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大木昌の雑記帳

政治 経済 社会 文化 健康と医療に関する雑記帳

ターシャ・デューダーの自然観から学ぶ

2021-08-30 13:40:49 | 思想・文化
ターシャ・デューダーの自然観から学ぶ

もし私が、この人のような人生を送りたい、という人を一人だけ挙げてください、と、
問われたら、即座にターシャ・デューダーと答えるでしょう。

ターシャ・デューダー(Tasha Dudor 1915-2008)はアメリカのボストンで生まれ
ました。父は著名な飛行機やヨットの設計者で、母は肖像画家でした。

ターシャの家には、『トムソーやの冒険』で知られたマーク・トウェイン、日本の自
然愛好家の間でもファンが多い『森の生活』の作者、哲学者・随筆家のヘンリー・デ
イヴィット・ソロー、アインシュタイン、など当代一流の文化人や科学者が出入りし
ていました(注1)

彼女は23才で結婚し、4人の子どもをもうけますが、離婚し、57才の時にバーモ
ント州のマールボロに移り住み、以来、亡くなるまで愛犬のコーギー犬のメギーとと
もに暮らしました。

ターシャは絵本作家として世界的によく知られており、我が家にも、彼女の代表作の
一つ、『コーギビルの村祭り』という絵本があります。

ターシャのもう一つの顔は、庭作りの名手、自然愛好家です。私が、ターシャに強く
惹かれたのは、NHK(BS)で、『ターシャの庭』という番組を何回か放送し、そ
のうちの何回を録画してあります。

そうした映像の中で、私が特に強い印象をもったのは、ターシャの子どもや孫が集ま
って、みんなで手分けした1年分のローソクを1000本作るシーンです。

私にはこういうことは発想にもないので、かなりショックを受けました。しかし、お
そらくターシャにとっては、もっとも居心地が良い光なのでしょう。

かつて、ソローが家に出入りしていた影響を受けたのかも知れませんが、ターシャは
筋金入りの自然愛好家のようです。

それは、彼女の庭作りにも表れています。一度でもターシャの庭の映像を見たことが
ある人なら、分かると思いますが、よく手入れさたおよそ30万坪の敷地は、彼女の
好きな草花で埋め尽くされています。

この庭は、ターシャが30年以上もかけて作り上げてきたものです。そのために、彼
女は花の周りの“雑草”を1本1本丹念に抜いて花を守てきました。

しかし、ある時彼女は、こうした作業を止めてしまいます。その時の言葉に私は、自
然愛好家としてのターシャの真骨頂を感じました。

ターシャは次のように言います(ターシャの言葉そのままではなく、私の記憶にある
言葉です)
    今まで、自分の育てた花をまもるために“雑草”を抜いてきました。しかし、
    雑草の花もきれいでしょ。私は、もうこの庭を自然に返そうと思いました。

庭の草花をよく見ると背の高い“雑草”が、彼女が育ててきた草花に交じって勢いよく
育っており、花が咲いていました。

短い言葉の中に、彼女の自然に対する深い思いが込められていると感じました。

彼女にとって、自分が種を播き苗を植えて育てた草花も庭全体も、そこに生えている
のはまぎれもない、生きた“自然物”です。

しかし、それは、どこからか種が飛んできて自生した本物の自然の植物ではなく、人
間の手でそこに移植させられ、周囲のライバルである“雑草”を取り除いた完璧な“人工
物”だというのです。

こうして、今はもう、雑草が生え放題になっています。

“雑草”と言う言葉は、“余計な草”“あって欲しくない”と言う意味が込められています。
そこには、“差別”の意識があります。

考えてみれば、これは自然に対するずいぶん失礼な考え方です。“雑”かどうかは、人
間が勝手に決めたもので、自然界では全てが“真”で、“雑”なものなどありません。

“雑草”を他の花と比較するのではなく、自然に対する偏見を取り払い、素直に向き合
えば、全ての植物にはそれぞれの美しさがあることに気づき、感動できる、と言い
たいのでしょう。

自然を大切に考える環境保護主義のなかにも、何も手を付けないでそっとしておくべ
きだ、という考えと、ある程度人間が手を加えて“保護”する必要がある、という考え
があります。

ただ、どちらも重要な前提が抜けています。それは、人間がすでに元々の自然に手を
加えてしまっている場合、それがたとえ外見では“自然の森”に見えても、放置すれば
荒れてしまいます。その場合は、ずっと手を加え続ける必要があります。

ターシャは育てている植物の周りの草を抜き、肥料を与えて保護しています。こうし
て、人工物である庭を維持してきました。しかし、ある時、ついに、それを止めるこ
とを決意します。

おそらく、そのままにしておけば“雑草”が辺りを覆いつくしてしまうでしょう。なぜ
なら、自生している雑草は、その土地に合っている、その土地の生き物だからです。

しかし、他所から持ち込んだ草花は、その土地の土や気候や水はけ、日照に無理や
り合わせてゆかなければなりません。

こうしたことを見据えた上でターシャは、自分が丹精込めて作り上げた庭を “自然
に返す”言ったのだと思います。

ターシャは93才で亡くなるまでに80冊以上の本を出版し、ターシャの庭で過ご
しました。

ターシャはたくさんの名言を残しましたが、私がもっとも気にいっているものを一
つだけ書いておきます。

 “人生は短いから、不幸なっている暇なんてないのよ”

時には落ち込むことがありますが、そんな時、この短いけれど励ましてくれる、い
わば、人生の応援歌です。
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コーギビルの村祭りの開始です                                    まつりのおみやげ屋さん
  

ターシャ・デユーダー『コーギビルの村祭り』メディア・ファクトリー                   『コーギビルの村祭り』より

お気に入りの花畑 後の木組みはアサガオを這わせるため                     庭のハイブッシュブルーベリーを摘む 愛犬のコーギー メギーとともに                         
            

ターシャ・デューダー『ターシャの庭』より                           『ターシャの庭』より




















































































































































































































































































































































































































































































































































































































































 





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「人類が新型ウイルスに打ち勝った証として」“無観客でも”というブラック・ジョーク

2021-03-23 14:11:16 | 思想・文化
「人類が新型ウイルスに打ち勝った証として」“無観客でも”というブラック・ジョーク

菅首相はこれまで「人類が新型ウイルスに打ち勝った証として」東京五輪(オリンピック・パラリン
ピック)を開催すると繰り返し発言してきました。

しかし最近は、この言葉がブラック・ジョークのようにしか聞こえない状況となっています。

というのも、東京オリンピック・パラリンピックで海外からの一般観客受け入れを断念することが3
月20日、正式に決まりました。

大会組織委員会、政府、東京都、国際オリンピック委員会(IOC)、国際パラリンピック委員会(IP
C)の代表がオンライン会議で行った5者協議で合意しまし。

その理由は、新型ウイルスの変異株の出現などによって厳しい感染状況が続いており、国民の不安も
強いことを配慮した結果だという。

国内の観客数の上限に関しては4月中に方向性を示すことが確認されました。

丸川五輪相は、観客だけでなく報道関係者や選手のサポートスタッフなどの大会関係者の入国も大幅
な削減が不可欠だとの認識を伝えました。

この決定の日、橋本聖子組織委員会長は「国民やそれぞれの国から来るアスリートをはじめ、関係者
の安全と安心を確保するために致し方ない結論だ」と語り、悔しさをにじませました。

この決定はまさに、新型コロナに打ち勝ったどころか、「打ち負けた」何よりの証です。

もし、本当に人類が新型ウイルスに打ち勝ったのなら、当然海外からの観客を受け入れ、日本人観客
も客席限度まで入れるべきなのですが、とりあえず海外からの観客を入れないことを決めたのです。

さらに不可解なのは、5者協議での決定は、「安全な」東京五輪をアピールするためだというのです。

しかし、これは裏を返せば「安全」ではないから、海外からの観客を排除しなければならないという
メッセージになってしまいます。

本来なら、海外から多くの観客や旅行者を迎え入れて、選手の地方合宿なども含めて、東京五輪は国
際交流の絶好の機会となるはずですが、この機会がなくなったことで、五輪の意義の半分ほどは無く
なってしまいます。

政府は当初、新型コロナ感染拡大で打撃を受けた地方経済を立て直すために、オリ・パラを機に海外
からの訪日客を受け入れ、インバウンド(訪日外国人旅行者)回復の足掛かりにすることを期待し、
菅首相もこれに意欲を示していました。

