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大木昌の雑記帳

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北朝鮮の核実験と日本の安全保障-原発は大丈夫?-

2016-09-10 06:51:22 | 国際問題
北朝鮮の核実験と日本の安全保障-原発は大丈夫?-

2016年9月9日、北朝鮮は初めて核実験に成功した、と発表しました。

北朝鮮は今年の1月に核爆発の実験を行いましたが、この時は失敗に終わっています。

しかも、どうやら核爆弾の小型化にも成功したようです。

ということは、長距離ミサイルに核弾頭を積み込むことが可能となったことを意味します。

これに対して、日米韓、ヨーロッパ諸国および、これまで北朝鮮に比較的寛容な姿勢をとってきた中国やロシアまで、
今回の核実験には、非難を強めています。

とりわけ中国は、北朝鮮に対してはらわたが煮えくり返るほど激怒したと言われています。

これには背景があったからです。

まず、今年の8月24日、北朝鮮はSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)の発射実験に成功しました。

これにより、発射の準備段階から監視されてしまう地上基地ではなく、どこから発射されるかわからない常に移動する
潜水艦からどこでも攻撃できることが明らかになりました。

北朝鮮はアメリカの心臓部をいつでも攻撃できることを誇示し、米・北朝鮮会談に持ちこもうとしているのです。

これに対してアメリカは強く反発しました。

それと同時に、このような核実験を繰り返す北朝鮮に対して中国は影響力を行使してやめさせるべきだ、という世界の
期待が裏切られたことになります。

さらに9月4~5日には、中国が議長国となって、杭州市でG20(「金融・世界経済に関する首脳会合」)が開かれ、国際
社会における大国中国のリーダーシップをアピールしていました。

その最中の5日、北朝鮮は、射程1000キロの弾道ミサイルを3発、日本の排他的経済水域ぎりぎり、あるいは若干内
側に発射しました。

軍事専門家は、これによって、北朝鮮のミサイル技術が、着地点を正確に制御できること、我々の予想を超えて進歩して
いる、と指摘しています。

アメリカと中国が、2大大国として世界、とりわけ太平洋地域の秩序を確立しようとしていたのに、北朝鮮さえ抑えきれない
ことがはっきりしてしまったのです。

ここでも中国は見事に威信とメンツをつぶされてしまいました。

さらに、9月7日はラオスでアセアン首脳会議が開催され、この会議でも中国は、南シナ海問題を議論から封じ込むことに
成功し、この東南アジアにおける中国の存在感を十二分に示すことができました。

しかし、9日に北朝鮮による核実験によって、またしても中国の東アジアにおけるリーダーシップに疑問符がついてしまい
ました。

北朝鮮は、今回の核実験に際して、核攻撃によってアメリカの首都ワシントンが炎上する映像をテレビで流すなど、明らか
にアメリカをターゲットとした脅しをかけています。

いずれにしても、北朝鮮のミサイルと核兵器の開発は、人々の想定を超えて急速に進んでいることが明かとなり、世界に
新たな脅威を与えたことは確かです。

国連の安保理は日本時間の10日、北朝鮮に対する制裁強化の話し合いをすることになっていますが、今のところ、それ
で北朝鮮の挑発が止むかどうか保証はありません。

ところで、こうした一連の北朝鮮の行動は、日本の安全にどのような影響と意味をもっているでしょうか?

北朝鮮は以前、日本にあるアメリカの基地をもターゲットにしているようなので、一連の動きは日本の安全保障にも重大な
脅威となり、唯一の被爆国である日本としては絶対に許すことはできません。

今回の核実験に対して日本政府が強い調子で非難の声明を出したのは当然です。

もし、日本に核兵器が使用されるようなことあれば、計り知れない人的・物的被害を与えるでしょう。

軍事専門家によれば、北朝鮮は日本に向けたミサイル(ノドン)を200~300基配備しているとみられ、これらのうち複数の
ミサイルが北朝鮮から同時に発射された場合、それらすべてを迎撃・破壊することは、現在の防衛能力では、現実的には不
可能であるとされています。

この問題が深刻なのは、一発でも着弾したら(例えば首都の東京に)、それだけで日本全体を麻痺させてしまう致命的打撃を
与えることができるからです。

しかも、北朝鮮のミサイルが移動式の地下発射サイロや、漁船や商船に偽装した船、さらに最近明らかになったように潜水艦
から発射されたら、ほとんど防御不可能です。

私が非常に懸念しているのは、アメリカに到達するような長距離弾道ミサイルに搭載された核爆弾だけではありません。

日本と北朝鮮は至近距離にあり、それほど高性能でなくとも日本に到達するくらいのミサイル(テポドンやノドン)は数多く持って
いるでしょう。

現在、北朝鮮が何発くらいの核弾頭を保有しているか分かりませんが、たとえ、核弾頭をもたない通常の爆弾を積んだミサイル
でも、十分すぎるほど日本に致命的な打撃を与えることができます。

なぜなら、日本に50基以上ある原発にミサイルが一発でも着弾したら、原爆のように瞬時に直接に人を殺傷することはないにし
ても、福島の原発事故のような状況が発生し、日本列島が放射能に汚染されてしまうからです。

そうなると、電気の供給が減少するだけでなく、放射能を避けるために膨大な数の人々が避難しなければなりません。これは日本
にとって想像したくないほどの悪夢のようなシナリオです。

つまり、日本は原発という格好のターゲット(アキレス腱)を北朝鮮にさらけだしていしまっているのです。この点からも、日本は原
発を見直すべきだと思います。これは日本の安全保障にとって深刻な問題です。

現在、国連を通して北朝鮮に対する制裁を強め、核兵器の開発を止めさせようとしています。

しかし、これまでも何回か決議をし、制裁を実行してきたにもかかわらず、核開発を一向に止める気配はなく、ミサイルの長距離化、
核爆弾の小型化、潜水艦からの発射技術の完成、などなど、むしろ加速化しています。

その大きな原因として、経済制裁には中国ルートという穴があって、中国が北朝鮮から石炭やその他のレアメタルを輸入しているか
らではないか、と考えられています。

したがって、中国が強く圧力をかけて北朝鮮に核開発を思い止まらせることができるかどうかが、この問題を解決する、一つのカギ
となります。

従来、中国は表向き北朝鮮を非難してきましたが、その実、裏で実質的に支援してきました。

しかし、今月の北朝鮮によるミサイル発射実験と核実験は、中国のメンツを大きくつぶし、激怒させたので、今回は中国も真剣に北朝
鮮に対する圧力を強化するのではないか、という期待はあります。

北朝鮮が世界の非難を承知で核開発を進めているのは、北朝鮮も核保有国であることを認めてもらいたい、そして、アメリカが二国間
交渉に応じてほしい、その上で、米朝の平和条約を結びたい、との意図があるからです。

北朝鮮の金・正恩氏は、リビアのカダフィ、イラクのフセインようにアメリカによって殺害され、軍事的に制圧され支配されることを恐れて
いるのです。

今のところアメリカは米朝交渉に乗るつもりは全くなさそうです。そうすると、北朝鮮はさらに挑発を強化し、危険な賭けに出る可能性が
あります。

日本は北朝鮮との間で拉致問題を抱え、しかも北朝鮮のミサイルから至近距離に位置しています。

この点、アメリカは拉致問題もなく、なんといっても遠くに離れているので、北朝鮮のミサイルの脅威は日本よりはずっと弱いでしょう。

日本がアメリカと全く歩調を合わせ、追随して北朝鮮への強硬姿勢を取り続けてゆくのがいいのか、あるいは米朝の間に入り、独自外交
によって、何か、緊張緩和の役割を果たすことができるのか、日本外交の能力が試されています。



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イギリスEU離脱の意味(2)―その影響―

2016-07-29 04:32:49 | 国際問題
イギリスEU離脱の意味(2)―その影響―

イギリスの国民は、国民投票でEU離脱を選択しましたが、離脱に投票した人の中にも、軽い気持ちで、まさか本当に離脱が
多数を占めることになるとは思わなかった、もう一度投票の機会があったら残留に投票する、と答えも少なくなかった。

浜 矩子氏(同志社大学教授)によれば、離脱派の中にも統合欧州がどんどん窮屈な均一化になっていくことに疑問を抱き、
開放を求めた「従来型良識的離脱派」と、ムードで投票してしまった「にわか発作的離脱派」とが混在していたのです(『東京新
聞』2016年7月17日)

これを差し引いても、実際に離脱派が多数を占めてしまったことは確かだし、もう、後戻りできない状況にあります。

イギリスはEU離脱により、“束縛”から解放され、独自の政策決定権、つまり“主権”を回復したことになります。

とりわけイギリス国民は、EUが中心となって、人の移動の自由を認めたシェンゲン条約により、EU諸国からの移民の増加によ
り、職場や住居から締め出されていることに大きな不満をいだいていました。

EU離脱によってイギリスは独自の制限政策を採ることができるようになりました。

しかし、EU離脱でイギリスが失ったものも少なくありません。

イギリスは、それまでは域内関税はゼロという枠組みの中での自由貿易により大きな利益を得てきました。

しかし、イギリスからEU諸国への輸出には、当然、関税がかかることになり、その分、イギリス製品の競争力が弱くなります。

また、国境審査を廃止するシェンゲン協定により人の移動が自由になったおかげで海外から安い労働力や優秀な人材を確保
してきました。

しかし、こうしたイギリスの経済構造が、海外からの移住者なしでは成立しないことは、離脱派の指導者たちも十分分かってい
るはずです。

また、エラスムス留学制度は、イギリスの若者たちは海外で高等教育を受ける機会を与えてきました。

これらのことは、若者世代にとっては、生まれてから当然のこととして受け取られてきましたが、EU離脱により、この便宜がなく
なってしまうことも、大きな損失です。

また、現在、ロンドンには日本を含めて多くの海外企業が本社を置いています。しかし、イギリスがEUを離脱してしまうと、EU
諸国との間に関税障壁ができてしまい、本社を置くメリットが少なくなる可能性があります。

このため、正式に離脱が決定した後に、企業と人事がイギリスから流出(脱出)してしまうリスクがあります。

前出の浜教授はこれを「ブレクソダス」(Brexdus)―脱出を意味するexsodus からの造語―と呼んでいます。

イギリスの経済は製造業からサービス業、とりわけロンドンの「シティー」に集中する金融業に大きく依存する構造になっており、
しかも、そこで中心となっているのは海外資本が占めています。

単一通貨ユーロを採用していないのに、シティーがユーロや米ドルを軸に世界の外国為替取引の4割を担っているのは、EU
加盟国という看板があってこそ可能だったのですが、その看板が消えつつあります。

実際、アメリカの大手銀行のJPモルガンチェースのCEOは、「離脱すれば英国の1万6000人の人員の配置を再考せざるを
得ない」と語っています(『日本計座新聞』2016年6月27日)。

もし、海外資本が、イギリスから引き上げられることになれば、イギリス経済にとって大きな痛手です。

また、金融業界だけでなく、これまでロンドンに本社を置いてきた各国のさまざまな企業が、今後も本社を置き続けるかどうか
分かりません。

実際、ロンドンに本社を置く日本企業のいくつかは、EU諸国への移転の可能性を考慮しているようです。

イギリスのEU離脱は、EUにとってもマイナスです。

これまで「世界最大規模の単一市場」を誇ってきたEUのGDPは、イギリスの離脱によってアメリカと中国に抜かれてしまいます。

その分、世界経済にたいするEUの影響力は小さくなります。しかも、これが引き金になって、世界経済そのものが不安定化す
ることが懸念されています。

安全保障面で、イギリスは引き続きNATO(北大西洋条約機構)に残るので、全体としては大きな変化はなさそうです。

しかし、これまで「EU内にある英国との『特別な関係』のおかげでアメリカはEUに影響力を及ぼす足がかりを持てた」(『朝日新聞』
2016年6月26日)のに、イギリスのEU離脱により、アメリカにとって、EUへの影響力が弱まることは避けられません。

