前原氏の幼児性と無責任―「希望」へ移った民進党議員の無念と苦渋―
今回の民進党解体劇(ただし、衆議院だけで、参議院では民進党は存続している)は、見るも無残な「茶番劇」でした。
今年の9月28日に開催された民進党の両院総会で、代表の前原誠司氏は、小池百合子氏が代表を務める「希望の党」と
の「合流」を提案し、了承されました。
この時、前原氏は安倍一強を倒すために、「名を捨て実取る」と説明、その時には、民進党議員は民進党に籍を置いた
まま、全員が希望の党の公認を受けて立候補し、民進党としては公認を認めない、との説明でした。
民進党の議員からすれば、大きな反自民勢力を作って安倍政権を打倒する、という大義のために苦渋の選択として前原
代表の言葉を信じて、了承したのです。
ところが、翌日になると事態は一変します。つまり、小池氏は、民進党との「合流」ということではないし、民進党の
候補者を全て受け入れる気は「さらさらない」と断言。
さらに、安保法制と憲法改定(改正とはいえない)に賛成することを受け入れる、という「踏み絵」に賛同できない人
は「排除」する、とまで踏み込んだ発言をしました。
これでは約束が違う、と多くの民進党議員は動揺しましたが、この時点では選挙公示日まで10日余りしかありません。
十字架を踏むキリシタンほどの深刻な苦渋ではなかったかもしれませんが、多くの民進党議員と民進党から立候補を予
定していた人たち、合計110人ほどは、泣く泣く「踏み絵」に署名をしました。
ところで、9月28日の両院総会に先立つ21日、前原代表と小池代表との話し合いが行われて、この場で、安倍政権を倒す
ために民進党と希望の党が一緒になって協力することで二人は合意した、とされています。
ただし、この時、前原氏は民進党議員の全員が希望の党の公認を受けて立候補できる、との「感触」だけで両院総会に
「合流」を持ち帰ったのです。
この両院総会の様子を、後に立憲民主党を立ち上げた枝野氏はインタビューで、全員が希望の党の公認を得ることができ
る点について、前原氏は非常に強い確信と何らかの確かな担保があると思わせる口ぶりで話した、と言っています。
だからこそ、当然、もめると思われた両院総会で前原氏の提案が、枝野氏も含めて全員一致で了承されたそうです。
ところが、何の担保もないどころが、小池氏は「最初から全員を受け入れるとは全く言っていない」「さらさらない」と
全否定しました。
前原氏は、一つの政党が事実上解党に近い状態になるという重大な局面で、全員が公認されるかどうかを小池氏に確認し
たはずです。
もし確認していなかったとしたら問題外ですし、もし確認したとして、それを文書に残さなかったとしたら、政治家とし
て、あまりにも幼稚としか言いようがありません。
あるいは、小池氏の巧みな話術に、前原氏がうまく乗せられてしまったのかも知れません。
いずれにしても、前原氏の政治家としての能力がいかに未熟であるかを物語っています。
もし、小池氏の、「全員を受け入れるとは全く言ってない」という言葉が本当だとすると、前原氏は民進党の両院総会で、
皆を騙したことになります。
前原氏は、小池氏が実際に「排除」を始めて、多くの民進党議員が公認から外されたとき、「想定の範囲内」と言っての
けています。
もし言葉通りなら、前原氏は、当初から「排除」があることを分かっていたということになり、これは、民進党の議員に
たいする裏切り、詐欺的行為であり、犯罪的ですらあります。
「想定の範囲内」とは、単なる前原氏の開き直りなのか、自分が言ってきたことの矛盾にも気づかない、幼稚さの表れで
しょう。
いずれにしても、もう前原氏の言葉を信じる人はいなくなるでしょう。
私の推測では、小池氏と前原氏の一致点は、リベラル派を潰して第二保守政党を立ち上げ、キャスティング・ボード握り、
うまくゆけば自民の一部と連携して小池氏が首相の座を奪う、という点にあったのではないでしょうか?
しかし、小池氏の評判はあっという間に落ち、目算が狂ってしまいました。政権選択を叫んでいた小池氏が、自ら衆議院
に立候補し、首相候補として立ち上がらなかったのは、「負け戦」を避けたからだと思います。
ところで、民進党から希望の党に移った議員たちは、自分たちの思想・信条の変節をどのように思っているでしょうか?
