検証「新型コロナウイルス肺炎」(7)
―文化・芸術は「不要不急」か?―
新型コロナウイルスの脅威にさらされて緊急事態宣言下にある日本で、意外と注目されて
いませんが、深刻な問題があります。
それは、音楽、演劇、映画、スポーツ、さまざまな分野のエンターテイメントなどを含む
広い意味での文化がほとんど窒息状態にあることです。
というのも、これらの発表や公演は「不要不急」だと見なされているからです。
私は、ある有名なオーケストラ楽団に所属するトロンボーン演奏が、「私たちがやってい
る音楽は不要不急なのか」と寂しそうにつぶやいていたことに、とてもショックをうけ胸
が痛みました。
確かに、音楽がなくても私たちは生きてゆけます。しかも、コロナウイルスがまん延しつ
つある現状では、音楽会で多くの人が密集するのは危険が多すぎます。
しかし、もしそうなら、そうした音楽家の生活を保護するための経済援助を大幅にすべき
です。
同じことはスポーツでも演劇でも、美術展、落語、いわゆるエンタメと言われる「お笑い」
でも、人が集まる状況を生み出すことは全て、「不要不急」の一言で、活動の場を奪われ
ています。
政府も、カメラマン、デザイナー、プログラマーなど特定の会社や組織に所属せず、仕事
に応じてその都度契約する、いわゆるフリーランスへの給付を一部認めていますが、実態
は、これらの人たちの生活を保障するには、とうてい少なすぎます。
俳優2600人を背負う、「日本俳優連合」理事長の肩書をもつ、西田敏行氏(72)は、
改めて「アベNO」の声を上げました。
今年3月、理事長として、「私たちにとっては仕事と収入の双方が失われ、生きる危機に瀕
する事態。どうか雇用・非雇用のないご対応で、文化と芸術を支える俳優へご配慮下さいま
すよう」などと書いた要望書を内閣府と労働省に出しました。
それから2か月後お5月後半に、取材すると、「政府に要求したけど、歯牙にもかけない感じ。
残念ながら、われわれ表現者はあまり優遇されていない」とのコメントし、苦渋と怒りをに
じませたという。
コロナ禍で苦しんでいるのは俳優だけではありませんが、エンタメ業界は数千億円規模の損
害が生じています。しかし、政府からは抜本的な補償の話は今になってもないままです。
西田しが、「われわれ表現者」という言葉を使ったことには意味があります。もちろん、そ
れは「演劇」あるいは他の媒体での演技でもありますが、人間としての意見や考えを表現す
る、と言う意味での「表現者」という意味も含まれています。
検察庁法改正を強行しようとし、多くの芸能人が反対を表明したことについて水を向けると、
声を荒げて「改正案はおかしい!私もそう思います。果たしてそれをコロナが蔓延している
この時期に、政府が率先してやるべきですか。腹立ちますね、本当に!」と答えたといいま
す(『日刊ゲンダイ』2020年5月22日)。
同志社女子大学教授(メディア論)の影山貴彦氏は、「エンタメは不要不急だけど不可欠な
もの」との見解を示しています(『日刊ゲンダイ』同上)。
坂本龍一氏も、「『芸術なんて役に立たない』 そうですけど、それが何か?」と問いかけ、
積載量過剰のまま猛スピードで突き進む資本主義文明がわずかなりともバッファを
取り戻せるのかどうかは不明だが、そうしたゆとりや遊びという「無駄」をどれだ
け抱えているかは、少なくとも社会の成熟度の指標となる
とコメントしています(注1)。
たしかに、社会の成熟度というのは、いかに「無駄」―もちろん、本当は無駄ではないのです
が―をどれだけ抱えているかが指標となります。
なお、坂本氏も言及していますが、ドイツの文化大臣モニカ・グリュッタース氏は今年3月11
日に、「フリーランスの芸術家、文化産業従事者にも無制限の援助を行う」と発表したことは、
日本を含む世界各国で報道され、「文化大国」の矜持と姿勢を示すものとして賞賛と羨望を集
