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大木昌の雑記帳

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甘利経済再生相辞任の本質(1)―語るに落ちた自民党の体質―

2016-01-29 23:06:10 | 政治
甘利経済再生相辞任の本質(1)―語るに落ちた自民党の体質―


2016年1月28日、甘利明経済再生相が記者会見で辞任を発表しました。

事の発端は、21日発売の『週刊文春』で、「甘利明大臣事務所に賄賂1200万円を渡した」と題する記事でした。

この記事の元となったのは、千葉県白井市の建設会社「S社」の総務担当の一色武氏の告発でした。

一色氏は、独立行政法人都市再生機構(UR)との道路建設を巡る補償交渉にあたってきた人物です。

今回の「事件」を、たんに甘利氏の辞任に焦点を当てるのではなく、そもそも、どのような背景のもとで、このような問題が発生
したのかの、「構造」を理解することが大事です。

これこそが、政権を維持してきた自民党という政党がこれまでずっと繰り返してきた体質そのものだからです。

『日刊ゲンダイ』(2016年1月20)によれば、記者会見に至る背景には、
    16日に文春に直撃された甘利さんは、17、18日の2日間で記事をもみ消そうと奔走したようです。しかし、手に負
    えず、19日に官邸に駆け込んだ。党幹部らが対応策を協議し、『もう閣僚辞任しかないか』という話にもなった。本人
    も腹を決めて、大臣を辞任しようとしたが、官邸がそれを押し戻したらしい。官邸は『十分に説明すれば乗り切れる。
    甘利さんはダボス会議で間もなく海外出張するので、行ってしまえば何とかなる』と甘く考えていたようです(自民党関係者)
という経緯があったようです。

政治家や政治家や事務所が、このような賄賂に関わるのは多くの場合、トラブルの処理や特別な便宜を図ってもらおうとする個人
や企業の要請に「口利き」をすることから始まります。

今回の甘利氏の事件の場合、トラブルの原因となったのは、千葉ニュータウン(NT)中心部から西2・5キロにある千葉県白井市の
幹線道路予定地です。

建設資材とみられる赤茶けた鋼管が横たわっていたため、約1キロの区間が未完成のままになっていました。UR関係者は「NT事
業で最大の懸案の一つ」と話しています。

NT開発に向けて、千葉県は1970年ごろから、白井市の予定地の買収を始めました。県によると、予定地の隣接地を地主から借
りていた建設会社が92年ごろ、予定地に建設資材を無断で置き始めました。資材の撤去を求めたが聞き入れられなかったという。

元々の地主が産業廃棄物を現場に捨てていたこともあり、道路工事は遅れていた。予定地を地主から買い取った県は2007年、資
材撤去と立ち退きを求め、12年には、県と事業を進めてきたURが隣接する別の道路予定地約1千平方メートル(300坪)を、今回
告発した建設会社から買い足しました。

この予定地にも資材を置いていた、建設会社が反発したため、URは先行して移転補償料約1600万円を支払いました。

しかし、その後の交渉の結果、13年にさらに約2億2千万円を支払うことで合意しました。

URは工事を始めたが、建設会社側は再び「工事で事務所が傾いた」などと新たな補償を求めてきたといい、交渉は今も続いている
という。以上が、今回の事件の背景となったトラブルです(注1)。

さて、ここで誰しも疑問に思うのは、当初URが妥当な補償料と算出した、1600万円が、なぜ、その138倍の2億2000万円に、
突如跳ね上がったのか、ということです。

ここにこそ、政治家や秘書たちの出番があるのです。この建設会社は、今を時めく経済再生大臣、甘利氏の事務所の秘書たちに
口利きを依頼しました。

その際、建設会社の一色氏は、秘書たちを飲食やフィリピンパブなどでの接待漬けにし、URとの交渉に掛け合ってもらい、とんで
もない金額をURから出させているのです。

URは国土交通省が管轄し、市街地域の整備や住宅の供給をすることを目的とする独立法人で、税金がつぎ込まれた公的機関
です。ここは国土交通省からの天下り先としてもよく知られています。

こうした、URの性格上、秘書たちの圧力に抵抗できずに、常軌を逸した額を支払ったのです。

そのお礼として、秘書には500万円、甘利大臣には50万円を2回、渡し、そのほか秘書たちを頻繁に接待をしています。

今回問題となっているのは、まず、秘書に渡った500万円のうち、200万円は政治資金収支報告書に政治献金として記載されて
いるが、残り300万円は、秘書たちが私的に使い込んでいることです。これに関しては、秘書たちも認めています。

次に、秘書たちが、URと掛け合う際にただの仲介人としてではなく、「甘利大臣」の秘書として圧力をかけて、補償料を引上げさせ、
それに対する謝礼を受け取っていることです。これは立派な贈収賄行為です。

甘利大臣に関しては、1回は大臣室で、建設会社の社長が、とらやの羊羹と、のし袋に入った封筒に入った50万円を「お礼です」と
言って渡し、2回目は神奈川県大和の甘利事務所で渡した。

さて、28日の記者会見では、この2回とも秘書に、適正に処理しておくように指示してあり、事実、収支報告書には記載されている
ので、法的には何ら問題はない、と語っています。

しかし、ここにはいくつかの問題があります。一つは、甘利大臣が、直接の管轄下にある事案ではないとはいえ、大臣室(つまり公
務の場)に業者を入れ、現金を受け取っていたことです(胸ポケットに入れたかどうか、どうでもよいことです。)

法律的にはどうあれ、このようなことをするのは国会議員、まして大臣としての資質が問われます。

また、公設秘書の清島氏がURの総務部長を甘利事務所に呼び出し、大臣の名前をちらつかせて、「駄目なら駄目なりに、何で値
段上げられないのかね」って言ったら(UR総務部長が)「そうですよね」と言った、と一色氏は述べています「(『週刊文春』2016年2
月4日号)。

甘利大臣が、このような経緯をどれほど知っていたかは分かりませんが、現金を大臣室で差し出されたとき、通常は警戒して、何の
金かを問いただします。

それをしないで受け取り、秘書に「適性に処理するように」と言ったのは、このような現金授受が、日常化していたと思われても仕方
ありません。さらに言えば、どんなお金でも、「秘書には適正に処理しておくように」と言えば、法的には問題ないことになってしまい
ます。

一色氏が秘書に現金を渡す場面の写真、一色と甘利大臣が一緒に映っている写真、さらには交わした会話などを記録したテープ、
メモ、領収書などが、『週間文春』側にも提供されています。

次に、甘利氏は、秘書の行為を後で知ってびっくりしたと述べていますが、そのような秘書を雇い任せきりにしていた監督責任は免
れません。

ところで、一色氏は、なぜこの一連の出来事を告発したのでしょうか?ひょっとして、一色氏は恐喝しているのではないか、とさえ言
う人もいます。

これに対して一色氏は
    逆に私が大臣や秘書に多額の金を渡しているのです。実名で告発することは不利益こそあれ、私にメリットなどありません。
    もちろん、URとの補償交渉を有利に進めるために口利きを依頼しているのですから、ほめられたことをしているわけではあ
    りません。ただ、甘利氏を「嵌める」ために三年にわたる補償交渉や多額の金銭授受を行うなんて、とても金と労力に見合い
    ません。
と述べ、付け加えて、
    口利きを依頼し金を渡すことには大きなリスクがあるのです。依頼する相手は
    権力者ですから、いつ私のような者が、切り捨てられるか分かりません。そうし
    た警戒心から詳細なメモや記録を残しておいたのです。そもそも、これだけの証拠がなければ、今回の私の告発を誰が信じ
    てくれたでしょうか?万一、自分の身に何かが起きたり、相手が私だけに罪をかぶせてきても、証拠を残しておけば自分の
    身を守ることができる、そしてその考えは間違っていませんでした
とも語っています(『週刊文春』2月4日号より)。 

高村正彦副総裁が「録音されていたり写真を撮られていたり、わなを仕掛けられたという感がある」と述べていますが、法律家として
あるまじき発言です。本質は、罠にはめられたかどうかではなく、現職の大臣が大臣室でお金を受け取ったかどうかが問題なのです。

さらに、甘利氏の会見(正確には政権側の弁護士の作文)は立派だった、これで全て説明できたとする自民党議員や、メディアのコメ
ンテータは、どんな神経をしているのか疑いたくなります。

それどころか、一色氏は「その筋の人」だ、という噂を立てたり、バッシングが起こっています。もちろん、一色には、「その筋の人」
ではないと否定しています。

ところで、今回の甘利氏の70分以上に及ぶ記者会見は、第三者(実態は官邸側の弁護士)が書類と聞き取り調査をした結果に基づ
く、と断っていますが、ジャーナリストの田中龍作氏は、
    現金授受は認めながらも口利きは否定。しかも自分は被害者であるかのような内容だ。ヤメ検(現役を退いた検事)の弁護士
    が書いたと分かる原稿の朗読が終わると質疑応答に移った。司会進行は内閣府の役人だ。
と述べた後、
    記者クラブは6名、インディペンデント・メディアが1名指名された。・・読売は2人続けて示された。」(記者クラブの記者には)「はい
    ○○さん「はい◇◇さん」と指名してゆく。(中略) 記者クラブからの質問に追及らしきものはなかった。酷いのになると甘利氏に弁明
    の機会をわざわざ与えた。(中略)長年記者をやっているが、これほどまでに権力者に寄り添う会見は初めてだ(注2)。
これが、現在の日本のメディアの現状です。

今回の甘利氏の記者会見で、私が最も注目したのは、会見も一応終わり、ほっとした感じで飛びした“ぶっちゃけ話”です。

「政治家の事務所は、いい人とだけ付き合っていたら選挙に落ちる。来る者は拒まずでないと」強調した後、「残念ながら当選しない。・・・
その中で、ぎりぎり、どう選別してゆくか」と指摘しました(『東京新聞』2016年1月29日)。

これこそが自民党の抜きがたい体質で、まさに「語るに落ちる」(聞かれても答えないのに、自分から秘密や本音をうっかり喋ってしまう
こと)とはこのことです。

かつてTPP交渉での活動が脚光を浴び、アベノミクスの旗振り役として縦横無尽の活躍をし、マイナンバー・カードの普及のため、失礼ながら
ちょっと調子をはずした「ゲスの極み乙女」の替え歌までうたって一世を風靡した大臣の最後のコメントかと思うと、少し悲しく哀れに思えました。

しかも、これまた皮肉にも、自らの脇の甘さと、「ゲスの極み」の贈収賄事件に絡んで辞任に追い込まれたことは、飛ぶ鳥を落とす勢いの絶頂
期にあった甘利氏にとって「痛恨の極み」だったのではないでしょうか。「好事魔多し」。自戒を込めて。

今回の件が安倍政権にとってボディーブローのように効いてくる可能性は十分にあります。

またまだ未解明の部分がたくさんありますが、それらについては今後の国会審議その他で事実が明らかになった時点で、続きを書くことにします。

(注1)『朝日新聞デジタル』2016年1月29日(同日参照)
    http://digital.asahi.com/articles/ASJ1X5CQKJ1XUTIL027.html?rm=368 
(注2)http://tanakaryusaku.jp/2016/01/00012868(2016年1月29日参照)



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2016年 日本の課題と選択(1)―政治編―

2016-01-07 09:29:03 | 政治
2016年 日本の課題と選択(1)―政治編―

昨年の2015年は、戦後70年という節目の年に当り、改めてこれまでの日本の歩みを検証し、今後の日本の針路を定める年でした。

このような歴史的な巡り合わせの昨年、安倍政権下で、日本の将来に重大な影響を与える政治・経済、外交面の課題に関して大き
な変化が起こり、選択がなされました。

そして、これらの変化を受けて、日本は今年、どのような方向に舵を切り、どのような選択をするのかを迫られています。

まず、政治的には安倍政権は昨年、集団的自衛権の容認を含む、いわゆる安保法制を強行採決しました。

安倍政権は昨年、日本が他国から攻撃されなくても、「親密な関係にある他国」(実態はアメリカ)が攻撃された場合に、軍事的行動
がとれる(戦争ができる)国にしました。

言い換えると、アメリカの戦争に日本が加わることができるようになったのです。

これにたいしては、憲法違反であるというのが、憲法学者のほぼ一致した見解です。つまり、憲法改正をしないで、解釈を変えること
により、実質的に憲法(とりわけ9条)をなし崩し的に無効化してしまったのです。

集団的自衛権に賛成する人たちの間にも、重要な誤解があるように思います。

たとえば、中国や北朝鮮がせめて来たらどうするのか、といった発想です。それに対抗するためにも、集団的自衛権は必要だ、という
言い方をします。

日本はそもそも自衛権をもっていますから、日本が攻撃を受けた場合には自衛権を発動することになりますし、アメリカの軍事的支援
は、集団的自衛権がなくても日米安全保障条約で規定されています。

したがって、集団的自衛権と日本が攻撃を受けた場合とは何の関係もありません。しかし、安倍政権は、中国脅威論を煽り、こうした
国民の漠然とした不安を巧みに利用して、アメリカの戦争に加担するための集団的自衛権の行使を可能にしてしまいました。

これにより、法律的には、たとえばアメリカが中東で行っている戦闘行為に日本の自衛隊が加わることが可能となりました。

また、今年度の4月以降には、自衛隊が「駆けつけ警護」ができるようになりました。

たとえば、PKOどで海外に派遣されている自衛隊は、国連やNPOなどで活動している人たちが誰かに襲撃された場合、武器を使用
して救出することができることになります。

しかし、これには当然、救出過程では武力衝突が生じ、人を殺すことも自衛隊員に「戦死者」が出ることも起こり得ます。

法的には今年の4月以降にはスーダンに派遣されている自衛隊に、この任務と権限が与えられることになっていますが、政府は、これ
を秋以降に延長することを決めました。

これは、もし自衛隊員に「戦死者」がでると、国内で政府批判が噴出し、今年の夏に行われる参議院選挙で自民・公明の連立内閣にと
って不利に働くことを避けるためです。

つまり、選挙対策として、「駆けつけ警護」を先延ばしすることにしたのです。しかし、日本人が戦闘に巻き込まれる危険性があるという
問題の本質は変わりません。

ところで、現在、日本の軍事力は「自衛隊」が担っていますが、これは、憲法上、自衛を任務とする軍事力であるからで、安倍政権は憲
法を改正して、自衛を超えた軍事行動ができる「国軍」にしようとしています。

そのためには、憲法改正を国会の衆参両議院で、それぞれ3分の2以上の賛成が必要です。

現在、衆議院においては、安倍政権は3分の2を優に超えていますので問題はありませんが、参議院では、自公に加えて改正賛成のい
くつかの政党を加えても3分の2に11議席足りません。

そこで安倍政権は、一方で政権に不利な課題は先送りし、選挙での票につながりそうな問題に対しては、後に述べるように、金銭的な
バラマキを行おうとしています。

この意味で、今年の参議院選挙によって、政権が参議院でも3分の2以上をとって、憲法改正の発議を選択するのか、あるいは国民が
選挙でそれに「ノー」を突きつける選択をするのか、今後の日本の針路にとって極めて重要な意味をもっています。

安倍政権が特に力を入れているのが、自民党の憲法改正草案(注1)に新たに付け加えた、第九章で、98、99条の「緊急事態」条項です。

この二つの条項は、外部からの攻撃、内乱、大規模な自然災害により社会秩序の混乱が生じた時、内閣総理大臣は、一定期間、必要と
思われる措置に関して法律と同じ効力をもつ政令を発することができる、と規定しています。

つまり、内閣総理大臣の意向で、現行の法律を停止し、事実上、政府の命令に従わせることができるという、強大な権限を総理大臣に与
える、かなり危険な要素を含んでいます。

安倍首相はまずは、大災害の事態を前面に出して「緊急事態条項」を国民に受け入れさせ、憲法9条改正への突破口、地ならしと見なし
ているようです。

上記の政治選択と密接に関連しているのですが、安倍首相は昨年、中東を訪れ際、エジプトとイスラエルで、日本は「イスラム国」と闘う
国と人々に2億ドル(220憶円)の資金援助をすると発表しました。

ここで日本は、「イスラム国」だけでなく、アラブ世界を敵にまわす宣言をしたことになりますが、これが長期的にどのような影響を与える
かは、これから10年、20年と年月が経たないと分かりません。

最後に、辺野古への基地移設にたいする問題です。先の選挙で示されたように、沖縄の民意は、新基地の増設と環境破壊にたいして
圧倒的に反対です。

この状況を、アメリカにおいても辺野古の基地建設にたいして反対の声が上がっています。

まず、映画監督のオリバー・ストーン氏や言語学者や言語学者ノーム・チョムスキー氏など70名は声明を出し、その中で『大使(キャロ
ライン・ケネディ氏)の、辺野古が唯一の解決、という発言について「(辺野古移設計画に)激しく反対してきた沖縄の圧倒的多数の人々
に対する脅威、侮辱、挑戦であり、同時に法律、環境、選挙結果を軽視する行為だ」』として批判しています)(『琉球新報』2015年12月
24日)。

こうした動きに呼応して、まずカリフォルニア州バークレー市議会が全会一致で辺野古移設にたいして反対決議を可決しました。続いて、
マサチューセッツ州ケンブリッジ市議会も全会一致による反対決を可決しました。

これら2市の決議は、生物を守ることが主眼のようですが、「日米両政府が工事を強行しようとしている現状を批判。キャンプ・シュワブ前
などで非暴力で抗議する民間人らが逮捕されるなど沖縄の民主的権利が侵害されていると指摘した」とあり、現状に危惧を抱いているこ
とがわかります。

ケンブリッジ市も新基地建設計画の当事者を米政府と位置付け、大浦湾の環境破壊や県民の人権侵害など、新基地建設をめぐる米側
の責任に言及。大浦湾に生息する262種の絶滅危惧種を含む5334種の生物を守ろうと日米両国の環境団体などが米国防総省を相手
取り訴訟を起こしたが、日米両政府が工事を強行しようとしている現状を批判しています。

そのうえで、バークレー市と同様、米国防総省に米国家歴史保存法の順守を促し、米国海洋哺乳類委員会に環境保全の再確認、米議
会に対しては辺野古移設をめぐる公聴会の開催など、具体的行動を要請し、新基地建設計画に反対する県民との連帯を表明していま
す(『沖縄タイムス』2015年12月24日)

現在、辺野古の基地穿設工事をめぐって、国と沖縄県とは法廷闘争を繰り広げていますが、政府は今年度中に決断を迫られることにな
ります。

最後に、これまで外交上の課題だった、中国、韓国、ロシアとの関係をどうするのか、の選択をすることになります。

中国とは「戦略的互恵関係」が確認されていますが、これは、とりあえず、歴史問題や領土問題は脇に置いておいて、経済文化交流を
友好的に進めるというものです。

ただし、中国は歴史問題を「日本に直接突きつけるのではなく、(それもするが、)先ずは国際社会の共有認識とすることによって、国際
世論における思想的な対日包囲網を形成することに方針を転換した」と解すべきです。

