々がおしなべて貧困な状態にある時で,このような状況ではファッションは変化しません。
このような時,人々はその土地で得られる最も安価に手に入る素材を使った衣服を着ることになります。
貧困な社会では安定しきっていてすべてが不動を保っているであろうし,富もなければ移動の自由もない,したがって変化
の可能性もありません。
このような社会の場合,服装を変化させる刺激や誘因がないからです。ファッションが変化するには,社会の中に経済的な
余裕が生じていることが必要なのです。
二つは,社会に階級分化がない場合です。そもそも,ヨーロッパで連続的にファッションが変化していった構造的な要因は,
王侯貴族などの上流階級が,自分たちより下層の人々との差別を見せつけるために,豪華な服装や服飾品を身に着けること
でした。
しかし,庶民の中でも富裕層(たとえば商人など)が現れると,彼らも上流階級の人々の真似をするようになります。
すると,上流階級の人々は,さらに新しく豪華なファションを身に付けるようになります。
ブローデルは,上流階級の夫人が髪飾りを高くすると,市民階級の富裕層の女性も高くするので,さらにこの競争は激しく
なり,最後には上流階級の女性の目が全体の半分ほどになってしまったほどである,と書いています。(447ページ)
こうした豪華さの追いかけっこを,時系列を追って見てみると,その一連の変化が「流行」という意味のファッションとし
てとらえることができるのです。
上流階級は富裕な市民と競争する一方で,ヨーロッパでも日本の江戸時代でも,庶民が豪華な服装を身に付けることを禁ず
る「奢侈禁止令」や「贅沢禁止令」を出してきました。
ブローデルは,「したがって奢侈禁止令は,諸国政府の叡智であるとともに,それ以上に成金に模倣された上流階級の腹立
ちに呼応するものであった」と断じています。
しかし,ヨーロッパで起こったように,ごくささやかであっても上位の社会階層の印である豪華な衣服を着たいという欲求
を抑えることができなかったようです。
このため,ヨーロッパでは,従来より斬新で豪華な服装や装飾が絶え間なく作り出されてきたのです。
ブローデルは,上に挙げた本の「服装と流行」という章の冒頭で,「服装はかって気ままに変化するように見えて,いたる
ところで社会的対立をあらわに示している」(420ページ)と述べていますが,それは,このような状況を指しています。
ところで,もう一度,今回の記事のサブタイトルである「ファションはくだらないか」というテーマについて考えてみまし
ょう。
ブローデルは,この点に関して:
みずからの伝統と断絶してゆく社会にこそ,未来は開かれていたのである。伝統は美徳ともなり,監獄ともなる。
・・・あらゆる進歩のための道具である革新にたいして門戸を開くためには,衣服とか靴とかの形とか,帽子・髪型
にまで心を労するような,ある種の落ち着きのなさがおそらく必要だったのではあるまいか。
と述べており(438-489ページ),ファッションのもつ社会変化のへ影響の重要性を指摘しています。
そして,その進歩や革新とは,「見たところ流行は,振る舞いにおいても,きまぐれにおいても,かって気ままなようで
はある。しかし,実際には,流行が進む道は,まえもって大幅に定められているのであって,その選択範囲は結局のところ
限られている」というのです。(434ページ)
私がファッションは決してくだらないものではない,と考えるのは,ある社会の支配的なファッションとその傾向をみると,
その社会の文化や,大げさに言えば文明が現在どんな性格を持ち,どちらの方向にむかっているのかを知る重要な手掛かり
になるからです。
世界のファッション史を見てみると,確かに,ファッションがもっとも激しく変化してきたのはヨーロッパ(特に西ヨーロ
ッパ)ですが,同時に社会変化がもっとも大きかったのもヨーロッパでした。
ブローデルの説に従えば,これはたんなる偶然ではなく,ファッションと社会の変化とは分かちがたく結びついているから
です。これを,身体観に現れた変化から見てみましょう。
中世ヨーロッパでは,キリスト教(正確にはカソリック)的な倫理観から,肌を露出することが禁じられてきました。
既に書いたように,この間にヨーロッパのファッションはほとんど変化しませんでした。
ブローデルは,ヨーロッパで伝統的なファッションが大きく変わり始めたのは,1350年ころからだと述べています。このこ
ろから,男性は全体に短く窮屈な衣服を着るようになり,女性の衣服は体の線がはっきりと出て,しかも胸が見えるように
襟ぐりが広く深く切り込まれるようになりました。
伝統擁護者や年長者の目には,憤慨に値するほどでした。
1350年ころといえば,イタリアでルネサンスが花開いた最盛期でもあります。ルネサンスは「人間復興」の主張とともに,
古い伝統を打ち破るかのように,新しい人間観,とりわけ身体観が堂々と登場しました。
人間の肉体は,覆い隠すべき醜いものではなく,美しいものだと,という身体観です。
それらが特に顕著に表れたのは絵画の世界で,たとえばラファエロの聖母子像に描かれたマリアは,もはや天上の「聖人」
としてではなく,胸のふっくらとしてふくらみが薄い絹の衣服から透けて見える成熟した「女」として描かれています。
またボッティチェリーの絵には全裸の女性が頻繁に登場します。
絵画に現れた身体観の革命的な変化は,間違いなく,その後のヨーロッパ文明が向かおうとしていた方向を示していました。
すなわち,中世的な「神による人間の支配」を脱して人間性を取り戻すという方向です。
もちろん,この方向は簡単に,一気に進んだのではなく,17世紀のカソリックとプロテスタントの壮絶な宗教戦争を経て,
そしてさまざまな科学的発展を経て,行きつ戻りつしながら,しかし大筋では後戻りすることはありませんでした。
ファッションの世界では,17世紀にはフランスがヨーロッパのファッションに圧倒的な影響を与えるようになり,それは今
日まで引き継がれています。
以上のように考えると,確かにヨーロッパ世界は,過去の伝統を断ち切り,ある種の落ち着きのなさを伴いながら,進歩と
革新の道をもっとも早く歩み始めました。
世界史的には,ルネサンスは中世的な世界から近世・近代への扉を開いたといえるでしょう。
しかし,ヨーロッパ発の「進歩と革新」が果たして人類に幸福をもたらしたかどうかは,また別の問題です。
ファッションが現代の日本と世界でどんな意味をもっているのか,何を目指しているのか,については,また別の機会に書
こうと思います。
(注1)文化の定義にはそれぞれの立場によって異なりますが,この記事の文脈では,「自然を加工すること」が適当だと思います。
鷲田清一『ちぐはぐな身体』32ページ。
(注2)フェルナン・ブローデル『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀:I-1 日常性の構造』(みすず書房,1985:
p.427-429の脚注30,p.443)
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『いぬゐ郷だより6』 5月4日,食べることの意味を考えるため,二羽のニワトリを解体しました。そして,頭部と足,内臓の一部を除いて,
全てを利用しました。その写真は「いぬゐ郷」のホームページでみることができます。
いぬゐ郷HP http://www.inoui-go.com/index.html
いぬゐ郷Facebook https://www.facebook.com/Inoui.go
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