菅首相にとっては、何としても東京五輪を成功させ、その勢いで自民党の総裁選や衆議院選での勝利
につなげようとの思惑がありました。

国際交流の大儀も、政府が考える経済的利益も放棄して、海外からの観客を排除せざるを得なかった
のには理由があります。

まず、日本政府としては、海外からの一般客を迎えた場合、一方で新たな変異ウイルスが国内に持ち
込なれる危険性があり、他方で選手を含めて訪日外人が日本で感染する危険性もあるからです。

日本で感染者が激増した今年1月には、政府が緊急事態宣言を発令する事態に発展しています。

IOC委員のセバスチャン・コー卿は22日、BBCの取材に対し、今年開催の東京オリンピックが無観客
での開催になる可能性があると発言しています(注1)。

最近では変異株の感染者が続出するようになっています「(変異ウイルスが)主流になるのは時間の
問題」(専門家の意見)と「第四波」への懸念も出始めています。

組織委員会は二月ころから海外からの観客「受け入れ困難」との判断に傾いていたが、橋本会長がこ
うした意向を菅首相官邸サイドに伝えていました。官邸サイドはためらっていましたが、最終的に組
織委員会の判断を受け入れたという。組織委員会の幹部は、「世論を無視できない」と強調しました。

では、その世論とはどんなものなのでしょうか。その最も重要な背景は、国民にくすぶる中止・延期
論があるからです(『東京新聞』2020年3月21日)。

今は、少しオリンピック賛成派が増えましたが、1月~2月のアンケート調査によれば70%~80
%の国民が、オリンピックの延期か中止でした(注2)。

このアンケートにも問題があって、「延期」という選択肢は現実にはあり得ないのに、いまだにこの
選択肢を入れてあります。

現在は賛成派も少しずつ増えていますが、それでもまだ「延期か中止」は7割に達しています。

現在は第三波が収まりつつあるように見えますが、他方で第四波へのリバウンドに向かう危険性が極
めて強くなっていますし、一部の専門家はすでにリバウンドは始まっている、と考えています。

国内だけでなく、海外でも本当にオリンピックは開催できるのかどうか疑問視する声があります。

昨年末から今年の初めに5か国について行われたアンケート調査(各1000人)によれば、タイで
は95%、韓国では94.7%、中国では82%、アメリカでは74.4%、フランスでは70.6
%が延期または中止すべき、と答えています(注1)。

その最大の理由は、日本ではワクチン接種が進んでいないから、日本人のみならず海外からの訪日者
も安心できないから、というものです。

政府は当初、6月末までには日本人全ての接種が可能になるワクチンが6月末までに入手できると言
っていましたが、現在では年内には、というスケジュールに変わりました。

そして厚労省によると、現実の入手可能性は、65才以上の高齢者3500万人分のワクチンの配布
が終わるのは6月末です。それから接種がはじまるわけですから、一般の人への接種が始まるのは、
うまくいって7月末過ぎということになります。

しかも、ワクチンが実際に国内に入ることができるかどうかは分かりません。少し遅れれば年を越し
てしまうかもしれません。

いずれにしても、オリンピックを直接感染したい人は、たぶん65才以下の人が大部分だと考えると、
オリンピックが行われている期間には、国民の大部分がワクチン接種を済ませてないことになります。

今のところ、いくつかのシミュレーションでは、4月からワクチン接種が順調に進み、しかも変異種
の影響がないという条件で、5月の連休ころに第四波がきて、その後急速に収まるとしています。

しかし、ワクチンの入手は未確定であり、変異種は急速に主流になりつつあります。こうした状況で、
オリンピックを強引に開催しても、大丈夫なのか疑問です。

バッハ会長は、最近の選挙でIOCの会長に再任されたばかりだし、菅政権にとっては政権浮上に大き
く影響するだけに、とにかくどんなことがあっても開催した、という既成事実だけは欲しい、という
ことでしょう。

また、中止となれば、IOCの予算の大きな部分を占めるアメリカのテレビ放送の放映権料が入らなく
なるので、バッハ会長の意気込みは相当なものです。

誤解を避けるために言えば、私は元来、オリンピックの大ファンで、これまでの大会の開会式や閉会
式の様子をDVDに保存しています。

そして、大会期間には、かなりの時間、競技をテレビ観戦してきました。しかし、今回に限っては、
どうしても熱い期待をよせる、という気にはなりません。

その第一の理由は、やはり去年の状況を考えれば、大会期間中に非常事態宣言を出さなければならな
い事態も考えられるし、もしそうなれば非常事態宣言を出しながらオリンピックをと言われても、気
分が乗らないからです。

さらに、この7月にコロナ禍が終息していないと、多くの医療関係者がオリンピックに駆り出される
可能性があります。かつて橋本氏は、1万人くらいの医療関係者を動員するような発言をして、直ち
に医療側か批判されました。

コロナ患者の治療と、一般の医療(特に救急医療)を同時に行うことですら非常に大変なのに、オリ
ンピックのためにさらに医療関係者を引き抜くのはあまりにも無神経です。

政府と関係者は、なんとかオリンピックを盛り上げようとやっきになっていますが、多くの国民のオ
リンピックに対する“熱量”は低く、冷めています。

バッハ会長も日本政府も、たとえ無観客でも、今は何が何でもオリンピックを開催すると言っていま
すが、コロナの変異株によるまん延次第では、最初からか、あるいは途中で中断しなければならない
事態になるかもしれません。


(注1)BBC (2021年1月23日) https://www.bbc.com/japanese/55777064)
(注2)KYODO (2021/3/21 05:00 (JST)3/21 05:17 (JST)updated
https://this.kiji.is/746096440732057600?c=39546741839462401
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紅白のしだれ梅がとてもきれいです。                                  私はソメイヨシノより、白いオオシマザクラの方が好きです。
   


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大阪なおみ全豪オープン優勝―成熟したアスリート―

2021-02-23 06:37:56 | 思想・文化
大阪なおみ全豪オープン優勝―成熟したアスリート―

2020年2月20日、オーストラリアのメルボルンで行われた、世界4大テニス大会(グランドスラム)
の一つ全豪オープンの決勝戦で、ジェニファー・ブレイディ(アメリカ 25歳)と対戦し2-0(6
-4、6―3)で完勝し、グランドスラム4回目の優勝を果たしました。

試合の後、大坂は相手のジェニファーへのリスペクトを込めて、
まずジェニファーおめでとう。全米オープンの準決勝で対戦して、ずっと強くなると感じていました。
その通りでした。ここ数か月でどんどん強くなっていくのを感じていました。努力の成果だと思います。

と称え、さらにブレイディのチーム、家族へ向けても「チームも、家族のようなものです。おめでとう
ございます。お母さんもあなたのことを誇りに思っているに違いありません」とメッセージを送りまし
た(注1)。

観客にたいして、「試合を見に来てくれてありがとう。とてもうれしいです。今、グランドスラムに出
られるのは本当に恵まれていること。決して当たり前ではありません」と語っています。大坂の謙虚で、
そして敗者に優しい人柄がよく表れた言葉です。

この試合の前、日本のメディアでは大坂なおみ勝利の予想が大勢を占めていましたので、結果をみれば
予想通りだったと言えます。間違いなく女子テニス界に「大坂なおみの時代」がやってきました。

私自身は、以前、少しテニスをやっただけなので論評する資格はありませんが、準決勝での、セリーナ・
ウイリアムとの闘いに注目していました。

セリーナといえば、1998年全豪オープンでグランドスラム・デビューを果たして以来、女子テニス界を
パワーで圧倒しグランドスラム23勝を達成した、まさに女子テニス界の「レジェンド」です。

しかし、そのセリーナも今や39才。体力の消耗が激しいテニスというスポーツのアスリートとして、
かつての「女王」は、体力・気力・技術の面で爆発的に向上している若きスーパー・プレイヤーの大坂
とどのような試合をするのか、興味は尽きませんでした。

なにしろ大坂にとってセリーナは子供の時からの憧れのプレーヤーで、セリーナを目指してきました。

大坂自身が試合後に語っていたように、「とてもナーバスだったし、怯えてもいた」と語り、大坂も恐
れを隠そうとはしませんでした。

結果からみると大坂の2-0(6-3、6-4)でストレート勝ちでしたが、試合の立ち上がりの大坂
は、明らかに「恐れ」が表に出ていました。

しかし、試合が進むにつれて、そうした感情も克服されて完勝となりました。ここに私は、大坂のメン
タルな強さと成長を感じました。

試合後、コートの中央でセリーナは肩を抱いて大坂の勝利を祝福し、それに対して大坂は、「いつまで
もずっとプレーを続けて・・・」と言ったそうです。

衰えを認めざるを得なくなった往年の「女王」が、日の出の勢いの若きヒロインを涙ながらに称えるこ
のシーンは、まさに感動的なドラマでした。

セリーナは試合後の記者会見では、記者の質問を遮って「もう終わりにして・・・」と涙をぬぐいつつ
席を立って消えてゆく姿が、なんとも言えない寂しさをたたえていました(注2)。