『Newsweek 日本版』は、こうした中国の戦略に対して日本は戦略をもたないことが問題である、と指摘しています(注2)。

もう一つ気がかりなのは、アメリカと中国は対立と同時に、常時対話するルート(ホットライン)をもっているのに、日本はそれがない、と
いう点です。

アメリカは日本と中国とを両天秤にかけながら、自らは直接巻き込まれず、利益だけを引き出す戦略(いわゆる オフショアー・バランス
戦略)ですが、日本ははたして独自の日中関係を築いてゆけるかどうか、安倍外交の真価が問われる年です。

日韓関係では、従来障害になっていた「慰安婦問題」に「不可逆的」な最終決着昨年末、日本政府の過ちを認め、10憶円の基金を政府
が拠出すること、そしてこれが「不可逆的な最終決着」であること、で合意しました。

ただし、日本側は、この合意を文書化することを要求したにもかかわらず、韓国に拒否され、今のところ、厳密に言えば「口約束」にすぎ
ません。これは外交上の失敗です。

日ロ関係では、クリミア併合に関して日本は西側諸国に同調して、国際社会でロシアを非難しています。

これとの関連で、日本にとって重要な「北方四島問題」の交渉は、事実上凍結されています。

安倍政権は、今年、果たしてこの難問を切り開くことはできるのでしょうか?ここでも、安倍政権の真価が問われます。


(注1)この問題に関しては、本ブログの、2013年5月3日、12日、17日、22日、27日の5回にわたって説明・検討しています。
(注2)『Newsweek』(日本語版)、2015年11月6日。
    http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/11/post-4081_5.php

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対談:内田樹・白井聡『日本戦後史論』(2)―「戦後レジームの脱却」とは何か―

2015-10-04 05:05:06 | 政治
対談:内田樹・白井聡『日本戦後史論』(2)―「戦後レジームの脱却」とは何か―

安倍首相(以下敬称略)は,「美しい日本を取り戻す」「戦後レジームからの脱却」などのキャッチ・コピーを盛んに言います。

これらが,首相自身が考えたのか,自民党のメディア戦略を主に請け負っている広告代理店(「電通」?)の作品なのかは分かりません。

いずれにしても,これらのコピーを最終的に採用したのは安倍ですから,彼はよほど気にいっているのでしょう。

内田は,「美しい日本を取り戻す」という言葉に関して
    今のこの国は「醜い」ということですから,彼らの政党が戦後半世紀以上にわたって政権与党として管理運営してきて,安倍を二度も
    総理大臣に選んだシステムを「醜い」というのは論理的には矛盾しているでしょう。(118ページ)
白井
    そうですよね。「日本を取り戻す」っていうんだってふざけた話で,ずっと自民党政権だったじゃないですか。                            
内田
    そうですよ。じゃあ,いったいだれが日本を失ったんだ,と。そう聞きたい。憲法を嫌うのも同じロジックですね。憲法というのは国の最高
    規範であって,日本の法体系の骨格そのものであるわけです。それに則って国の形が隅から隅まで整えられてきた。この背骨を「みっと
    もない」と罵っている。・・・(中略)・・・・戦後の日本が70年にわたって作り上げた仕組みを土台から全部ひっくり返したいと思っている。
    そう考えないと,彼の言動は考えらえない。

内田の指摘通り,安倍は現在の日本は「醜い」と見なしているようですが,それでは「美しい日本」とは,いつの日本のことでしょうか。

これについて,安倍は直接説明しているわけではありませんが,戦前の日本に戻そうとしていることは明らかです。明治以降,戦争に明け暮れた日本
が本当に美しかったという感覚にも,ちょっと首をかしげてしまいます。

次に,安倍が唱える「戦後レジームからの脱却」という野心は,その歴史的起源を見ても現実を見ても,矛盾と,そのために対立と危険を含んでいます。
一般に「戦後レジーム」つまり戦後体制といえば,まずは,戦争放棄を謳った第九条を含む新憲法に代表される,「平和と自由と民主主義」を思い起こす
でしょう。

安倍が脱却しようとしている「戦後レジーム」とは,アメリカに押し付けられたと感じている「平和と自由と民主主義」,とりわけ新憲法,を指していると思わ
れます。

しがたって,彼の「戦後レジームからの脱却」とは,平和憲法を否定して自主憲法を制定し,「美しい日本を取り戻す」という,ナショナリズムの色彩の濃い
目標であると言えます。

しかし他方で,安倍を含む日本の保守勢力が,アメリカの庇護のもと存続を許されてきた旧支配層とその末裔であるという歴史的経緯があり,これも
「戦後レジーム」の柱です。(注1)

この観点からすれば「戦後レジームからの脱却」は,自己否定でもあります。

同時に,「戦後レジームからの脱却」とは,対米従属を拒絶し自主独立を追求することを意味しており,これと対米従属とは根本的な自己矛盾の関係に
あります。

白井は,「戦後レジーム」とは「永続敗戦レジーム」だと考えています。

『永続革命論』に関する前の記事で紹介したように,白井が言う「永続敗戦」とは,敗戦を否認し,合わせて旧支配層の戦争責任をあいまいにするするこ
とです。これが可能であったのは,アメリカが,冷戦期に対立していたソ連との対抗上,日本の旧支配層を温存してきたからです。つまり,敗戦の否認と
対米従属(無条件降伏)の状態が,現在に至るまで続いている,という考え方です。

安倍は祖父の岸信介の政治を引き継ぐ政治家であり,その意味ではまさに「戦後レジーム」の申し子です。

安倍の「戦後レジームからの脱却」というスローガンについて白井は,
    戦後レジームからの脱却といったとき,素直にその言葉を受け取るなら,対米自立を果たすということです。ところが安倍さんは戦後レジーム
    からの脱却という一方で対米従属を強めている。特に安全保障をめぐって,解釈改憲によって集団的自衛権の行使を認め,アメリカにくっついて
    戦争をしに行けるようにした(125ページ)。         

と,対米自立(ナショナリズム)と対米従属という,相反する命題を抱えた安倍の矛盾を指摘しています。

実際,この二つの相反する要請を同時に満たすことは,いわば解のない連立方程式を解くようなもので,いずれ破局せざるを得ません。         

それでも安倍は,対米自立(ナショナリズム)を,対米従属に劣らず積極果敢に追及します。

安倍は2012年に第二次安倍政権を発足させると,従軍慰安婦についての河野談話(1993年)と植民地支配と侵略にかんする村山談話(1995年)に対する
見直し,いわゆる歴史修正主義をあらわにしました。

この時,アメリカの有力メディアはさっそく反応し,厳しい批判をしています(注2)。

さらに2013年12月26日には,アメリカ政府からの再三にわたる中止要請を無視して靖国神社の参拝を強行します。

これに対して,在日駐米大使とアメリカの国務省は,「近隣諸国との緊張を悪化させる行動をとったことに「失望」している、と手厳しいメッセージを発しました(注3)。

アメリカ側の反応を白井は,自著『永続敗戦論』(150ページ)」で,「こうした動きが意味するものは明白である。『傀儡の分際がツケあがるな』というわけである」,
と表現し,安倍をアメリカの傀儡,つまり操り人形であると決めつけています。

両立不能な路線を敢て突き進む安倍の姿勢を内田は,「安倍首相の『戦後レジームからの脱却』路線はどこか破局願望によって駆動されているという印象を僕は
抱いています」(121ページ)と述べています。

白井は,この傾向はますます強くなってきていると感じています。

    しかし,ここにきて,本当に突き抜けてきつつある。歴史修正主義に関してアメリカからはっきりとした嫌悪感を示されているにもかかわらず,本当には
    撤回しない。今後も歴史修正主義の言動を出したり引っ込めたりするでしょう。これは自立というよりも孤立といった方がふさわしい。全方位を敵にして,
    どこにも味方がいない状態です。もう北朝鮮と仲良くするぐらいしか,手がないんじゃないですか。だんだん国のあり方も似てきたし,たしかにこれは
    破滅したいんだと考えると,つじつまが合いますね。(125-126ページ)

この破滅願望は,もちろん推測の域を出ませんが,次の内田の指摘は,かなり真実を突いていると思います。
    戦後一貫して偽装してきたわけです。だからもういい加減,仮面を剥ぎ取って,本音を言いたいということはあると思うんですね。「アメリカなんか怖くない」
    って。靖国に行く連中はその「禁句」をどこかで言いたくてしかたがないんでしょう。(126ページ)

こうした心情は,2013年末に安倍首相が靖国参拝したことにたいしてアメリカ政府が「失望した」と公式に批判したことは既に触れましたが,それに対して衛藤晟一
首相補佐官が「失望したのはわれわれだ」と言ったことによく表れています。

2014年4月,オバマ大統領が訪日する前日,大臣も一人,副大臣,自民党政調会長を含む150名の国会議員が靖国参拝をしました。

白井が言うように,2013年の靖国参拝と衛藤の「失望したのはわれわれだ」という文脈を踏まえると,「これは宣戦布告ですよ」ということになります。

アメリカにたいするこうした心情を隠しながら,安倍政権をはじめ日本の保守勢力は,いざ,尖閣を巡って衝突が起こったら,アメリカが自衛隊と共に人民解放軍と
戦ってくれるものだと期待しています。

しかし,内田は,「もちろん米軍はでてきません。何が悲しくてあんな岩礁一つのためにアメリカ兵士が死ななければならのか理由がありませんから」と一蹴して
います。私も同感です。

アメリカが最も恐れているのは,実際に尖閣で軍事的衝突が起こった時でしょう。内田によれば,アメリカには中国と戦争して得られるメリットなんか何もないから,
米軍がでることはない。しかし,もしアメリカが中国に宣戦布告しなければ,日本の世論が一夜で「反米」に染まってしまう。なぜなら,基地を提供し「思いやり予算」
まで付けても,結局アメリカは日本を軍事的にまもることはない,ということが国民的規模で気づいてしまうからです(127ページ)。

白井も,だから,「アメリカとしては事前に断固として止めるという方針で臨んでいると思う」と述べています。

最後に,以上のような安倍のスタンスを前提に,「戦後レジームからの脱却」にかんして二つの問題を整理しておきたいと思います。

一つは,アメリカは安倍をどのように見ているか,という問題です。

白井の言葉を借りると「傀儡の分際でツケあがるな」という思いが本音でしょう。日本に大きな影響力をもっているアーミテージ氏は,いみじくも,「ジャパン・ハンドラー」
(文字通りの意味は「日本を操作する人物」,つまり「日本の操り師」と呼ばれています。

二つは,日本という国をどのように見ているのか,という問題です。

ソ連の崩壊以後,アメリカの日本を見る目は大きくかわりました。白井は,アメリカのリアリズムとして次のように表現しています。
    日本はアメリカから見て,助けてあげるべきパートナーから収奪の対象に変わった。「育てた子豚は丸々と太ったからおいしくいただきましょう」というモードに
    入るわけです。アメリカは基本的にアメリカの国益しか考えないのですから,こういう変化は当然です。(37-38ページ)

アメリカが日本をTPPへ強引に参加させようとしたことも,原発再稼働と輸出を半ば恫喝するようい日本に迫ったのも(注4),中国や北朝鮮の脅威を煽り立て巨額の武器を
買わせることも,まさしくこれは良い悪いという問題というより,アメリカの国益を第一に考えるリアリズムの世界です。もしこれに日本が不満なら,日本も,何が日本にとって
本当の国益かを真剣に考えアメリカと交渉するしかありません。

しかし,これは現在のところあまり期待できません。というのも,日本の政治家は,アメリカから要求される前に,それを先回りして,こちらから差し出してしまう,白井の言う
「忖度の構造」がしっかりと思考の回路に組み込まれてしまっているからです。


(注1)実際,安倍の祖父であり安倍が尊敬する岸信介は,アメリカの庇護のもとでA級戦犯でありながら,実刑をまぬがれ,反共の砦としての自民党結成のための資金援助
    をCIAから受けていたのです。この間の事情についてはドキュメンタリー映像が,YouTubeで見ることができます。https://www.youtube.com/watch?v=lo0prf4AgvA
(注2)たとえば『ニューヨーク・タイムズ紙』は「歴史を否定する新たな試み」というタイトルの社説で,安倍の言動を「重大な過ち」と厳しく批判している。詳しくは,白井聡
    『永続敗戦論』(217ページ,注18を参照)
(注3)この経緯については,本ブログ2013年12月28日の記事,「安倍首相の靖国参拝―ヒロイズムとナルシズムが国益を損ねる―」で詳しく書いています。
(注4)これについては,『東京新聞』(2012年10月20日)が「脱原発で米国離れ危惧-『外圧』口止め-」という記事でアメリカの「外圧」=恫喝の様子を暴露しています。

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デモと国会―「政治」を体験的に学ぶ現場として―

2015-09-22 22:41:33 | 政治
デモと国会―「政治」を体験的に学ぶ現場として―

今年の5月に安保法案の審議が国会で始まって以来,安保法案の問題点に関する議論が国会の内外で起こりました。

6月4日の憲法審査会で,自民党推薦の長谷部恭男早大教授,そして野党推薦の笹田栄司早大教授と小林節慶大名誉教授
の3人が参考人として招かれました。

政府自民党にとって予想外だったのは,まず,自民党推薦の長谷部教授が集団的自衛権は憲法違反である,とはっきり言った
ことでした。野党推薦の2人は,もちろん違憲であることを主張しました。

これ以後,日本の憲法学界は,今回の安保法制が違憲であることを主張し始めました。明らかに「潮目が変わった」のでず。

同時に,市民の間でも安保法制反対の動きが出てきました。その典型的な形が,デモと集会でした。

よく指摘されることですが,今回の一連のデモの特徴は,参加者が特定の労働組合や団体によって動員されたのではなく,
個人が自分で考え自分の責任で,本当に,やむにやまれぬ危機感と怒りで参加しているという点です。

こうした,個人の自由意志によるデモは,すでに昨年来の「反原発デモ」によって行われてきましたので,今回突然に出現
したわけではありません。

それでも,今回のデモではいくつかの新しい要素がありました。

一つは,全国で個別的に活動していた個人や団体や組織が「総がかり実行委員会」の大きな傘のもとに結集して統一行動
をとることができた,という点です。

二つは,それまで政治には無関心であったり,政治問題を意識的に避けてきた若者が積極的にデモや集会に参加したことです。

中でも,前回と前先回の「シールズ(1)(2)」の記事で書いたように,大学生を中心とした「シールズ」に刺激され,高校生,中年,
年配者,ママの会,学者の会,などが次々と結成され,安保反対の輪があらゆる世代に広がりました。

こうしたデモに対して,まったく評論家的に,デモなんか今頃やっても遅い,そもそも昨年7月に内閣が閣議決定するころからデモ
をするべきだった,また昨年末の選挙の時にやれば,今のように自公の絶対多数を許すことはなかった,と批判する人もいます。

私自身は昨年の7月に,このブログで6回にわたって,集団的自衛権行使の閣議決定にたいて,その危険性を書いてきました。

しかし,当時は,それを具体的にどう行動に移したらよいか分かりませんでした。

しかも,当時は,反対の意志を表明する適当な機会(たとえばデモや集会)はほとんどありませんでした。

この意味では,私も含めて,安保法案に反対の人たちの行動が遅かった,という面はあると思います。しかし,物事は「機」が熟さ
なければ動きませんし,気が付いたときに行動を起こすしかないと思います。

もう一つ,昨年の選挙の時に,安保法制反対のデモをするべきだった,という点に関しては説得力がありません。

この時,自民党は「アベノミクス これしかない」をスローガンに,安保法制につては296項目のうち271 番目に,こっそりと潜り込ま
せただけでした。

もちろん,選挙運動を通じて,安保法制を争点にしたことはありませんでした。

つまり,選挙公約296項目のうち,295項目は,安保法制を隠すための目くらまし的なダミーだったし,選挙そのものがだまし討ちだった
わけです。

いずれにしても,デモの立ち上がりが遅かったかどうか,ここではあまり重要ではありません。

私が指摘したいのは,全国で行われたデモや集会は,参加者自身はいうまでもなく,その光景をニュースなどで見た多くの人にとって,
政治という抽象的な問題を,デモに参加することによって,体を通して具体的に学ぶ絶好の機会となった,という事実です。

つまり,私たちは政治,それも国政レベルの政治,に関わるのは選挙だけだと思っていたけれど,デモという形でも,自分たちの意見
を表現できるということを体験したのです。

しかも,どこかの団体や組織に属さなくても,個人でも自由に参加できることが分かりました。

こうして集まった人々は,年齢も性別もバラバラなのに,コールを叫んでいると不思議な連帯感が生まれます。

コールで頻繁に叫ばれる,“民主主義って何だ”という呼びかけに“これだ!”と応える声に実感と力がこもります。

また,今回の一連のデモと集会は,国会議事堂前や都内各所で行われただけでなく,全国各地でも行われたという意味で,政府にとって,
無視できない大きな脅威となったと思われます。

実際,政府は当初,7月中には全て決着がつくものと想定していましたが,実際には9月の18日まで大幅にずれ込んでしまいまいました。
これには,野党の民主党や共産党の頑張りがあったことは間違いありません。

しかし,彼らのがんばりの背後には,国会議事堂の前でデモと集会に参加して応援している多くの人,そして全国各地で展開されていた
抗議集会の大きな声があったからです。

少し言い過ぎかもしれませんが,こうした市民の強い反対の声があったからこそ,議員たちは,できることは何でもやる,という頑張りを見せ
ざるを得なかったとも言えます。

国会内,参議院での採決に至る長い攻防の間,時折,野党議員が国会内の状況を集会の参加者の前に現れて報告していました。その際,
集会参加者からは,「野党ガンバレ」のコールが何回も叫ばれたことにも現れていました。

国会前のコールの声は,国会内にも聞こえていることも報告されていました。

この時には,確かに,国会議員と市民が一体となっていました。これは恐らく,初めてのことではないでしょうか?