以上、見たように、EU離脱というイギリス国民の選択は、イギリスにとってマイナス面の方が大きいようです。

それでも、この選択をしたのは、現状にたいするさまざまな不満が、EU離脱というはけ口を見出したからなのでしょう。

この背景には、世界経済のグローバル化に対する国民の不満が、ナショナリズムリズムの衣を着て国民の感情を高揚させた、とい
う事情があります。

ナショナリズム、という点では、イギリス連合王国の一つ、スコットランドがイギリスからの分離独立をかけた国民投票を実施しようと
しています。主権の回復と独立を訴えた離脱派は、北アイルランドの主権の回復と独立求を、論理的に拒否できないでしょう。

実は、反グローバル化とナショナリズムが結びついた反EUの動きは、イギリスだけでなく、フィンランド、フランスその他のヨーロッパ
諸国でも極右政党の台頭という形で見られるし、スペインでは左翼の反EU勢力が躍進しています(『日本経済新聞』2016年6月25日)。

排他的民族主義(人種差別)を煽り、他方で国際協調よりもアメリカ一国主義を掲げるトランプ氏の主張も、ある意味で、反グローバル
化とナショナリズムとが結びついた動きであると言えます。

こうした動きにたいして、『毎日新聞』(2016年7月2日)の社説は、「統合の正統性取り戻せ」と題して、「戦争を重ねた歴史に終止符を
打つという欧州統合の原点に立ち返り、合意を目指す努力が必要だ」と述べていますが、私も同感です。

EUは、経済的利益と便宜を中心に結束したように見られがちですが、原点はあくまでも戦争の防止と平和の維持であったことを忘れ
てはなりません。

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イギリスEU離脱の意味(1)―その背景―

2016-07-21 11:43:15 | 国際問題
イギリスEU離脱の意味(1)―その背景―

2016年6月24日(日本時間)は、後世、世界の歴史的転換点と評価されるかもしれません。この日、イギリスで行われた国民投票で、
わずかの差ではありますがEU(欧州連合)からの離脱が決まりました。(注1)

離脱が決定した直後のイギリスの保守系経済紙『フィナンシャルタイムズ』(6月24日)は「英国は暗闇に飛び降りた」というタイトルの
社説の冒頭で、次のように書いています。

人々はついに怒りを言葉にした。英国の欧州連合(EU)離脱の選択は、1989年ベルリンの壁崩壊以来の大きな衝撃を欧州大陸に
与えた。余波は英国や欧州だけでなく、西側諸国にも広がるだろう。

英国は1973年にEUの前身の欧州共同体に加盟してから40年余りで離脱を選択したことになります。これからは、28カ国で構成
する共同体と、5億人を抱える単一市場から離れることになりますが、もう後戻りはできません。

『フィナンシャル・タイムズ』は国民投票までの間、離脱は「自傷行為」だと主張してきたし、離脱は経済に悪影響を与え、世界の中
で英国の役割を弱め、EUにも壊滅的な一撃になる、と主張してきました(注2)。これはイギリス財界の正直な姿勢でしょう。

また、翌25日付の同紙は、「瀬戸際の自由民主主義―英国民が投票が映すグローバル化の影」というタイトルで、次のように離脱
のショックを伝えています。

「実利主義で穏健で、物事を慎重に進めていく傾向がある英国が、これまで政治的に築き上げてきた一瞬のうちにすべて打ち壊し
てとは誰が想像しただろう。・・・冷静沈着だった英国民がなぜ経済的利益に反し、EUからの離脱に一票を投じたのかについてはい
くつかの理由が挙げられる。(注3)

これに関しては、さまざまなメディアからいくつもの理由が指摘されてきました。それらの中でも、EUに加盟しているから受け入れざ
るを得ない移民のために職を奪われたり社会保障予算が移民にも使われていることに対する不満、国の政治を牛耳っているエリ
ートたちに対する不満、自分たちは特別だという意識(かつての大英帝国へのノスタルジー)、イギリスがEU本部のエリートたちに
支配されていることに対する、一向に増えない所得、金融危機後の緊縮政策などなど、です。

『フィナンシャルタイムズ』は、こうした全ての要因をつなぐ糸は、勤勉な労働者階級に不利につくられたとみられている政治経済シ
ステムに対する大きな不満である、と分析しています(注4)。

これについては少し補足が必要です。現代のイギリス政治は、一般の労働者の切実な声を聞くことなく、エリート層によって独占さ
れていることに多くの労働者が不満をもっていいます。

他方、労働者階級を勤勉に働いているにもかかわらず賃金は上がらないのに、キャメロン首相のように、エリート層や富裕層は租税
回避地で資産の運用をしていることが「パナマ文書」で明らかとなりました。

この意味で今回の離脱への投票は、恵まれない人たちの、一つはエリート・富裕層に対する批判に向かい、それが、移民問題と結び
ついて、ナショナリズム的な雰囲気を作り出したと言えます。

この意味で、EU離脱という、一見唐突に見える選択には、国民のさまざまな不満、という下地があったのです。

しかし、以上の国民的不満とは別に、イギリスとEU、とりわけドイツ・フランとの亀裂は、もう少し別の側面がありました。

それはそもそも、両者の間にはEU参加の動機が根本的に異なっていたのです。

6月24日、英国が国民投票で欧州連合(EU)からの離脱を決めると、すかさずドイツのガウク大統領は声明を出しました。

ドイツは引き続き英国と建設的な関係となるように努力する。なぜなら我々は同じ価値観を共有している。

しかし、表向きの反応とは裏腹に、ガウク大統領は英国との深い溝はとっくに知っていましました。

それは、ドイツに駐在したことのある、あるイギリス外交官の、「欧州統合の位置づけが違っていた」という言葉に現れています。

つまり、EUを牽引したドイツとフランスが欧州統合を推し進めた直接の動機は、悲惨な第一次、第二次大戦への反省が出発点でした。

英国がEU離脱を決めた直後、ドイツのルケル首相は、「欧州統合は平和主義。それを忘れてはいけない」とのコメントを出しましたが、
それは以上の苦い歴史的経験を反映したものでした。

他のEU参加国にも、歴史的・政治的理由がありました。たとえばスペインもポルトガルもギリシャなどの南欧諸国は、戦後は軍事政権
でしたが、欧州統合で民主化に弾みがついたとのです。

また、冷戦崩壊後にEUに参加した中・東欧には、「ロシアの脅威から逃れ、あこがれの西欧に加わりたい」との意識でした。

つまり、EU参加国の多くにとって欧州統合は単なる経済利益のための共同体ではなかったのです。

ところが英国はこの点で、他の国とは大きく異なっていました。

「実利主義で欧州統合に加わった」(英外交筋)の言葉にあるように、EU参加の動機が、経済的な利益でした。

イギリスの外交筋が正直に語っているように、イギリスには歴史認識という重みがないため、経済的な損得計算と感情論だけで「脱EU」
につながる素地があったのです。

つまりEUと英国はそもそも底流にあるものが違っていたのです。(注5)



(1)実数は、離脱1741万0741票;残留1614万1241票;無効2万5369票。
(2)『日本経済新聞 デジタル版』(2016年6月24日)に翻訳された24日付けの記事。http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM24H8S_U6A620C1EA3000/?dg=1
(3)『フィナンシャルタイムズ』の25日付け記事の翻訳。 『日本経済新聞』(2016年6月26日)
(4)上記、(3)と同じ。  
(5)『日本経済新聞』電子版(2016年6月30日)  
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO04159470Y6A620C1I00000/?n_cid=NMAIL001
   

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伊勢志摩サミット(3)―宴の後:オバマ大統領の広島訪問―

2016-06-27 03:49:49 | 国際問題
伊勢志摩サミット(3)―宴の後:オバマ大統領の広島訪問―

2016年5月27日、オバマ米大統領は現役の大統領としては初めて、広島を訪問しました。

この訪問に関して『日本経済新聞』のデジタル版は、次のように書いています。
    広島を訪れたオバマ米大統領が被爆者の肩を抱いた時、「核なき世界」を夢見る多くの
    日本人のユーフォリア(熱狂的陶酔感)はピークに達したように映った(注1)。

確かに、あのオバマ氏の抱擁によって、多くの日本人は「熱狂的陶酔感」の絶頂に達した感があります。マスメディアも、
ほとんど「舞い上がっている」としか言いようのないはしゃぎぶりです。

しかし私たちは、この訪問に至る経緯と、オバマ氏が実際に広島に行ったこと、日本政府や日本人が示した反応を含めて、
オバマ氏の広島訪問の意義をもう一度冷静に振り返り評価し直す必要があります。

今回の広島訪問の経緯から見てみましょう。

2009年11月、オバマ氏は初来日しました。これに先立って、日本の外務省(担当は当時の藪中三十二外務次官)とルース
駐日米大使との間で、訪日中のオバマ氏の行動について折衝がありました。

その過程で、ルース大使が本国に送った電報メッセージが「ウィキリークス」で暴露されています。(注2)

それによると、ルース氏は、オバマ氏が来日したときの行動としては、東京で大学での講演などに限定すべきで、広島を訪れ
「謝罪」をすることを、ルース氏は、藪中氏から「時期尚早」であるという理由で強く反対された、と書いています。

この文面からみると、ひょっとすると、オバマ氏は広島訪問だけでなく、原爆投下への謝罪をも考えていたかも知れません。

それにしても、日本の外務省はなぜ、オバマ氏の謝罪に反対したのでしょうか?

薮中氏は、もし広島を訪問すると、反核運動団体の「期待」が高まるから、と述べていたのです。

この「期待」の中には、オバマ氏による「謝罪」が含まれている可能性がある、というのが薮中氏の懸念でした。

以上の経緯もあって、今回のオバマ氏の訪日にさいして、日本政府は最初から、謝罪を求めないことを、何度も表明してきました。

それでは、日本政府(特に外務省)は、なぜ今回もオバマ氏の「謝罪」を断り続けているのでしょうか?

これに対して、平和運動に長く携わってきた広島私立大学広島平和研究所(元教授)の田中利幸氏は、オバマ氏の訪日に先立っ
て、オバマ氏の「謝罪なき広島訪問」が、無邪気な歓迎ムードで進められることに危機感を募らせていました。

来年1月で退任するオバマ氏にとっては、原爆投下を正当化するアメリカの世論の反発を避けつつ、「核兵器なき世界」という理念
に基づく実績作りのパフォーマンスの場にこの訪問を利用しようとする意図が感がられます。

他方、安倍首相にとっては、オバマ氏の広島訪問を、一つの外交的成果としてアピールし支持率を高めて参院選に弾みをつける狙
いがありました。

ところが、被爆者たちは、これまで「二度と同じ被害を出さないために」、とアメリカに謝罪を求めてきました。

たとえば、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は1984年に発表した「基本要求」で、広島・長崎の犠牲がやむを得ないとされる
なら、核戦争を許すことになる」、と原爆投下が人道に反する国際方違反である」と断定し、アメリカに被害者への謝罪を求めること
を訴えています。

また、2006年と2007年には、市民団体が原爆投下の責任を問う「国際民衆法廷」を広島で開催し、原爆投下を決定したトルーマン
大統領ら15人を「有罪」としました。

さらに一昨年の2014には、広島の八つの市民団体がオバマ氏に「謝罪は核廃絶に必要」とする書簡を出しています。

こうした被爆者と広島住民の強い、謝罪への要求を無視して、日本政府はオバマ氏に謝罪を求めない、と公式に表明してきました。

その理由の一つは、被爆国でありながら、アメリカの核抑止力に依存するという矛盾を抱える日本にとっても謝罪はない方が都合が
よい、というものです。

もう一つは、第二次世界大戦で日本は、原爆に関しては被害者ですが、アジア諸国に対しては加害者の立場にある、という事情です。

田中氏は、「米国の加害責任を追及しなければ、アジアの人びとに対する戦争犯罪とも向き合わずに済むとの論理が潜んでいるので
はないか」と鋭い指摘をしています。

つまり、日本が、もしオバマ氏に謝罪を要求すれば当然、南北朝鮮、中国を始めかつて侵略した国々に対ても謝罪して回る必要がある
し、アメリカ側も日本の首相に真珠湾に来て謝罪をすべきだ、と要求するかもしれません。