めました。
彼女は、また、「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命の維持に必要」とも言っ
ています。実に至言です。
私は、「生命の維持に必要」というところまで踏み込んでいる点が、意表を突く素晴らしい。
ここには、確かな哲学があります。日本の政治家にも是非、このような哲学をもって欲しい
と願わずにはいられません。
食べ物があれば生命は維持できますが、それと同じくらい芸術家(これは西田氏がいう「表現
者」でもいいし、エンタメの芸能人でもいいのですが)は、人として生きてゆくうえで必要で
あると。彼女は言っているのです。
実際に、3月、個人のアーティストなどを対象に、3か月最大9000ユーロ(約100万円)
を受け取れる制度を創設しました(『東京新聞』2020年5月20日)(注2)。
テレビでコメントを求められた、ドイツ在住の日本人の音楽家は、実際にすぐに振り込まれた、
と証言していましたから、大臣の施策は実施されたことは間違いありません。
日本の文化庁長官の宮田亮平氏は、自身が金属工芸のアーティストでありながら、コロナ禍下
にあって窒息しそうなアーティストや広く文化芸術・芸能を守るための情報を発信していない
し、まして、政府や財務省、経産省などと交渉することもありません。
残念ながら、文化庁長官という役職は、たんなる飾り物としか思えません。
考えてみると、現在の政権与党の中で、文化や芸術の重要性を哲学として認識している人は見
当りいません。
ドイツの文化大臣の
最後に、今回の新型コロナ禍で、エンタメ界の主たる担い手となったテレビのあり方について
考えてみます。
テレビ業界で起こったことの一つは、ドラマ撮影などができなくなったため、以前の番組の総
集編や名場面集のような再放送で時間を埋めていることです。
また、以前、見損なった番組や、改めて見たい番組を見ることができることは、決して悪いこ
とばかりではありません。
もう一つテレビのエンタメ界に起こったことは、リモート出演番組です。前出の影山教授は、
これによりニセモノと本物がはっきりした、といい、つぎのようにコメントしています。
まず、出演者が多すぎた。バラエティ番組のひな壇芸人のことです。大物芸人に必死
でゴマをする中堅芸人が並ぶ状態がもう何年も続いていましたが、ソーシャルディス
タンシングで出演者が大幅に削られ、いなくても問題なかった。情報ワイド番組では
何の専門知識もなりタレントや芸人が画面を埋めていたけれど、結局、専門家がいな
ければ井戸端会議にすぎない。・・・キャスターとアンカーと専門家がいればいいこ
とが明確になりました(『日刊ゲンダイ』2020年5月22日)。
私も、全く同感です。つまり、今まで、多くのバラエティ番組では、いなくても何の問題もな
いタレントが多すぎることがはっきりしたということです。
その反面、たとえ素人でも、その芸人がいるから番組が面白くなったり、あるいは専門家から
興味深い解説やコメントを引き出せる芸人は、生き残れるでしょう。
いずれにしても、これからは、実力がないニセモノ芸人はテレビのエンタメ界では不要となっ
たことは確かです。
今回の新型コロナ禍は、いわゆるタレントや芸人の中で本物とニセモノが峻別され、これから
はニセモノは生き残れない厳しい時代がやってくると思われます。
(注1)『朝日新聞』(デジタル 2020.05.22) https://www.asahi.com/and_M/20200522/12369021/?ref=and_mail_M&spMailingID=3451409&spUserID=MTAxNDQ2NjE2NTc4S0&spJobID=1240368046&spReportId=MTI0MDM2ODA0NgS2.