デモや集会をしても,どうせ法案は通ってしまうのに,という冷ややかな言葉をぶつける人もいます。

しかし,実際には与党・野党を問わず国会議員に大きな影響を与えていたことは上に見た通りです。

また,デモなんかやっている若者は,本当に分かっているのか,というお決まりのコメントもネット上にはありました。

私は,理解の程度はちがっても,参加者はそれぞれの立場で安保法案の危険性を理解し,反対の行動に立ちあがったと感じています。

たとえば,シールズは2013年の,特定秘密保護法案が国会で議論されていたころから勉強会を続けていました。

それよりもむしろ,こうした批判をする人たちの欧こそ,どれほど安保法案の内容を理解しているかが疑問です。

私は集会の場で,多くの人たちのスピーチを聞いて,テレビや新聞などでは知り得ないことも,たくさん知ることができました。

たとえば,今回の安保法案の国会審議の中で,防衛省の二つの重要な極秘資料が,共産党議員によって曝露されました。

一つは,防衛相もその存在を認め,他の一つについては当初,「全く同じものはなかった」と答えました。

しかし,その日は防衛省内では,「犯人探し」で大混乱だったという報道もあり,審議のk艇では事実上認めています。

私は,なぜ,どうしてこのような文書が外部に出てしまうのか分かりませんでした。

国会前の集会での,ある自衛隊のOBのスピーチによれば,共産党が防衛相の機密文書が漏れたことに関して,あの文書は,
自衛隊員22万人のなかで,トップの幹部350人にしか配られなかったものだそうです。

だから,それが外部に漏れたということは,これらの幹部の中に,法案に反対の人がいるということを意味しています。

また,ある自衛隊のOBは,自衛隊は日本のため,日本人のためなら命をかける覚悟はできている,しかし,集団的自衛権は,
日本が攻撃されていなくても,同盟国アメリカが攻撃された場合,アメリカを守るための法律であり,そんなことを考えて自衛隊
に入った人ははいない,と語っていました。

いずれのOBも,現職の自衛隊員は彼らの不安や反対の意志を口に出して言えないので,自分たちが話す,と語っていました(注1)。

また,何人かの公明党の党員,創価学会の会員の人から,今の公明党幹部は自民党に追随して安保法案に賛成しているが,
これは明らかに「平和の党」という公明党の理念に反しているし,創価学会の教えにも反している,との声を聞きました。

そして,自衛隊の場合と同様,心の中では党のあり方に批判でも,口に出せない人もたくさんいる,とも話していました。

こうした,新たな事実を生の声として聞けるという意味で,デモや集会は政治を学ぶ格好の場となっていたと感じました。

集会参加者とは逆の視点からみると,デモや集会に警察(機動隊)がどのように対応しているかも,よくわかります。

まず,デモや集会の参加の人数に関して,警察は極端に少なく発表します。たとえば8月30日の大規模デモの参加人数に関して主催者
は12万人でしたが,警察は3万人と発表しました。

9月10日の参議銀外交防衛委員会で民主党の藤田幸久議員が,警察発表の人数の根拠をただしたところ,警察庁の齋藤実審議官は
「あくまでも特定エリアの一時点での人数だった」と説明しました(『日刊ゲンダイ』2015年9月19日号)。

つまり,警察発表は意図的にデモ参加者全体の数字ではなく,「特定エリア」(これがどこかは明かさなかった)の「一時点」に限定して極端
に少なく発表していることが明らかになったのです。

また,9月16日のデモの際,横断歩道を歩いているだけの年配の人が突然,逮捕・連行されたり,機動隊員の胸を押したとして公務執行
妨害で逮捕されたり,この日だけで13人が逮捕されました。

他方,場所はちがいますが,沖縄の基地ゲート前に座り込みを続けている人たちを,車で乗り付けた人たちが襲撃し暴力を振るっても,現場
にいた警察はただ見ているだけでした(注2)

こうした警察の態度は,市民を守るというより,時の政府の方針を守るという姿勢に貫かれていることも,やはりデモやその他の抗議運動から
学ぶ「政治」の実態だと思います。

(注1)『朝日新聞 デジタル版』2015年9月21日)にも佐世保の自衛隊OBによる同様の記事がある。
    http://digital.asahi.com/articles/DA3S11977282.html
(注2)この時の様子はデモと国会―政治を学ぶ現場として―,たまたま現場を取材にきたジャーナリストによって,映像が記録されました。動画は,
    http://twitcasting.tv/iwj_okinawa1/movie/202100330  を参照。

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安保法制反対から政権奪還へ―新たな闘いへの出発点に―

2015-09-17 22:55:37 | 政治
安保法制反対から政権奪還へ―新たな闘いへの出発点に―

安倍首相自身も安保関連保安の理解は進んでいないのは事実だ認めていながら,高村副総裁は,たとえ理解が進んでいなくても,この安保法制は
今国会で通す,と,およそ民主主義国家で起こっていることは思えないことを平然と言っています。

違憲の疑いが強い安保法制に対して国民の7割近くが反対し,8割以上が説明不足であると感じています。それにも関わらず,がむしゃらに安保
法制の可決に突き進むのはなぜでしょうか。

安倍首相は,今は国民の理解が得られなくても,時が経てば必ず,集団的自衛権を行使可能にしておいてよかったと繰り返し語っています。

安倍首相の頭には,60年安保は,当時あれだけ強い反対にありながらも,その後受け入れられたではないか,という思いがあるのだと思われます。

しかし当時と今では国際情勢がまったく異なります。当時は米ソの冷戦ただ中で,ソ連の脅威を日米の軍事同盟によって緩和する必要がありました。

現在の国際情勢は,かつての米ソ対立に代わる米中対立にはありません。

安倍首相の頭の中には,中国の脅威に対抗するために日米軍事同盟を強化し,アメリカと一体となってて軍事行動することで,日本への攻撃を思い
とどまらせることができる,つまり集団的自衛権が抑止力になる,との考えがあるのでしょう。

しかし,米中は直接的な戦争をしないことを相互に了解しています。そうであれば,中国が日本を攻撃した場合ても,アメリカが日本を守るために
中国との戦争に突入することは考えらられません。つまり,中国との関係で言えば,集団的自衛権は抑止力になりません。

それよりも,外交的に近隣諸国との関係を良好に保つための努力をすべきだし,それこそが最良の抑止力です。

こうした戦略をもたない安倍首相は,中国の脅威に対して軍事的に対抗することしか考えていないようです。

以上の背景を念頭において,今回の参議院での安倍政権の強引で暴力的ともいえる強行採決の経緯を見てみましょう。

9月17日の夕方5時ころ,参議院の安全保障に関する特別委員会で,自民・公明両党が提出した安保関連法案が怒号と混乱の中で
強行採決されました。

委員会で野党による議長の不信任案が否決されると,鴻池委員長はが採決の前に行われる質疑を突如打ち切ると,いきなり与党の数人が委員長席と
テーブルの上に駆け寄りました。

そして,締めくくり総括質疑をすっ飛ばして,怒号のなかで鴻池委員長を取り囲んで,採決させ,委員長は賛成多数で可決されたことを宣言します。
しかし,その声は怒号の中でテレビ中継からは聞き取れませんでした。

この間にも,いくつか,だまし討ち,不意打ちのような,卑怯な手段をとりました。

この日は,日本にとって戦争に近づく方向に大きく舵を切る転換点として,立憲主義と憲法,民主主義が踏みにじられた日,民意が踏みにじられた
屈辱の日,として歴史に刻まれることになるでしょう。

与党は17日の夜に法案を参議院本会議に緊急上程し,遅くとも18日中には採決に持ち込もうとしています。

これにたいして野党は,「あらゆる手段」を講じて,何として法案の採決を阻止しようとしています。

具体的には,首相や閣僚その他の何人かの不信任案を提出て時間を稼ぐことです。

このため,17日の夜から朝にかけて,与党にとっても野党にとっても最後のヤマ場となります。

最終的にこの法案がどうなるかは分かりませんが,一つはっきりしたことがあります。

それは,今回の安保関連法案がどうなるにせよ,この日の強行採決によって,これまでの安保法制阻止から,安倍内閣打倒,そして政権奪還への
第一歩が踏み出されたということです。

すでに数日前から,安保法制反対のコールとともに,「(法案)賛成議員を落選させよう」という「落選運動」のコールが叫ばれ始めていました。

「安保賛成議員は1人でも少なく」,「安保賛成政党へは1票でも少なく」。これが私の呼び掛けです。

したがって,これからは,まずは来年夏の参議院選にターゲットを絞ることになります。

来年夏の参議院選で自民・公明の与党が大きく議席を失い,参議院で過半数を割ることになれば,事態は大きく変わります。

このブログの7月28の記事「安保法案は無効化できます」でも書いたように,実際に自衛隊を海外へ出す場合には,国会の事前承認が必要です。

この事前承認には「60日ルール」が適用されませんので,衆議院で可決されても参議院で否決されると自衛隊を実際に派遣させることはできません。

もちろん,自公政権は,あらゆる抜け道を使って,事前承認なしに自衛隊を海外に派遣することを試みるでしょう

しかし,何回も何回も抜け道を使うことはできません。

安保法案を離れても,同じことは他の法案や政策についても言えます。この場合,「60日ルール」は適用されますが,一つ一つの法案にこのルール
を使わなければならないとなると,政権の議会運営はつっかえつっかえとなり,政策遂行が大きく制限されてしまいます。

この意味で,来年の参議院選は非常に重要になります。

選挙ですから,やってみなければ結果がどうなるか分かりませんが,与党は現在より議席を失うことはまず間違いないでしょう。

というのも,ほとんどの憲法学者が違憲であるとしている安保法案という危険な法律を強行採決したことに対する広範な国民の不信と怒り,今回の
安保法制に関する一連の与党の強引な国会運営の仕方,政府答弁の不誠実さなどに,文字通り老若男女を問わず,多くの国民が怒りを感じているか
らです。

デモや集会に参加したのは,誰かに強制されたり団体から動員されたわけでもなく,自分の頭で考え,自分の意志で参加した人たちです。

今まで,政治には関心がないと言われてきた若者,若い母親,女性の間にも,今回の反安保運動をきっかけに政治に目覚めた人が確実に増えました。

言い換えると,自公政権の安保法制が広範な国民の政治意識を目覚めさせてしまったのです。これは簡単には消えることはないでしょう。

こうした状況は,安保法案に賛成した候補者への票を確実に減らすでしょう。

とりわけ,興味深いのは,「平和の党」を掲げてきた公明党が,自民党と一緒になって安保法制の推進してきたことに,支持母体である創価学会員の
一部に,党に対する批判と不信が広がっていることです。

創価大学では8月に「有志の会」が結成されたり,学会員による安保法案反対の署名が9700通以上にも達しています。また,デモにおいても,
公然と創価学会の三色旗を掲げていた創価学会員が少なからずいたことにも表れています。これらは,以前には考えられなかったことです。

党幹部の個人個人の本心は,特定秘密保護法案にも反対だし,安保関連法案は党是である平和主義に反しており違憲であることは分かっていると
思います。

しかし公明党の執行部にとって,政権与党に留まることが唯一の,そして究極の目標となってしまっているので,そのためには自民党のどんな政策
にも,屁理屈をとしか言いようがない理屈を並べてずるずると賛成してきました。

古い表現を使うと,これは「悪魔に魂を売る所業」です。

公明党の執行部に批判的な創価学会員が,必ずしも反公明票になるかどうかは分かりません。しかし確かなことは,選挙に際して,少なくとも以前の
ように熱心に「集票マシーン」として公明党と自民党のために活動する人は減るでしょう。

また,これまで,自民党に投票していた人の中にも,安保法制に批判的な人はいるので,その分,自民党への票は減ることはあっても増えることはない
でしょう。

現在,内閣の不支持率は50%近くに建っていいますが,選挙においては,内閣支持率よりも不支持率の方が重要な意味をもっています。

言い換えると,今回の安保法制は,自民党の選挙基盤を少なからず掘り崩してしまったと言えるでしょう。

一方の野党をみると,最大野党の民主党は,前回の選挙では,これ以上落ちることはないほど落ち込みましたので,次回は今より減ることはないでしょう。

そして,野田政権下で不評を買った民主党ではありますが,さすがにこれ以上自民党に勝手なことをやらせるのは危険,と感じている人も多いでしょう。

このような人の票は,民主党をはじめ現野党候補へ流れることになるでしょう。

しかし,野党も大きな課題を抱えています。

今のように,各政党がバラバラになるのではなく,反自民・反公明という点で,野党がしっかりした選挙協力を組む必要があります。

もし,来年度の参院選で野党がうまく選挙共闘を組めれば,それは,さらに2年後の衆議院選にも大きな力となるでしょう。

安倍政権は,1年経つうちに何か別の目くらまし的な話題を提供すれば国民は今回のことはすっかり忘れるだろうと,高をくくっています。

しかし,上に書いたように,国民の安倍政権に対する怒りは,そう簡単に消えるものではありません。

私は,多少時間はかかるかも知れませんが,将来,政権奪還は必ず達成できると思います。

その時には,安倍内閣が法制化した,「武器輸出新三要件」,「安全保障会議」,「特定秘密保護法」,そしてもちろん,今回の「安保関連法案」を廃案
にすることができます。

そのためにも,9月17日(18日?)を政権奪還の闘いの第一歩としなければなりません。

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シールズ(2)-内側の声から―

2015-09-12 06:30:36 | 政治
シールズ(SEALDs)(2)―内側の声から―

前回は,シールズのデモや集会のスタイルを,一つの新たな政治文化としてとらえ,その影響を見てみました。

今回は,そこに参加している人たち,共感している人たちの思いを見てみたいと思います。

とはいっても,シールズの中心的活動はデモや集会で,文筆活動などには力を入れていません。また,シールズは,委員長がいて執行部
があり,一般のメンバーがいるというピラミッド型の組織ではなく,事務所もありません。

時折の短いインタビューや感想などがマスコミなどで紹介される他は,彼らの思想や信条をまとまった形で知る機会はほとんどありません。

ここでは,まず,シールズの中心メンバーの一人,奥田愛基さん(明治学院大学4年生)にたいしてHUFF POSTが行ったインタビューの際
に記録された比較的長いインタビュー記事(注1)から,みてみましょう。

最初に,シールズの結成にいたるまでの経緯です。きっかけとなったのは,特定秘密保護法が問題となっていた時    
    議論もされつくしてないものが、すごいスピードで通っていくことに危機感を感じたん です。ぶっちゃけ、憲法違反と言わ
    れるるものでも通せちゃう、今は声をあげなきゃいけない時なんじゃないのか。「やばいよね」って思ってた学生が僕以外に
    も何人かいて、各大学で集会やシンポジウムをやってて、TwitterやFacebookでシェアが回ってきているのを見てました。そう
    いう人たちと、ほぼFacebookかTwitterでつながって「特定秘密保護法に反対する学生有志の会」(SASPL)を作ったんです。
    はじめ,10人くらいで「何かやろう」と言っていたところ,奥田さんは,「デモとか,明確に反対と言えるものがいい」,
    学生デモなんて,マイナスイメージで,反対する人もいっぱいいたけれど,「マイナスから挑戦してプラスに変えてみようぜ、
    という気持ちはありました」と,積極的な姿勢を主張しました。
    特定秘密保護法が成立(2013年12月6日)したあと、次の企画をずっと準備し,2015年5月3日に,「学生有志の会」はSEALDs
    として再出発し,解釈改憲,安保法案反対運動に向かいます。
    安倍首相は,「最高責任者は私です」と言う。違いますよね、主権者は国民です。憲法解釈を変えた閣議決定など、憲法に対
    する態度を見て、この政権、まずいと思った。次は改憲を狙ってくる。自衛隊を軍隊に変えるだろうと。ただ、改憲より先に安保
    法案が出てきて、すごいびっくりしたんですけどね。

「デモをやろう」と思ったのは、1年休学して欧米諸国を回っている時,旅先で見聞きしたことが刺激になったようです。

たとえばモントリオールでは,学費値上げに10万人規模の反対デモが起きたことを目撃して,「なんでこんなに一生懸命なんだろう」と
思ったけど、どの国も最低限、何か問題があったら自分たちで解決していく民主主義的な力がある。日本はそれがない上に、政治に関
心ある若者が「少ない」どころか、なかったことにされている。実際は一定数いるはず。若者が問題を抱えたときの一つの受け皿があっ
てもいいんじゃないかと思った。

デモや集会でのコールなどのスタイルは,ただ,デモやったことなかったので、手探りだったけど「『知る権利』を、僕らは行使してたかな」
「表現の自由って言うけど、そもそもデモしてないじゃん」と、初期の頃から話し合ってました。結局、この国の民主主義のレベルが低いか
らこんなことになるんだ、と。だから「民主主義って何だ」とか「This is what democracy looks like」というコールを入れようとなったん
だと言います。

しかも,そのコールも,海外のデモを見てた影響もあって,コールのリズムも「勝手に決めるな」「屁理屈言うな」と、日常の言葉で、ワン
フレーズでそのまま口ずさめる感じにした。海外ではスピーチでもコールでも、リズム感を大事にしてる。日本のデモは「我々はー、許さ
ないぞー」と拳を突き上げるけど、「我々」なんて日常会話で使わないし、「○○だぞー」なんて、今時「クレヨンしんちゃん」ぐらいしか言
わない,と,かつてのデモを経験した私には,ちょっと苦笑してしまう指摘をしています。

シールズは「日常」をとても大切にします。それは,「おしゃれを気にしながら国会前に行ったっていい。ディズニーランドも行って、海も行
って,国会に行けばいい。日常がある上で抗議すべきときは抗議するってことに意味があるんです」という言葉にはっきり表れています。

シールズは個人の集まりで、たまたま集まってきたという部分を大事にしたいのだそうです。「今は関東だけで200人近くメンバーがいるけ
れど,会ったこともないし、メンバーなのかもよくわからない奴がほとんど。当日になってみないと、何人来るか分からない。今までにない形
でしょうね」,と語っているように,名実ともに,今までにない「新しい政治文化」です。

当然,特定政党と結びつくことはないけれど,「野党に協力して安保法制に反対してほしいので、反対している野党はどこでも応援します。
自民党の議員でも反対するんであれば応援しますよ」という現実主義でもある。

政党との関係で興味深いのは,街宣車が必要になって、最終的に共産党系の全労連がでかい車をタダで貸してくれたので、ありがたくお借
りしましたけど、政治家に利用されてるというより「利用してる」という感覚だと言います。

しかし,野党でも,たとえば共産党の志位さんが,野党協力に否定的なことを言ったら,「俺らは国会前で『ふざけるなー』って叫ぶ。

この背景には,「政治家って、僕らの代表というツールであって、私たちがより幸せに生きるための一つのシステムでしかない」というしたたか
なリアリズムがあります。政治を,ツール(手段,道具)と考えるあたり,なかなか鋭い感性です。

私たちの権利を保障する憲法を無視するってことは、私たちを無視するのと同じことになる。

今後については,まだ未定ながら,もちろん次の選挙につながることをしなきゃいけない,と考えていて,その際は,無党派という立場で候補者を
選んで応援してゆくことになるという。