そして田中氏は、もしオバマ氏に謝罪を求めないと、今回の訪問が日本の過去の侵略を否定する歴史修正主義を助長しかねないし、
さらに、原爆投下は正統であったという、誤ったメッセージを世界に送ることになると、懸念しています(『東京新聞』2016年5月18日)。

以上のような、日本政府にとって最も、「やっかいな問題」を避けるために、政府はオバマ氏に謝罪を求めないことにしたものと考えら
れます。

以上の問題の他に、今回の日米両政府の姿勢に、私がどうしても納得できない本質的な問題があります。

アメリカの政府も多くの国民は、原爆投下によって戦争が早く終わり、結果として日本人(そしてアメリカ人)の死者を少なくすることがで
きた、と主張してきました。

この議論は全く根拠を持ちませんが、それと同時に、あるいはそれ以上に問題なのは「もし、理由があれば核兵器を使用しても許される、
正当性をもつことができる」、という、核兵器の使用を事実上認めてしまうことです。

この「理由」は、使用した側が、どうにでも付けることができるのです。

しかし、オバマ氏も理想としている「核廃絶」とは、このような非人道的な兵器は、理由の如何を問わず、廃絶しなければならない、という
考え方なのです。

ここに、アメリカの欺瞞性があり、日本のご都合主義があります。

今回のオバマ訪日の意義を、外務省OBで政治学者、元広島平和研究所長、の浅井基文氏は、「変質強化された同盟関係を盤石なもの
に仕上げる最後のステップと位置づけられている」、と分析し、核兵器廃絶の第一歩となるとの期待は幻想で、「核兵器の堅持を前提とし
たセレモニーに過ぎないと」と鋭く批判しています。

次いで、日本は戦争加害国としての責任を正面から受け止めると同時に、無差別大量殺害兵器である原爆を投下した米国の責任を問い
ただす立場を放棄してはならない、そうすることによってのみ、核兵器廃絶に向けた人類の歩みの先頭に立ち続けることができるだろう、
と述べています。(『毎日新聞』2016年5月25日)全く同感です。

今回の訪問時に、オバマ氏の数メートル離れたところにはSPが、世界のどこからでも核弾頭を搭載したミサイルの発射を指令できる通信
機器が入ったカバンを持って片時も離れずに待機していました。

また、オバマ政権下で削減された核弾頭は約五百発(削減率10%)で、これは冷戦後の歴代政権の中で最も低い数と率です(『東京新聞』
2016年5月28日)。

米国科学者連盟によると、アメリカは使用可能な核弾頭は4700発も保有しています。

それにも関わらず、オバマ政権は「臨界前核実験」を続行しており、今年度に入って、新型長距離巡航ミサイル「LRSO」の開発といった「核
戦力の更新」に対し、今後30年間で1兆ドル(110兆円)を投じる予算を承認しています(『東京新聞』(2016年5月18日)。 

核軍縮に関して実効性のある進展を示すことなく任期も約八か月を残すだけとなったオバマ氏が、核廃絶を願って広島を訪問し、核廃絶の
誓いをする、ということは、虚しいパフォーマンスであり、ある意味ブラック・ユーモアですらあります。

そして、オバマ氏の広島訪問を大絶賛する日本のメディアは、もう少し冷静さを取り戻すべきでしょう。





(注1)『日経デジタル』(2016年6月2日)http://www.nikkei.com/article/DGXMZO02956030Q6A530C1000000/

(注2)Wikileaks: https://wikileaks.org/plusd/cables/09TOKYO2033_a.html
『産経ニュース NSN』2011年9月26日
    http://sankei.jp.msn.com/world/news/110926/amr11092618090007-n1.htm
https://wikileaks.org/plusd/cables/09TOKYO2033_a.html

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伊勢志摩サミット(2)―安倍首相の目論見と誤算―

2016-06-23 06:09:22 | 国際問題
伊勢志摩サミット(2)―安倍首相の目論見と誤算―

安倍首相は、議長国の特権を利用して、二つの提案にサミット参加国の合意を得ようとしていました。

一つは、現在の世界経済は、「リーマン・ショック前夜」の危機にあることを共通認識をとして認め、二つは、世界不況を乗り切るために
G7が一致して積極的な財政出動をする必要合意事項とすることでした。

「リーマン前夜」を強調するために、安倍首相が配った資料(4ページ)では、全て「リーマン・ショック」という言葉が使われています。

この意図は明らかで、G7の場で、「リーマン前夜」という言葉を共通認識として紛れ込ませれば、「リーマン級」の経済危機を理由として、
国民に不人気で、選挙にも不利に作用しかねない消費税の値上げを再延期する口実になる、との目論見です。

しかし案の定、参加国首脳、IMF専務理事、EUの代表の誰からも、賛同を得られませんでした。

例えば、ドイツのメルケル首相は、「新興国などでいくつかのリスクがある」が、「経済は一定の堅実な成長をしている」、「成長の加速に
は構造改革を」と安倍首相に異議を唱えました。(『東京新聞』2016年5月28日)

また、第一生命経済研究所の西浜徹氏は「新興国の減速リスクはゼロではないが、欧米経済は堅調なので、世界経済の危機を招くとは
思えない。中国では昨年、株バブルがはじけたが、世界で金融不安は起きていない」と語っています。

また、同研究所の熊野英生氏は、「当時は米国のバブル崩壊で一気に世界が不況に陥ったが、今は中国などの新興国が穏やかに減速
し、先進国も穏やかに減速する構造的な経済停滞。状況は全く異なる」と述べています。(『東京新聞』2016年5月27日)

安倍首相がサミットに提出した資料で、2014年6月から1年半で原油や食料など商品価格が55%下落し、リーマン・ショック時と同じにな
ったことを示そうとしました。

しかし、これについても、三菱UFJモルガン・スタンレー証券の嶋中雄二氏は「2008年に商品価格が大きく下落したのはリーマン・ショックが
起きてからだ(つまり「後から」だ。必筆者註)。最近の下落幅が同じと言っても(産油国の綱引きなど)原因は当時と違っており、これから危
機が起きるという理由にはならない。原油価格は1バーレル50ドルに戻るなど、商品価格はむしろ底入れしている」、とデータの根拠と妥当
性を否定しています。

IMF(国際通貨基金)の専務理事はサミット閉幕後の記者団に「(リーマン・ショック」が起きた)2008年のような時期ではない。危機からは抜け
出した」と、やはり安倍首相の認識を否定しました。

5月23日に政府が公表した月例経済報告も同様のデータから景気判断を示していますが、海外経済について「世界の景気は弱さが見られ
るものの、全体としては緩やかに回復している」とし、「リーマン・ショック級」という認識を否定しています。

経済政策を担当する石原伸晃経済再生相も、4月の国会審議で「リーマン・ショック級の危機が訪れようとしていると思うか」と問われ、「その
当時と今が同じような状況だという認識はない」と答弁しています。

『朝日新聞』はこうした事情を考慮して、サミットで示された安倍首相の「危機感」は唐突にも見える、と結論しています。(注1)

二つ目の目論見である、各国の「財政出動」を訴えましたが、これも全く賛同を得られませんでした。

安倍氏が唱える「財政出動」とは、言い換えると、日本国内の景気浮揚のために、消費税の値上げを延期して、公共事業などを大胆に行う
必要がある、ということです。

ここで、消費税の値上げを延期するわけですから、その予算の手当は赤字国債ということになります。

そもそも、一千兆円超という世界一の財政赤字を抱える国(日本)が、各国に財政出動を呼び掛ける構図がおかしいのです。事前の訪問時
にドイツからは、「財政による景気浮揚は一時的で、かえって将来の負担になる」と言われてしまいました。金融政策に過度に依存してきた
が、それが行き詰ったことも見透かされていました。(『東京新聞』2016年5月27日)

安倍首相が事前に欧米各国を回って財政出動に必要性を訴えてきましたが、ドイツは最初から反対で、全体の賛同を得られないどころか、
言及さえせずに無視した国もあるほどです。

アメリカのオバマ大統領は、財政出動を無視した上、26日夜の記者会見では、「通貨切り下げ競争に反対する」と、日本の円安介入を批判
しています(『東京新聞』2016年5月28日)。

一応、議長国の日本に妥協して、具体的な景気刺激策は各国の判断に委ねる、という議論に落ち着き、「サミット首脳宣言」では、
    各国の状況に配慮しつつ、強固で持続可能、かつ均衡ある成長経路を迅速に達成するため、経済政策による
    対応を協力して強化し、より強力で均衡ある政策の組み合わせを用いる

つまり財政出動は全体の合意事項ではなく、各国の事情に委ねなれることになっています。

「宣言」では、財政出動という言葉はなく、代わって「経済政策」むしろ「均衡ある成長経路」とされているように、赤字国債に依存することなく
財政的な「均衡」を求めています。

日本の一人負け
IMFの経済見通しによれば、2017年のG7国のGDP成長率は日本が唯一マイナスで-0.1%、アメリカ(+2.5%)、ドイツ(+1.6%)、フランス(+1.3%)、
イタリア(+1.2%)、イギリス(2.2%)、カナダ(+1.9%)、全体で+3.5%となっており、日本の一人負けが明らかです(『東京新聞』2016年5月27日)。

こうした見通しをみれば、安倍首相の目論見は、「リーマン級不況」も「財政出動」もサミットの場で否定されたのは、当然です。

今回のサミットで、上記二つの主張を各国に訴えるために、だいぶ前から官邸の指示で、そのためのデータ集めを官僚や御用エコノミストたち
が集めていたようです。資料そのものもお粗末ですが、彼らの能力もお粗末と言わざるを得ません。

いずれにしても安倍首相の提案も、各国代表者からは賛同を得られませんでした。というのも、これはあくまでも日本の国内問題であり、世界
の政治経済を討議する場に、無理矢理日本の経済事情を前面に出した安倍首相にたいしての批判も含まれています。

G7の場では、議長国の首相ということで、安倍首相の発言に対する批判は、控え目でしたが、海外メディアはもっとストレートでした。

英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)は「世界経済が着実に成長する中、安倍氏が説得力のない(リーマン・ショックが起きた)2008年との比較
を持ち出したのは、安倍氏の増税延期の口実づくり、指摘しました。

首相はサミット初日の26日、商品価格の下落や新興国経済の低調ぶりを示す統計などを示し、自らの景気認識に根拠を持たせようとしました
が、年明けに急落した原油価格がやや持ち直すなど、金融市場の動揺は一服しています。

米国は経済の順調な回復を反映して追加利上げを探る段階だ。英国のキャメロン首相は26日の討議で「危機とは言えない」と反論。FTは、
英政府幹部の話として「キャメロン氏は安倍氏と同じ意見ではない」と指摘しました。

英BBCは27日付のコラムで「G7での安倍氏の使命は、一段の財政出動に賛成するよう各国首脳を説得することだったが、失敗した」と断じ、
そのうえで「安倍氏はG7首脳を納得させられなかった。今度は(日本の)有権者が安倍氏に賛同するか見守ろう」と結びました。

つまり、日本人がどれほどの判断力を持っているかを見させてもらおう、というイギリス人独特の日本人の知性にたいする皮肉です。

仏ルモンド紙は「安倍氏は『深刻なリスク』の存在を訴え、悲観主義で驚かせた」と報じた。首相が、リーマン・ショックのような事態が起こらない
限り消費税増税に踏み切ると繰り返し述べてきたことを説明し、「自国経済への不安を国民に訴える手段にG7を利用した」との専門家の分析
を紹介しました。首相が提唱した財政出動での協調については、「メンバー国全ての同意は得られなかった」と総括しています。

米経済メディアCNBCは「増税延期計画の一環」「あまりに芝居がかっている」などとする市場関係者らのコメントを伝えました。

また、配られた4枚の資料について、「それで危機というのは詭弁にちかい」と手厳しく批判しています。

一方、中国国営新華社通信は「巨額の財政赤字を抱える日本が、他国に財政出動を求める資格があるのか?」と皮肉りました。首相が新興
国経済の減速を世界経済のリスクに挙げたことへの反発とみられ、「日本の巨額債務は巨大なリスクで、世界経済をかく乱しかねない」とも指
摘しています。