しかし、これはアスリートにとって、いつか必ず訪れる宿命でもあります。大阪なおみにも、“その時”
は必ずきます。

一方、大坂の心中はとても複雑だったと思います。というのも、畏敬の念さえ抱いていた憧れのスーパ
ー・スター、セリーナを破ってしまったことに、大坂自身の心にも一抹の寂しさと、ちょっぴり申し訳
なさがあったのではないでしょうか。

セリーナに勝って喜びを爆発させることもなく、大坂は静かに歩み寄って「いつまでもプレーを続けて
・・」と言ったその言葉に万感の思いを込めていたと想像します。

もちろん、これは私の個人的な感傷にすぎないかもしれません。

ところで、私は、今回の大坂の優勝には、彼女を支えた「チームなおみ」の貢献が非常に大きかったと
思いますし、彼女もチームへの感謝を述べています。

現代のスポーツは、選手が単独で闘うというより、チーム全体で闘うという性格が強く、大坂の場合に
も「チームなおみ」のウィム・フィセッテコーチ、中村豊フィジカルトレーナー、茂木奈津子ケアトレ
ーナーが彼女を支えてきました。

ウィム・コーチは、対戦相手の過去のプレーを徹底的にデータ分析し、弱点と強みを大坂に伝えていた
ので、映像をみるとその効果がはっきり出ていました。中村トレーナーが体力と体幹を鍛えた効果で、
大坂は体制を崩されながらもしっかり打ち返すことができていました。

そして、以前なら、失敗するとラケットをコートに叩きつけたり、泣いたり精神的なイライラを隠しま
せんでした。しかし決勝戦をみていると、ピンチになっても落ち着いていて、メンタルの安定がはっき
りみられました。これには茂木ケアトレーナーの心理面でのサポートがあったからだと思われます。

大坂自身は、コロナ禍で隔離生活は、自分を見つめなおすいい機会であった、と語っていますが、ここ
らあたりにも彼女の成長が見られます。

さて、女子テニス界はしばらく大坂なおみを中心に回ってゆくと思いますが、私はアスリートとしての
大坂なおみの評価とは別に、「人間大坂なおみ」を深く尊敬しています。

昨年5月、黒人のジョージ・フロイド氏が白人警察官に殺され、これをきっかけにアメリカのみならず
世界で人種差別反対の声が上がりました。いわゆる「黒人の命も大切」(Black Lives Matter)運動です。

大坂は、8月27日に予定されていた、全米オープンテニスの前哨戦「ウェスタン&サザン・オープン」
の準決勝への出場を、黒人差別への抗議活動の一環として辞退する、と発表しました。

大会側は大坂なおみの発言を受けて、ただちに27日の全試合の延期を決定し、ウェスタン&サザン・オ
ープンの運営サイドも「スポーツとしてのテニスは、米国で再び表面化している人種差別や社会的不公
平に、一丸となって取り組みます」と、大坂と同じく黒人差別への抗議を目的とした判断をしました。

そして、大坂はWTA(女子テニス協会)とUSTA(全米テニス協会)と協議をした結果、プレーするこ
とを決めました。

大坂は言います。「黒人女性として、テニスをしているよりも重要な事柄があるように感じます」「大
多数の白人スポーツの中で会話を始めることができれば、正しい方向への一歩だと思います」と(注3)。

つまり、自分は「黒人女性として」テニスをしてきたが、それよりも重要な問題があると感じている。
白人によって支配されてきたスポーツ界が、今回の問題をきっかけに議論を深めてゆくことができれば、
それで本来あるべき方向に進んで行けるだろう、と語っているのです。

たった一人の23才の若者が、アメリカの女子テニス協会と全米テニス協会を動かした、という事は、
とても重要な「事件」だと思います。自分の23才の時を思うと、とうていこのような行動はとれなか
ったと思います。

彼女は、こうも言っています。「『人種差別主義者ではない』だけでは不十分だ。反人種差別主義者で
なくてはならない」、と。

“私は、人種差別主義者ではありませんよ”、といいながら、実際に人種差別に対して抗議や行動を起こ
さないのは、事態を変える力にはならない。はっきりと反人種主義者として行動を起こすべきだと言っ
ているのです(注4)。

大坂なおみは、「私はアスリートである前に黒人女性」である、と公言し、抗議の意思表示として9月
の全米オープンでは、白人によって殺された7名の黒人被害者の名前が書きこまれたマスクを毎回取り
換えて試合に臨んだことは記憶に新しいところです。

大坂は、人種だけでなく、性差別にも反対しています。このため、日本で森オリパラ組織委員会会長が、
女性蔑視と受け取られる、女性がいると会議が長くなる・・・などの発言に対しても、これを女性差別
として反発し、
    いいことではない、彼のような立場にあるならば、話す前に(影響を)考えるべきで、すこし
    無知な発言だったと思う。
と、何の忖度もなく、担当直入に批判しています(5)。

土橋強化本部長は、「真のトップアスリートになる選手は人間の大きさが自然とでる。そこが彼女の魅
力」と言っていますが、私も全く同感です(『東京新聞』2021年2月22日)。

最後に、私が特に感銘を受けた、大坂なおみが昨年12月20日のニューヨークタイムス紙に寄稿した
言葉を引用します。少し長くなりますが、とても重要なことを言っています。

    アスリートよ声を上げよう
    ミュージシャンや俳優、ビジネス界の大物など著名人は最新のニュースに意見を主張すること
    を求められるのに対し、もし、アスリートが同じことをすると批判を浴びることがあります。
    ボールを打て。ショットを決めろ。黙って球をついて(打って?)いろ、と。
    現在はSNSが発達し、アスリートは発信力をもっています。
    私たちアスリートには「声を上げる責任」があります。
    私は黙って球をつき続ける気はありません(注6)。


                 注
(注1)THE ANSER (2021.02.20)https://the-ans.jp/news/146863/
(注2)Web Sportiva(2022.2.19) https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/otherballgame/tennis/
    2021/02/19/post_7/ セリーナ
(注3)Yahoo ニュース 2020/8/27(木) 13:57配信 The Digest(2020/8/27(木) 13:57配信
    https://news.yahoo.co.jp/articles/561bd04bb3200c39ebb47682d0b3d46bf195de8c
(注4)BBC NEWS Japan (2020年7月5日)https://www.bbc.com/japanese/53288847
(注5)『毎日新聞』デジタル(2021年2月6日 最終更新 2/6 17:17)
(注6)TBSテレビ 『ひるおび』(2021年2月22日放送)。この放送の訳では、「ついていろ」
    という部分が少々分かりにくい。他の訳では、ここは、NBAレーカーズのレブロン・ジェー
    ムズが政権批判した際にニュースキャスターから「黙ってドリブルしていろ」と言われた件
    に触れ「私たちには声を上げるという大きな責任がある。黙ってドリブルなんてしない」と
    発信を続ける決意を示したという部分に相当していると思われる。いずれにしても、大坂の
    発言の趣旨は、アスリートはもっと声を上げよう、という点にあることが重要。

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大坂の方を抱いて勝利を祝うセリーナ                                        優勝カップを手にして微笑む大坂

Web Sportiva 2021.2.19 16:55                                             NHK WEB 2021年2月21日 0時56分
https://article.auone.jp/detail/1/6/12/21_12_r_20210219_1613722781754314?rf=tbl

写真2



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社会現象となった“藤井聡太”(2)―AIを超えた芸術の域―

2020-09-01 15:16:07 | 思想・文化
社会現象となった“藤井聡太”(2)―AIを超えた芸術の域―

前回は、藤井聡太棋聖が木村一基王位からタイトルを奪い、藤井二冠となったことが、テレビ、
新聞などで大きく取り上げられた背景について書きました。

今回は、藤井聡太の才能について、将棋の内容にも少し触れながら考えてみたいと思います。

藤井聡太の二冠獲得に関して、さまざまな人がコメントを寄せていますが、個人的には加藤一
二三九段のコメントが、最も的を射たもおだと思います。

    人工知能(AI)の研究がいかに隆盛を誇ろうとも、藤井聡太二冠には、人間の探求
    心と求道心の先にある芸術的な一手により、盤上での感動を追求し、将棋界を沸かせ
    ていただけることを期待します(『東京新聞』2020年8月21日)。