もっとも,すでに高校生やママさんの安保反対運動も出ているので、今の動きはもう次(今度の選挙)につながっているとも考えている。

恐らく,今回,安保反対運動に直接間接に参加した人たちは,次回からの選挙で,安保に賛成したか反対したかを判断して投票することになるでし
ょう。

この意味で,シールズが巻き起こした反安保の風は,多くの人が政治に目覚めるきっかけを作ったともいえます。

今起こっていることの一つの意味は,何回も「民主主義って何だ」と問いかけな がら、何回も答えていくこと。自由とか民主主義という価値観を、
いかに自分たちのものに取り戻していくか。そういう闘いなんだと思う,と述べています。

以上,奥田さんは,格好をつけるわけでもなく,日常会話のように,しかし,かなり本質を突いた発言をしています。

別の人の声も聞いてみましょう。シールズへ参加した動機もきっかけもさまざまです。

元山仁士郎さん(国際基督教大学4年生 23才)は,米軍普天間飛行場を抱える沖縄県宜野湾市出身。同県北谷町では8月15日に結成されたばか
りの「SEALDs RYUKYU」が初めてとなる集会を(23日に)開きました。

ここでも,青年会によるエイサーが披露された後,ラップ調の掛け声に合わせ,参加者が安保法案や辺野古への新基地建設反対を訴えました。

「安保法案が成立すれば沖縄の負担はより増える。絶対に阻止しないと」「なぜ沖縄だけが」と疑問をもつようになり,シールズの活動につながった
のだそうです(『東京新聞』2015年8月27日)。

千葉泰真さん(明治大学大学院性 24歳)は,宮城県登米市の出身で,3・11日には現地で激しい地震を体験しました。

彼は,原発のように誰かのリスクや犠牲の上に成り立つ豊かさは,本当に享受すべき豊かさなのか,を考えました。その延長線上で,3・11以降,遠く
にあった政治とか民主主義が近づいてきて,日常に入り込んだ,と語っています。

彼は,9条の「不戦の誓い」の精神を,絶対に守るべき大切なものと考えています。そこで,
    今の安全保障関連法案を本当に止めたい。あきらめたら,恐らく何のしこりもなく通ってしまう。国会前に集まる何倍もの人たちの声を,
    ぼくたちは代弁している。社会にたいする責任が,今のシールズにはある。
とシールズの活動の意義を語っています(『東京新聞』2015年8月28日)。

また,菊池魁人さん(東大大学院 23歳)は,友人に誘われて東京・表参道でシールズの集会とデモに参加した。安保法案を巡る政治行動に加わった
のは初めてだという。

菊池さんは,憲法学者の大半が違憲と指摘し,世論の反対が強い安保法案。それを数の力で押し通そうとするやり方を,「本来あるべき立法のプロセス
を踏んでいない」と感じていた。

そもそも集団的自衛権って本当に必要なのか。そんな疑問を抱いていたところ,彼は表参道の集会とデモに参加した,と語っています。

「集団的自衛権はいらない」などのヒップホップ調のコールが繰り返され,「リズムがなかなか難しく,戸惑ったけれど「楽しかった」と振り返ります
(『東京新聞』2015年8月24日)。

この「楽しかった」という感覚はシールズに共感する人たちに共有されているものだと思います。

シールズに刺激を受けて,高校生も結束してデモや集会に参加するようになったことは前回の記事で紹介しました。

ともゆきさん(16才,都立高校1年)は,シールズの呼びかけで8月23日に全国各地で行われた「若者憲法集会実行委員会」主催の吉祥寺でのデモに初め
て参加しました。

デモでは先頭を歩き,スピーチで,「高校生の中でも『戦争法案』はおかしい」という声は上がっている。高校生に命の心配をさせるのが今の政権だ」
と主張しました(同上)。

若い自民党議員(後に離党)が,安保法制に反対している学生らを「『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心,極端に利己的な利己的考え」と
批判したことに対して強く危機感を持ち,デモに参加した。

周囲の高校生にこの発言をラインで見せると「自己中心的なのは議員の方」などの反応が返ってきた。みんなの思いが熱かった。戦争法案反対の輪が広
がればいい」と考語った(同上)。

シールズとは直接に関係はないが,それに刺激を受けていくつものグループや個人がたちあがりました。

60~70代を中心に集まるOLDs(Otoshiyori for Liberal Democracy 自由な民主主義のためのお年寄り)に参加した森田萌さん(68才)は,若い世代に刺激
され「飲み屋でくだをまいているだけでは意味がない」「このまましおれるのではなく,ダメなものはダメと言わなくては」「どうせ何をやっても無駄という考えが
世の中に広がっているのが気になっていた」と語っています(『東京新聞』2015年8月27日)。

また,都内の教員らでつくるTOLDs(東京のリベラルでデモクラティックな先生たち)の呼びかけ人の岡田明さん(53才)も,若い世代に背中を押され「本来先
頭に立つべきなのは自分たち教員なのに,教え子の立場の人たちに声を上げさせてしまっている」という後悔にも似た思いが立ち上がらせた。

岡田さんは,愛国心を唱え,戦争への心構えを説いた戦前の教育現場への反省から,「武力によらない解決もあるはず。またかつてとおなじことを繰り返す
のではないかと不安だ。団塊の世代がいなくなった今,その役目は自分たちにあるんでは」と思うようになった。そして,8月30日にはデモに出ることにした。

同様の考えから,中年世代でつくる「MIDDLEs」も結成されまし(同上)。

遅まきながら大学・研究者も「安全保障関連法案に反対する学者の会」も立ち上がりました。同会の高木恒一教授(51才)は,戦時中,大学はたくさんの学生
を戦場に送ってしまった。この痛恨を二度と繰り返さないためにも,法案は廃案にしなければ,と主張します(同上)。

これらの事例に加えて私が注目しているのは,女性や母親の活動です。新宿西口で毎週土曜日に,平和の尊さを訴え続けている大木春子さん(68才)は,
「無関心が一番いけない。ひょんなことがきっかけで戦争に巻き込まれてしまうような法案はダメ」。30日のデモでは,平和を願う人がこれほどいるという事実
を,安倍首相に突きつけたいと語っていまし(同)

埼玉の,「安保関連法案に反対するママの会・埼玉」の辻仁美さん(48才)は,これまで政治には関心がなかったが,福島の原発事故で目が覚めた。友人らと
傍聴して「中谷防衛相は質問に答えないし,法案自体がダメだと確信し」,二か月後にはデモに参加するようになった(同上)

「安保関連法案に反対するママの会・墨田」を立ち上げた中村華子さん(3人の子どもをもつ 35才)は,8月30日に国会前の集会でマイクをもって,会を結成し
た動機を「海外での武力行使を可能にする」という言葉だったと言う。

日本人が武力を行使したら日本人全体が憎しみと報復の対象になる。将来自分たちの子ども世代をそのような危険な目に合わせえたくない。黙っているのは,
海外派兵に賛成していることになる,との危機感から,乳呑児を抱え3人の子どもを連れてデモに参加した,と動機を語りました(注2)。

安倍首相の強引な安全保障政策は,世代と性別を超えて,あらゆる層を政治に目覚めさせたようです。

私が聞いたコールの中で,「安倍晋三から日本を守れ」「安倍晋三から憲法守れ」「安倍晋三から生活守れ」「安倍晋三から命を守れ」が,とても印象深く心に残
っています。

(注1)http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/24/sealds-okuda-interview_n_8030550.html
(注2)(『テレビ朝日』9月3日放映された,「モーニングバード」の映像とインタビューに答えて。

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8月30日の国会前の車道も埋め尽くした集会・デモ


9月6日 新宿・伊勢丹前の集会(SEALDsと「学者の会」の合同集会


9月6日 伊勢丹前の集会 雨の中,若いお母さんは子どもを抱いたまま2時間も立地続けていました



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「シールズ」(SEALDs)(1)―新たな政治文化―

2015-09-06 07:37:33 | 政治
「シールズ」(SEALDs)(1)―新たな政治文化―

第二次安倍内閣は,「国家安全保障会議」(2012年),特定秘密保護法(2013年),「防衛装備移転三原則」(2014年)と,軍事色の強い法案を,
次々と成立させてきました。

そして昨年2014年7月には,集団的自衛権行使容認の閣議決定し,それを実際に行使できるようにするための安保関連法案を衆議院で可決
させました。

現在,安保法制の審議は参議院に移され,政府は「60日ルール」を適用せず,9月の第三週(⒕日から18日)には強行採決することを決めた
ようです。

これら一連の動きに対して多くの国民は,「憲法9条」が骨抜きにされ,日本を戦争ができる国に変わってゆくのではないかという強い危機感
を募らせてきました。

日本各地で,憲法を守り安保法案を廃案に追い込むためにシンポジウムや講演会が各地で開かれるようになりました。

しかし,ただ建物の中の活動だけでは政権に対すると同時に,街頭でのデモンストレーション(デモ)も盛んになってきました。

街頭デモに関していえば,昨年来,毎週金曜日の夕方,かなりの人数の参加者が首相官邸周辺で反原発のデモを行ってきました。

その規模は,一般の市民10万人規模に達することもありました。

しかし,今年の反安保法案のデモは,これまでにない新しい現象が現れました。それは,大学生を中心とした若者のグループ,「シールズ」
(SEALDs「自由と民主主義のための学生緊急行動」)の登場です。

シールズのデモや集会には,古いタイプとは全く異なるスタイルが見られます。

うっかりすると,何かの祭りか音楽イベントではないか,と勘違いしてしまいます。そこには,かつての学生デモのような悲壮感がありません。

そのスタイルの特徴は,ラップとヒップホップのリズムで繰り出される独特の「コール」と呼ばれる呼び掛けだ。

コールは,マイクをもったリーダーの言葉をを繰り返す場合もあるが,そえに応える場合もある。

後者の場合,たとえば,”民主主義って何だっ!“,という呼びかけ(コール)に, ”これだ!“と応える(レスポンスする)。

これは,アメリカの黒人教会で,牧師のコールに対して信者が応える「コール・アンド・レスポンス」と似ており,ゴスペルやジャズの原型
でもあります。

この短い「コール」と「レスポンス」で,人々はそれぞれの思いをぶつけます。

例えば,“民主主義って,国会で多数を占める議員や政権が,勝手なことをやっていい,というようなもんじゃないんだ。こうして,一人一
人が声を上げることなんだ”,といった思いです。

また,他のコールにしても,表現は端的,単刀直入です。たとえば,“あ・べ・は・や・め・ろ”と一語一語区切り,そこに微妙な間があって,
独特の雰囲気を醸し出している。

そう言えば,シールズ以外の一般のデモでは,今も“シュプレヒコール”という昔の言葉がしばしば使われますが,シールズはもっぱら 
“コール”です。

以上は,シールズだけでなく,その他の若者のグループの場合も同じで,今や定着しているといえます。

このようなスタイルが用いられるようになった経緯については,次回,代表の一人,奥田愛基さんのインタビュー記事で改めて紹介し
ますが,ここでは,その影響について考えてみたいと思います。

今までにないデモや集会でのこうした,鳴り物入りのラップ調コールは,年配の人たちには受け入れられないように思われるかもしれ
ませんが,事実はそうではありません。

シールズの集会が行われている人垣の周りには,結構年配の人たちもいて,その人たちも若者と一緒になって,リーダーの声とリズム
に合わせて叫んでいます。

この独特のリズムは,不思議と体の生理的リズムとぴったりと合うような気がします。

私は,こうしたシールズのスタイルは,意図していたかどうかは別として,明らかに以前とは異なる,新しい政治文化であると思います。

ところで,シールズの影響力は当初の想像を超えて日に日に大きくなっています。

たとえば,8月23日にシールズが呼び掛けた「全国若者一斉行動」に,北海道から沖縄まで60か所以上でデモや集会があった,
と報告されています。

『東京新聞』(2015年8月24日)は,このデモを1面で大きく扱い,写真を掲載しています。

その写真のほぼ中央に,「ポツダム宣言読め」というプラカードが映っています。

若者のデモで,この言葉が若者のデモに登場したのは,私にとって,ちょっとした驚きであり感動でもありました。

言うまでもなく,「ポツダム宣言」は日本の敗戦・降伏を迫る宣言で,日本はこれを受け入れてようやく戦争を終結させることができた
のです。

その第6条の要点は,①第二次大戦は「無責任な軍国主義」によって引き起こされ,②日本国民を騙し,世界征服を試みるとういう誤り
を犯した者の権力と勢力は永久に取り除かなければならない,の2点です(注1)。

安倍首相は国会答弁で,ポツダム宣言は「つまびらかに読んでいない」(内容を詳しく読んでいない)と発言しました。

おそらく,日本の敗戦を認めたくない,心の底では第二大戦が誤った戦争であることを認めたくない,あるいは尊敬する祖父の岸信介
元首相は,「誤りを犯した者」(A級戦犯)であることも認めたくない,などの理由で「ポツダム宣言」は屈辱的に見えるのでしょう。

安倍首相が「戦後レジームからの脱却」という場合の「戦後レジーム」は,この「ポツダム宣言」が出発点になっているため,その存在を
認めたくないのでしょう。

上記のプラカードを掲げた若者は,きっと,「ポツダム宣言」を否定する安倍首相の政治姿勢に危険を感じ取っていると思います。

今まで,政治に無関心と言われてきた若者が,積極的にデモに参加するようになったのには,いくつか理由があります。

まず,今の安保法制が通ってしまうと,その結果は自分たちの世代に関わってくる,という切実な危機感です。この点では,若者の不安
と怒りは本物だと思います。

それにしても,以前なら,そのような感情がデモに向かわせることはなかったかもしれません。

しかし,シールズのデモは,60年代の学生でものように警官とぶつかり合うような激しいものはなく,上に述べたように,安心して自分の
思いを表現できる,という利点があります。

もう一つ大事なことは,シールズは,特定の組織ではなく,有志個人の集まりである,という点です。

一昔前の運動では,政党,労働組合,政治思想で結集した団体などがデモや集会の中心で,一般の人は,なかなか入れなかった雰囲気
がありました。

しかし,シールズは,個人でも構わないし,強制もなく出入り自由な抗議活動を続けています。

こうしたスタイルや方法は,大学生だけでなく,世代と性別を超えて共感を読んでいます。

たとえば,高校生は「T―ns Sowl」を,中年の人たちは「Middles」を,年配の人たちは「Olds(自由な民主主義のためのお年寄り)を,子ども
のいるお母さんは,ママの会(多くは地域ごとに)を結成し,やはり,シールズと同じような自由なスタイルで結集しています。

また,学者・大学人も「安全保障関連法案に反対する学者の会」を結集し,学者と学生・市民との共闘も含めて,抗議活動をしていますが,
私の印象では,これもシールズの活動に刺激されて立ち上がったという面があると思います。

さらに,それぞれの地域で,安保反対のグループが自然発生的に生まれて,そうした人たちが,年齢,性別を問わず,自発的にデモに集
まるようになってゆきました。

例えば8月30日の「総がかり行動実行委員会」が呼び掛けた「国会包囲抗議行動」には,私が住んでいる町でも,8月30日にはバスを
貸切り,90人近い人が国会デモに参加しました。

こうして首都圏だけでなく,地方からも,主催発表で12万人(私は周辺を含めると30万人以上に達したと思います)もの人が,そして全国
では300か所でデモと集会に集まったのですが,その背景にはSEALDsが果たした役割は非常に大きかったと思います。

国会前広場では,各政党の党首や学者,そして坂本龍一氏のスピーチが続いていましたが,その間にも,少し離れた場所では,シールズの
コールが絶えることなく続いていました。

ここでもシールズの存在感は非常に大きかったと感じました。

とても印象的だったのは,30日の集会が終わって,参加者が国会議事堂前から帰途に着く人の流れの中に,背中が丸くなりかけた,かなり
年配の女性が一人,“安保反対”とつぶやきながら歩いていたことでした。

この女性は,どこかの団体に属しているわけでも,仲間と一緒に集会に参加したわけでもなく,たった一人で,それでも安保法案に対しては,
どうしても反対の声を上げなければ,という思いに突き動かされてやってきたのだと思います。

「今,声を上げないと」「居ても立ってもいられない」「孫や子を危険な目に合わせたくない」の思いは,この老婦人を含めて,全ての参加者に
共通した切実な思いでしょう。

次回は,シールズはどんな風にして結成され,運営されているのか,そこに関わっている人たちはどんな思いで参加しているのかを見てみたい
と思います

(注1)http://home.c07.itscom.net/sampei/potsdam/potsdam.html

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実りの秋を迎えた私たちのたんぼ


藪のなかから突然,田んぼに現れたキジ?