こうした、内外の批判を受けて、さすがに安倍首相は後に、「私はリーマンショックとは言っていない」と弁解しています。あれだけ文書で強調し
ておきながらです。

もし、言っていないとすると、これだけ「リーマン級不況」発言に海外からの批判が来ることはあり得ません。

以上、海外メディアの反応を見るか限り、安倍首相の目論見ははずれただけでなく、信用を失い、恥をかいた結果となってしまいました。

海外の取材経験が豊富なジャーナリスト河内孝氏は、「オバマ大統領の広島訪問でごまかせると思ったのだろうが、あまりに国民を愚ろうして
いる」と批判しています。

政治評論家の森田実氏は、「『世界の問題を主要国で話し合おう』サミットなのに、安倍首相は短期的な国内戦略で使おうとした。しかしそれは
世界に見透かされていました。オバマ大統領医助けられていたが、それも対米従属を強めるだけだ」と、サミットを総括しています(『毎日新聞』
2016年5月29日 朝刊;東京)(注2)。

(注1)『朝日新聞』デジタル版(2016年5月28日)
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S12380556.html?rm=150
(注2)『東京新聞』2016年5月31日「海外メディアはサミットどうみた」;
    『毎日新聞の記事のデジタル版(2016年5月29日)
     http://mainichi.jp/articles/20160529/ddm/002/010/118000c

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伊勢志摩サミット(1)―「主要国」支配の落日―

2016-06-18 04:02:27 | 国際問題
伊勢志摩サミット(1)―「主要国」支配の落日―

2016年の主要国首脳会議(通称「サミット」)は5月26,27日の二日間にわたって、日本の三重県伊勢・志摩で開催されました。

サミットは毎年、議長国を巡回して行われますが、今年は日本が議長国となりました。

このサミットについて『東京新聞』(2016年5月30日)の「社説」は、「たそれがれても輝く国に」というタイトルを掲げ、その冒頭で
次のように書いています。
    伊勢志摩の“祭りの後”には一層、先進国の「たそがれ」が際立ちます。
    日本を先頭に進む高齢化、人口減・・・。衰えゆく先の大きな時代の変
    わり目です。 

「社説」の筆者は、先進国にみられる高齢化、少子化(人口減)、それにともなう経済的停滞は、まちがいなく「たそがれ」の兆候で
あり、中でも日本はその先頭を走っていると書いています。

いずれにしても、現在の「先進国」の社会経済状況は、全体として「老化」が進み、人間で言えば、歳を取って、体のあちこちに不具
合いが出てくるように、それぞれ国内に問題を抱えています。

そのようなG7は、すでに歴史的な役割を終え、「たそがれ」を迎えています。

G7が発足した当初には、まだ、世界をリードするだけの力も豊かさもありましたが、今や、そのような能力は衰えてしまっています。

一言でいえば、G7は既に歴史的な役割を終えているのです。

ここで、そもそもサミットとはどんな背景で、何を目的として発足したのかを見ておきましょう。

サミットは、1970年代の石油危機やニクソンショック(ドルの切り下げ)など世界経済の深刻な問題に直面し、それを克服するために
政策協調するために、先進国の首脳が自由に話し合う必要が認識されたことがきっかけとなりました。

そして、1975年、フランスのジスカール・デスタン大統領の呼びかけで、第一回サミットがフランスのランブイエで開催されました。

ここで注目すべき事実は1970年代前半に起こったいくつかの出来事が、世界経済、そしてさらに大きな意味では、世界の政治経済
体制が大きく変化していることを象徴していることです。

まず、1971年アメリカは金とドルとの交換を停止し、ドルの切り下げが起こりました(通称「ドルショック」)。これはアメリカ経済の衰退
を反映しています。

続いて1973年には、それまで欧米の石油メジャーに支配され、搾取されていた産油国のうちアラブの石油輸出国機構(OAPEC)が、
1バーレル3ドルから5ドルへ70%も石油価格を値上げし、さらには石油の禁輸を強行した、「第一次石油危機」(オイルショック)が
勃発しました。

「セブンシスターズ」と呼ばれる、欧米の7大石油メジャーのうち5つがアメリカの企業であったことからもわかるように、世界の石油は
事実上、アメリカ企業によって、そのだ部分が支配されていたのです。

欧米だけでなく、日本も、いわゆる先進国と称される国々は、それまで極端に安い石油エネルギーを思う存分使うことができたからこ
そ経済的繁栄を謳歌できたのです。

こうした支配体制に、産油国の中でも、特にアメリカの強い支配下に置かれたアラブ産油国が、石油メジャーに反旗を翻したことは、
もはやアメリカの石油支配の終わり、そして、そこから得ていた巨額の利益を以前のようには独占することはできなくなったことを意
味します。

これは同時に、先進国がもはや安い石油資源を使うことができず、経済に大きな制約がかけられたことを意味します。

第一次石油危機の際、日本でトイレットペーパーがなくなるのでは、という、デマに踊らされた多くの日本人がスーパーに押し寄せ、
死者まで出したことは、記憶に新しいことです。

そして、いよいよ1975年というもう一つの大きな歴史的な転換点に至ります。

1975年とは、20年以上にわたって戦い続けたベトナム戦争で、アメリカがみじめな敗退を喫し、逃げ帰るように撤退した年です。

アメリカは、膨大な戦費をベトナムやその他のインドシナ諸国での戦争に費やしたために、それまで世界の富を独占していたかの
ごとく繁栄を誇っていましたが、その繁栄は見かけ上のもので、中身はすっかりやせ細り、財政の危機に直面していたのです。

60年代なら、世界経済の協調体制を組むためのリーダーシップは、アメリカが取るとろですが、第一回目のサミットは、フランスの
大統領の呼びかけで、フランスで開催されたことが象徴しているように、アメリカの地位の低下、アメリカ経済の凋落がはっきりと現
れています。

当初のサミット参加国は、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、日本の6か国でしたが、以後、カナダとロシアが加わり、
「G8」と呼ばれました(ロシアはウクライナ問題に関する制裁のため、2014年からサミットへの出席を拒否されている)。

もっとも、当時も今日でも、アメリカは軍事的にはスーパー・パワーであることには変わりありません。

それでもアメリカは、たとえば「イスラム国」にたいして、もはやロシアの協力を得なければ軍事的な対応策をたてられない所までその
軍事的な力は落ちています。

アメリカの一極支配構造は70年代を通じて崩れ続け、世界秩序は多極化の道を歩み始めました。

しかし、世界経済への圧倒的な影響力の低下は、アメリカだけではありません。

今や、先進国全体が、かつてのような経済的力を失っています。

たとえば、GDPだけをみると一位はアメリカですが、二位は、日本を抜いて中国となっており、先進国は中国という巨大市場に大きく
依存しています。

サミットは、新たな政治・軍事・経済でのスーパー・パワーである中国が入っておらず、今回のサミットには、もう一つのスーパー・パワ
ーであるロシアも入っていません。

G7の世界GDPに占める割合は、1994年には67.1%あったのに、2014年には45.9%へ大幅に減少しています。

代わって台頭してきたのはBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)で、上記年度には7.3%から21%へ3倍近くに増加し
ました。 中でも、中国だけでもすでに13%を占めるようになっています。(注1)

この経済指標から、G7の経済力の相対的低下をはっきりと見て取ることができます。

これを反映するかのように、今回の「伊勢志摩サミット」では、それぞれの参加国が個々バラバラな問題を抱えていて、共通の認識のも
とに世界経済と世界秩序の立て直しに結束する機運は全く見られませんでした。

フランスのオランド大統領はテロ対策のための協調を主張し、アメリカのオバマ大統領は北朝鮮の核開発への懸念を強調し、ドイツの
メルケル首相は難民をなくすためにG7は手を尽くすべきだ、と説き、イギリスのキャメロン首相は、EUからの離脱問題が大きな関心事
であり、イタリアのレンツィ首相は、フランスと同様、難民問題に関連してアフリカ地域への支援を呼びかけ、そしてカナダのトルドー首相
は、中国の南シナ海進出への懸念を表明しました。

さて、日本の安倍首相は何を訴えたのでしょうか?

安倍首相は今回のG7を自らの政治戦略に利用するため、世界的な「リーマンショック級」の危機が起こるリスクを一貫して強調しました。

この主張は、他の出席者からはほとんど無視されてしまいましたが、これについては次回、もっと詳しく検証してみたいと思います。

いずれにしても、今回の伊勢志摩サミットで、かつてのような経済成長の時代は終わり、「主要国」の力は衰えてしまったこと、そして、来る
べき国家と世界の新たな構造と形を模索する段階に入ったことだけは明らかになりました。

(注1)NIKKEI・FT共同特集「きしむ世界 試練のG7」
     https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/g7transition/ (2016年5月30日参照)


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不寛容の時代(1)―「文明の衝突」が現実化しつつあるのか?―

2015-11-25 08:28:57 | 国際問題
不寛容の時代(1)―「文明の衝突」が現実化しつつあるのか?―

2015年1月の「シャルリ・エブド」襲撃事件以来、今年に入ってイスラム過激派によるテロは何件か発生してきました。

この間に欧米社会では、大きな変化がありました。移民(特にアラブ・イスラム系)にたいする排外主義的な機運が盛り上がりました。

フランス政府が呼びかけた抗議の行進には,フランス国内で370万人,欧州をはじめ,世界の約50か国の首脳・閣僚も加わり,パリ
以外の欧米都市を含めると500万人が行進に参加したと報じられました。

「シャルリ・エブド襲撃事件」をきっかけとして,フランスでは反イスラムと反移民を旗印とする極右政党NF(国民戦線」)がテロへの国民
的怒りに乗じて活発になりました。

また,ドイツでも「西欧のイスラム化に反対する愛国的な欧州人」(通称ベギータ)と類似団体が1月の事件の後,各地でイスラム集会を
行いました。

しかも不気味なことに「ベギータ」の動きはスペイン,ノルウェー,スイス,オーストリアでも活発化しました。

反イスラムの動きが活発化した背景には白人系ヨーロッパ人の貧困層の不満があります。

彼らはその原因の一部は移民労働者(特にイスラム圏からの)にあるとみなしています(注1)。

こうした背景もあって、11月13日に発生したパリの同時多発テロは、当のフランスだけでなく欧米各国に1月の事件より大きな衝撃を
与えました。

その理由の一つは、129人(最終的に130人となった)という犠牲者の多さでしたが、それ以上に、今回はIS「イスラム国」という従来
にない組織化された集団による襲撃だったからでした。

1月以来の「イスラム国」勢力の拡大に脅威を感じていた欧米諸国は有志国連合を結成し、空爆を含むISの討伐作戦を展開しています。

前回の記事で紹介した、ナビラ・レスマンさんは日本で、「武力では何も解決できません」「テロはよくないけれど、報復攻撃はもっと悪い」
「先進国は私たちの教育に援助してほしい」と発言しまいたが、日本や世界の反響は非常に小さく、ほとんど無視されました。

また、ナビラさんはアメリカの議会でも演説をしましたが、その時出席した議員は、わずかに5人だけ、という冷淡さでした。

恐らく、彼女と彼女の祖母がアメリカの無人機によって傷つけられ、殺されたからでしょう。

しかし、イスラム過激派によって傷つけられたマララ・ユスフさんは、先進諸国によって英雄視され、女性の教育権を主張して、2015年の
ノーベル平和賞を受賞しました。

このあまりにも露骨な欧米のダブル・スタンダードに、イスラム教徒は、我慢できない怒りを募らせているのですが、日本や欧米の人たち
は、そんなことには全く気が付かないようです。

こうして、一方の欧米国家からは、イスラム教徒=過激派、許すことはできない、という不信と不寛容がますます強くなってゆきます。

反対に、イスラム教徒からは、イスラム教とイスラム教徒に対する偏見と差別にたいして怒りを募らせてゆき、一部の突出した過激派が
「十字軍とその協力者」(日本も含む)にたいする不寛容を強めてきました。