加藤一二三九段(80)は、14才の藤井少年のプロ・デビュー戦で闘い、敗れた将棋界のレ
ジェンドです。

加藤九段は少年の時に“神童”と呼ばれたそうですが、藤井聡太も、やはり“神童”に近いと言える
かもしれません。

藤井少年の“神童”ぶりは、子どもの時から周囲の人を驚かせています。

小学生のころ「“どうして5分で分かることを45分もかけて教えるんだろう。授業がつまらない”
と言って驚かされたこともありました」と母親が懐述しています(注1)。すごい話です。

最近のAbema TV で対局を見ると、両者の優劣が、50:50とか、49:51とか、あるいは
終盤には95:5のように示されます。

また、どちらかが指した一手に対する相手の応手をコンピュータが、良い方から幾つかの選択肢
を示してくれます。時には、30億回、とか、私が見た最高は70億回も計算します。

同様に、実際に指した手の評価もものすごい速さで計算して数字で示してくれます。

藤井聡太の場合、コンピュータは彼が指した手をその時は最善手として評価せず、しばらく計算し
直して、やっぱり最善手だった、と評価を変えたことがあります。

藤井聡太の能力ならぬ「脳力」を、脳科学者の茂木健一郎氏は「9倍速解析脳」と命名しています
(注2)。

藤井二冠の読みの速さと深さは、ずば抜けています。二、三の実戦例を示しましょう。

藤井聡太が渡辺明棋聖(当時)からタイトルを奪取した5番勝負の何局目かで、藤井の王は、王手、
王手と連続16回も追い詰められ、単独で盤上を逃げ回りました。

一歩踏み外したらたちまち谷底に転落する状況で、コンピュータの表示では圧倒的に渡辺有利をは
じき出していました。

ところが、渡辺棋聖は結局、藤井聡太の王を詰ますことはできず、逆に、受ける手段がなくなって
いたため詰まされてしまいました。

後から分かったことですが、藤井聡太は、自分の王が30手先(交互に指して)に安全な場所にた
どり着き、自分が勝つことを読み切っていたそうです。恐るべき才能です。

もう一つ、これも渡辺棋聖との何番目かの対局だったと思いますが、藤井聡太は“ミス”をしてしまい、
しばらくタオルで顔を覆ってうなだれていました。

この対局も藤井聡太が勝ったのですが、後に、師匠の杉本八段の解説を聞いて、私は心底驚きました。

藤井聡太の“ミス”により、渡辺棋聖の方に勝つチャンスがうまれたのです。ただし杉本八段によれば、
渡辺棋聖が勝つためには、“森の中の細くて分かりにくい道を間違わずに進んだ場合に限り、たどり
着くことができる、難解な指し回しができれば、”という条件付きだったのです。(表現は多少違っ
ているかも知れませんが、趣旨は同じです)

結局、渡辺棋聖はその“森の中の細くて分かりにくい道を”を発見できず、逆転負けしてしまいました。

真剣勝負の対局中に、相手の勝ち筋を発見してしまい、それに気づいて半ば負けを覚悟してうなだれ
るとは尋常の読みの能力ではありません。

通常の棋士は、自分の勝ち筋を読むこと、あるいは負け筋を読むことはあっても、難解な相手の勝ち
筋まで読み切ることは考えられません。

最後にもう一つ例を示しましょう。木村王位(当時)とのイトル戦7番勝負のある一局で、藤井聡太
の最強の駒である飛車が、相手の銀によって取られる形になりました。もちろん、逃げることはでき
るのでプロの棋士なら、躊躇なく逃げます。AIも逃げる手を最善手としていました。

しかし藤井聡太は、最強の飛車と銀とを交換してしまったのです。これは、例えて言えば、自分のも
っている1万円と相手の千円とを交換するようなものです。こんなことは、まず棋士は考えません。

この時、藤井聡太には、このような、一見不利な交換でも、後々、交換した銀で勝ちに導くことがで
きるとの読みがあったと思われます。少なくとも絶対に不利ではないとの読みがあったはずです。

この手によって、相手の木村王位は迷いを生じ、この時も藤井聡太の勝ちになりました。

AIは過去の対局を全て記憶し、ある場面では何が最善手を計算します。それは、おそらく99%まで
は確率駅には合理的で正しいのでしょう。

しかし、この場合の“最善手”とは、あくまでも計算上のことで、実戦の場では、さまざまな人間的な迷
いや勘違いが起こります。藤井聡太も時にはミスをおかします。ただ、彼の場合ミスが通常の棋士に比
べて圧倒的に少ないのです。

かつてテレビのインタビューで、“藤井さんもコンピュータ(AI)を使うんですか”と聞かれ、一般的
な研究の他に、AI将棋への対策を研究するために使います、という趣旨の発言をしています。

多くの棋士がコンピュータのAIを活用して力をつけようと必死の努力を始めている中で、藤井聡太は
その先の道を走っているのです。

藤井聡太は棋士個人としても、すばらしい成績を残していますが、将棋界全体にとっても大変大きな貢献
をしています。

2017年4月、時の名人位の棋士が初めて将棋ソフトに敗北し、棋士の多くが「存在意義がなくなるのでは」
と不安を漏らしていました。

当時はまた、将棋界は屋台骨が揺らぐ「緊急事態」にありありました。トップ棋士の不正疑惑の処理をめぐ
り、日本将棋連盟に批判が向けられ理事5人が辞任や解任となり、棋士たちがバラバラになっていました。

そんな時、藤井聡太というスターがすい星のように登場し、空気を一変させました。将棋を知らない人まで
も、あどけない「藤井君」の活躍に目を細めたのです。

各地の将棋教室は満員になり、「内輪もめややめようと棋士が一つにまとまった。まさに救世主が現れた感
覚だった」(当時将棋連盟の専務理事 脇謙二氏の弁)。(『東京新聞』2020年8月22日)。

藤井聡太が初タイトル(棋聖位)を取った今年の7月、ある同業の棋士は、「彼(藤井聡太)は、将棋界に
神様がくれた『ギフト』かもしれない」とまで称賛しています(『東京新聞』2020年7月17日)。これは
言い得て妙です。

最近の日本では、テレワークとかリモート会議とかオンライン授業などの普及が盛んで、コンピュータとAI
を使えない人間は人にあらず、といった風潮があります。

現実はそうかもしれませんが、私はこのような風潮にどこか違和感を抱いていました。しかし、藤井聡太の将
棋を観戦し、加藤一二三九段や他の棋士のコメントを読むと、人間的な要素は、まだまだ健在であることに、
ふと安心感を持ちます。

時に、AIも瞬には読み切れないような深淵な手を放つ。「積んでいるエンジンが違う」という敗戦棋士の嘆
息が、藤井聡太の規格外ぶりを表わしている(『東京新聞』2020年8月21日)。

若干18才の藤井王位は、機械では計り知れない人間の奥深さを体現しています。

『東京新聞』(2020年8月21日)の社説は、今回のタイトル奪取も含めて藤井将棋について次のように総括
しています。
    AIが人類の知能を超えてしまう状況の到来も懸念される現代、その活躍は将棋という枠を超え、A
    I時代にもなお人間が主役であり得る希望を示すと言えようか。

藤井聡太は新記録や冠数にはおどろくほど関心がないと、師匠の杉本八段は言います。ただ、「強くなるとい
う目標はどこまで行っても変わらない。強くなりさえすれば、結果は付いてくる、と真っ直ぐに信じている」と
考えているようです。(『東京新聞』2020年8月24日)

最後に、私がもっとも好きな藤井聡太の言葉を書いておきます。史上最年少(17才)で初タイトル(棋聖位)
を獲得した時のコメントです。今や、将棋はAIとの共存の時代に入ったと指摘し、その時代に人間が将棋を指
すことについて聞かれ、
 盤上の物語というのは普遍のもの。その価値を自分も伝えられたら
答えています(『東京新聞』2020年7月17日)。

AIであれ人間であれ、将棋には普遍の「物語」がある、と言い切っています。本当に、これが17才の“少年”
がいう言葉なのでしょうか!!今まで、棋士の口からこのような言葉を聞いたことはありません。