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天皇陛下の「お言葉」―安倍路線への憂慮と批判の表明か?―

2015-08-21 22:02:13 | 政治
天皇陛下の「お言葉」―安倍路線への憂慮と批判の表明か?―

前回の記事で,7月14日の安倍談話については,私の個人的な印象を含めて,問題点を指摘しました。

この談話については,さまざまな反応がありました。翌日の日本の新聞評は,『朝日新聞』は社説で,植民地支配,侵略,
反省,お詫び,というキーワードは入ったが,侵略についていえば,主語はぼかされた,との論調を展開しました。

    いったい何のための、誰のための談話なのか。
    安倍首相の談話は、戦後70年の歴史総括として、極めて不十分な内容だった。
    侵略や植民地支配。反省とおわび。安倍談話には確かに、国際的にも注目されたいくつかの
    キーワードは盛り込まれた。しかし、日本が侵略し、植民地支配をしたという主語はぼかさ
    れた。反省やおわびは歴代内閣が表明したとして間接的に触れられた。
    この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う。
    (『朝日新聞 電子版』2015年8月15日)

『毎日新聞』(2015年8月15日)は,歴代内閣の取組を引用した,「半身の言葉」で,メッセージ力も乏しい,と書いています。

『東京新聞』(2015年8月18日)は,「侵略」の主体が明確でないこと,マスコミが,4つのキーワードが入るかどうかだけを
焦点化し,それらがどんな文脈で,首相自身の言葉で語られるか否かを問題としてこなかったので,結果として「談話」の
ハードルを下げてしまった,とマスコミ批判を含めてコメントしています。

実際,日本内外の「談話」に対する評価で,これらのキーワードが入っていたことに触れているケースが目立ちます。

政府が危惧していた中国と韓国は,それぞれ不満と批判のコメントを寄せてはいますが,4つのキーワードが入っていること
を考慮して,全体として,比較的冷静な反応をしました。

これは両国が関係改善を優先させたためだと思われます(『東京新聞』同上)。

ところで,安倍談話に対するマスコミの評価が,今一つ鋭さに欠けているのに対して,8月15日の全国戦没者追悼式での
天皇陛下の「お言葉」は,ある意味で,非常に深く大きな影響を内外に与えたと言えます。

これまで,天皇の「お言葉」は、過去に文言の微修正はあったものの内容は毎年変わりなく、「定型」の典型のようにみられ
てきました。

しかし今年は,昨年にはない新たな文言を4か所も加え,全体として従来の「お言葉」を大きく踏み越える内容を含んでいま
した。まず,それを示しておきましょう(赤太字部分が,昨年にはなかった文言)。
    
    「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない
    命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。
    終戦以来既に七十年,戦争による荒廃からの復興,発展に向け払われた国民のたゆみない努力と,
    平和の存続を切望する国民の意識に支えられ,わが国は今日の平和と繁栄を築いてきました。
    戦後という,この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき,感慨は誠に尽きることがありません。
    ここに過去を顧み,さきの大戦に対する深い反省とともに,今後,戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に
    願い,全国民とともに,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心からなる追悼の意を表し,世界の平和とわが
    国の一艘の発展を祈ります。

国内外の人々を驚かせたのは「深い反省」という文言が入ったことでした。これまでも,例えば1992年,歴代天皇として
初めて中国を訪問した際の晩さん会で,「わが国民は,戦争を再び繰り返してはならないとの深い反省にたち・・・」と語
っています。

また,1994年に,韓国大統領を迎えた宮中晩さん会では,「過去の歴史に対する深い反省の上に立って・・・」とも話して
います(『東京新聞』2015年8月16日)。

しかし,今回のように,全国民に対するメッセージとして「深い反省」を表明したのは,初めてです。

これは,同日の安倍首相のスピーチで,歴代首相が盛り込んできたアジアへの加害と反省には過去2年間,触れていな
かったことと対照的です。

今回の「お言葉」にたいして『日本経済新聞』 電子版』2015年8月16日は,本来政治的発言が許されない天皇が,あえて
“大胆な”内容に踏み切った背景を次のように書いています。(ちなみに,この「お言葉」は,基本的には自ら書いている
ようです。)

    「深い反省」は、日本による戦争が内外に与えた否定的側面を真摯にかつ謙虚に見つめ続けるということだ。
    一方で天皇陛下は今日の平和と繁栄は「平和の存続を切望する国民の意識に支えられ」てきたものであり、
    その価値観による戦後70年間を「国民の尊い歩み」との言葉を新たに加えて評価された。
    ところが70年を経て、戦前と一線を画し平和国家を志向してきた戦後体制に懐疑的な風潮が出てきた。
    歴史認識をめぐる中国、韓国との摩擦によるナショナリズムの高まりも大きな要因だろう。

つまり,戦前の軍国主義と決別し,平和国家を目指してきた戦後体制に会議的な風潮が出てきた,具体的に言えば,
安倍内閣による集団的自衛権を含む憲法解釈の変更による軍事化への風潮が出てきた,ということです(注2)。

同紙は,その背景には中韓との摩擦から生じているナショナリズムの高まりがあると,指摘しています。

日経がそのように書いたのは,「天皇陛下に近い人から伝わってくる話では、戦争を知る世代の陛下および親しい
歴史家、知識人らの憂いは深いという」という天皇の周辺から漏れてくる,最近の天皇の心情を根拠にしているよ
うです(注3)

また,昭和史を題材として作品を多数書いて生きた半藤一利氏は,
    戦後七十年間平和を守るため,必死に努力してきた全ての日本人に向けた言葉として読むべきだろう。
    今日なら,安全保障法案に反対して声を上げるなど,草の根の人たちも含むと考えられる,

と推測した上,「政治的発言がゆるされない象徴天皇という立場で,ぎりぎりの内容に踏み込んだメッセージ」と分析
しています。

また,ノンフィクション作家の保坂正康氏は,「お言葉」は,昨今の政治情勢への危惧とも受け取れる,とコメントして
います(『東京新聞』2015年8月16日)。

それでは,海外のメディアは,天皇の「お言葉」をどのように受け止めたのでしょうか?

アメリカの『ワシントンポスト』(8月15日)は,「日本の天皇は,平和主義政策に関する論議において安倍と袂を分
かつことを表明した」(Japan’s emperor appears to part ways with Abe on pacifism debate)というタイトルで,
在東京の記者によるかなり長いレポートを報じています。(注4)

この記者は,天皇のこの短いメッセージは,前日に安倍首相が行った長い談話よりも「しょく罪的」(contrite)意味合い
が強いと論評しています。

記者が特に注目したのは,通常,このような場合に使う「深い悲しみ」(deep sorrow) より強い文言で,「先の大戦に
対する痛切な(深い)反省」(deep remorse)と表現した部分です。

”remorse”には「自責の念」、「深い後悔」、「痛恨の念」、「良心の呵責」などの意味があります。それに「深い」という
形容詞が付いているので,一層,その念が強調されます。

つまり,天皇は「さきの大戦」は間違いであり,それに対する「深い反省」を表明したかったのだと記者は言いたのです。

その傍証として,
    明仁(天皇)はこれまで,状況によっては日本の軍隊が海外で戦うことを認める様な「普通の」軍事的基盤を
    もった国にするために憲法を解釈しようとしている安倍に対する不快感(displeasure)を表明してきた
ことを挙げています。

次に,イギリスの『ザ・ガーディアン紙』(2015年8月15日)は,日本の天皇は,第二次世界大戦に対して安倍よりも
さらに謝罪的(apologetic)トーンを表明した」というタイトルで,天皇のスピーチに対して,
    
    天皇,81歳,は憲法上,いかなる政治的役割を果たすことを禁じられている。
    しかし彼の,注意深く含意された言葉は,安倍晋三首相を非難(rebuke)していると受けれる(but his carefully
     nuanced words could be seen as rebuking prime minister, Shinzo Abe)

と,『ワシントンポスト紙』とほぼ同様の論調を掲載しています(注5)。

天皇陛下は勿論,政治言動をしてはいけないことは十分に承知の上で,それでも,ぎりぎりの表現で,現在安倍内閣
が推進している,安保法制,とりわけ集団的自衛権の行使容認にたいして強い不快感と危惧を,なんとかして全国民
に伝えたかったのだろうと推測されます。

天皇と皇后は今年の4月,健康上の負担を押して,多数の犠牲者を出したパラオ諸島への慰霊の旅を強行しました。
今回の,異例とも言える天皇の「お言葉」は,この慰霊の旅の心情の延長線上に,同じ文脈の中で語られたとみて
よさそうです。


(注1)http://www.asahi.com/articles/DA3S11916594.html?ref=nmail_20150815mo
(注2)『日本経済新聞 電子版』2015年8月16日 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG15H31_V10C15A8CR8000/
(注3)同上
(注4)  https://www.washingtonpost.com/world/japans-emperor-offers-remorse-on-anniversary-of-wwii-surrender/2015/08/15/1094f89c-4120-11e5-9f53-d1e3ddfd0cda_story.html.
    なお,「深い反省」をdeep remorse と訳したのは宮内庁で,「お言葉」の英語版全文は宮内庁のホームページから見ることができる。
    http://www.kunaicho.go.jp/e-okotoba/01/address/okotoba-h27e.html#0815
(注5)http://www.theguardian.com/world/2015/aug/15/japans-emperor-strikes- more-apologetic-tone-than-abe-over-second-world-war?CMP=twt_gu


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安倍談話―焦点をぼかし,歴史をねじ曲げています―

2015-08-15 17:08:24 | 政治
安倍談話―焦点をぼかし,歴史をねじ曲げています―

安倍談話の全体を通して感じたのは,本当に言わなければならない焦点をぼかし,歴史を意図的にねじ曲げているということです。

国民的関心事は,果たして談話の中で,「植民地支配」,「侵略」,「反省」,「お詫び」,という4つのキーワードが入るかどうか,という
点でした。

確かに,この4つのキーワードは入っていますが,その中身は,大事な点を避けて,薄めています。以下,具体的にみてゆきます。

まず最初に私が驚いたのは,冒頭の部分で次のように述べます。
    百年以上前の世界においては,西洋を中心とした国々の広大な植民地が,広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に,
    植民地の波は,十九世紀,アジアに押し寄せてきました。

首相は,100年前に遡れば,ヨーロッパ諸国は世界中で植民地化を展開していた,日本の植民地化も,こうした世界的現象の一部
だ,と言いたいのです。

つまり,日本だけが悪かったわけではない,当時はみんなやっていたんだ,と日本の植民地化を正当化する,歴史の歪曲です。

しかも,日露戦争は,植民地支配のもとにあった,多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた,と,この戦争は正義の戦争であっ
たかのように語っています。

たとえ,結果としてアジア・アフリカの人々を勇気づけたとしても,日露戦争自体,日本が満州,シベリア地域への植民地権益を
拡張する過程で発生したもので,いわば植民地獲得戦争であった事実が隠されています。

このように,歴史を都合のいいように解釈する歴史修正主義的主張は,第二次世界大戦の原因についてもはっきり表れます。

第一次世界大戦の教訓として,植民地化にブレーキがかかり,戦争自体を違法化する,新たな国際社会の潮流が生まれた,とい
う世界の動向を解説しています。問題は,その後です。
    当初は,日本も足並みを揃えました。しかし,世界恐慌が発生し,欧米諸国が植民地経済を巻き込んだ,経済の
    ブロック化を進めると,日本経済は大きな打撃を受けました。

つまり,西欧のブロック化が日本経済を圧迫したために,日本は「力の行使によって解決しようと試みました」,すなわち戦争に突入
した,という話にもってゆきます。

ここでも,日本が戦争を引き起こしたのも,日本だけが悪いのではなく,その遠因は西欧諸国が日本を経済的に追い詰めたからだ,
という論理構成になっています。

続いて,先の大戦で,300万人の日本人(が戦没者として)の命を失われたこと,また,広島,長崎への原爆投下,多くの都市への
爆撃,沖縄での地上戦などで,たくさんの市井の人々が犠牲になったこと述べます。

このくだりは,どちらかといえば「被害者」としての日本が詳細に語られていますが,中国,東南アジア,太平洋の島々の人々では,
無辜の民が犠牲になったことに,さらりと触れているだけです。

特に問題なのは,「戦場の陰には,深く名誉と尊厳を傷つけられた女性がいた」ことを,「慰安婦」という言葉を避けて,間接的に
触れていることです。

同じことは,最後の部分でもう一度,「戦時下,多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去」があったことに触れ,21
世紀には「女性の人権が傷つけられない世紀とするため,世界をリードしてゆく」ことを述べています。

この段階では,戦時下の「慰安婦」の意味内容がさらに薄められた,「女性の人権」一般の問題に解消されています。

ところで,注目のキーワードの問題に移ります。4つのキーワードのうち,植民地支配という言葉は,単語としては出てきます。
次に「侵略」について
事変,侵略,戦争。いかなる武力の威嚇や行使も,国際紛争を解決する手段としては,もう二度と用いてはならない。植民地
支配から永遠に決別し,すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない,と表現しています。

ここでは,「侵略」という言葉は,3つの単語の一つとして並列されているだけで,中身は何もありません。しかも,「侵略」という
言葉は,この時が1回だけで,いかにも,「侵略」という言葉だけは入れていれておいたよ,という,付け足し,無理矢理感がぬぐ
えません。

そして「侵略」も「植民地支配」も,「日本が」という主語を外しており,一般論として述べていることで,焦点をぼかしています。

この部分は英語版で,”Incident, aggression, war—we shall never again resort to any form of the threat……..” となっており,
we(私たち) と,表現されており,これは一般論として世界の「私たちは」という以外には解釈できません。

ある放送局の記者によれば,安倍首相は,もともとは「侵略」という言葉をどうしても使いたくなかったそうですから,いやいや
ながら,言葉の意味を薄めて使ったようです。

植民地支配に関しては,朝鮮半島の植民地統治や中国大陸への侵略には全く触れていせん。

戦後は,先の大戦への深い悔悟の念とともに,自由で民主的な国を創り上げ,法の支配を重んじ,ひたすら「不戦の誓い」を
堅持してきた,と総括します。これらについては後で触れます。

さて,いよいよ「反省」と「お詫び」について,
    我が国は先の大戦における行いについて,繰り返し,痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。
と述べ,「痛切な反省」と「心からのお詫び」という言葉は入っています。

しかし,これらは,過去形で,すでに日本は,村山談話,小泉談話でこれらを表明してきた,と経緯を述べているだけで,自分
の言葉としては「お詫び」は一度も語っていません。これでは真摯にお詫びしているとはとうてい言えません。

ここまで,安倍首相の談話を見てきましたが,村山談話の3倍以上の字数を用いながら,何を言いたいのか,焦点がぼけて
はっきりしない上,どこか表面的で嘘っぽく響きます。

これは恐らく,韓国や中国などの近隣諸国を刺激しないため,アメリカからの要請への配慮,公明党の強い要望,支持率が
低下しつつある世間の風潮などの諸事情から,「不本意ながら言わされた」内容となっているからでしょう。

ただ一つだけ,本音が出た個所があります。それは,終わりの方で述べた次の一節です。
    日本では,戦後生まれの世代が,今や,人口の八割を超えています。あの戦争には何の関わりのない私たちの
    子や孫,そしてその先の世代の子どもたちに,謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

このくだりには“いつまで謝罪を続けなくてはならないんだ。もうこんなことは私の世代で終わりにしたい”という,安倍首相
の本心が表現されています。

これは,多くの自民党議員,とりわけ安倍首相と価値観を共有するタカ派的議員が強く主張している点です。

典型的には,自民党の稲田朋美政調会長は11日のBSフジの番組で、安倍晋三首相が14日に公表する戦後70年談話に
ついて、「未来永劫(えいごう)謝罪を続けるのは違う」と述べ、先の大戦に関する「おわび」の文言は明記すべきではない
との認識を語っています。

しかし,これは日本の支配や侵略で被害を受けた国に対して,非常に失礼な話です。

危害を加えた方は,その事実を一刻も早く,忘れ,なかったことにしたいと思うかもしれませんが,被害を受けた側は,そ
その痛みを忘れることはありません。

したがって加害者の方から,今回で謝罪は終わりにしたい,とは言えないのです。それうぃ言うのは全く筋違いなのです。
もし,どうしても終わりにしたければ,せめて自分の言葉としてはっきりと「お詫び」をするべきです。

『東京新聞』(2015年8月15日)で政治部長が署名入りで書いているように,「歴史直視には終わりはない」のです。

安倍談話の印象を問われた村山氏は,植民地支配とか侵略とか,言葉を薄めて何を言いたいのかさっぱりわからない,
という印象だ,とコメントし,また,安倍談話は村山談話を引き継いでいるか,との問いには「いない」と答えています。

それでは,全体として,安倍談話の眼目は何だったのでしょうか?

安倍首相は,会見で「不戦の誓い」がもっとも重要なメッセージであると述べています。これは,日本国憲法の前文を意識
して,「いかなる武力の威嚇や行使も,国際紛争を解決する手段としては,もう二度と用いない」という表現とセットになっ
ています。

しかし,現在安倍政権がもっとも力を入れている,集団的自衛権行使を可能とする安保関連法案は,外国(具体的にはアメ
リカ)の軍隊を守るための法律です。

アメリカが戦後行ってきた主要な戦争(ベトナム戦争,イラク戦争,アフガニスタン戦争 その他アフリカでの軍事行動)は,
まさしく「国際紛争を解決する手段」としての武力行使そのものであり,その戦争に付き合うことになる集団的自衛権も,当
然,安倍氏が「二度と用いない」という武力です。

また,首相は「法の支配を重んじ」と述べていますが,憲法学者のほとんどが違憲であるとしている,集団的自衛権行使を,
国の最高法規である法を無視して法制化しようとしています。

結論として,「積極的平和主義の旗を高く掲げ世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してゆく」と締めくくっています。

ただし,「積極的平和主義」とは何か,を首相自身がはっきり定義したことはありません。漠然と,これからは世界の平和の
ために積極的に関与してゆくよ,という程度です。

安倍首相の内閣官房副官補も務めた,元防衛相官僚の柳澤協二氏は,著書『亡国の安保政策』(岩波書店,2014年,73-74ペー
ジ)のなかで,「積極的平和主義の罠」という章をたてて,その危険性を述べています。

この言葉は,首相自身も現在参与となっている団体「日本国際フォーラム」が2009年に発表した「積極的平和主義と日米同盟のあり
かた」という提言に基づいているようです。

その提言は,非核三原則などの防衛政策の基本的再検討,集団的自衛権の行使容認,武器輸出三原則の見直しを主張しています。

崇高な理念と見えて実は,かなり危険な「罠」が隠されています。

最後に,8月15日に行われた「全国戦没者追悼式」において,天皇陛下の「おことば」は「さきの大戦に対する深い反省」に初めて言及
しました。

これに対して安倍首相は、歴代首相が言及してきたアジア諸国の戦争犠牲者への加害責任や「哀悼の意」「深い反省」には一昨年、
昨年に続いて触れませんでした。

世界の注目が集まる「談話」とは違い,この追悼式で触れていないのは,やはり,先の戦争で日本は間違ったことはしていない,だか
ら「反省」する必要がない,というのが本音なのだろうか,と疑ってしまいます。

「談話」に対する私の個人的な印象を言わせてもらうと,焦点をぼかし,歴史を捻じ曲げた,「何か感じ悪いよね安倍さん」です。

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自民党の「劣化」か「解体」の前兆か?―武藤貴也議員の発言が示唆するもの―

2015-08-09 09:51:10 | 政治
自民党の「劣化」か「解体」の前兆か?―武藤貴也議員の発言が示唆するもの―

武藤貴也衆議院議員(滋賀4区 当選2回)が自身のツイッター(7月30日)で,安保関連法案反対のデモを国会前で行っている学生グループ
「SEALDs」(「自由と民主主義のための学生緊急行動」シールズ)を批判して,次のように書きこんでいます。
    SEALDsが「戦争嫌だから法案成立を阻止する」と主張するが、戦争したくないなら国会周辺ではなく領海侵犯を繰り返す
    中国大使館前やミサイル実験を繰り返す北朝鮮朝鮮総連前で反戦の訴えをすべきだ。法案を阻止しても、国会前で叫んで
    も、中国や北朝鮮の行動は変えられない。
    SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前 でマイクを持ち演説をしているが、彼ら
    彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義が
    ここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ(7月30日)(注1)。