予想されたように、パリの同時多発テロの後、フランス国内には、移民(特にアラブ・イスラム系移民)を排除せよ、というデモが行われ、
ここぞとばかり右翼政党からイスラムと移民排除のプロパガンダが始まりました。

同様の動きはフランスだけでなく、上に書いたように、今年1月の「シェルリ・ウブド」襲撃事件以来、ヨーロッパ全土で広がっていました。

そしてEU全体に、域内でビザなしの自由な移動を認めたシェンゲン協定を見直す機運が高まって、再び国境での入国審査を強化して
移民の流入を防ごうとする動きがでています。

今回のパリでのテロを受けてオランド大統領が争状態!」と叫んだ姿は、「9・11」直後に、ブッシュ大統領が、西部劇のヒーロー気取り
で「かかってこい!」と見栄をきった姿と重なって見えます(赤川次郎氏のコメント 『東京新聞』2015年11月22日)。

そういえば、ブッシュ大統領は、自分たちを「十字軍」に例えたこともありました。

そして、今回のパリでの同時多発テロの犯行声明でも、フランス人や有志国連合を「十字軍ども」という言葉を何度も使われています。

イギリスの『ファイナンシャル・タイムス』(2015年11月17日)は、『パリ攻撃で「文明の衝突」再び 変容する穏健国』」と題するコラムで、
最近のイスラム対非イスラムの対立が激化してきており、それは「文明の衝突」なのか、という刺激的な記事を掲載しています。

それによると、アメリカにおいても反イスラム主義的な発言が増えており、大統領選指名争いの共和党候補の間では当たり前になって
いること、ドナルド・トランプ氏は、米国への入国を認められたシリア難民は皆、強制送還すべきだと語っています。

さらに、こうした反イスラムの動きは、欧米だけでなく、インドではナレンドラ・モディ首相自身も反イスラムの姿勢を鮮明にしています。

また、彼が率いるヒンズー民族主義政党・インド人民党(BJP)のメンバーが反世俗、反イスラムの発言を強めており、そのメンバーは
牛の肉を食べたという理由で、イスラム教徒のリンチをおこなうなど、反イスラムの動きが活発化しています。

こうした一連の動きは、かつて世界中で話題となった、サミュエル・ハンティントンの「文明の衝突」を思い起こさせます(注2)。

これは米ソの対立がもたらす冷戦に代わって「西欧対非西欧(とくにイスラム)」が世界の主要な対立軸になる、という考え方です。

西欧の政治指導者はこれまで、一応、「文明の衝突」という考え方を拒否してきました。というのも、多数のイスラム教徒を受け入れて
きたヨーロッパ諸国では、国内で深刻な衝突が起こることなく共存してきたからです。

今や欧米社会は,政治・経済・社会・文化の全ての面で異なる要素を受け入れる寛容性を失いつつあると,いうことになると思います。

しかし、こうした状況をもって安易に「文明の衝突」というのは、適切ではありません。

なぜなら、対立の実態を詳しく見ると、そこには宗教や文明の違いに名を借りた、他の利害関係が存在することがほとんどだからです。

さらに、西欧世界とイスラム世界、またヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間には対立もあったけれど共存してきた長い歴史もあるから
です。

ただし、近年、かつては多文化主義を標榜していた国も、次第に不寛容を失いつつあるように見えます。

これは、それだけ状況が厳しく余裕をうしなっていることと関係があると思われます。

次回は、多文化主義がどうなっているのかを、さまざまな立場から検討したいと思います。

(注1)この事件に関しては、本ブログ2015年5月8日「ムハンマドの風刺画展―言論の自由か冒涜か―」で既に書いてあります。
(注2)http://www.nikkei.com/article/DGXMZO94104430X11C15A1000000/. この『ファイナンシャル・タイムス』の記事は、日経デジタル 20115年11月18日に翻訳され、掲載されています。
(注3)http://www.asiapress.org/apn/archives/2015/11/15013254.php
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刈り取った稲を、「はざ架け」して干します。



収穫した稲穂を、江戸時代から使われた「せんばごき」を借りて、手作業で脱穀しました。とても、大変な作業です。

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パリ同時多発テロ―検証:「9・11」と報復の連鎖の帰結を教訓として―

2015-11-19 07:10:54 | 国際問題
パリ同時多発テロ―検証:「9・11」と報復の連鎖の帰結を教訓として―

2015年13日夜(日本時間14日早朝)、パリ市内で同時多発的に銃撃と自爆事件が起こり、129人が犠牲となりました。

事件の後「イスラム国=IS」は、今回の事件は、フランスが9月以来、シリアのIS領内への爆撃を開始したことにたいする報復である、
と犯行声明を出しました。

フランスのオランド大統領は、今回のテロはISによって、シリアで計画され、ベルギーで組織され、フランスのパリで8人の実行された、
と発表しました。

大統領は、「ISを打倒する」「これは戦争だ」と宣言し、国内のイスラム過激派の徹底的な尋問や拘束をはじめる一方、他方で15日に
は、フランス空軍は戦闘機10機を含む12機でシリア東部にある「イスラム国」の拠点を空爆し、弾薬庫や訓練施設に大型爆弾20発を
投下しました。

もちろん、この際、民間人の生命にかんしては考慮していないようです。

私は、今回のテロが、一般市民をターゲットにしている点で、絶対に許すことのできない「犯罪」であり、ISのテロは言語道断だと思います。

そして、129人もの市民が犠牲になれば、怒りの激情に駆られて、武力による報復を行うことも心情としては理解できます。

パリの事件直後の15日、トルコで開催されたG20では、イスラム過激派によるテロ対策として国際社会は一致してテロ対策を考えるべき
であるとの認識で一致し共同声明を出しました。

ここで「テロ対策」には、空爆のような武力による制圧が含まれます。

当面は、テロ組織の制圧に力を入れることは必要かもしれませんが、フランスは武力による報復が、果たしてテロの根絶をもたらすのかを
冷静に考える必要があります。

テロに武力的な報復を加える報復の連鎖が何をもたらすかを、2001年「9・11」同時多発テロとそれに対するアメリカの報復攻撃の結果を
検証してみましょう。

「9・11」の後、ブッシュ大統領は、直ちに「テロとの戦い」を宣言し、事件の首謀者がアルカイダのウサマ・ビン・ラーディンであるとし、翌月
には、彼が潜んでいると見なしたアフガニスタンとパキスタンへの爆撃を開始しました。

最終的に、ウサマ・ビン・ラーディンの居場所を突き止めた現地のスパイが、その家の敷地に発信器を投げ入れ、その電波を受けた無人の
攻撃機がロケット弾を撃ち込んで2011年5月彼を殺害しました。

アメリカは、あらゆる近代兵器を投入し、多数の現地人スパイを動員して、ウサマ・ビン・ラディンという、たった一人の人物を殺害するのに
10年もかかったのです。

また、ビン・ラディンを追いかけている間も、彼を殺した後も、アメリカはアルカイダおよび、ビン・ラディンかくまっていると思われるタリバ―ン
勢力の一掃をも目指してアフガニスタンおよびパキスタンで爆撃をし続け、現在に至っています。

しかし、この間に、多数の一般市民が「誤爆」によって殺されています。それでも、アフガニスタンの平和は一向に達成の見込みが立ってい
ません。

今年の11月に来日したパキスタンの少女(ナビラ・レスマン 11歳)さんは、2012年にイスラム過激派をアメリカの無人機から発射された
ロケット弾により自身も怪我を負い、目の前で祖母を殺されました。

国連の調査によれば、アメリカの無人機による爆撃で、パキスタンだけでこれまで市民や子どもが少なくても400人は亡くなったとされています。

そのナビラさんはシンポジウムで、「武力では何も解決できません」「テロはよくないけれど、報復攻撃はもっと悪い」「先進国は私たちの教育に
援助してほしい」と訴えました。

以上が、9・11以降、アメリカの9・11同時多発テロに対する報復攻撃がもたらした帰結です。

結局、「9.11」とそれに対するアメリカの報復の連鎖が何も解決をもたらさなかったことが分かります。

ここで、「9・11」が起きた直後の衝撃を、アラブ・イスラム世界がどのように反応したかをみてみましょう。

この時の状況を、『東京新聞』(2015年11月16日)は「9・11からパリ・テロへ」と題する社説で次のように書いています。
    9・11テロのあった日、アラブ・イスラム世界の一大中心都市エジプトのカイロはどうだったか。電話で中産階級の知識人に聞くとこう
    でした。<街路は喜びに満ちている。アメリカに一撃をくれてやったということだ。アメリカはイスラエルを助けパレスチナ人を苦しめて
    いる。鬱憤が晴れたということさ>。
    アメリカの悲鳴と怒り、欧米社会のテロ非難とは裏腹にアラブ・イスラム世界の網の目のような無数の街路は暗い歓喜に満たされて
    いたのです。

実は、私も同じような声を聞きました。9・11の1週間後、私はオーストラリアにいました。

私が乗ったタクシーの運転手(中東からの移民)に、9・11のことを聞いたところ、彼はとてもうれしそうに「あれは、アメリカにとって良い教育
(good teaching)となるだろう」、と答えました。

テロを受けた側からみると、テロは憎むべき残虐行為ですが、アラブ世界からするとテロは「聖戦」なのです。

恐らく今回のパリの同時多発テロに対して感想を問われれば、多くのイスラム教徒は、多数の民間人を殺傷したことは良くない、大部分のイス
ラム教徒は平和な生活を望んでいる、と答えるでしょう。

事実、パリ在住のアラブ系住民へのインタビューでそのように答えていました。

しかし、もう一つの感情として、自分たちを差別し無視し続けている西欧世界に対する鬱屈した感情があることも確かです。

たとえば、アメリカがアフガニスタンやイラクで数十万人の民間人を殺しているのに、それは非難されなくていいのか、という疑念は恐らく大部
分のイスラム教徒の心の奥底にあると思われます。

フランスをはじめアメリカ、イギリスは「IS憎し」の感情からイラク・シリア領内のIS支配への空爆を繰り返していますが、ここでも確実に一般市
民の犠牲者がでるでしょう。

報復爆撃で殺された人たちの家族や友人・知人はフランスに対する憎悪を募らせることでしょう。ここでまた、復讐に参加する若者が生みださ
れるという悪循環が繰り返され、テロの問題を解決することはできません。

他方、フランスは国内に500万人近いアラブ系住民を抱えています。たとえシリア・イラクのISの拠点を全て破壊したとしても、フランスだけで
なく、ベルギーその他のヨーロッパ諸国、中東・アフリカのイスラム教徒たちから恨みをかうことになれば、今回のようなテロが再び起こる可能
性は十分にあります。

もし、本気でテロを根絶しようとするなら、アラブ・イスラム系住民やイスラム教にたいする偏見を止め(注1)、彼らの貧困問題に真剣に取り組
み、職業や教育においもフランス人と同様の配慮をすべきでしょう。

フランスがアラブ系住民の移民を受け入れてきたのは、かつて中東やフリリカで植民地支配を行ったという経緯があるからです。

したがって、こうした異文化社会の住民との平和的な共存に努力することは、フランスの責任でもあります。

ある西欧の旅行者が中東を訪れたとき、現地の人から「自分たちが一番つらいのは無視されていることです」と言われたそうですが、この言葉
が、いまだに私の心に突き刺さっています。
 
西欧社会も多くの日本人も、果たしてイスラム教やアラブ世界にたいしてどれほど関心をもち、正しく理解し、尊敬を払っているでしょうか?