2015年7月、国会内の衆院特別委員会で政府・与党が安保法案を強行採決に踏み切ろうとすると、野党席から怒号が
飛び交い
民主党(後に民進)など野党議員の多くが委員長席に詰め寄りました。
岡山4区で希望の公認を得た前職、柚木道義氏はその一人でした。柚木氏は「強行採決反対!」と書かれたプラカードを
掲げ、与党の国会運営に抗議しました。
「あの行動は今も正しかった」。7日午後5時過ぎ、倉敷市内で街頭演説した柚木氏は声を張り上げました。
民主党など野党は衆院採決時、採決に応じませんでした。柚木氏は当時、「民主主義は死んだも同然。廃案を諦めない」と
の談話を出しました。
希望の党は公認にあたり、10項目の「政策協定書」を作成し同意を要求しました。そこでは安保法制について「憲法にの
っとり適切に運用。不断の見直しを行い、現実的な安保政策を支持」との文言がありました。表現は多少柔らかくなってい
ますが、原案段階では現行の安保法制の容認を求めており、希望側の本音がはっきり表れています。
10月6日夜、柚木氏ら4区の出馬予定者の公開討論会で柚木氏は、協定書を参加者に示しながら「憲法違反の運用はしない、
と書かれている」と理解を求めました。
また、討論会後に取材に応じた柚木氏は「違憲の疑いがある部分は、法改正する。何の矛盾もない。時間をかけて丁寧に説
明したい」とも語っています。どことなく「引かれ者の小唄」のようで、痛々しい弁解です。
民進から希望に移った前職、小川淳也氏(香川1区)も安保法制の衆院可決後、自身のブログに「憲法違反の疑いが強い安
保法案。憲法を無視し、国民を軽視する安保政策の大転換」と書き込んでいます。
香川では昨年の参院選で、共産公認の野党統一候補の応援に汗を流したのが民進党県連代表だった小川氏でした。地元の市
民団体が主催した安保法制の反対集会にも参加しました。
今回、希望の党からの出馬に関して、7日午後1時過ぎ、高松市内の公民館で行われた国政報告会で「政治信条や姿勢はい
ささかも変わらない。新党が極端な立場を取れば、ブレーキ役を担う」と力説しました。
そして、報告会を終えた小川氏は取材に、「安保法制は慎重に運用すべきで、あり得ない政策ではない。ただ、もう一度議
論しなくてはいけない」とも語りました。
報告会に参加した無職男性(78)は「希望の政策と小川さんの考えには食い違いがあるように見える。選挙戦の中でよく
説明を見極めたい」と語っています(注1)。
柚木氏も小川氏も、どうにも説得力のある弁明をしているとは思いません。両者の弁明は痛々しすぎます。
森友・加計問題で安倍首相を追及していたのは玉木雄一郎氏、宮崎岳志氏、今井雅人氏、福島伸享氏、大西健介氏らはそろ
って希望の党に移りました。
彼らは果たして希望の党のなかでも変わらず疑惑追及の声を上げ続けられるのだろうか。
元民進党幹事長代理の玉木雄一郎氏は自身のブログで、自らの主張を曲げてまで別の党に移るつもりはありません」と述べ、
さらに安保法案のうち「武力攻撃事態法」の中には、やはり違憲の疑義がぬぐいきれない部分があることも認めています。
しかし、今回、希望の党に移ったのは、自民党と1対1の対決構造を作り政権交代を実現するために、前原氏の決断に従った
と、自身のブログで書いています。
しかし前原氏は、本来なら共に政権交代を目指す立憲民主党の立候補者を落選させようと刺客を送っています。この現実を見
ると、玉木氏の言い訳もむなしく響きます。
原口一博氏(佐賀1区)は「一寸の虫にも五分の魂」がある、と言い、希望の党の公認を受けながら、公認を拒否し無所属で
出馬することを決意しました。
彼は「とんでもない詐欺に引っかかって身ぐるみ剥がれたような思いを抱える仲間が少なくありません」とツイートしていま
す(10月6日)(注2)
この言葉に共感している、希望の党に乗り換えた民進党の前議員と新規の立候補者はかなり多いのではないでしょうか?