武藤氏は,戦争に行きたくないのは利己的個人主義のせいで,それは戦後教育のせいだ,と言っています。

これに対して,多くの反論が寄せられましたが,名指しで批判されたSEALDsの側は,
    戦争が嫌だというのは,個人の考えだけでなく,みんな思いでもあるのに。
    個人が重んじられる社会が許せないんでしょう。自民党の改憲草案にある全体
    主義的なものが垣間見えた気がした。(元山仁四郎さん)
    怒りもあるが,それ以上に権力をもつ政治家が語る言葉なのか。私たちは平和
    主義の下で誰も戦争に行かせたくないと主張していて,利己主義とはちがうの
    だが・・・・。(奥田愛基さん)(『東京新聞』2015年8月4日)
と反論しています。

世間の批判にたいして武藤氏は,ツイッターでは短い文書しか書けないということで,8月1日のフェイスブックで次のようにも書いています。
    「SEALDs」の方が仰る「だって、戦争に行きたくないもん」という自分個人だけの感情で、今議論されている平和安全法制
    に反対するのは、田中最高裁長官の言うように「真の平和主義に忠実なものとは言えない」と私も考えます。
    誰もが戦争に行きたくないし、戦争が起こって欲しいなどと考えている人はいないと思います。しかし他国が侵略してきた
    時は、嫌でも自国を守るために戦わなければならないし、また世界中の各国が平和を願い努力している現代において、日
    本だけがそれにかかわらない利己的態度をとり続けることは、地球上に存在する国家としての責任放棄に他ならないと私は
    考えます。(注2)

現在問題となっている「平和安全法制」とは,他国のために戦争をする「集団的自衛権」に関係したものです。

武藤氏は,「他国が侵略してきた時は,いやでも自国をまもるために・・・・」と書いていますが,これは「個別的自衛権」の問題で,彼は明らかに,
両者を混同しています。

記者からの質問に,デモに出ている若者は騙されている,またツイッターの発言を撤回するつもりはない,と答えています。

武藤氏の発言は,ほとんど論評に値しないほど幼稚だと思います。古舘伊知郎氏は,8月4日の「報道ステーション」で,「取り上げたくない」と
発言しましたが,それが一般の感覚でしょう。

維新の会の橋下徹氏が,“そんなに威勢の良いことを言うなら、お前がまず行け”と厳しく非難しました。

また,生活の党と山本太郎となかまたちの小沢一郎共同代表(73)の事務所もツイッターで、磯崎陽輔首相補佐官の「法的安定性は関係ない」
との発言と合わせて,「現代社会では考えられないようなおぞましいこの茶番劇は一体何幕まで続くのだろう」とコメント。「ひょんなことから本音
発言」「表面的・形式的な謝罪」「誰も責任とらず」「皆が忘れるのを待つ」の4つが繰り返し行われていると指摘しています。(注3)

まことに的確な指摘です。まさに,「茶番劇」としか言いようがありません。

ところで,武藤氏は,今回の問題発言の他にも,以前から,あまりに時代錯誤というか,思慮を欠いた発言をしています。

たとえば2012年7月23日のブログで,次のように主張しています。

    そもそも「日本精神」が失われてしまった原因は、戦後もたらされた「欧米の思想」に あると私は考えている。
    そしてその「欧米の思想」の教科書ともいうべきものが「日本国憲法」であると私は思う。
    日本の全ての教科書に、日本国憲法の「三大原理」というものが取り上げられ、全ての子どもに教育されている。
    その「三大原理」とは言わずと知れた「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」である。
    戦後の日本はこの三大原理を疑うことなく「至高のもの」として崇めてきた。しかしそうした思想を掲げ社会が
    どんどん荒廃していくのであるから、そろそろ疑ってみなければならない。むしろ私はこの三つとも日本精神を
    破壊するものであり、大きな問題を孕んだ思想だと考えている(注4)。

武藤氏には,憲法の三大原理は「欧米思想」そのもので,これらが日本精神を破壊するものである,と憲法を全否定しています。

さらに,集団的自衛権が国会で問題となっていた,2014年には,『月刊日本』の5月号に掲載されたインタビューで,「我が国は核武装
するしかない」と過激な発言をしています(注5)。

武藤氏は,東京外国語大学で国際を卒業(国際法)後,社会人入試で京都大学公共政策学部(公共政策),2012年に自民党から出馬
し,初当選し,自民党内では麻生派に属しています。

また,武藤氏は,6月25日の,広告料を減らして「マスコミを懲らしめる」発言で批判を浴びた「安倍応援団」の3人と同じ「文化
芸術懇話会」のメンバーでもあり,価値観を共有しています。

武藤氏の発言に対して,磯崎氏の場合とは異なり,自民党内ではそれほど問題視していないようです。

谷垣禎一幹事長は,武藤氏の発言を「舌足らずな発言」とは言っていますが,とりたてて批判をしているわけではありません。

武藤氏の発言は,「舌足らず」ではなく,明確に彼の思想信条と本音を確信犯的に語っているのです。実際,彼のフェイスブックでは長々
と自説を述べています。

それでも,自民党してこの程度の反応しかない,ということは,自民党の大勢は,ある程度武藤氏の考えを共有しているのか,あるいは,
若い議員にたいする教育ができていないのか,いずれにしても自民党の見識が疑われます。

戦後日本が歩んできた平和と民主主義の道を,正面から否定するような発言が,安倍政権下で自民党議員から飛び出すのは,なぜ
だろうか,そして,この状態が行き着く先には何が待っているのでしょうか?

一つは,前回も書いたように,安倍首相に気に入ってもらうような右翼的な発言をして,「寵愛」を得ようとする動きとして理解できます。

その背後には,いろいろ問題発言をしても,自民党が国会で圧倒的多数を占めている現状では,本音を言っても大した問題にはならな
い,という驕りがあるのではないだろうか。

「文化芸術懇話会」のメンバーは若手議員が40人ほどいる現実をみると,武藤氏のような集団が自民党の中に一つの勢力として形成
されていることが分かります。

おそらく,自民党内にも安倍政権の方針や,武藤氏とは異なる政治思想をもっている議員もいるとは思いますが,彼らの声は全く聞こえ
てきません。

小選挙区制の下では,党の公認が得られなければ次の選挙で当選はおぼつかなくなりますので,一強状態にある安倍政権では物が言
えない雰囲気があるのでしょう。

このような状態はしばしば,自民党の「劣化」と表現されますが,私は,「劣化」というより,「解体」あるいは「緩やかな内部崩壊」の
前兆だと見るべきだと思います。

一つには,自民党は若手の発言をコントロールできない状態にあることが明らかになったと言えます。現在の若い自民党議員は,2012年
の選挙で,「アベノミクス旋風」の風に乗って当選した議員で,経験も少ないことも現在の状況を生みだしている一因でしょう。

しかし,彼らが次の選挙で再び当選するかどうかは分かりませんし,それは安倍政権そのものの勢力にも大きな影響を与えます。

また,自民党内にも,武藤氏と同じ仲間だとみられることが迷惑だと感じている議員もいるはずで,長期的にはある限界を超えると,安倍
政権から離れてゆく遠心力が働くのではないかと思われます。

国民の側からみると,安倍首相の「応援団」だけでなく,自民党という政党の議員のレベルは,これほど低いのかという認識がゆっくり
と浸透してゆくことが考えられます。今回の一連の「とんでも発言」で,多くの国民はあきれ,すでに安倍政権に対する評価はだいぶ下
がったでしょう。

最近の内閣支持率の急落にみられるように,これは,確実に選挙に影響を与えるでしょうし,現在の与党の絶対多数の状態が揺らぐ
可能性が大いにあります。

9月の自民総裁選は,当初,無投票で安倍首相の再選とみられていました。確かに10月の人事で冷遇されることを警戒して,自民党
からの立候補を躊躇するかもしれません。

しかし,今後も支持率の低下が続けば,このままでは来年夏の参議院選で勝てないかも知れないという危惧から,対抗馬が出ないとも
限りません。

自民党の今後の行く末は,内閣支持率とアベノミクスによる経済の趨勢次第であると言えます。

もう一つは,与党の一角を占める公明党で,支持母体である創価学会の中に,安保法制に対する強い反対の声があることです。党の幹部
は果たして支持体の,とりわけ女性の声を無視し続けるのか,何らかの自民党との距離を見直すのか,も重要な要素です。


(注1)https://twitter.com/takaya_mutou(2015年8月8日閲覧)
(注2)(https://www.facebook.com/takaya.mutou.7/posts/792937030826673 (2015年8月8日閲覧)
(注3)『アメーバニュース』(2015年8月4日)http://yukan-news.ameba.jp/20150804-66/ (2015年8月8日閲覧)
(注4)http://ameblo.jp/mutou-takaya/entry-11937106202.html (2015年8月8日閲覧)
(注5)http://gekkan-nippon.com/?p=6058 (2015年8月9日閲覧)


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自民党議員の「とんでも発言」の背景―安倍首相の「寵愛」獲得競争―

2015-08-03 10:01:42 | 政治
自民党議員の「とんでも発言」の背景―安倍首相の「寵愛」獲得競争―

最近,安倍政権下で,自民党議員の「とんでも発言」が目につきます。

既に,このブログの7月4日,10日の記事でも書いたように,自民党の“安倍応援団”である大西英男,井上貴博,長尾敬家
の3氏人が「文化芸術懇話会」の勉強会で,広告料を減らして「マスコミを懲らしめろ」など,国会議員としては耳を疑うような
な発言をしました。

大西議員は,谷垣禎一幹事長から注意を受けたにも拘わらず,70月30日,自民党本部で開かれた原子力政策に関する会合
で,資源エネルギー庁の幹部に,「原発に批判的なテレビコメンテータに関して「個別撃破でいいから,皆さんの持っている知識
を示してください」と問題発言をしています(『日刊ゲンダイ』2015年8月1日)。

こんなレベルの人たちが,政権政党の中にいると考えると,安倍政権に対する信頼性を大きく疑わざるを得ません。

そんな折り,安倍政権の安保法制を実質的に担当してきた磯崎陽輔首相補佐官(大分県選出議員)が,7月26日に大分県で行
われた講演で,次のような趣旨の発言をしました。

我が国は憲法9条の解釈から自衛権は必要最低限度でなければならず、集団的自衛権は必要最低限度を超えるからダメだとし
てきた。1972年の政府見解だ。しかし、40年経って時代は変わった。集団的自衛権も、我が国を守るためのものならいいのでは
ないか、と(安倍政権は)提案している。
    何を考えないといけないのか。法的安定性は関係ない。(集団的自衛権の行使が)我が国を守るために必要な措置かどう
    かを気にしないといけない。我が国を守るために必要なことを憲法がダメだということはあり得ない(注1)。

ここで「法的安定性」とは, 法律の内容や解釈を安易に変えてはいけないという原則です。法律が頻繁に改正されて「朝令暮改」
になったり、法律を勝手に運用されたりすると社会の安定性は保たれなくなります。

磯崎氏(57歳)は,東大法学部を卒業後,総務省(旧自治省)に入省。その後, 内閣官房内閣参事官(安全保障・有事法制担当),
総務省国際室長など歴任し,総務省大臣官房参事官などの要職を歴任したエリート官僚の道を歩みました。

しかし,2007年に参議院選大分選挙区で自民党から立候補して当選。現在二期目です。

政界入りの後,2012年12月,首相補佐官に抜擢され,自民党憲法改正推進本部長として,そして安倍首相の側近中の側近として
安全保障関連法案の策定を強力に推進してきた人物です。

磯崎氏は,法律の専門家ですから,「法」とは何か,法治国家として法的安定性が社会の土台であることは十分,知っているはず
ずです。

それにもかかわらず,安保法案の策定責任者が,わが国を守るためなら,「法的安定性」などにかまっている必要はない,従来の
解釈をどんどん変えてしまってもいいんだ,と言っているのです。

ここでは憲法という,最高法規の法的安定性が問題となっており,その他の全ての法律は憲法に則って組み立てられています。

もし,憲法の法的安定性など関係ない,といったら,国の法体系が崩壊してしまい,そうなれば,日本はもはや法治国家ではなく
なってしまいます。


磯崎氏は,憲法学の常識である,憲法で権力を縛る立憲主義について,
    この言葉は学生時代の憲法講義では聴いたことがない。昔からある学説なのか
    とツイッターでつぶやきました。

もし,東大の憲法講義で立憲主義の正しい説明をしてこなかったとしたら,それはそれで大問題ですが,おそらく磯崎氏は十分知
った上で,上記の発言をしたのでしょう。

東大法学部卒で,安保法案の中心的担当者である磯崎氏が,6月上旬のツイッターで,隣家の火災に例えて集団的自衛権を論じ
たところ,十代の女性を名乗るユーザーから 
    バカをさらけ出して恥ずかしくないのか
と攻撃され,それにたいして磯崎氏は
    バカとまでおっしゃってくれているので,あなたの高邁な理論を教えて。
    中身の理由を言わないで結論だけバカというのは『XX』ですよ
と反論しました。すると,このユーザーは,
    火事には攻撃してくる敵がいない。戦争は殺し合い。
    しかも個別的自衛権で十分対応可能
と書きこみました。

これ以後,磯崎氏は自分の書き込みを見られないようにブロックしてしまいました(『東京新聞』 2015年7月31日)。

十代の女性を名乗るユーザーから「バカ」とまで言われ,それへの反論が,さらに的確な反論で,完全に論破されてしまい,
磯崎氏のプライドはひどく傷ついたのではないかと思われます。

この一連のやり取りをみると,エリート官僚で「頭がいい」ことで知られた磯崎氏の狼狽ぶりが隠しようもなく明らかに
なっています。

元外務官僚の佐藤優氏によれば,磯崎氏が書いた『分かりやすい公用文の書き方』『分かりやすい法律・条令の書き方』
は優れた実用書であり,それらを読むと彼は良心的官僚であったことがわかる,と述べています。

しかし,これほどの人物が「法的安定性は関係ない」というような,乱暴な発言をするところに現下政治エリートの病理が
端的に表れている,と指摘したうえで佐藤氏は,彼の内心で安倍政権を守ることと日本の国益が一体化しているのでは
ないか,と書いています。
    それ故に客観性,実証性を軽視し,自らが欲する形で世界を理解するという反知性主義のわなに足をすくわれて
    いるのだ。悲しい。(注2)
と指摘しています。

佐藤氏の,「反知性主義」「阿部政権を守ることと日本の国益が一体化している」という指摘が,磯崎氏およびその他の
安倍応援団の人たちのメンタリティーをもっとも端的に表現しています。

それでは,磯崎氏は,なぜ,このような発言をしたのでしょうか?


これは,磯崎氏の個人的な考え方が偶然出てしまったというより,安倍首相の反知性主義的性格や安倍内閣の体質を
反映しているのではないか,と思います。

国会の答弁を聞いていても,野党議員の質問の最中に,「早く質問しろ」と品のない野次をとばしたり,まったく事実では
ない,日教組の問題を持ち出して野次り,あとで謝罪をしたり,どうも,客観性,実証性を無視し,その場の感情や思い付
きの発言もしばしばあります。

さらに,質問にたいして真正面から答えることはせず,原稿を繰り返して読むことに終始したり,あるいは「はぐらかす」
こともしばしばみられます。

また,安倍首相が集団的自衛権を説明する際に持ち出す事例は,論理的にも現実的にも全く説得力のないものばかり
です。

たとえば安倍首相は,アメリカの艦船で保護される幼子を抱いた母親のパネルを持ち出して,そういう日本人を守る
ことができないのでいいのか,といった情緒的な説明をしました。

事実は,アメリカは民間の日本人を救出することはない,と明言しており,まったく非現実的な説明です。

最近では理由や根拠も示さず,「戦争に巻き込まれるということは絶対ないということは断言したい」(注3),など,根拠
を示さず,断定的に言い切ってしまうことがふえてきました。

私には,自民党議員の一部には,安倍首相の反知性主義的言動をみて,自分たちも許されると,考えているではない
か,とさえ感じられます。

さらに,自民党の中には,「文化芸術懇話会」のメンバーや磯崎氏のように,積極的に忠誠心を示し,安倍氏の望んでい
ることを先取りして(忖度して)行って,安倍氏の「寵愛」を得ようとする人たちがいるように見えます。

あるいは,磯崎氏や下村文部科学大臣のように,安倍氏に取り立ててもらった人たちは,その恩義に報いるよう,一層
忠誠に励むことになります。

失礼ながら,こうした「安倍サポーター」たちの姿は,かつてオウム真理教の教団内部で,教祖の寵愛を受けようと必至で
競争していた,エリート大学出身の幹部たちの姿を思い起させます。

これは,安倍政権の高い支持率を背景に醸成されてきた現象だと思われますが,支持率が急落している現状をみると,
将来どうなるかは分かりません。

(注1)『大分合同新聞』(2015年8月1日),https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2015/07/31/223606781
     http://biz-journal.jp/2015/07/post_10915.html
(注2)『東京新聞』(2015年7月31日),コラム「法的安定性」
(注3)『朝日新聞デジタル版』(2015年7月31日)
  http://www.asahi.com/articles/ASH7Z53QFH7ZUTFK00S.html?ref=nmail

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安保法案は無効化できます―カギは支持率と来年の参議院選―

2015-07-28 09:49:03 | 政治
安保法案は無効化できます―カギは来年の参議院選と支持率―

安倍政権は,安保関連法案を衆議院で強行採決までして通過させ,7月27日から参議院での審議に入りました。

憲法学者のほとんどは,法案は憲法違反の疑いが極めて高いと考えています。しかも,改憲という正規の方法をとらず,
まるで裏口入学のように,こっそりと解釈の変更で憲法の実質的な効力を葬ってしまおう,という立憲主義を根底から
否定する蛮行です。

いくら反対しても,現在の衆議院の議席数を考えれば,たとえ参議院で賛成を得られなくても,そして最悪でも「60日
ルール」を用いれば法案は,通ってしまうかもしれません。

それは,それで仕方ないかもしれませんが,たとえ法律が通っても,それで終わりではありません。

今すぐ,廃案にすることはできませんが,安保法案を実際に使用できなくする,言い換えると無効化する方法はあるのです。

7月26日,野田市「9条の会」主催で行われた,柳澤協二氏の講演会(野田市中央公民館)に出席し,まだまだできること,
やるべきことはある,と力強い勇気を与えられました。

柳澤氏は1970年,東大法学部を卒業し,同年防衛庁(当時)に入省し,2002年1月,防衛庁長官官房長,同年8月,防衛庁
防衛研究所所長を経て,2004~2009年,内閣官房副長官補を務めた後,退官し,2011年からはNPO法人,国際地政学研究
所理事長に就任しています。