私たちが、いかにアラブ・イスラム系の人たちを無視しているかは、たとえば、パリのテロ事件の前日、12日にベイルートでの自爆テロで、死者
43人、負傷者200人以上出した自爆テロが起きました。これも、ISが犯行声明を出した点は、パリのテロと同じです。

しかし、パリの場合、西欧諸国も日本もこぞって哀悼の意を捧げ、G20では特別声明まで出したのに、ベイルートの事件は、ほとんど無視され
ています。

これらの国にとって、白人が死ねば大事件なのに、それ以外の人々については非常に冷淡です。

西欧社会も日本人も、それが当たり前のようになってしまっていることが問題です。

「無視されることが一番つらい」という言葉の背後には、こうした西欧社会の人種差別、宗教的偏見にたいするアラブ・イスラム系の人々の根強い
不信感と怒りがあるのです。

これは決して他人事ではなく、私自身の自戒も込めて、日本人も反省すべき問題だとおもいます。

(注1)たとえば2015年1月7日の『シャルリー・エブド』誌のムハンマドの風刺画は、イスラム教徒にとっては明らかにイスラムを揶揄するものだと受け
    取られたのです。この事件に関しては、本ブログの2015年5月8日の記事「ムハンマドの風刺画展―言論の自由か冒涜か」で詳しく書いています。

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日米防衛協力のための指針(2)―安倍政権はなぜ軍事化を急ぐのか―

2015-05-21 07:06:13 | 国際問題
日米防衛協力のための指針(2)―安倍政権はなぜ軍事化を急ぐのか―

前回検討したように,再改定された日米防衛協力のための「新指針」は,従来の内容を大幅に踏み出しています。

これまでの指針では,日本の安全保障の基本は専守防衛で,自衛隊の海外派兵は,従来の憲法やその他の法律,政府の公式見解
などで歯止めがかかっていました。

新指針でも,一応,専守防衛を基本とするとは書かれていますが,前回の記事で見たように,例えば中東におけるアメリカの戦争の
後方支援を行えば,実質的に専守防衛ではない戦闘行為を行うことになります。

これらのことを可能にする法整備を,今国会で一気に決着しようとしています。

しかも政府は,そのために10の法案を一つにまとめて一括審議してしまうという,いわば禁じ手を使って,海外派兵を可能にしよ
うとしています。

これについては,国会の審議の過程を見ながら別途,検討したいと思います。

今回の新指針では,アメリカは新たな責務を全く負うことなく,日本の負担だけが増える内容になっています。

それにもかかわらず,安倍政権は,なぜこれほど「戦争ができる国」にしようと急ぐのでしょうか?

これには近年急浮上してきた問題と,安倍首相の個人的な思想傾向と野心があります。

まず,急ぐ理由としては,中国に対する脅威・恐怖が,尖閣列島の問題を契機として,ここ数年,急浮上してきたことが挙げられ
ます。

2010年に中国のGDPが日本を抜いて世界第二位になったことは,安倍首相の心に大きなショックと恐怖を与えたと思われます。

事実,このころから,中国の軍事力増強は顕著になり,尖閣諸島を巡るさまざまな活動が活発化してきました。

昨年のオバマ大統領訪日の際に,彼の口から「尖閣諸島」という言葉があっただけで,政府は「満額回答」と大喜びしたことを考
えれば,安倍首相の恐怖心の大きさが分かります。

恐らく,安倍首相も軍事専門家も,日本だけでは中国に対抗できないと考えており,どんな犠牲をはらってでもアメリカの助けが
必要だと考えているようです。

たとえば,日本にはほとんど利益がないTPPに参加することを決めたのも,中国と北朝鮮の脅威に対抗するため,アメリカの要
請に従った経緯があります。(注1)

確かにアメリカは,「日本の施政権下にある領土は安保条約の対象である」とは述べています。

しかし,新指針では,いざ実際に戦闘が始まった時,アメリカは直接に戦闘に加わることなく,あくまでも「支援」と「補完」にとどま
ることを,何度も繰り返しています。

次に,安倍首相は,日本の安全はアメリカの庇護によって初めて確保できる,とかたくなに信じているフシがあります。

したがって,自民党政権,とりわけ安倍政権と外務省は,主要な外交方針として,いかにアメリカに喜んでもらえるか,褒めてもら
えるか,が大きな課題となってきました。

そのためには,何よりもアメリカに対して競って忠誠心を示すことになります。

現在のアメリカは財政的にも軍事力(とくに兵力)の面でも,非常に厳しい状況に置かれています。

安倍政権は,こんな時こそ,アメリカに対する忠誠心を見せる好機であると考えたのでしょう。

そのために地球上のどこであろうと,アメリカの戦争を支援し,時には肩代わりすることを「新指針」で日本側から持ち出したのです。

アメリカ側からすると,「満額回答」以上の「望外の成果」を得たことになります。

最後に,見逃してはならいのは,新指針に見え隠れする安倍首相の個人的な思想と野心です。

安倍首相は,「積極的平和主義」という言葉で,平和維持のために日本の軍事活動を世界に展開することを内外に示しています。

新指針の裏付けとなる,国内の安保法制でも,「平和安全法制整備法案」(10の重要な法律を一括して一つの法案としている)と
「国際平和支援法案」を閣議決定し,国会に提出しています。

これらの安保法制については,別の機会に詳しく検討しますが,これらの法案の真意は,アメリカとの軍事行動を共にすることの
他に,日本の軍事力を世界のあらゆるところで行使したい,という野心がうかがえます。

安倍首相には,世界第三位のGDPをもつ日本の力を,経済力だけでなく軍事力においても世界に示したい,という大国意識が強く
あるように思えます。

安倍首相が事あるごとに言ってきた「日本を,取り戻す」,あるいは「戦後レジームからの脱却」というスローガンは,彼の悲願でも
あります。

問題は「日本の何を取り戻すのか」という中身です。おそらく,安倍首相には,「強い日本」が念頭にあるのではないでしょうか。

その「強い」というのは,明治以降日本が目指してきた「富国強兵」に象徴される軍事的な強さが中心にあると思います。

それに付随して,倫理,道徳,歴史認識,教育などの領域でも戦前回帰のナショナリズム的傾向が顕著です。

次に,「戦後レジームからの脱却」の中心は,敗戦とともにアメリカの占領のもとに作られた憲法,とりわけ戦争の放棄を謳った
「第九条」を破棄して,戦争ができる国に作り変えることです。

一言でいえば,安倍首相にはナショナリズムと国家主義(国家があってはじめて国民が存在する,国家優先の考え方)が根底
にあります。

しかし,アメリカとの関係で言えば,これには危険要素をも含んでいます。

つまり,日本があまりにも軍事的に強くなり,アメリカのコントロールを外れることは,決してアメリカの利益にならないのです。

たとえば,日本政府が中国に対して強硬策をとり,軍事衝突でも起こされると,アメリカとしては安保条約の手前,日本に何らか
の支援をしなければならないからです。

他方,米中は戦争しないことをお互いに了解しているので,アメリカが日中の衝突に軍事介入することはありえません。

そこで,アメリカは,日本を「支援」するというリップサービスを繰り返すと同時に,日本には中国との対立・緊張を和らげるよう
圧力をかけているのです。

以前,中国の警告にもかかわらず,安倍首相が靖国神社の参拝に行こうとしたとき,わざわざ特使を派遣してやめさせようと
したのは,このような配慮からでした。

もう一つの「戦後レジームからの脱却」についていえば,「戦後レジーム」を構築してきたのはほかならぬアメリカだったのです。

「戦後レジームからの脱却」とは,その体制を否定し,日本独自の道を歩むことを意味します。

アメリカも,安倍首相の,このようなナショナリズムには警戒感をもって見ていると思います。

ただ,今のところ,日本の自衛隊はアメリカの意向に逆らって海外で軍事行動を起こす心配はないと見ているのでしょう。

そうであれば,アメリカとしては,今度の新指針では,何らの追加的負担をすることもなく,アメリカが期待する以上のものを日本が
が差出してくれたおかげで,得るものだけを得たわけですから,笑いが止まらない,といったところでしょうか。


(注1)たとえばこのブログの2013年3月17日の記事「TPP交渉参加の背景と意義(3)-TPPは本当に日本にとって利益に
    なるのか-」でも書いたように,日本はTPPに加入して得られる実施的な利益はないのに,これに加わる理由として,
    ある政府関係者が,「対中国・北朝鮮で米国と連携を保つためにTPP参加は不可避との声が強かった」と,打ち明け
    ています。
    さらに,事前交渉が合意に達した3月12日の夜,NHKの「ニュースウォッチ9」に出演した安倍首相は,“何かことが
    起これば,アメリカの若者が日本のために血を流してくれるのですから”という主旨の発言をしています。
    “何か”あるいは“一旦事が起これば”といったニュアンスの表現は,明らかに,尖閣列島や竹島問題で中国や韓国と
    軍事的な衝突が生じたら,アメリカが参戦してくれることを指しています。
    しかし,これが非現実的な期待であることは,何度も書いた通りです。日本にとって深刻な問題は,アメリカの軍事的な
    介入がまったく非現実的であることを,当の首相も自民党自覚していないことです。私は,この発言で何とも言えない
    暗澹たる気持ちになりました。

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日米防衛協力のための指針(1)―日本は負担増 米国は高笑い―

2015-05-14 10:30:47 | 国際問題
日米防衛協力のための指針(1)―日本は負担増 米国は高笑い―

日米の外務・防衛担当閣僚は,3月27日,集団的自衛権の行使を前提とした日米防衛協力指針(ガイドライン)の再改定に
合意しました。(注1)

ガイドライン(以下に「指針」と略記する)とは,防衛に関する日米の役割分担を規定するもので,現行の指針は18年前の
1997年に改定されたものです。

1997年の「指針」は日本有事のほか、朝鮮有事を念頭に日本周辺で武力衝突が起きた場合の自衛隊と米軍の役割分担を定めて
います。

そして今回,日米政府は,再改定された新指針に基づいて,自衛隊と米軍の共同作戦の策定に入ることになります。

新指針は,従来のそれとは基本的に大きく異なり,日本の防衛は新たな段階に入りました。

まず,全体が,「集団的自衛権」の行使を前提とし,他国のために武力を用いることを認めていることです。

前回の「指針」は,日本とその周辺の安全確保に主眼を置いていますが,新指針は日本を守るための協力体制を見直しただけ
でなく、自衛隊による米軍支援の地理的範囲を,「アジア太平洋地域及びこれを越えた地域」とし,実質的に地位的限定を外
しました。

これにより,日米同盟が「グローバルな平和と安全」のための協力を目指すことが強調されました。

今後は,「日本の平和と安全に重要な影響を与える事態が起きた」と判断すれば南シナ海や中東といった日本から離れた場所
でも、そこで戦う米軍に自衛隊が補給などの後方支援を行うことを盛り込みました。

しかし,これには大きな問題があります。

というのは,1997年の「周辺事態法」は朝鮮有事を念頭においていました。

したがって,もし,手順としては,まず「周辺事態法」を改定ないしは破棄しなければならず,そのためには国会の承認が必
要です。

しかし,これについては法案が国会に提出さえされておらず,これから審議が始まろうとしている段階なのです。新指針は,
法律を先取りしています。

一般論として「指針」には法的な拘束力はないし,条約ではないので国会の承認も必要ではありません。

しかし,この「指針」に基づいて日本は軍事行動をすることを「約束」していることを考えると,国内法で認められていない
事項を合意したことは問題です。

さらに,日本の憲法もこれまでの政府解釈でも,日本の自衛隊は,攻撃されたら自国を守るために反撃する「専守防衛」を
基本としてきました。

今回の合意文書でも「日本の行動及び活動は専守防衛,非核三原則等の基本的な方針に従って行われる」と明言しています。

しかし,もし,米軍を支援するために中東などへ出かけてゆくならば,どんな理屈をつけてもそれは「専守防衛」ということ
にはなりません。

慶応大学の小林節名誉教授(憲法)は,「新指針(ガイドライン)は自衛隊の活動範囲を取り払い,『防衛』にとどまらない
活動も認めている,憲法九条の完全な無視だ。」と述べた後,現状は「憲法停止状態」にあると批判しています。

ここで「防衛にとどまらない活動」とは,戦時の機雷掃海や日本の他国軍支援,国連平和維活動(PKO)での日米協力を指し
ます。

小林氏はさらに,
    再改定の手法は,まるでクーデター並だ。専守防衛の原則を改めるなら,本来は国民投票を含む改憲手続きが必要。
    そこから立法化に進み,外交へというのが筋だ。
    安倍政権は現憲法を無視して指針(ガイドライン)を再改定し,新指針を受けて,安保法制を整備する考えだ。
    そうして実質的な改憲を進めようとしている。
と,「逆上がり」的な手法を批判しています(『東京新聞』2015年5月2日)。