彼らに待っているのは、有権者の厳しい目と審判だけでなく、政治家として、また人間として、心のうちで湧き上がる無念と
と苦渋の葛藤です。もう、彼らの声に耳を傾ける人は空く成る成るでしょう
(1)『琉球新報』2017年10月9日 11:33 https://ryukyushimpo.jp/mainichi/entry- 590297.html
毎日新聞2017年10月8日 09時33分(最終更新 10月9日 11時33分)
https://mainichi.jp/senkyo/articles/20171008/k00/00e/010/134000c
(2)『MAG2News』20177.10.13
http://www.mag2.com/p/news/298800?utm_medium=email&utm_source=mag_news_9999&utm_campaign=mag_news_1013
玉木氏のブログ(10月3日)
https://ameblo.jp/tamakiyuichiro/entry-12316145342.html
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8月はほとんど雨の異常気象でした。この間、トマトはまったく収穫できなかったのですが、9月に入り、日照が戻ると、
今度は、驚くほど多くの実を付け始めました。写真は、1回の収穫で、5キロありました。異常気象に対応してトマトは
大急ぎで子孫を残そうとしたのかも知れません。

今回の民進党解体劇(ただし、衆議院だけで、参議院では民進党は存続している)は、見るも無残な「茶番劇」でした。
今年の9月28日に開催された民進党の両院総会で、代表の前原誠司氏は、小池百合子氏が代表を務める「希望の党」と
の「合流」を提案し、了承されました。
この時、前原氏は安倍一強を倒すために、「名を捨て実取る」と説明、その時には、民進党議員は民進党に籍を置いた
まま、全員が希望の党の公認を受けて立候補し、民進党としては公認を認めない、との説明でした。
民進党の議員からすれば、大きな反自民勢力を作って安倍政権を打倒する、という大義のために苦渋の選択として前原
代表の言葉を信じて、了承したのです。
ところが、翌日になると事態は一変します。つまり、小池氏は、民進党との「合流」ということではないし、民進党の
候補者を全て受け入れる気は「さらさらない」と断言。
さらに、安保法制と憲法改定(改正とはいえない)に賛成することを受け入れる、という「踏み絵」に賛同できない人
は「排除」する、とまで踏み込んだ発言をしました。
これでは約束が違う、と多くの民進党議員は動揺しましたが、この時点では選挙公示日まで10日余りしかありません。
十字架を踏むキリシタンほどの深刻な苦渋ではなかったかもしれませんが、多くの民進党議員と民進党から立候補を予
定していた人たち、合計110人ほどは、泣く泣く「踏み絵」に署名をしました。
ところで、9月28日の両院総会に先立つ21日、前原代表と小池代表との話し合いが行われて、この場で、安倍政権を倒す
ために民進党と希望の党が一緒になって協力することで二人は合意した、とされています。
ただし、この時、前原氏は民進党議員の全員が希望の党の公認を受けて立候補できる、との「感触」だけで両院総会に
「合流」を持ち帰ったのです。
この両院総会の様子を、後に立憲民主党を立ち上げた枝野氏はインタビューで、全員が希望の党の公認を得ることができ
る点について、前原氏は非常に強い確信と何らかの確かな担保があると思わせる口ぶりで話した、と言っています。
だからこそ、当然、もめると思われた両院総会で前原氏の提案が、枝野氏も含めて全員一致で了承されたそうです。
ところが、何の担保もないどころが、小池氏は「最初から全員を受け入れるとは全く言っていない」「さらさらない」と
全否定しました。
前原氏は、一つの政党が事実上解党に近い状態になるという重大な局面で、全員が公認されるかどうかを小池氏に確認し
たはずです。
もし確認していなかったとしたら問題外ですし、もし確認したとして、それを文書に残さなかったとしたら、政治家とし
て、あまりにも幼稚としか言いようがありません。
あるいは、小池氏の巧みな話術に、前原氏がうまく乗せられてしまったのかも知れません。
いずれにしても、前原氏の政治家としての能力がいかに未熟であるかを物語っています。
もし、小池氏の、「全員を受け入れるとは全く言ってない」という言葉が本当だとすると、前原氏は民進党の両院総会で、
皆を騙したことになります。
前原氏は、小池氏が実際に「排除」を始めて、多くの民進党議員が公認から外されたとき、「想定の範囲内」と言っての
けています。
もし言葉通りなら、前原氏は、当初から「排除」があることを分かっていたということになり、これは、民進党の議員に
たいする裏切り、詐欺的行為であり、犯罪的ですらあります。
「想定の範囲内」とは、単なる前原氏の開き直りなのか、自分が言ってきたことの矛盾にも気づかない、幼稚さの表れで
しょう。
いずれにしても、もう前原氏の言葉を信じる人はいなくなるでしょう。
私の推測では、小池氏と前原氏の一致点は、リベラル派を潰して第二保守政党を立ち上げ、キャスティング・ボード握り、
うまくゆけば自民の一部と連携して小池氏が首相の座を奪う、という点にあったのではないでしょうか?
しかし、小池氏の評判はあっという間に落ち、目算が狂ってしまいました。政権選択を叫んでいた小池氏が、自ら衆議院
に立候補し、首相候補として立ち上がらなかったのは、「負け戦」を避けたからだと思います。
ところで、民進党から希望の党に移った議員たちは、自分たちの思想・信条の変節をどのように思っているでしょうか?