この簡単な経歴からもわかるように,柳澤氏は,防衛庁の文官として40年間,エリート官僚の道を歩んできた,防衛に
関するエキスパートです。

合わせて,内閣官房副長官という政治の中枢にもいて,政策の立案や実施についても実務的な知識を豊富にもっています。

現役かつてイラク戦争の際には,自衛隊をイラクに送った経験も持っています。

こうした経験だけをみると,柳澤氏は,体制寄り(政府・自民党寄り)の人物との印象を持ちます。

しかし,今回の安倍政権の安保関連法案に対しては,その内容が法律的にも実際的にもあまりにもひどく,しかも非現実的
であり,日本を間違った方向に導いてしまう,という強い危機感から,安保関連法案に非常に強く反対し,講演や著作を通
じて,その問題点を指摘しています。

たとえば,安保関連法案に関して出版された,『亡国の安保政策―安倍政権と「積極的平和主義」の罠』(岩波書店,2014),
『亡国の集団的自衛権』(集英社新書,2015)『新安保法制は日本をどこに導くか』(かもがわ出版)などは,彼の経験に
基づく,非常に貴重な著作です。

これらの本で何が書かれているかは別の機会に譲るとして,彼の指摘の中で,私が最も勇気づけられたのは次の点でした。

つまり,私たちは,一旦,法案が通ってしまったら,それで終わりだと思いがちですが,そうではありません。

安保関連法案を現実に使わせない,無効化する方法もあるのです。それは,参議院で,国会承認を拒否することです。

たとえ,自衛隊が集団的自衛権の行使が法律で認められていたとしても,実際に自衛隊を派遣するためには,国会
承認
が必要です。

この国会承認は衆議院だけでなく参議院も同等の権利を持っており,しかも両院での承認が必要です。したがって,
もし参議院で否決されれば,派遣はできません。

なぜなら,法案の成立時には,「60日ルール」が適用可能で,たとえ参議院が否決しても,あるいは60日以内に議決
しなくても,再び衆議院に戻されて3分の2以上の賛成で可決できます。

ところが,この国会承認には「60日ルール」は適用されません。したがって,今回の安保関連法案があっても,実際に
自衛隊を動かすのはそれほど簡単ではありません。

そこで,非常に重要となるのが来年夏の参議選挙です,と柳澤氏は訴えていました。

まだ時間があるから,参議院選にむけて,少なくとも,現政権与党の議員を減らすこよう心がけましょう,と示唆していました。

これは,「戦争法案」である安保関連法案を無効化する,非常に重要なポイントだと思いました。

もう一つ,私は個人的に,選挙まで待たなくても,人々の内閣支持率を下げることも,政府に勝手なことをさせない大きな力
になると考えてきました。

安倍政権の支持率は,6月の調査と比べて,直近の7月18-19日の,日経新聞の調査でも,支持率は38%,不支持率は
50%を超えていました。支持率は6月と比べて10ポイント以上下がっています。

自民党の担当大臣の高村氏も官房長官の菅氏も「想定の範囲内」と言っています,支持率を気にする安倍首相も,内心では
相当,戦々恐々としているはずです。

私たちは,内閣支持に関するアンケートにでも当たらなければ,直接に支持率を下げることはできませんが,自分にできる範囲
で,周囲の人に戦争法案の危険性を語り合い勉強することは必要だと思います。

ところで,政府は,集団的自衛権の発動に先だって,「原則として」国会の事前承認を必要とするとは言っています。

しかし,緊急事態につき,事前の審議は間に合わない事態だから,事後承認にする,という詭弁を用いるでしょう。

また,政府は自衛隊を派遣する理由も目的も,すべて「秘密保護法」を口実として,一切,明かさないかもしれません。

しかし,もし,国民の代表である国会の事前の承認もなく,自衛隊派遣の理由も目的も明らかにしないで集団的自衛権
を行使(実際には戦闘行為を)したら,戦前の日本が満州,中国で経験したように,いつの間にか,日本は泥沼の戦争
にのめり込んでしまいます。

これには,さすがに国民の間にも,与党の中でさえ,反対が多いでしょうから,政府としても,国会を無視した軍事行動
を繰り返し発動できるわけではありません。

もっとも,来年の参院選の結果次第で,安倍政権がそのまま続くかどうかも分かりませんが・・・・・。

参議院選は来年の夏なので,政府は,多くの国民はバカだから,きっとそれまでには安保法案のことなど忘れている
だろう,と高をくくっています。

自民党の実行部は,国民をこの程度に見下いしているのですが,実に国民をバカにした話です。

おそらく,「アベノミクス」という目くらまし戦略が予想以上に効を奏し,高い支持率を得ることができたので,安保法案
もうまくゆくだろう,との驕りと慢心があるのでしょう。

ただし,柳澤氏は,人は怒りを長い間持ち続けるのは難しい,だから,すくなくとも来年の参議院選挙まで,この問題を
考え続け反対の声を上げ続けるる努力が必要です,とも言っていました。

もちろん,この問題は参議院選のあとも,日本という国が立憲主義国家であり,民主国家であり,さらに平和憲法をも
った誇り高い国であることを守ってゆくためには,これからもずっと続く長期の戦いになるので,その覚悟が必要で
あることも語っていました。

これらの崇高な理念は,何もしないでただ与えられることはありませんから,それが侵される危険があったら,反対の
声を上げる,不断の努力が長期間必要だということも再認識しました。

私は昨日(7月27日),若手弁護士が立ち上げた「憲法を考える千葉県若手弁護士の会」の第1回の「未来のための
憲法講座」に出席しました。

この日には,日弁連憲法対策本部副部長の伊東 真氏の講演がありました。伊東氏も,多くの著作や公演で,今回の
安保法制反対の活動をしています。

その彼も,今回の安保法制に対する戦いは,非常に長期間にわたる,ひょっとすると,30年,100年という単位で続け
る必要がある,と述べていました。

私たちは,なにげなく「戦後70年」という言葉を口にします。しかし,よくよく考えてみると,これは「最後に戦争をしたのは
70年前」,同時にそれは,「それ以後70年も戦争をしてこなかった」ということも意味しています。

アメリカのように,第二次世界大戦以後,今日までどこかで(20か所で)戦争をしてきたことを考えれば,日本がこれほど
長期に戦争で人を殺し,殺される経験をしてこなかったことは,とても誇れることです。

それには「憲法9条」が大きな柱となってきたことは確かですが,自民党も含めて国民的意志として,二度と戦争はしない,
という強い意志を持ち続け,努力もしてきたからこそ可能だったと思います。

実際,これまでも,自衛隊が戦争へ参加するよう,アメリカの強い要請が何度もありました。とりわけ中曽根首相時代には,
自衛隊を派遣しようとしまいしたが,ギリギリのところで世論と自民党内部の抵抗もあって,実現しませんでした。

こうした経緯については,柳澤氏が自身の体験も含めて豊富な事例を上に挙げた著作で示しています。

伊藤氏も,「戦後70年」とは言わず,「戦後100年,200年」という長期にわたって,戦争のない時代を伸ばしてゆく必要が
あることを訴えていました。

ただ,心配なのは,安倍首相のように戦争体験のない世代が,戦争の悲惨さ,虚しさを知らずに,「強い国」を目指そうとして
いることに危惧を感じる,とも語っています。

現在,憲法と立憲制を守れ,戦争法案反対,違憲立法反対の動きが性別,年代,地域を超えて広がっています。大学生が立
ち上げたSIELDsの呼びかけで,多くの大学生がデモに参加し,最近では高校性も声を上げ始めました。

これらは,近年にない国民的な動きと言っていいと思いますし,それはそれですごく重要だと思います。

しかし,柳澤氏の講演でも伊藤氏の講座でも強く感じたのは,こうした大枠での抗議活動と同時にもっと,具体的に,どこがどの
ように間違っているのか,おかしいのかを勉強する必要があるということです。

今さら,という感じはしますが,今回の安保関連法案がなぜ,違憲なのか,そして解釈改憲がなぜ立憲主義の否定になるのか,
などをもう一度しっかりと理解する必要があると思います。

憲法の条文をもう一度学び直すことも一つです。また,自民党が出している,集団的自衛権が行使できる15の事例が,一つ一つ
がいかに非現実的であり,憲法や自衛隊法に照らして無理があるかを理解することです。

柳澤氏は,上記の著作で,非常に分かり易く解説していますし,伊藤氏は,かなり具体的に法的な問題(少なくとも80~100,
あるいはそれ以上)があると言っています。

最後に,伊藤氏の講座でとても強く印象に残ったことばがあります。

政府は,先進国の中で集団駅自衛権を認めていないのは日本だけだ,だから日本も「普通の国」になるために,集団的自衛権を
認めるべきだ,といます。

他の国がこうだから,日本もそうなるべきだ,というのは理由にはなりません。

個人個人に個性があるように,国の形にも個性があっていいし,それを尊重すべきだ。

これは日本国憲法でも謳っている,個人の尊重の理念とも重なります。

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ある朝の,トマト(大,中,小),キュウリ,オクラの収穫。苗は大玉2本,中玉2本,ミニが1本です。


葉に隠れて見過ごしたキュウリが,巨大化してしまいました。これも1本の苗から,ある日1日で採れた分です。


ミニトマトは,干して,ドライトマトにします。これは冷凍して置くと,パスタやスープに1年中使えます。






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白井聡「永続敗戦論」を考える(2)―終わらない敗戦処理―

2015-07-22 04:39:08 | 政治
白井聡「永続敗戦論」を考える(2)―終わらない敗戦処理―

「敗戦」についての論考として,加藤典洋氏(以後敬称略)『敗戦後論』(注1)がよく知られており,発表された1995年当時,賛否両論,
広く議論を呼びました。

白井もこの著作に触れています。彼は,日本の戦後レジーム(特に平和憲法)が,端的な力(戦勝国のパワーポリティクス)―具体的
にはアメリカの力―を背景に強制的に与えられたという事情に,戦後日本が抱え込んだ「ねじれ」の根源があると解く加藤の問題提起
を評価しています(白井:43-50ページ)。

言い換えると,戦後の「平和と民主主義」は自力で勝ち取ったものではなく,敗戦時に世界が直面していた冷戦構造の中で,戦勝国
(具体的にはアメリカ)が,自分たちの都合の良いように日本に押し付けたものである,ということです。

加藤は,改憲派も護憲派も,この「ねじれ」を直視してこなかったことを指摘しており,白井は,現在も直視していないことが問題であ
ると述べています。

加藤の著作の全体的な評価については別の機会に譲るとして,白井の議論と関係が深い点だけを少し整理しておきます。

まず,加藤の「敗戦後論」と「ねじれ」とは不可分の関係があります。彼は,「戦後」を,たんなる「戦争が終わった後」ではなく,
「戦争に負けた後」という意味で「敗戦後」にこだわっています。

というのも,敗戦国は非常に複雑な感情と状況に追い込まれるからです。この点を加藤は著書の冒頭部分で次のように述べています。

    ヴェトナム戦争の傷は,一つにはその戦争が「正義」を標榜していたにもかかわらず,「義」のない戦争であった
    ことからきている。日本における先の戦争,第二次世界大戦も「義」のない戦争,侵略戦争だった。そのため,国
    と国民のためにと死んだ兵士たちの「死」,―「自由」のため,「アジア解放」のためとそのおり教えられた「義」を
    信じて戦場に向かった兵士の死―は,無意味となる。そしてそのことによってわたし達のものとなる「ねじれ」は,
    いまもわたし達に残るのである(加藤:10ページ)。

つまり加藤は,アメリカであれ日本であれ,「義」のない戦争に負けた国が背負うことになる,特殊な鬱屈した感情および状況もまた,
「ねじれ」と表現しているのです。

この文脈の中で加藤は,日本の戦後憲法に対する護憲派が出した,ある声明文を批判します。つまり,戦勝国と国際情勢によって押し
つけられたという事実に目をつぶり,「あたかも,この憲法をわたし達が自力で策定,保持したかに読み取れるように作文している」
と,(加藤:15-16ページ)。

この点では白井と加藤とは違いはありませんが,白井は加藤が「敗戦『後』論」という枠組みで論じているのは問題だ,と言います。

白井は,今日表面化してきたさまざまな出来事や問題は,「敗戦」そのものが決して過ぎ去らないという事態が続いていることから
発しており,「敗戦後」など実際には存在しない,と断じます。
    それは二重の意味においてである。敗戦の帰結としての政治・経済・軍事的な意味での直接的な対米従属構造が
    永続化される一方で,敗戦そのものを認識において隠蔽する(=それを否認する)という日本人の大部分の歴史
    認識・歴史的意識の構造が変化していない,という意味で敗戦は二重化された構造をなしつつ継続している。(白井:47ページ)  

つまり,現在の日本は,あらゆる面で敗戦当時と全く同様,アメリカの占領下にあり,対米従属の状態でいながら,大部分の日本人は,
「日本は戦争に負けた」という事実を隠そうとする歴史認識は変わっていない。白井は,この二重の意味で敗戦は続いていると言います。

この構造を白井は「永続敗戦」,それに基づく日本の政治体制を「戦後レジーム」と呼んでいます。

大部分の日本人は,日本が戦争に負けた事実は認めているとは思いますが,その事実を隠す,あるいは薄めようとする潜在意識がある
ことは確かでしょう。

白井の言葉を借りると,戦後,日本の政治を支配してきた保守勢力とは,「ことあるごとに『戦後民主主義』に対する不平を言い立て戦前
的価値観への共感を隠さない政治勢力」ということになります。

この政治勢力は,彼らの主観においては,大日本帝国は決して負けておらず(戦争は「終わった」のであって「負けたのではない),「神州
不敗」の神話は生きているのです。

ただし,もし,日本が負けていないことを対外的に表すとしたら,アメリカによる対日処理を否定し,サンフランシスコ講和条約も,ポツダム
宣言の受諾を否定しなくてはなりません。

しかしそれは現実には不可能なので,彼らは一方で国内およびアジアに対しては敗戦を否定してみせることによって自らの「信念」を満足
させ,他方で,自分たちの勢力を容認し支えてくれる米国に対しては卑屈な臣従(従属的姿勢)を続けるという,「いじましいマスターベート」
と化している。それだけでなく,彼らはそのような自らの姿に満足を覚えてきたのです(白井:48ページ)。

これは現在の安倍首相とそれを支える党内外の勢力の姿勢そのものであることがわかります。

アメリカに対する従属的姿勢は,アメリカの強い要請があった集団的自衛権の行使を可能にする安保関連法案を,日本の国会に上程する
前にアメリカの議会で今年の夏までに法制化を完了させることを約束してしまった安倍首相の国民無視の言動にはっきり表れています。

他方で,日本がこれまで植民地支配をしたり,第二次世界大戦で多くの犠牲を強いたアジア諸国にたいしては,日本はあたかも戦争には負
けなかったかのようにふるまってきました。

日本がアジアに対してそのようにふるまうことができたのは,戦後日本の驚異的な経済発展があったからです。

実際,日本は「豊かな先進国」として,「貧しいアジアの開発途上国」にたいして経済援助を通じて日本の経済力をアジア諸国に見せつけて
きました。

この限りでは,確かに日本が敗戦国であることは覆い隠され,あるいは薄められていました。

しかし,戦勝国アメリカに対しては,基地を提供し,核兵器を含むアメリカの軍事力の下に組み込まれ,外交では常にアメリカの顔色をうかが
がい,経済的にはTPPへの参加,市場開放などの面でどこまでもアメリカに追随しています。。

しかし,こうした状況は近年,ほころびを見せ始めました。

これまで「貧しい」と見下してきた中国のGDPは2010年には日本に追いつき,現在では日本の3倍にも成長しています。これにたいして日本は
長期の経済的停滞に陥っています。

さらに他のアジア諸国の経済発展も目覚ましく,日本だけがアジアで唯一の豊かな国ではなくなりつつあります。軍事的にも中国は日本をしの
ぐ力を蓄えています。

他方で,アメリカの軍事的一極支配は財政的にも維持が困難になりつつあります。

こうした状況で,日本は再び「敗戦」という事実に直面します。それは,領土問題と第二次世界大戦で日本がアジア諸国に与えた犠牲に対する
歴史認識の問題です。

両者は不可分に結びついているのですが,ここでは「永続敗戦論」の観点から,そして現在進行中の安保関連保安とも関連する,領土問題に絞
って考えてみたいと思います。

日本は現在,三つの領土問題(尖閣諸島,竹島,北方領土)抱えています。

これらの領土問題は,どのように「永続敗戦」と関係しているのでしょうか。

白井は,領土問題を考える際,日本の無条件降伏をしたときに受諾した「ポツダム宣言」に繰り返し立ち戻らなければならない,と述べています。

「ポツダム宣言」は1945年7月26日にアメリカ,イギリス,中華民国,(のちにソ連が加わる)が日本に突きつけた降伏に関する最後通牒で,13
か条から成っており,その中で領土に関しては第八条で次のように規定しています。

     「カイロ」宣言の条項ハ履行セラルヘク又日本国の主権は本州,北海道,九州,四国並ニ吾等の決定する諸小島に局限セラルヘシ

つまり,日本が降伏を認め戦争を終結する場合,日本の主権が及ぶ範囲(つまり領土)は,本州,北海道,九州,四国,そして「吾等の決定する
諸小島」に局限されること,と規定されています。

ここで「吾等」とは英米中(ソ)を指し,主要四島以外の島の領土の帰属については,この四か国が決定することになっています。

日本はどれほど不満があっても,敗戦国であることを認め,とにかく「ポツダム宣言」を受諾して,初めて戦争を終結させることができたのです。

後に,アメリカを中心とした西側の連合国とは,サンフランシスコ講和条約によって領土問題もある程度決着されました。

以上の背景を前提として,まず中国との間で問題が生じている「尖閣諸島」の問題を考えてみましょう。

国際法の観点からすれば,日本には主要四島以外の島である「尖閣諸島」の領有権を主張する権利はありません。

日本政府は,サンフランシスコ講和条約によって日本が放棄すべき領土に「尖閣諸島」が入っていないことを根拠に,従来,尖閣諸島の領有権
を主張してきました。

しかし,この講和会議には中華民国(現中国政府)は参加を拒否されたので,中国側にとって,法的根拠は「ポツダム宣言」ということになります。
つまり,戦勝国である中国も領土の決定権を有しているのです。

白井は,「この原則を日本側が突き崩そうとするならば,論理的に言って,ポツダム宣言の受諾に遡りこれを否定しなければならない」が,「それ
は全連合国を敵に回して再び戦争状態に入ることを意味する」ので,それは空想的次元に属する,と述べています。

こうして,中国側からすれば,戦勝国である中国の,敗戦国である日本に対する権利は全く無視されていることになります。

同様の問題はソ連(現ロシア)との間に問題となっている北方四島についても,竹島についても言えますが,今回はこれ以上触れません。

ただし,以下のことだけは留意しておく必要があります。アメリカは戦後の日本の領土に関して意図的に曖昧にしておいたと考えられます。それに
よって,日本と中国・韓国・ソ連(ロシア)との間に緊張関係を作りだし,その脅威にたいして日本を擁護することを理由にアメリカは日本を従属状態
に置き,日本の負担で基地を提供・維持させ,そして巨額の武器を買わせることに成功しています。