(注2)さらにくわしいグリュッター氏の政策については、Jazz Tokyo (2020年4月3日)を参照。https://jazztokyo.org/news/post-51270/
を参照。
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今年はコロナ関連で新たな言葉が出回りました。ここに佐藤氏の秀逸な風刺漫画を転載させていただきます。

―文化・芸術は「不要不急」か?―
新型コロナウイルスの脅威にさらされて緊急事態宣言下にある日本で、意外と注目されて
いませんが、深刻な問題があります。
それは、音楽、演劇、映画、スポーツ、さまざまな分野のエンターテイメントなどを含む
広い意味での文化がほとんど窒息状態にあることです。
というのも、これらの発表や公演は「不要不急」だと見なされているからです。
私は、ある有名なオーケストラ楽団に所属するトロンボーン演奏が、「私たちがやってい
る音楽は不要不急なのか」と寂しそうにつぶやいていたことに、とてもショックをうけ胸
が痛みました。
確かに、音楽がなくても私たちは生きてゆけます。しかも、コロナウイルスがまん延しつ
つある現状では、音楽会で多くの人が密集するのは危険が多すぎます。
しかし、もしそうなら、そうした音楽家の生活を保護するための経済援助を大幅にすべき
です。
同じことはスポーツでも演劇でも、美術展、落語、いわゆるエンタメと言われる「お笑い」
でも、人が集まる状況を生み出すことは全て、「不要不急」の一言で、活動の場を奪われ
ています。
政府も、カメラマン、デザイナー、プログラマーなど特定の会社や組織に所属せず、仕事
に応じてその都度契約する、いわゆるフリーランスへの給付を一部認めていますが、実態
は、これらの人たちの生活を保障するには、とうてい少なすぎます。
俳優2600人を背負う、「日本俳優連合」理事長の肩書をもつ、西田敏行氏(72)は、
改めて「アベNO」の声を上げました。
今年3月、理事長として、「私たちにとっては仕事と収入の双方が失われ、生きる危機に瀕
する事態。どうか雇用・非雇用のないご対応で、文化と芸術を支える俳優へご配慮下さいま
すよう」などと書いた要望書を内閣府と労働省に出しました。
それから2か月後お5月後半に、取材すると、「政府に要求したけど、歯牙にもかけない感じ。
残念ながら、われわれ表現者はあまり優遇されていない」とのコメントし、苦渋と怒りをに
じませたという。
コロナ禍で苦しんでいるのは俳優だけではありませんが、エンタメ業界は数千億円規模の損
害が生じています。しかし、政府からは抜本的な補償の話は今になってもないままです。
西田しが、「われわれ表現者」という言葉を使ったことには意味があります。もちろん、そ
れは「演劇」あるいは他の媒体での演技でもありますが、人間としての意見や考えを表現す
る、と言う意味での「表現者」という意味も含まれています。
検察庁法改正を強行しようとし、多くの芸能人が反対を表明したことについて水を向けると、
声を荒げて「改正案はおかしい!私もそう思います。果たしてそれをコロナが蔓延している
この時期に、政府が率先してやるべきですか。腹立ちますね、本当に!」と答えたといいま
す(『日刊ゲンダイ』2020年5月22日)。
同志社女子大学教授(メディア論)の影山貴彦氏は、「エンタメは不要不急だけど不可欠な
もの」との見解を示しています(『日刊ゲンダイ』同上)。
坂本龍一氏も、「『芸術なんて役に立たない』 そうですけど、それが何か?」と問いかけ、
積載量過剰のまま猛スピードで突き進む資本主義文明がわずかなりともバッファを
取り戻せるのかどうかは不明だが、そうしたゆとりや遊びという「無駄」をどれだ
け抱えているかは、少なくとも社会の成熟度の指標となる
とコメントしています(注1)。
たしかに、社会の成熟度というのは、いかに「無駄」―もちろん、本当は無駄ではないのです
が―をどれだけ抱えているかが指標となります。
なお、坂本氏も言及していますが、ドイツの文化大臣モニカ・グリュッタース氏は今年3月11
日に、「フリーランスの芸術家、文化産業従事者にも無制限の援助を行う」と発表したことは、
日本を含む世界各国で報道され、「文化大国」の矜持と姿勢を示すものとして賞賛と羨望を集