また,新指針では,日本が攻撃を受けなくても,「日本の平和と安全に重要な影響を与える事態」であると想定されれば,
軍事力を行使できることになっています。

しかし,その判断は時の政府が主観的に決めることになり,明確な基準はありません。

なお,日米の後方支援の内容として「補給,整備,輸送,衛生をふくむが,これらに限らない」と書かれていますが,具体
的にどこまで含むのかあいまいです。

現実には,前線を孤立させるために弾薬や燃料,食料を補給や輸送する後方支援部隊を狙うのは軍事上の定石であり,日本
の自衛隊に戦死者がでることは十分予想されます。

政府は,これから審議が始まる安保法制で,これらに加えて治安維持や駆けつけ警護(注2)も加えることにしています。

これにたいしてNPO法人「ピースデポ」の塚田晋一朗事務局長は,治安維持には検問や巡視が含まれるが,現地で自爆テロや
襲撃の対象になりやすい。

実際,イラク戦争で命を落とした米軍兵4千人のうち,大半は治安維持活動中に亡くなったという,と危惧を述べています
(『東京新聞』2015年5月2日)。

ドイツはアフガニスタンで展開する国際治安支援部隊に派兵しました。当初はあくまで「復興支援」として参加した活動は,
戦況の悪化とともに「戦闘」になり,12年間で55人の犠牲者を出したのです。

犠牲者を出す一方,ドイツ兵は検査を避けようとした車に発砲して市民3人を殺してしまいました。

さらに,ドイツの軍責任者の命令で,誤爆により市民100人以の犠牲者をだしたこともあります(『東京新聞』2015年5
月10日)。

要するに,「後方支援」といっても殺されることも,市民や敵を殺すこともあり得るのです。

さて,私は,今回の再改定されたガイドラインには,以上の法律的問題,実際の戦闘行為に巻き込まれる危険性の問題の他

少なくとも4つの大きな問題があると感じています。

まず第一に,新指針で,アメリカ側は何一つ新たな追加的な負担は無いのに,日本だけ,アメリカの支援のため,地域的にも
軍事行動の中身の面でも非常に大きな責務を負うことになりました。

逆にアメリカは,これにより,実際の軍事行動の面でも財政の面でも,一部を日本側に肩代わりさせることができたのです。

第二に,新指針では日本が武力攻撃を受けた場合の対応で,尖閣諸島(釣魚島)をはじめとする南西諸島など、中国の台頭
で脅威が高まっている島しょ部に対する対応が盛り込まれました。

しかし中身をみてみると,その場合,日本が新設する水陸両用部隊を中心に、自衛隊が主として上陸阻止、奪還作戦を行い、
米軍が「支援」するとしています。

これは,島しょ部での問題だけでなく「日本の平和および安全にたいして発生する脅威への対処」,さらに「日本にたいする
武力攻撃への対処行動」に含まれるすべての場合において,日本が主体となって戦い,アメリカは「日本と緊密に調整し適切
支援」を行う,ことあるいは「補完」する,と規定されています。

ここで支援と補完とは具体的に,どこまで米軍が関与するのかは,一切記述がありません。多分,情報の
提供や周辺の監視くらいでしょう。

新指針は全体として「米軍関与 弱める記述」となっているのです『東京新聞』(2015年5月2日)。

昨年オバマ大統領が来日した際,もし中国が尖閣諸島に上陸し,日本との軍事衝突が起きた場合,アメリカはどうするのかを
聞かれました。

その時オバマ氏は,そうならないように両国で外交的に解決してほしいとのべ,米軍が軍事的に介入することは否定しました
(注3).

大体,誰も住んでいない島を守るために,アメリカが中国と戦争し若者の血を流すことを,アメリカの議会が認めることなど
現実的に考えられません。

もし安倍政権が,アメリカの軍事介入を期待しているとしたら,とんでもない勘違いです。

しかし,アメリカはこの勘違いの期待に付け込んで,「尖閣」を言葉にだすことによって,最大限の利益を日本から引き出す
ことに成功したといえます。

第三に,中国政府は,今回の新指針が発表される前にアメリカから内容の通知があったことを明らかにしています。

アメリカは中国に直接的な軍事行動をとらないこと,もっといえば,米は中国と裏で密接に連携し,中国の了解を取りつつ
日米防衛協力指針の再改定を進めたことを物語っています。

これを考えれば,日本の自衛隊が米軍とともに海外派兵する内容があっても,中国側から何の非難も抗議も出なかった理由が
よく分かります。

日本への武力攻撃対処について,米軍関与が薄まる記述となった点を,安全保障担当の内閣官房副長官補だった柳沢協二氏は
「中国と争いごとに巻き込まれたくない米国の本音が見え隠れする」とコメントしています(『東京新聞』同上)

今回の再改定は,尖閣をめぐる中国との対立にアメリカを日本側に引き込み,抑止力を高めようの狙いをもって,日本側から
持ち掛けました。

しかし結果をみると,アメリカ側は新たな軍事的責務を一切負うことなく,自衛隊を米国の世界戦略に積極的に関わらせるこ
とに成功しました。

アメリカはもはや,かつてのように世界を「一極支配する」軍事的,政治的,経済的な力はありません。他方,中国はあらゆ
る領域で力をつけてきました。

したがって,アメリカは中国と折り合いを付けながら世界戦略を考えざるを得ないのです。

米中関係を含めて,世界のパワーバランスは変わったのです。

この点を見誤って,アメリカを引き込んで中国へ対抗しようとする安倍政権は,冷戦期の発想から抜け出ていないし,何とも
「おめでたい」役役割を演じている印象をぬぐえません。

アメリカにとって「尖閣」という言葉は,それを口にすることで日本は何でも言うことを聞く,「打ちでの小槌」なのです。

最後に,これまで日本はアラブ諸国と敵対したことはありませんが,反イスラム戦争を仕掛けてきたアメリカの軍事行動の支援
をおこなうことで,日本もアラブ諸国の敵とみなされるようなります。

これは,戦後,日本がこの地域で築いてきた信用と信頼という途方もなく貴重な外交上の財産を台無しにすることになります。

安倍政権は,この点をまったく配慮していないかのようで,私はとても危惧しています。


(注1)合意の全文は,新聞各紙が報じています。たとえば『東京新聞』(2015年4月28日)を参照。その内容を分かり易く
    解説した『ロイター』(2015年4月27日)の記事は有用です。
    http://www.huffingtonpost.jp/2015/04/27/guideline-japan-amerika_n_7152840.html
(注2)「駆けつけ警護」とは,KOで活動中の自衛隊が、他国軍やNGOなどの民間人が危険にさらされた場所に駆けつけ、武器を使って助けること。
(注3)この点に関しては,本ブログの2014年,5月4日の「オバマ大統領訪日―オバマの誤算と手玉に取られた安倍首相-という記事で詳しく書
    いています。

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ムハンマドの風刺画展―言論の自由か冒涜か―

2015-05-08 23:38:49 | 国際問題
ムハンマドの風刺画展―言論の自由か冒涜か―

5月3日,アメリカのダラス近郊のガーランド市で開催されていた,イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画展で,
発砲事件が発生しました。

容疑者の男2人は警官に射殺され,警備員1人は負傷したが命に別状はありませんでした。

この展示会は,ニューヨークに拠点がある,反イスラム団体「米国の自由防衛構想」が主催したもので,最優秀
作品には1万ドル(約120万円)の賞金が与えられることになっていました。

ここで,「最優秀作品」とは,具体的にどのような基準なのかは分かりませんが,おそらく,いかにムハンマド
を面白おかしく戯画化したか,という点であろうと想像されます。

この風刺画展には,なぜか,反移民などを主張するオランダの極右政党,「自由党」の党首も出席していました。

事件後,主催団体は「表現の自由への攻撃だ」と非難しました(『東京新聞』2015年5月5日)。

この事件に関連して,「イスラム国」を名乗る人物から,「アメリカ人に告ぐ。おまえたちはIS(「イスラム国」
)戦士による恐ろしい出来事を目撃するだろう」と新たなテロの予告が出されました(『東京新聞』2015年5月
6日)。

これが,本当に「イスラム国」の組織的な指令に基づいて行われたテロなのか,単に名乗っただけなのかは明らか
ではありません。

いずれにしても,「イスラム国」の影が出現したことで,米国内に新たな緊張をもたらしたことは確かです。

それにしても,ムハンマドの風刺画を公に展示するとイスラム教徒がどのように思い,どんな反響があるのかは,
パリの事件で十分分かっていたはずなのに,なぜ,敢て,このような展示会を賞金付きで開催したのでしょうか?

今のところ,今回のアメリカにおける事件が,どの程度の背景をもち,今後どのような広がりもつのかは分かり
ません。

ただ,ムハンマドの風刺画,反イスラム,反移民,極右政党党首の出席,という事情を考えると,今年1月7日
にパリで発生した事件とどこか底流には共通性があるような気がします。

そこで,パリの襲撃事件とその後の反響を簡単に見てみましょう。(注1)

パリの事件とは,ムハンマドの風刺画(注2)を掲載したことに反発して,イスラム系移民2人の兄弟がフランス
の週刊誌『シャルリー・エブド』社の建物に侵入し,12人を射殺したうえ,最終的には17人を死亡させ,20
人以上に怪我を負わせた襲撃事件です。

フランス政府は事件の直後に,これは「言論の自由」「表現の自由」を否定するテロであり,テロとは徹底的に戦
うことを宣言しました。

フランス政府が呼びかけた抗議の行進には,フランス国内で370万人,欧州をはじめ,世界の約50か国の首脳・
閣僚も加わり,パリ以外の欧米都市を含めると500万人が行進に参加したと報じられました。

さらに,『シャルリーエブド』誌の発行部数は通常5万部くらいですが,問題となった風刺画が掲載された週刊誌
は需要に追い付かず,500万部も増刷されました。

これほど多くの人が行進に参加し,途方もない数の週刊誌が増刷されたことに,私は異様さと不気味さを感じます。

これらの現象が,純粋に言論の自由が暴力によって脅かされたことに対する抗議であったのかどうかは疑問があり
ます。

私も,パリとダラスで起こったような,言論の自由と表現の自由を暴力で圧殺しようとすることは許されない,
という立場です。

しかし,偶像崇拝を禁じているイスラム教において,その始祖ムハンマドを戯画化することは二重にも三重にも,
絶対に許せない冒涜です。

『シャルリー・エブド』誌の編集者は,「表現の自由は,条件や制限が付いたものではない」「すべては許される」
「ユーモアを理解すべきだ」と主張しています。

しかし,ムハンマドの風刺画をみたイスラム教徒人が,これにユーモアを感じることはありえません。

そもそも風刺とは,弱者や少数派がユーモアを交えて権力を批判し揶揄する手段であり,文化です。

しかし,フランスやヨーロッパ,さらにはアメリカにおいても,イスラム教徒はマイノリティーなのです。

しかも,宗教と人種を理由に他人を攻撃する言動は国際的理念に照らしても「ヘイトスピーチ」に相当します。

もうひとつ,気になることがあります。パリの襲撃事件をきっかけとして,フランスでは反イスラムと反移民を
旗印とする極右政党NF(国民戦線」)がテロへの国民的怒りに乗じて活発になりました。

また,ドイツでも「西欧のイスラム化に反対する愛国的な欧州人」(通称ベギータ)と類似団体が今回の事件の後,
各地でイスラム集会を行い
ました。

しかも不気味なことに「ベギータ」の動きはスペイン,ノルウェー,スイス,オーストリアでも活発化しました。

反イスラムの動きが活発化した背景には白人系ヨーロッパ人の貧困層の不満があります。

彼らはその原因の一部は移民労働者(特にイスラム圏からの)にあるとみなしています。

こうした事情を背景に,反イスラム主義と人種差別主義が結びついた西欧世界の右傾化の動きが活発化しました。

他方,イスラム系移民は,就職や教育で差別され貧困を余儀なくされ,ヒジャブ禁止令に見られるようにイスラム
教に対する無理解と宗教的差別を受けているとの不満があります。