この意味で,北方四島,尖閣諸島,竹島の帰属を曖昧にしておいたのは,アメリカがこっそり仕組んだ「罠」といえます。

戦後の保守勢力は,敗戦の事実を否定し続け,アメリカへの絶対的従属だけが日本の生きる道と考え,日米関係を強化する一方で,英米と同じく
戦勝国である中国とロシアの権利は拒否し続けています。

以上の観点から白井は,敗戦処理ができていないまま,日本の「敗戦」は永続化していると主張しています。


(注1)この論考は最初,『群像』(1995年1月号)で発表され,1997年に講談社から同名タイトルで出版された。

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風車とヒマワリ 今,ヒマワリは最盛期を迎えています


夏の花を代表するカンナの傍らで,早くも秋の花,コスモスがひっそりと咲いています。


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白井聡「永続敗戦論」を考える(1)―敗戦を認めない日本の支配層―

2015-07-16 14:06:22 | 政治
白井聡「永続敗戦論」を考える(1)―敗戦を認めない日本の支配層―

2015年7月15日,自民・公明の連立政権は,特別委員会において,安保関連法案(実際には10本の法案プラス1本の法案を,2本にまとめて
しまったもの)を強行採決してしまいました。

そして翌16日,衆議院の本会議で,野党欠席のまま採決されました。これで今国会で安保法案が成立することがほぼ確実となりました。

安保関連法案が,どこからみても憲法違反であることは,ほとんどの憲法学者が述べていますし,このブログでも4回にわたって書いてきました。

7月15日の特別委員会の答弁で,安倍首相自身が,今回の安保関連法案は国民の間で理解が進んでいないことをはっきり認めています。

また,委員会の議長を務めた浜田議員も,10本の法案を1つにまとめてしまったことには無理があり,分かりにくいことを認めています。

それにも拘わらず,安倍首相はしゃにむに強行採決に突き進みました。

その理由としていろいろ指摘されてきました。まず,自民党の悲願である憲法改定,とりわけ戦争の放棄を謳った九条を破棄しようとする強い意
志があったことは確かです。

また,尊敬する祖父の岸信介氏が1960年に国民の強い反対を押し切って安保条約の改定を行ったことを念頭に,祖父を超えようとする野心があ
ったことも,一つの理由かもしれません。

さらに,国会での審議を重ねれば重ねるほど,これらの法案の曖昧さと危険性が浮き彫りになってきているので,国会で絶対多数を占めている今
のうちに安保関連法案を成立させてしまおう,との認識があったこともじじつでしょう。

しかし,国民の八割が説明不足であると感じており,六割以上が,今国会で決めるべきではないとの認識をもっている法案を,敢て強引に成立させ
てしまおうとする背景には,別の理由もあったはずです。

その一つは,今年の四月にアメリカ議会で,安保関連法案を夏までに成立させる,と公約したことです。

議会での演説は,アメリカ議会での演説は大きな拍手をもって迎えられたようですが,それは当然です。

なぜなら,集団的自衛権の行使容認(それを実行可能にするのが,安保関連法案)は,日本がお金の面でも兵員の面でもアメリカの負担を軽くして
くれるからです。

安倍首相は,集団的自衛権行使によって,日本の抑止力が高まるという,一見,納得しやすい説明をしていますが,これは国民をだます欺瞞です。

なぜなら,集団的自衛権とは,日本が攻撃されなくても「日本と密接に関係する国」が第三国から攻撃を受けた場合,日本が攻撃されたとみなし,
その第三国を攻撃する権利のことです。

一応,その攻撃が日本の安全にとって重大は影響を与えることが予想される場合,という条件はついてはいますが,その判断はあくまでも時の
政府が総合的に判断するとなっており,どうにでも理由付けはできます。

ここで,「日本と密接に関係する国」とは,実質的にはアメリカを指しており(最近オーストラリアも加えられました),アメリカの抑止力は
高まるかも知れませんが,日本の抑止力が高まるとは言えません。

たとえば,アメリカが「イスラム国」との戦争状態にあり,中東でアメリカ軍が攻撃され,日本に参加の要請があれば,日本は自衛隊を送る
ことが,法的にはできます。

過去に,イラク戦争,アフガン戦争の際にも,アメリカ側から戦闘参加への強い要請があったようですが,政府は憲法九条を理由に,自衛隊の派遣
を断ることができました。

しかし,もし今国会で安保関連法案が可決成立されると,政府はアメリカの要請を断れないでしょう。

こうして考えてみれば,違憲の可能性が極めて高い安保関連法案は,なによりもアメリカの要請(実態は指示・命令に近い)に日本政府が応えた,
アメリカへの奉仕が第一の目的であると言えます。

2012年8月に出された,通称「アーミテージ・レポート」(注1)は日本に対する要請として,「改憲・憲法第9条の改正(集団的自衛権の行使)」,
「原発の推進」,「TPP交渉参加推進」,「中国との緊張の維持」などを指摘しており,現在はその通りの筋書きで日米関係が進行しています。

日本人から見ても,なぜ歴代の日本政府は,卑屈なまでのアメリカへの追従・従属姿勢を取り続けているのか不思議に見えます。

これは一部のアメリカ人からみても不思議に映るようです。たとえば,アメリカの著名な映画監督,オリバーストーン氏は2013年8月6日に広島で開催
された原水爆禁止世界大会でのスピーチで,日本はアメリカの衛星国(satellite state)であり,従属国(client state)である日本人はなぜこれに反対しな
いのか,と訴えています(注2)。不思議なことに,このスピーチの内容は,日本のマスメディアは完全に無視しています。

日本の実態は,アメリカの従属国あるいは属国であることを,白井聡『永続敗戦論―戦後日本の核心』(太田出版,2013年),それをきっかけに行われた対談本,白井聡・
内田樹『日本戦後史論』(徳間書店,2015年)での内田の発言などが,反論の余地もなく見事に解き明かしています。

この二著を読むと,なぜ日本の歴代の支配層(とりわけ自民党幹部)はアメリカに従属的な姿勢を貫いているかが良く分かります。

白井氏は,「永続敗戦」という,いささか挑戦的な言葉が誤解されるかもしれないので,対談本の方で改めて要約しています。以下,それをさらに要約して
示しておきます。
 
一九四五年に第二次世界大戦が終結し,日本にとっては敗北という形で終わった。この純然たる敗北,文句なしの負けを,戦後の日本はごまかしてきた。
これを「敗戦の否認」と呼ぶ。なぜ敗戦を否認しなければならなかったかというと,あの戦争を指導していた人たちが,戦後再び支配的な地位に留まるため
だった。彼らは間違った指導をしてきたのだから,本来ならそんな地位につけるはずがない。だから敗戦という事実をできる限りあやふやにしなければなら
なかった。
それが可能だったのは,アメリが望んだからだ。アメリカは,すでに始まっていた冷戦の中で,左翼(ソ連寄り)よりは元ファシスト(戦前の指導層)の方が望
ましいと考えていた。そこで,戦前の保守勢力が権力の座に留まっていることができた。

こうした背景で岸・佐藤政権,さらには彼らの後継者である安倍晋三などは,アメリカの認可のもとに政権を維持されてきたのだから,アメリカの要請を拒否
できるわけがない,というのが白井の論旨です。

以上を少し補足すると,戦争は終わったのではなく,国家の誤った政策のため,徹底的に,完膚無きまでに負けたのだ,ということを戦前・戦後の支配層は
どうしても認めたくないのです。

なぜなら,それを認めることは,間違った政策を国民に強制し,日本国民とアジアの人々に与えた命の犠牲と苦痛にたいして謝罪し,処罰されなければなら
ないからです。

強行採決直前の7月15日の安保特別委員会で野党議員から,第二次世界大戦は政府の誤った政策による侵略戦争であったという認識はあるか,と問わ
れて,安倍首相は最後まで誤りを認めませんでした。もし認めれば,戦前の支配層とその後継者である安倍首相はその責任を追及されるからです。

以前,国会で,共産党の議員から「ポツダム宣言」を読んだか,と聞かれた安倍首相は「つまびらかに読んではない」と答えました。

しかし,他ならぬ「戦後レジームの脱却」を唱える安倍首相が,その「戦後レジーム」の基になった「ポツダム宣言」を読んでいないとは,首相としての資質
を疑います。彼はきっと,日本の敗戦を明確に宣言した「ポツダム宣言」を読みたくないのでしょう。

「ポツダム宣言」は,戦勝国のイギリス,アメリカ,ロシア,中国が,第二次世界大戦を引き起こした日本の誤りを明確に指摘し,無条件降伏を突き
つけたものです。

日本は,敗戦を認め「ポツダム宣言」を受諾し,これに基づいて「戦後レジーム」が出発したのですが,安倍首相はどうしても「敗戦」という事実を認めたくない
のでしょう。

安倍首相が「戦後レジームからの脱却」というとき,「ポツダム宣言」を否定することになります。これが引き起こす問題については,別の機会に触れようと思い
ます。

こうして,国内的には日本は完全に負けたのだ,という「敗戦」の事実をごまかし,アメリカに対しては無条件降伏したのです。

言い換えると,日本の保守勢力はアメリカの許しの下で権力に留まっているのですから,アメリカに頭が上がるわけはありません。

こうして,敗戦時の状態がずっと続くことになり,これを白井氏は「永続敗戦」と呼んでいるのです。

次回は,「永続敗戦」が今も続いているその実態と問題点を,もう少し具体的に考えてみたいと思います。

(注1)レポートの原文は,以下のサイトを参照(2015年7月16日アクセス)
    http://csis.org/files/publication/120810_Armitage_USJapanAlliance_Web.pdf 
    
(注2)このスピーチについては www.webdice.jp/dice/detail/3946/ を参照(2015年7月15日アクセス)
スピーチの動画 You Tube https://www.youtube.com/watch?v=cd4KX0xVrcUで見ることができる

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安倍首相「応援団」(2)―言論弾圧「暴言」の背景と波紋―

2015-07-10 07:34:24 | 政治
安倍首相「応援団」(2)―言論弾圧「暴言」の背景と波紋―

前回取り上げた,百田氏の「沖縄の2紙はつぶさないといけない」という発言は,多くの波紋と反発を呼び起こしました。

名指しされた琉球新報と沖縄タイムスの編集局長は共同抗議声明を出しており,その一部はすでに前回紹介していますが,その中で,
百田氏の発言は「言論弾圧の発想そのもの」「民主主義の根幹である表現の自由,報道の自由を否定する暴言に他ならない」と批判
しています。

そして,この共同声明では「百田氏の発言は自由だが,政権与党である自民党の国会議員が党本部で開いた会合であり,むしろ出席
した議員が沖縄の地元紙への批判を展開し,百田氏の発言を引き出している。その経緯も含め,看過できない」と問題視しています
(『東京新聞』2015年6月27日)。

「百田氏の発言を引き出した」経緯は,長尾敬衆院議員の以下の発言です。
    沖縄の特殊なメディア構造を作ってしまったのは戦後保守の堕落だった。沖縄タイムス,琉球新報の牙城の中で,
    沖縄世論を正しい方向にもっていくために,どのようなことをするか。左翼勢力に乗っ取られている現状において,
    何とか知恵をいただきたい。

7月2日の記者会見で2紙の編集局長は,百田氏の発言を引き出した長尾議員は,沖縄の住民を愚弄している,と改めて激しく非難
しました。

おそらく長尾議員は,百田氏の思想傾向を知った上で,かなり強引な「知恵」を引き出せることを予想して,上のような発言をしたのだ
と思われます。沖縄の2紙は,この点を批判しているのです。

7月1日の衆議院特別委員会の参考人として出席した鳥越俊太郎氏は,勉強会での発言は,居酒屋でおだを挙げて言っているのとは
わけが違う。絶対多数の与党議員の発言であり,非常に危険を感じる,と述べましたが,同感です。

勉強会の翌日の26日,民主党の岡田克也代表,維新の党,共産党,生活の党は,25日の会合での百田氏と,発言した国会議員の発
言は言論弾圧であり,民主主義の根幹である言論の自由を否定する暴言である,と一斉に批判しました。

26日の特別委員会で安倍首相は,野党議員から「発言者を処分すべきでは」と問われると「私的な勉強会で自由な議論がある。一つ一
つの意見をもって処罰することがいいかということだ」と答え,処罰を否定しました。

安倍首相はこの問題で,この時は国民に向かって一度も謝罪していません。「報道が事実なら大変遺憾だ。(勉強会は)党の正式会合で
はない。有志の会合だ。発言がどのように報道されたかは確認する必要がある」「成り代わって勝手におわびできない」などと言い訳する
ばかりです。

また,菅官房長官は記者会見で,「どう考えても非常識。政治家は誤解されるような発言を避けるべきだ」と「勉強会」での発言が不適切
であったことは認めました(『東京新聞』2015年6月27日)。

しかし,出席議員の発言は,「誤解される発言」の余地はなく,誰が聞いても報道圧力,言論の弾圧以外何物でもありません。

また,谷垣禎一自民党幹事長は当初,「メディアへの批判,反論はあっていいが,主張の仕方にも品位が必要」と発言者に苦言を呈しま
した。

しかし谷垣氏は,言論弾圧とも彼らの発言は「品位」が欠けているから問題だ,という「品位」の問題として捉えており,問題の本質を理解
していませんでした。

しかし,国会内外で懇話会でも発言に対する批判が急速に高まり,その波紋が安保法案の審議に影響を与えることを懸念して,谷垣氏は
27日,自由民主党青年局長の木原稔党の幹部を1年間の役職停止,問題の発言をした3人を「厳重注意」としました。

ところが,30日,大西議員は国会内で記者団の質問に対して、会合での発言に「問題があったとは思わない」,安全保障関連法案に批判
的な報道機関について、再び「(一部の報道機関を)懲らしめようという気はある」と述べました。

この発言が,批判の火に油を注ぐことになるため,谷垣幹事長は火消しに大わらわとなり,大西議員を再び厳重注意処分としました。

渡辺弁護士は,「結局、言論統制三人組は、本当は処分を受けていない可能性がある上に、安倍晋三・自民党総裁以下の幹部がむしろ後
ろから擁護し、党の代表者である安倍晋三氏が国民に対して謝罪すらしないため、大西英男議員による二度目の言論統制発言に至ったと
言えるでしょう」,と処分自体に疑問を呈しています(注1)。

事態はたんに「勉強会」での発言者に止まらず,自民党,とりわけ安倍首相の責任問題にまで及ぶようになりました。

安倍晋三首相(自民党総裁)は7月1日,公明党の山口那津男代表と会談し,自民党内の勉強会での報道圧力発言に関して、「わが党の
議員のことでご迷惑をおかけしていることは大変申し訳ない」と陳謝しました(注2)。

しかし,安倍首相は,沖縄の人にたいしても,国会に対しても,何より国民に対して陳謝はしでいません。

民主党の枝野幹事長は,「陳謝する相手が違うだろう」と悲観していますが,その通りです。

7月2日,外国人記者クラブで沖縄タイムスと琉球新報の編集局長の記者会見がありましたが,外国人記者は一様に,彼らの国では言論の
自由は非常に重要視されており,今回のような発言は考えられない,と語っています。

オーストリアの記者は,日本は民主主義国家だと思っていたが,自民党は非民主主義的になりつつあると感じた,と述べています。これが
世界の常識というものです。

勉強会で,自分たちと異なる見解をもつ報道機関を,有名人(この場合は百田氏)を通じて,さらに経団連に働きかけて抑え込んで欲しい,
といった,幼児的な発言をする人物が国会議員であることは,驚きを通り越して悲しくなります。

このような発言が飛び出す背景はなんだろうか? 

一つは,安倍政権が強行しようとしている安保法案にたいする理解がなかなか進まないどころか,むしろ日に日に批判が高まっていることに
対する,安倍側近のいらだちでしょう。

二つは,絶対多数をもつ自民党のおごりと,民主主義制度に対する理解が根本的に欠けていることです。

「勉強会」で,安保法案を批判する報道を非難する発言がでたことにたいして,元内閣官房副長官の柳沢協二氏は,「理屈でかなわないから
人格攻撃するのと同じで,事実と論理で説明が不可能だと事実上認めている。悪いのは批判するマスコミだから封殺すればいいというのは
民主主義の基本原理に反する多数党のおごりだ。」と述べています(『東京新聞』2015年6月27日)。

おそらく,厳重注意を受けた3人も,自分たちの発言がどのような意味を持ち,どのような非難を浴びるかを十分承知のうえで,敢て過激なこ
とを言ったのだと思われます。

その背景には,自民党が国会において絶対多数を占めているという背景と,自分たちの後ろには安倍首相がおり,最終的に守ってくれるだろう
との期待があったのかも知れません。

三つは,問題発言をした3人はいずれも当選2回で,国会議員としては2年半の,「新人」議員であり,国会議員としての経験が不足している上
に,民主主義という概念が欠落していることです。

もう少しきつい言い方をすると,彼らは国会議員としての資質に欠けているといわれても仕方ないと思います。

この背景には,若い議員は,自民党の「追い風」のおかげで当選した人が多く,彼らは違憲を異にする人たちとの厳しい議論や競争の経験が少
ないのです。

四つは,現在の自民党のあり方がこうした形で噴出したとも言えます。第二次安倍政権になって,政治は官邸主導となり,党としてはほとんど機
能していません。

このため,大多数の自民党議員,とりわけ若い議員は,採決の際の人数合わせ以外,存在感を示す場がありません。

こうした状況の中で,安倍首相への忠誠を示し,自分たちの存在をアピールしようとする意識が働いていたと考えられます。

大西議員が,「マスコミを懲らしめるには,広告収入をなくせばいい。われわれ政治家,まして安倍首相言えないことだ」と言いましたが,この背後
には,「だから自分たちが成り代わって言うのだ」という意味が含まれています。これこそ,安倍首相への忠誠心のアピールそのものです。

今回の報道圧迫発言は,偶然に出たのではなく,安倍政権の体質そのもの,本音であると思われます。

なお,世間の批判が日増しに強くなったため,安倍首相は最終的に,「勉強会」での発言に対して誤っていると陳謝しましたが,これは本心という
より,安保法案審議への影響をできるだけ少なくしようとの配慮からだと思われます。

(注1)「Yahoo ニュース」(2015年7月3日)(7月3日参照)
    http://bylines.news.yahoo.co.jp/watanabeteruhito/20150703-00047198/
(注2)「産経ニュース」(2015年7月1日)(7月3日参照)
    http://www.sankei.com/politics/news/150701/plt1507010012-n1.html

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