めました。
彼女は、また、「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命の維持に必要」とも言っ
ています。実に至言です。
私は、「生命の維持に必要」というところまで踏み込んでいる点が、意表を突く素晴らしい。
ここには、確かな哲学があります。日本の政治家にも是非、このような哲学をもって欲しい
と願わずにはいられません。
食べ物があれば生命は維持できますが、それと同じくらい芸術家(これは西田氏がいう「表現
者」でもいいし、エンタメの芸能人でもいいのですが)は、人として生きてゆくうえで必要で
あると。彼女は言っているのです。
実際に、3月、個人のアーティストなどを対象に、3か月最大9000ユーロ(約100万円)
を受け取れる制度を創設しました(『東京新聞』2020年5月20日)(注2)。
テレビでコメントを求められた、ドイツ在住の日本人の音楽家は、実際にすぐに振り込まれた、
と証言していましたから、大臣の施策は実施されたことは間違いありません。
日本の文化庁長官の宮田亮平氏は、自身が金属工芸のアーティストでありながら、コロナ禍下
にあって窒息しそうなアーティストや広く文化芸術・芸能を守るための情報を発信していない
し、まして、政府や財務省、経産省などと交渉することもありません。
残念ながら、文化庁長官という役職は、たんなる飾り物としか思えません。
考えてみると、現在の政権与党の中で、文化や芸術の重要性を哲学として認識している人は見
当りいません。
ドイツの文化大臣の
最後に、今回の新型コロナ禍で、エンタメ界の主たる担い手となったテレビのあり方について
考えてみます。
テレビ業界で起こったことの一つは、ドラマ撮影などができなくなったため、以前の番組の総
集編や名場面集のような再放送で時間を埋めていることです。
また、以前、見損なった番組や、改めて見たい番組を見ることができることは、決して悪いこ
とばかりではありません。
もう一つテレビのエンタメ界に起こったことは、リモート出演番組です。前出の影山教授は、
これによりニセモノと本物がはっきりした、といい、つぎのようにコメントしています。
まず、出演者が多すぎた。バラエティ番組のひな壇芸人のことです。大物芸人に必死
でゴマをする中堅芸人が並ぶ状態がもう何年も続いていましたが、ソーシャルディス
タンシングで出演者が大幅に削られ、いなくても問題なかった。情報ワイド番組では
何の専門知識もなりタレントや芸人が画面を埋めていたけれど、結局、専門家がいな
ければ井戸端会議にすぎない。・・・キャスターとアンカーと専門家がいればいいこ
とが明確になりました(『日刊ゲンダイ』2020年5月22日)。
私も、全く同感です。つまり、今まで、多くのバラエティ番組では、いなくても何の問題もな
いタレントが多すぎることがはっきりしたということです。
その反面、たとえ素人でも、その芸人がいるから番組が面白くなったり、あるいは専門家から
興味深い解説やコメントを引き出せる芸人は、生き残れるでしょう。
いずれにしても、これからは、実力がないニセモノ芸人はテレビのエンタメ界では不要となっ
たことは確かです。
今回の新型コロナ禍は、いわゆるタレントや芸人の中で本物とニセモノが峻別され、これから
はニセモノは生き残れない厳しい時代がやってくると思われます。
(注1)『朝日新聞』(デジタル 2020.05.22) https://www.asahi.com/and_M/20200522/12369021/?ref=and_mail_M&spMailingID=3451409&spUserID=MTAxNDQ2NjE2NTc4S0&spJobID=1240368046&spReportId=MTI0MDM2ODA0NgS2.
(注2)さらにくわしいグリュッター氏の政策については、Jazz Tokyo (2020年4月3日)を参照。https://jazztokyo.org/news/post-51270/
を参照。
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今年はコロナ関連で新たな言葉が出回りました。ここに佐藤氏の秀逸な風刺漫画を転載させていただきます。