ふと、藤井聡太は、ただの人間ではなく本当は“宇宙人”なのではないか、と思うことさえあります。

これからは、多くの棋士が「打倒藤井」を目指して闘いを挑んでくるでしょう。私にとっては、まだ当分の間、
ワクワクを味わえそうです。


(注1)『デイリー新潮』(2016年9月15日号掲載)
https://www.dailyshincho.jp/article/2016/09201030/?all=1
(注2)『日刊スポーツ』(2020年6月7日21時35分) 
 https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202006060000640.html



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社会現象となった“藤井聡太”(1)―若さと成熟が同居する魅力―

2020-08-25 15:29:30 | 思想・文化
社会現象となった“藤井聡太”(1)―若さと成熟が同居する魅力―

若干18歳の棋士、「藤井聡太」はもちろん個人名ですが、今や“藤井聡太”は固有名詞の枠を超えて、AIを超える
頭脳をもち、たんたんと“空前絶後”の成績を収めてしまう若き天才、といったニュアンスを含んだ言葉となった感
があります。

2020年8月19日と20日の二日にわたって行われた将棋のタイトル戦(王位戦)第四局で、藤井聡太棋聖(18
才1か月)がタイトル保持者の木村一基王位(47)に勝利し、棋聖に続いて王位も獲得し、これで史上初の高校
生で二冠となりました。

この両日、私は朝からパソコンの画面にくぎ付けでした。そして勝負が決まる20日の夕方には、興奮は絶頂に達
しました。

藤井二聡太(以下、親しみを込めて呼び捨てで表記します)に関しては、彼がまだ14歳の中学生で四段になった、
つまりプロになったばかりのデビュー戦で、将棋界のレジェンド、加藤一二三九段に勝ったときから私は藤井ファ
ンになりました。

藤井二冠の活躍は将棋界を超えて社会現象になってしまいました。とりわけ今年の6月8日から始まった渡辺明三
冠とのタイトル戦(棋聖戦)のころからは、一般のテレビ放送でも、対局の結果だけでなく、藤井聡太が昼食や夕
食の“勝負メシ”に何を注文したか、までが速報で流されるほど世間の注目を浴びるようになりました。

それが今回は二冠と八段昇段という二つの史上最年少記録を破ったのですから、世間の驚きと称賛は異常なほどで
した。21日にはスポーツ紙のみならず、一般紙でも“藤井二冠”の文字が1面に踊っていました。

それにしても、将棋という地味な世界の藤井聡太はなぜ、これほどまでに注目を集め老若男女を問わず関心を呼び、
感動を与えるのでしょうか?

この背景にはいろいろな要素が関係していると思います。以下、私の個人的な解釈を思いつくままに書いてみます。

まず第一は彼の若さと、成熟がもたらすギャップです。中学生でデビューして以来一気に駆け上り、高校生になっ
た今、将棋界のほぼ頂点に近いところまで上り詰めました。この間に藤井聡太は、少年から青年の入り口にさしか
かりました。

もちろん、かつて神童と呼ばれた加藤一二三や、同じように若くして会談を上り詰めた羽生善治九段の例がないわ
けではありませんが、よほどの将棋通でないかぎり、こうした古い時代のことは知りません。

この若さにもかかわらず、彼の落ち着きと謙虚さに人びとは感心し、尊敬の念までもったのではないでしょうか?
実際、私は藤井聡太の対局はかなり多く観てきましたが、ごく普通の対局でもタイトルがかかる大一番でも、まっ
たく動ずることなく冷静沈着です。

これは、世間の評価や世間体など、将棋以外のさまざまな”雑念“が入ってしまいがちですが、藤井聡太はこうした
こととには無関心で、ひたすら将棋に集中します。

私たち普通の大人は、世間の評価や世間体、さらには勝ったらいくら貰えるのか、などにいつも心を奪われていま
すが、師匠の杉本昌隆八段によれば、聡太は昇段やタイトルそのものにはまったく関心がないそうです。

ここには、私たち大人の多くがすでに失ってしまった「若さ」と「純粋さ」に対する称賛と同時に、ちょっぴり嫉
妬さえ感じます。

若さと成熟とのギャップと言う意味では、何物にも動じないような物腰ですが、それと並んで彼が発する言葉に世
間は驚きました。

2017年4月4日(14才7か月の中学生)に、それまで四段昇段からの連勝記録10を破って11連勝した時の感
想を聞かれて、「自分の実力からすれば望外の結果」と答えています。

「望外の結果」とは「望んだこと以上の好成績」と言うほどの意味になります。同じ言葉は翌18年2月に羽生善
治二冠(当時)に勝利し、15才6か月で、全棋士が参加する朝日杯に優勝し、六段に昇段した時の感想を聞かれ
てやはり、「自分の実力からすれば望外の結果。まだまだ実力をつけ時期だと思っている」と述べました。

藤井聡太の中学生とは思えない言葉は他にもあります。11連勝の2カ月後の18年6月2日、20連勝がかかっ
た大一番で危うく負けそうになった局面を最後に大逆転して勝利しました。

この時には「連勝できたのは僥倖としか言いようがありません」とさらりと答えています。

「僥倖」の辞書的な意味は、「思いがけない幸い。偶然に得る幸運」という意味です。

私自身を振り返ってみても、これまで「僥倖」などという言葉を使ったことはありませんし、この言葉を聞いたこ
とさえない人も多くいると思います。

メディアで、一斉に藤井聡太がこうした難しい言葉を知っていたことに驚いて取り上げていましたが、私は別の意
味でも感心しました。

「望外」にしても「僥倖」にしても、普通の大人なら自分の実力で勝ったことを誇りたいところを、「幸運」も味
方してくれたから勝てたんです、という、一歩下がった謙虚さがにじみ出ています。

しかもこの謙虚さは他の面にも現れており、決してどこかで覚えた言葉を使ってみた、というわけではありません。

例えば、対局の始めと終わりには互いに礼をしますが、その時藤井聡太は、ほとんどの場合、相手より長く深々と
礼をしています。彼の謙虚さは一貫しています。

“藤井聡太”は、若さがもつ純粋さ、将棋にたいする一途さと、とんでもない才能、そしてそれらと不釣り合いな成熟
を一身に体現している存在です。

そこに、多くの日本人はしびれてしまうのではないでしょうか?

王位戦で勝利して二冠を達成した後に、「18才になり、タイトルホルダーにもなった。将棋界をある意味代表する
立場として、自覚は必要になる」とコメントしています。

18才という若さで、すでに自分が将棋界を代表している身であり、将棋だけでなく自分の言動にも、その自覚が必
要だ、と自覚しているのです。

この言葉から、彼が、将棋しか興味関心がない「将棋バカ」ではない、社会人として成熟した一人の人間であること
をこれほど率直に表現したことに、私は感動しました。

王位戦の第四局が行われた福岡市の大濠公園能楽堂の周りには多くの老若男女が対局の行方を見守るために集まって
いました。しかも、その中には普段は将棋にはあまり縁がなさそうな中年の女性もたくさんいました。

藤井聡太勝利が告げられた後で、テレビ局のインタビューにある中年の女性は、「体が震えました」と答えていまし
た。

この女性が感じていた、「体が震える」思いを、私も含めて多くの人が共有したのではないでしょうか。

次に、“藤井聡太”が社会現象になった背景に、今年の春以来の新型コロナウイルスの感染拡大があると思います。

思えば、この春以来、“外出を自粛せよ”、“三密を避けよ”、“マスクを付けよ”と、行動の自由を縛る要請というか命令
の下で、仕方なく巣ごもり生活を続けています。

加えて、“自粛警察”と呼ばれる市民を監視する人たちが現れ、マスクをしない人や自粛をしない人に監視の目を光ら
せ、時には匿名で中傷したりします。

これだけでも、うっとうしいのに。毎日のようにコロナ感染者が何人出て、何人亡くなったか、といった数字が来る
日も来る日も報道されています。

これが、一時的なことなら何とか我慢もできますが、既に半年以上続いており、しかも、これからどれだけの期間、
我慢を続けなければならないのか先が見えません。そして、これからの生活は大丈夫だろうか、と心配の毎日です。

こうした、暗く抑圧された空気が日本中にまん延しており、中には精神のバランスが保てない人も出てきます。ヨ
ーロッパでも日本でも、自粛生活のもとで不満やイライラを家族にぶつける、家庭内暴力が増えているという報道も
あります。

こんな暗い状況の中で、藤井聡太の快挙は、ほとんど唯一、明るいニュースでした。人々は、彼の才能だけでなく、
人柄や、若者がもつさわやかさ、純粋さ、凜とした言動に、一条の光を見たのではないでしょうか。