2015年7月、国会内の衆院特別委員会で政府・与党が安保法案を強行採決に踏み切ろうとすると、野党席から怒号が
飛び交い
民主党(後に民進)など野党議員の多くが委員長席に詰め寄りました。
岡山4区で希望の公認を得た前職、柚木道義氏はその一人でした。柚木氏は「強行採決反対!」と書かれたプラカードを
掲げ、与党の国会運営に抗議しました。
「あの行動は今も正しかった」。7日午後5時過ぎ、倉敷市内で街頭演説した柚木氏は声を張り上げました。
民主党など野党は衆院採決時、採決に応じませんでした。柚木氏は当時、「民主主義は死んだも同然。廃案を諦めない」と
の談話を出しました。
希望の党は公認にあたり、10項目の「政策協定書」を作成し同意を要求しました。そこでは安保法制について「憲法にの
っとり適切に運用。不断の見直しを行い、現実的な安保政策を支持」との文言がありました。表現は多少柔らかくなってい
ますが、原案段階では現行の安保法制の容認を求めており、希望側の本音がはっきり表れています。
10月6日夜、柚木氏ら4区の出馬予定者の公開討論会で柚木氏は、協定書を参加者に示しながら「憲法違反の運用はしない、
と書かれている」と理解を求めました。
また、討論会後に取材に応じた柚木氏は「違憲の疑いがある部分は、法改正する。何の矛盾もない。時間をかけて丁寧に説
明したい」とも語っています。どことなく「引かれ者の小唄」のようで、痛々しい弁解です。
民進から希望に移った前職、小川淳也氏(香川1区)も安保法制の衆院可決後、自身のブログに「憲法違反の疑いが強い安
保法案。憲法を無視し、国民を軽視する安保政策の大転換」と書き込んでいます。
香川では昨年の参院選で、共産公認の野党統一候補の応援に汗を流したのが民進党県連代表だった小川氏でした。地元の市
民団体が主催した安保法制の反対集会にも参加しました。
今回、希望の党からの出馬に関して、7日午後1時過ぎ、高松市内の公民館で行われた国政報告会で「政治信条や姿勢はい
ささかも変わらない。新党が極端な立場を取れば、ブレーキ役を担う」と力説しました。
そして、報告会を終えた小川氏は取材に、「安保法制は慎重に運用すべきで、あり得ない政策ではない。ただ、もう一度議
論しなくてはいけない」とも語りました。
報告会に参加した無職男性(78)は「希望の政策と小川さんの考えには食い違いがあるように見える。選挙戦の中でよく
説明を見極めたい」と語っています(注1)。
柚木氏も小川氏も、どうにも説得力のある弁明をしているとは思いません。両者の弁明は痛々しすぎます。
森友・加計問題で安倍首相を追及していたのは玉木雄一郎氏、宮崎岳志氏、今井雅人氏、福島伸享氏、大西健介氏らはそろ
って希望の党に移りました。
彼らは果たして希望の党のなかでも変わらず疑惑追及の声を上げ続けられるのだろうか。
元民進党幹事長代理の玉木雄一郎氏は自身のブログで、自らの主張を曲げてまで別の党に移るつもりはありません」と述べ、
さらに安保法案のうち「武力攻撃事態法」の中には、やはり違憲の疑義がぬぐいきれない部分があることも認めています。
しかし、今回、希望の党に移ったのは、自民党と1対1の対決構造を作り政権交代を実現するために、前原氏の決断に従った
と、自身のブログで書いています。
しかし前原氏は、本来なら共に政権交代を目指す立憲民主党の立候補者を落選させようと刺客を送っています。この現実を見
ると、玉木氏の言い訳もむなしく響きます。
原口一博氏(佐賀1区)は「一寸の虫にも五分の魂」がある、と言い、希望の党の公認を受けながら、公認を拒否し無所属で
出馬することを決意しました。
彼は「とんでもない詐欺に引っかかって身ぐるみ剥がれたような思いを抱える仲間が少なくありません」とツイートしていま
す(10月6日)(注2)
この言葉に共感している、希望の党に乗り換えた民進党の前議員と新規の立候補者はかなり多いのではないでしょうか?
彼らに待っているのは、有権者の厳しい目と審判だけでなく、政治家として、また人間として、心のうちで湧き上がる無念と
と苦渋の葛藤です。もう、彼らの声に耳を傾ける人は空く成る成るでしょう
(1)『琉球新報』2017年10月9日 11:33 https://ryukyushimpo.jp/mainichi/entry- 590297.html
毎日新聞2017年10月8日 09時33分(最終更新 10月9日 11時33分)
https://mainichi.jp/senkyo/articles/20171008/k00/00e/010/134000c
(2)『MAG2News』20177.10.13
http://www.mag2.com/p/news/298800?utm_medium=email&utm_source=mag_news_9999&utm_campaign=mag_news_1013
玉木氏のブログ(10月3日)
https://ameblo.jp/tamakiyuichiro/entry-12316145342.html
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8月はほとんど雨の異常気象でした。この間、トマトはまったく収穫できなかったのですが、9月に入り、日照が戻ると、
今度は、驚くほど多くの実を付け始めました。写真は、1回の収穫で、5キロありました。異常気象に対応してトマトは
大急ぎで子孫を残そうとしたのかも知れません。