こうして見てくると,イスラム教徒の激しい反撥が分かっていながら,ムハンマドの風刺画展を開催することの背景
には,いくつかの要因が考えられます。

一つは,イスラムに対する欧米社会の人種的・文化的偏見です。

二つは,欧米社会におけるイスラム系住民の増加です。これは,特に下層白人層にとって労働市場で競合するという
意味で潜在的な脅威です。

三つは,上の問題と関連していますが,欧米社会において他民族(特にイスラム圏))の排斥を旗印とする極右勢力
の台頭という大きな流れです。

今や欧米社会は,政治・経済・社会・文化の全ての面で異なる要素を受け入れる寛容性を失いつつある,ということ
になると思います。

それは,これまで欧米社会が認めてきた,最も広い意味での「多文化主義」の衰退を意味するのかも知れません。

次回から,2回にわたって,現代の欧米社会における「多文化主義」は結局のところ失敗したのかどうか,という
問題を考えてみたいと思います。

(注1)パリの襲撃事件の経過,それにたいするフランス政府の反応,ヨーロッパ各国の反イスラムの動きについての日本のメディアについては,
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11549198.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11549198
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11549127.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11549127
http://mainichi.jp/select/news/20150114k0000e030168000c.html
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO81862210T10C15A1I00000/?dg=1
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO75366460X00C14A8000056/
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11551233.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11551233 を参照。
また,海外メディアでは,ニューヨークダイムス(2015.2.18)がドイツの反イスラムについて詳しく論評している。
http://www.asahi.com/international/list/nytimes.html?ref=cmail_select
(注2)このブログでは敢て,風刺画そのものは載せませんが,インターネット上で「シャ
  ルリーエブド,風刺画」で検索すれば,さまざまなサイトで見ることができます。

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かつてオランダ風車の周りに咲き乱れていたチューリップは消えてツツジが咲き乱れています。


サイクリングロード沿いの桜に変わって,主人公はツツジになっていました。



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戦争とジャーナリスト(1)―後藤健二氏の志―

2015-02-09 04:31:18 | 国際問題
戦争とジャーナリスト(1)―後藤健二氏の志―

私たち日本人の解放への期待もむなしく,「イスラム国」に拘束されていた湯川遥菜さんと後藤健二さんのお二人は
殺害されてしまいました。心からお悔やみ申し上げます。

これまで,中東での戦争は日本人にとって,遠い国の出来事でした。しかし,湯川さんと後藤さんの拘束,そして殺害を機に,
日本人の中東への関心が一挙に高まりました。

お二人の拘束から殺害にいたる経緯については不明な点が多く,現段階では全体像を描けません。これについては後日,
もう少し事実関係が明らかになった段階で書きたいと思います。

今回は,戦争(あるいは紛争)とジャーナリストの問題を,後藤さんの取材姿勢,とりわけその「志」に絞って考えてみようと思います。

こ問題を考える時私には,個人的にずっと心に引っかかっている過去の出来事があります。

それは,ベトナム戦争当時,私の後輩がフリーランスのジャーナリスト(注1)としてベトナム入りしました。

彼は米軍のヘリコプターに乗せてもらい取材に向かいましたが,不運にも,そのヘリコプターが撃ち落とされ,後輩は命を失いました。

当時,ベトナム戦争で命を落としたジャーナリストは多数いたと思いますが,自分の後輩となると,非常に複雑な気持ちでした。

戦争という悲惨な行為の実情を当事者の政府なり代表なりがそのまま伝えることは,ほとんどありません。

また,新聞,テレビ,通信社などの大手メディアは社員を,危険な場所に派遣することはめったにありません。

戦争ではなくても,2011年3月11日の東日本大震災によって引き起こされた福島第一原発の爆発事故の際にも,
大手メディアは社員に,直ちに原発から50キロ以上離れる指令を出したのです。

この時,放射能を浴びる危険を冒して,汚染された地域で何が起こったのかを取材したのは,日本人よりは,
むしろ外国人のフリーランスでした。

ところで,アメリカは戦後,「世界の警察」を自称し,中南米,アフリカ,中東など,あちこちで戦争をしてきました。

戦後の主要な戦争のほとんどはアメリカの主導によって行われたと言っても過言ではありません。

ところが,アメリカ政府がその実態を自ら写真や文書の形で公表することはありませんでした。

このような状況のなかで私たちは,フリーランスが戦地に入って撮った写真や記事を通して戦争の実態の一部を知ることができたのです。

たとえばトナム戦争当時,フリー・ジャーナリストが撮った,戦火の中を裸で走りながら逃げている少女の写真,
捉えられた反政府の兵士が,道端でピストルによって撃ち殺される瞬間の写真,僧侶が戦争に抗議して焼身自殺する写真,
ソンミ村の虐殺の記事,などがアメリカ国内に反戦運動を巻き起こしました。

私たちは,こうした報道がベトナム戦争を終結に導いた大きな要因になったことを知っています。

これらは,戦争の実態,とりわけ戦争の悲惨さ,残虐性,理不尽さを世界の人々に訴える力をもっています。

ベトナム戦争で,フリーランスによる報道が社会に大きな影響を与えることに危機感を感じたアメリカ政府は,
湾岸戦争(1991年)以降,情報のコントロールを徹底します。

その代表的な方法は,軍の部隊が率先してジャーナリストを戦車その他の車両や航空機に乗せて取材させる,
いわゆる「部隊同行(embedded)取材」です。

この方法は,ジャーナリストにとってはある程度の安全が保障され,個人では立ち入れない場所に立ち入ることができるという
メリットがあります。

この点だけを考えれば,大手メディアの取材記者などにとっては便利な取材方法です。その反面,「同行する部隊」
は見せたくない光景は見せず,見せたい場面だけを見せます。

こうした取材方法は,事実を伝えるというジャーナリズムの精神に反しており,むしろ同行する部隊,
それを動かしている政府の宣伝に利用されていることになります。

今回のシリア,「イスラム国」への取材には,この「部隊同行取材」さえありませんでした。

たとえ「部隊同行取材」が可能であったとしても,後藤さんはそれを利用することなく,おそらく単独でシリア,
「イスラム国」に入っていったと思います。

後藤さんの死がほぼ確認された後,日本人のジャーナリストや紛争地域での支援活動をしている人たちの間に,
「後藤さんの志,私たちが」という声がわきあがりました。

では,「後藤さんの志」とは,一体,何だったのでしょうか?

最ももよく引用されるのは,子ども,老人,女性など戦火の中で弱い立場の人々に寄り添っている姿勢です。
実際,彼らの実態が国際的なニュースなどで光が当てられることはほとんどありません。

ところが,彼が残した映像には,戦火で被害を受けた子どもたち,女性,老人が頻繁に登場します。

この点と並んで,あるいはそれ以上に私が共感するのは,彼が,どこかの学校で講演で語った彼のジャーナリストとしての哲学です。

言葉は正確ではないかもしれませんが,おおよそ,以下のような趣旨でした。

戦場に入るジャーナリストの仕事は,危険な場所に立ち入って悲惨な実情を伝えることではありません。

そうではなくて,そんな悲惨な状況の中でも,人々は何かに喜びを見出し,何かを悲しんでいる。
その日常の生活を伝えることがジャーナリストの最も大切な仕事なんです。

一言でいうと,彼のジャーナリストとしての立脚点は,ヒューマニズムであると言えます。これは,キリスト教徒としての,
人間「後藤健二」の人生哲学でもあるのでしょう。

後藤さんの「志」を引き継ごうとしている人たちも,是非,この立場を理解してほしいと思います。

後藤さんは,いくつか,彼の思想や行動を表現した言葉を残しています。

   目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは
   人の業にあらず、裁きは神の領域。そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。

後藤さんが,シリア入りする前に,カメラの前で,自分がどうなっても,シリアの人を憎まないでください,
と語った,あの言葉を思い出します。

ここでは「アラブの兄弟たち」としていますが,キリスト教徒としての言葉でもあるかもしれません。いずれにしても,
後藤さんの言動には,宗教的な背景を感じます。

また,ジャーナリストの使命と苦しさについて,次のように気持ちを吐露しています。

   そう、取材現場に涙はいらない。ただ、ありのままを克明に記録し、人の愚かさや醜さ、理不尽さ、悲哀、
   命の危機を伝えることが使命だ。
   でも、つらいものはつらい。胸が締め付けられる。声に出して、自分に言い聞かせないとやってられない。(注2)

ここでは取材現場での辛さを正直に語っています。現実を直視し,伝えることが使命であるにしても,やはり,
時には絶叫したくなる時もあるのでしょう。

日本におけるフリーランサーの地位について。
   ジャーナリズムに関して、もう欧米と比べるのはやめた方が良い。虚しいだけで何より無意味。
   情報を受け取る個人の問題。日本にジャーナリズムが存在しえないことや
   フリーランサーの地位が低いのは、3/11の前からわかっていたこと。今ある結果と
   して変えられなかったことは自戒すべきことと思う」

フリーランスと大手メディアとの関係を示す事例として,元NHKプロデューサーで特報番組「クローズアップ現代」
を担当した水田浩三氏は,イラク戦争末期のエピソードを語っています。

   イラク戦争でバグダッドが陥落した際,米軍に随行するNHKの取材映像は喚起する市民ばかりが映っていたが,
   後藤さんの映像は市民の複雑な表情も捉えていた。ところが,NHKの取材映像を使うよう命じられた。
   (『東京新聞』2015年2月4日)

日本においてフリーランサーが欧米ほど高く評価されていないのは,自分たちの力のなさの結果である,
との自戒の弁です。

この自戒をもって,ひたすら自分の使命を遂行してきた姿勢をよく表しています。

ところで,後藤さんを知るジャーナリスト仲間は,彼の活動について,どのように感じていたのでしょうか。

フォト・ジャーナリストの橋本昇氏は「後藤さんの志は立派だけど,どこかで判断を間違えたのかなあ・・・・。
死んだら終わり。引き返す勇気もひつようなんだよ」と後藤さんの死を惜しんでいます。

私も,橋本氏と同様,今回のシリア入りには,後藤さんに何か読み違いがあったのかもしれない,と感じています。

それでも,橋本氏は「自己責任論」に対して,「ジャーナリストはみな覚悟している」と反論し,
「それでも,なぜそこで戦争が起きているのか,弱者が何に苦しんでいるのかは,潜入しなければ分からない。
生きてこそ伝えられたのに」と無念を語っています。

後藤さんを知り,後藤さんの活動を高く評価してきたジャーナリスト綿井健陽氏は,「ジャーナリストは,
声を出せない人たちの代弁者だ」と言いつつ,「どうか,後藤さんを英雄視しないでほしい。

彼が伝えようとした多くの民衆の死を想像してほしい」と語っています。(以上,『東京新聞』2014年2月5日)

後藤さんの母,石堂順子さんは,「悲しみが『憎悪の連鎖』となってはいけない」,と語り,また兄純一さんは
「殺りくの応酬,連鎖は絶対にやめてほしい。平和を願って活動していた健二の死が無駄になる」と語りました。
(『東京新聞』2015年2月4,5日)

戦場に赴くジャーナリストの宿命を静かに受け入れるお兄さんの言葉が重く響きます。

(注1)大手メディアなどに属さない,個人ないしは,個人的な組織で活動するジャーナリスト。単にフリーランス,
    フリーと省略されることもある。
(注2)http://meigennooukoku.net/blog-entry-3608.html


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【「いぬゐ郷」だより】 冬に入り,作物栽培の農作業はほとんどありません。その代わり,
里山の間に広がる谷津の開墾を精力的に行いました。そして,1月には里山の一角に「エコトイレ」
を作成しました。竹で周を囲った簡単な作りです。


里山の竹を使った「エコトイレ」


一面,雑草,くずのツル,潅木に覆われていた放置水田もようやく耕作できるような耕地に変わりました。,
 







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