藤井聡太二冠の誕生は、こうした背景も手伝って、日本社会に元気と希望を与えてくれたように思います。
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脱皮したばかりのセミ。なぜ敢てコンクリートの所まで這ってきたのだろか?                   地下生活者の姿は見えないがモグラの動きの跡は良く見えます。
      


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高校生棋士藤井聡太七段―コンピュータAIソフトを超えた将棋の天才棋士―

2020-06-30 14:18:05 | 思想・文化
高校生棋士藤井聡太七段
―コンピュータAIソフトを超えた将棋の天才棋士―

2020年6月28日、将棋界の8大タイトルの一つ、「棋聖戦」(第九一期)の挑戦者となった高校生棋士
藤井聡太七段(17才)が、渡辺明三冠(38才)に挑みました。

渡辺明棋聖はすでに三つのタイトルをもっているので渡辺三冠と表現されますが、その強さに敬意を払って
「魔王」とも呼ばれ、現在の将棋界で最強の棋士と評価されています。

今回のタイトル戦は5戦して3勝した方が勝、となりますが、藤井君はすでに1勝していますので、この対
局に勝てば2勝となり、残り3戦のうち1勝すれば勝利、ということになるので、断然有利になります。

この重要な一戦で藤井君は23分考えて、渡辺三冠だけでなく誰も想定もしなかった常識破りの一手を放ち
ました。この一手で藤井君は渡辺三冠の迷よわせ、じりじりと追い詰めて最後は大差で勝利しました。

この一手についてある将棋関係のジャーナリストは、「最強ソフトが6臆手以上読んでようやく最善を判断
する異次元の手」と評しました(注1)。

私は元来、囲碁ファンで将棋は小学校のころ少しやった程度で、全くの素人です。しかし、藤井君のデビュ
ー以来、多くの対局を見て、プロ棋士の解説を聞いているうちに、いつの間にか将棋にも詳しくなりました。

私が藤井君に惹かれるのは、たんに将棋が強いからというだけでなく、人間「藤井聡太」に教えられたり感
心させられたりする魅力と、人間の頭脳の奥深さというか豊かさにいつも驚かされるからでもあります。

藤井君は14歳の時、史上最年少の中学生プロ棋士としてデビューし、初戦で将棋界の大御所中の大御所、
62才年上の加藤一二三九段と対局して勝利し、世間をあっと言わせました。

まさに鮮烈なデビュー戦で、藤井君は早くも伝説的な棋士となりました。この時の「少年棋士」の印象が強
くて、私は彼が高校生になった今でも「藤井君」と呼んでしまいます。

その後あっというまに29連勝し天才ぶりを発揮し、現在まで数々の記録を打ち立てています。

これ以後の彼の活躍に関しては、このブログでも「天才棋士・藤井聡太の衝撃と魅力―天才が経験と知識と
吹き飛ばす―」(2018年2月4日)、また「またまた驚きの天才『少年』棋士―藤井聡太新七段の場合―」
(2918年5月20日)の2回にわたって書いています。

私はインターネットで配信されている対局(藤井君の対局はほとんどが中継されている)を観る際、一手一
手を一応自分なりに予想します。

もちろんその際、プロ棋士による解説も参考にしますが、藤井君は今まで何回も、解説のプロ棋士でさえ予
想できなかったり、着手の意図が理解できない手を繰り出してきて驚かされました。

数え上げればきりがありませんが、一つだけ例を挙げると(将棋を知らない人には分かりにくく申し訳あり
ませんが)、ある対局で、「飛車」という自分の一番強い駒で、相手の一番弱い駒である「歩」を取りまし
たが、その結果この「飛車」は相手に取られてしまいました。

これを将棋では「切り捨てる」と表現します。例えてみれば、大将が敵の足軽と刺し違えるようなものです。

それを解説していたプロ棋士たちは、その意図が全くわからないこの着手にただただ唖然とするばかりでし
た。この対局は、藤井君が勝利しました。

藤井君の師匠の杉本氏は、藤井君はずっと先の「勝」まで読み切っていただろう、とコメントしました。本
当に恐るべき天才です。

当時、この着手は「歴史的な一手」と評されました。ある、大先輩の棋士は、「私には千年考えてもこんな
手は思い付きません」とコメントしていましたが、ほとんどの人はそう感じたでしょう。

ところで、今回は私なりに人間「藤井聡太」と棋士「藤井聡太」の魅力を書いてみます。もちろん、両者は
重なっていて決して区別できるわけではありませんが、強いて分けて考えてみます。

まず、人間「藤井聡太」の魅力ですが、彼はどれほど大勝負であっても、決して動揺したりおじけることな
く常に冷静さを保っていることができます。

この年の少年(今は青年ですが)が、どうしてこれほど落ち着き払っていることができるのか、この年頃の
自分を考えると、信じられません。これは生まれつきなのか家庭での育ちのせいなのかは分かりません。私
には、常人ではない「宇宙人」のように映ります。

また、公式戦ではない「将棋祭り」のような一種の将棋ファン向けの対局でも、決して手を抜かず真剣に全
力で向かいます。

この姿勢は、彼の謙虚さと誠実さも表わしています。これだけ強く世間でもてはやされれば、多少は得意に
なってしまっても不思議ではありません。しかし、たとえ対局で勝ってもおごることなく常に控えめで謙虚
さを保っています。

対局が始まる時と終わりには必ず座ったまま礼をしますが、いつも相手より深く長く頭を下げています。こ
こにも藤井君の誠実さと謙虚さが現れています。

次に、棋士としての藤井君の魅力についてみてみましょう。

将棋には、「定跡」という決まった一連の着手があります。それは江戸時代以来、多くの棋士が考え抜いて到
達した、「最善」と考えられる着手で、いわば将棋における「定理」あるいは「法則」に近いものです。囲碁
では、これを「定石」と呼びます。

この「定跡」というのは、絶対的な最善手と言う意味ではなく、経験的に有利になる確率が高い、あるいはマ
イナスが少ない有力手、というほどの意味です。

この意味では、定跡は長い歴史を経て磨き抜かれた経験知のかたまりで、いわば将棋界の共有財産です。

しかし、言うまでもないことですが、この「定跡」は周囲の状況によって、有利・不利の程度は異なります。

もし絶対的に有利になる着手であれば、だれもが定跡を採用するでしょう。しかし、相手も定跡を採用すれば、
「絶対有利」対「絶対有利」との闘いとなり、これはあり得ません。

それでも定跡に従っていれば、決定的な悪手になることはないという程度のことは言えます。したがって、プ
ロはまず定跡を考え、それに続いて他の手を考えます。

将棋や碁を離れても私たちは物事の選択に迷った時、「~することが定跡(定石)だ」という表現を使います。

江戸時代からの代表的な対局は棋譜として残っています。プロの棋士になる過程の修行時代、棋士はこれらの
棋譜と定跡をマスターしてきます。

プロ棋士の頭には過去の棋譜と定跡が頭に入っていますから、それらの経験知に頼っていたのでは、他の棋士
と同じで、抜きんでた成績をおさめることはできません。

全ての棋士が頂点を目指して死に物狂いで努力していますから、その中で他を圧する強い棋士になるためには、
定跡という経験知を超えた斬新な構想を考え出さなければなりません。

このような、定跡以外の手は、「新手」とよばれますが、現代では誰かが新手を指せば、多くの棋士が一斉に
その意味や可否、可能性を直ちに検討を始めます。

おまけに現代では、コンピュータのAI(人工知能)を使って、それぞれの着手の評価をプラスまたはマイナス
を点数で示してくれます。

このAIソフトには過去の対局の膨大なデータがあり、そこから着手の評価が行われます。

しかし、コンピュータには限界もあります。というのも、確かにコンピュータ・ソフトは無限に近いデータを
蓄えることができますが、そこからどのような結論を導くかは、人間が作ったプログラムによって行われます。

したがって、ここにはプログラムを作った人の主観や好みや、意図など人間的な要素が入り込みます。

自分でパーツを買ってきたパソコンを組み立ててしまうほどコンピュータが好きな藤井君も当然、AIを組み込
んだ将棋ソフトを利用しています。

ある時、テレビで、将棋のAIソフトを活用していますかとの質問に、“自分もコンピュータの将棋ソフトを利用
していますが、それは、将棋ソフトを活用している人たちにどうしたら勝てるかを研究するためです”、という
趣旨の答えをしています。

つまり、コンピュータのAIソフトを超えた将棋を考えるために、これを使っているというのです。

これを聞いたとき正直私は、藤井君というのはとんでもない天才が出現した、と心底驚きました。

最後にあと二つだけ藤井将棋の魅力を挙げておきます。一つは、どんなに不利な場面でも、その
状況の中での最善手を徹底的に探すことです。これは私たちの人生の中でも十分、参考になる姿
勢で教えられます。

二つは、短時間のうちに20手、30手先まで展開を読んでしまう頭の回転の良さと速さです。
これは他の棋士が真似しようにもできない、言葉の真の意味で天から授けられた「天賦の才」、
英語でいう”gift”なのでしょう。

7月1日2にはもう一つのタイトル戦「王位戦」が、最年長タイトル保持者の木村一喜王位との
七番勝負の第一局が始まります。

そして7月9日には、渡辺三冠との「棋聖戦」第三局が行われ、これに勝てば史上最年少のタイ
トル保持者となります。

どちらも目を離せない、将棋ファンにとって、とりわけ藤井ファンにとってはワクワクする対局
です。とにかく、すばらしい将棋を見せてくれることを期待します。
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
早朝の森は冷気と新鮮さに満ちています
 

(注1)Yahoo ニュース 2020年6月29日 
https://news.yahoo.co.jp/byline/matsumotohirofumi/20200629-00185551/

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映画『パラサイト―半地下の家族―』―おかしくて やがて悲しきパラサイト―

2020-02-15 06:36:46 | 思想・文化
映画『パラサイト―半地下の家族―』―おかしくて やがて悲しきパラサイト―

2020年2月10日(日本時間)、アメリカのアカデミー賞受賞作品が発表され、韓国映画、ポン・ジュノ監督の
『パラサイト―半地下の家族』(2019年)が六部門のうち、作品賞、脚本賞、監督賞、国際長編映画賞の四部門
で受賞しました(注1)。

英語以外の映画がアカデミー賞の作品賞を受賞したのは、これが初めてです。

この映画は、昨年5月に韓国で公開されるや1000万人を動員し、また昨年のカンヌ映国際画祭で、パルムド
ール賞(最高賞)を受賞しており、当時からアカデミー賞も受賞するのではないか、と言われてきました。

パルムドール最高賞といえば、2018年には是枝監督の日本映画『万引き家族』も同賞を受賞しましたが、アカデ
ミー賞には届きませんでした。

『パラサイト』は、昨年、公開前から192の国と地域に販売が決まっていたということからも分かるように、
アメリカ国内だけでなく国際的にも評価が非常に高かったのです。

この映画を一言で表現すれば、韓国の貧富の格差が大きい超格差社会を映像という手法を使って描いた社会派の優
れた作品である、と言えます。

しかし、それだけではなく、エンタテイメント性も十分ある優れた作品です。

映画のタイトルの「パラサイト」は寄生虫、寄生植物を意味しますが、ほかに「居そうろう」、また古代ギリシア
では「他人の食席に相伴を許された人」という意味でも使われました。

私はこの映画について以前から聞いており、日本で1月に公開されるとさっそく観ました。全体の印象を言えば、
細かなところにも気配りが行き届いている、非常完成度の高い映画です。

以下に、この映画の簡単な紹介と私の個人的な感想を書いてみます。

この映画は、IT企業の社長であるパク氏の一家に、大学受験に失敗して浪人中の長男(ギウ)が友人の代役として
パク家の長女の家庭教師となったところから物語が始まります。

キム一家はそれを足場にさまざまな策を駆使して次々とパク家に職を得てゆきます。1997年のIMF危機で職を失
って以来、転々と職を移るがどれもうまくゆかない父(ギデク)が運転手、かつてのメダリストだった母が家政婦、
美術の才能はあるものの美大には受かっていない妹はパク家の男の子の美術教師として職を得ます。

こうしてキム家の全員がめでたくパク家に入り込み寄生虫のように「食い物」にしてゆきます。

韓国社会の貧富の格差は、一方のパク一家が住む日当たりの良い高台の豪邸と、キム一家が住む日が差さない、非衛
生的な半地下のアパート、という対比によって表現されています。

「半地下」のアパートは韓国において決して架空の住居ではなく、三階建てのマンションの一階部分は半分が半地下
になっていて、家賃が安い代わりに浴室なしの暗い住居のことです。

雨が降ると浸水したり、映画にも登場しますが、トイレが逆流して汚物が部屋に入り込むことさえあります。

ポン監督は、岡の上の豪邸、半地下に加えて、パク家の地下に本当の地下室を設定します。ここは、半地下にさえ居
場所をもてない人が住む第三の空間です。つまり、韓国社会が三層構造として設定されています。

これまで、この地下室の存在に注目されてきませんでしたが、実はかなり重要な意味をもつ空間だと思います。

実際、地下室とそこに潜んでいた人物の存在が明らかになると、物語が進行するにつれてそれらは不気味な存在とし
て最後まで物語全体に暗い影を落とし続けます。

この映画を観た人が誰しも言うように、物語は非常に心地よいテンポで進行し、2時間という上映時間があっと言う
間に過ぎてしまいます。

このテンポを作り出しているのは、物語の進行で、不要な部分は極力カットし、物語の連続性を維持する最低限必要
な場面だけを映像化しているからです。この姿勢は、私が観たいくつかの韓国の長編歴史ドラマ(例えば『朱蒙』)
に共通しています。

痛快、ハラハラ、皮肉、あっと驚くどんでん返し、と、息をつかせぬ展開は観る者を飽きさせません。

ポン監督は、社会風刺や格差という深刻な現実を、これでもかと押し付けるのではなく、むしろコメディー・タッチ
で面白おかしく描いています。

しかし、見終わって心に残るのは、格差社会の中で何とか半地下から這い上がろうとする貧困層の逞しさと、富裕層
へ上昇することの絶望的な困難さです。

キム一家が、パク家の寄生虫として本領を発揮するのは、パク一家が子どものキャンプ行事で一晩留守にすることに
なった夜にパク家で開いた大宴会です。

パク家への就職が決まった時、キム氏は半地下でビールではなく発泡酒で祝杯を挙げていたのに、パク家の留守宅で
の宴会では高級な酒と贅沢な食物を好き放題飲み食いして、つかの間の豊かさを楽しみます。

これこそまさしく、古代ギリシアのパラサイト、「他人の食席に相伴を許された人」(もちろん「相伴をゆるされた」
わけではありませんが)を地でゆく行為です。

さて、ポン監督は、韓国における格差を、住居の違い以外に、どのように描いたのでしょうか。

一つは、子どもの教育です。パク家の娘には家庭教師が付いていますが、キム家の息子は浪人中で、大学受験に合格
する条件が整いません。

韓国社会において受験というのは人生を決める最重要の問題ですが、この点で富裕層は恵まれた環境にあります。

つまり、富裕層の子どもたちはすでにスタートラインにおいて優位に立っており、将来の就職や結婚にも有利になり
ますが、貧困層の子どもは逆に不利な立場に置かれてしまいます。こうして、格差が再生産されてゆく、というのが、
この映画の一つのメッセージです。

次に、上の問題とも関連しているのですが、貧困層から努力して富裕層に上昇することは、社会的な偏見もあって簡
単ではありません。映画では、貧困層であることを「半地下の臭い」ともいうべき独特の「臭い」によって比喩的に
表現しています。

キム一家は、少なくとも身なりは小奇麗になり、外見的には貧困層であることは分かりません。しかしパク家の男の
子も車に同乗する主人も、なぜか、新たに雇った4人が同じ臭いがする、と言い出します。

つまり、地下室に象徴される貧しさは、衣服を変えても、おそらくシャワーを浴びても、「地下室の臭い」として体
に染みついてしまっており、隠しようがありません。言い換えると、貧しい人はどんなに頑張っても貧困層の人間で
あることを消し去ることはできないし、富裕層にはなれない、という社会的現実が暴露されます。

さて、映画を観ている途中で、この物語はどのような結末をむかえるのかが気になります。これは、まさしく想定外
の、奇想天外などんでん返しが起こりますが、これは観てのお楽しみ、ということにしておきます。

一つだけ示しておくと、パク家にある地下室に閉じ込められた人間(実は前に勤めていた家政婦の夫)の積もり積も
った怨念ともいえる怒りが物語を終結に導く、ということです。

以上は、映画に沿って私が抱いた感想ですが、この映画を観終わって、いくつかの問題を考えさせられました。

まずこの映画がパルムドール賞(フランス)とアカデミー賞(アメリカ)を受賞した理由と意味を、広い文脈で考え
てみる必要があります。

そこで改めにこの映画のテーマを考えると、「格差」です。

つまり、今や、豊と言われるアメリカでも、フランス(さらに拡大してヨーロッパ)でも、多くの人が「格差」こそ
が深刻な問題であることを感じているからなのです。

アメリカでは、2012年に多くの若者が「1%対99%」と書かれたプイラカードを掲げてウォールストリートを占拠
したことがありました。

アメリカでは富裕層はわずか1%で、99%は貧困層となっていることに抗議したのです。

もし、学生ローンを借りて私立大学を卒業すると、卒業時の負債は800万円ほどになるという。このため、大学を
卒業しても、よほど高給を得られる企業に就職するか、起業して成功を収めるなどの幸運がなければ、この負債を返
済しつつ生活してゆくことはかなり困難な状況にあります。

最近のアメリカの大統領選挙に関連した民主党の代表をめぐる選挙状況をみると、大学の無償化やローンの返済免除
を訴えているバーニー・サンダースが若い世代で高い支持を得ていることは、こうした事情を裏付けています。

他方で1%の富裕層は、途方もない富を貯えており、豪壮な邸宅に住み、移動にはプライベイト・ジェットを使うな
ど、およそ庶民の暮らしとはかけ離れた生活をしています。

ヨーロッパにおいては教育費の事情はアメリカとは異なりますが、それでも格差と差別の問題は深刻です。ここでは、
若者の失業者が増加したため、移民の排斥運動が起こっているほどです。

つまり、『パラサイト』が提起した「格差」という問題は、現代の世界で普遍性を持っているもっと言えます。これ
が、『万引き家族』との違いです。

それでは、日本において格差はどうでしょうか? 日本では1997年以降、実質賃銀は一貫して下がり続け、かつ
ての中産階層は消滅しつつあり、格差は拡大しつつあります。

「世帯の所得がその国の可処分所得の中央値の半分に満たない人びと」を相対的貧困率は近年、16%前後、つまり
約6人に1人が「貧困」となっています。

非正規雇用の増加とともに、結婚できない若者が増えています。また、母子家庭においては、この比率はさらに高く
6割ほどが貧困家庭となっています。

東大などの難関大学への入学者の出身家庭はますます高収入家庭に偏りつつあります。

老後の生活にしても、現状では多くの世帯で生活を維持できるだけの年金や貯蓄を確保することは困難です。

その一方で、途方もない高額収入を得ている層や大企業も確実にあり、彼等はさまざまな方法でで、税金の負担を
免れています。

また、嫌疑をかけられた国会議員が、3か月も雲隠れしていても、高額の俸給を得ています。

映画では、貧しい人々が裕福な家庭に寄生する設定になっていますが、現実には、その一方で、裕福な層や特権階
級の人たちこそが、一般国民に寄生している、本当の意味でのパラサイトではないでしょうか。

ひょっとしたら、これこそがポン監督が言いたかったことのなのではないだろうか、という印象を持ちました。


(注1)この映画については、たとえば、以下のサイトを参照されたい。
   ①https://diamond.jp/articles/-/226736
   ②https://www.asahi.com/and_M/20200131/9371831/?ref=and_mail_M&spMailingID=3180647&spUserID=MTAxNDQ2NjE2NTc4S0&spJobID=1180070402&spReportId=MTE4MDA3MDQwMgS2
   ③https://www.nikkei.com/article/DGXMZO55460050Q0A210C2I00000/?n_cid=NMAIL007_20200211_K
   ④https://www.cinematoday.jp/page/A0007019

(注2)この映画の舞台と目されているソウル南部の冠岳区三聖洞では1000世帯のうち200世帯が半地下か朽ちかけた戸建て住宅に住んでいて、住人は高齢者や無職の人たちです。
   韓国全体では、このような劣悪な住居に住んでいる世帯は36万世帯、2%、ソウルに限ってみると6%に達するという(『朝日新聞』2010年2月10日 夕刊)。





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フランシスコ教皇の訪日メッセージ―現代社会への警告―

2020-01-27 20:05:34 | 思想・文化
フランシスコ教皇の訪日メッセージ―現代社会への警告―

フランシスコ・ローマ教皇が昨年11月23日から26日に日本を訪れました。教皇の訪日は
38年ぶり二度目です。今回のテーマはProtect All Life (全ての命を守るために)でした。

フランシスコ教皇(法王)は、アルゼンチン出身でヨーロッパ大陸以外の地域から選ばれた初
めての教皇です。就任以来、教皇の妻帯を認めるなど、数々の改革を推進してきました。

また、庶民派教皇としてどこに行っても人気があり、「ロックスター」との愛称もあります。

言うまでもなく、教皇とはキリスト教カソリック教会の頂点に立つ存在で、13億人ともいわ
れる世界のカトリック教徒の宗教的・精神的指導者です。

フランシスコ教皇は、宗教的発言だけでなく、時には政治的な強いメッセージを発しています。
とりわけ、核兵器と大量破壊兵器に対しては強い批判を繰り返してきました。今回の訪日に際
しても、忙しい日程を割いて長崎と広島を訪れました(注1)。

広島や長崎でのスピーチは感動的でとても大きな意義があったと思いますが、ここでは、11
月25日 東京文京区東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われた「青年との集い」で「次世代
へのメッセージ」をテーマにとして行った教皇のスピーチです(2020年1月16日 NHKB
S1放送)について書きます。これはとても叡知に満ちたスピーチです。以下に特に私が感銘
を受けた個所を以下に引用します。

    世界には物質的には豊かでありながらも 孤独に支配されて生きている人のなん
    と多いことでしょう。私は、繁栄した、しかし顔のない社会の中で、老いも若きも多
    くの人が味わっている孤独のことを思います。
    自分にとって最悪と思う貧しさはなんだろう。自分にとっていちばんの貧しさはなん
    だろうか。正直に考えれば気づくでしょう。 抱えている最大の貧しさは孤独であり。
    愛されていないと感じることです。

こうした言葉の背後には、教皇が常に言っている、「未来を担う若者の、誰一人として見捨て
られてはいけない」という強い信念があります。

この時、日本語の通訳を行ったイエスズ会日本管区長のデ・ルカ・レンゾ神父は、教皇に随行
して次のように感じたという。

    何百人何千人と会った中で、一人一人に向き合ってその人の気持ちを受け取ろうとす
    る。それもやはり会った人たちもそれを感じていたんですね。教皇が一つのパフォー
    マンスとして決められた人たちと会うよりは、(今、目の前にいる)この人との話を、
    すこしでもそれを感じたい。私たちがみていてもそれを感じました。

私は子どもの頃、たまたま当時の家の事情でキリスト教(ロシア東方教会)と多少の縁があり、
また私はキリスト教(プロテスタント)の大学に勤めていましたが、私はキリスト教徒ではあ
りません。

しかし、教皇のこれまでのスピーチやメッセージには、特定の宗教を離れて、人間一般にたい
する普遍的な原点、あるべき姿、核兵器のような非人道的兵器に対する強い批判などに共感し
てきました。

上に引用した教皇のメッセージをもう一度、見てみましょう。

教皇が現代社会ついて強く感じている危機感の一つは、繁栄した顔のない社会の中で、老いも
若きも味わっている「孤独」です。

教皇は自分にとって最悪と思う「貧しさ」とは何かを問い、そして、それは「孤独」であり、
「愛されていないと感じること」だと言います。

つまり、「孤独」と「愛されていない」ことは教皇にとって、そして恐らく私たち全てにとっ
て「最悪」である、と言っているのです。

私たちは、このことを薄々感じてはいるものの、それをはっきり意識することは、あまりにも
厳しく辛いので、なるべく意識しないようにしているのが現実です。

実際、現代では、知り合いはたくさんいるかも知れませんが、本当の「友」と呼べる人は意外
と少ないのかも知れません。

だからこそ教皇は、わざわざ「正直に考えればわかるでしょう」と、現実を直視してごらんな
さい、と念を押しているのです。

この孤独は、物質的には豊かな「繁栄する」、「顔のない社会」の中でまん延しているという。
ここで「顔のない社会」とは、一人一人が独立した人間として、その人格や個性や尊厳が社会
のなかで尊重されることなく、あたかも無名の人間のようにしか認識されない社会です。

では、どうすれば良いのでしょうか。教皇は、その場では答えていませんが、彼はいたるとこ
ろでいろいろな表現で語り、そして実践しています。

つまり、自ら他人に寄り添い(他の人の言葉に耳を傾け、寄り添い)、他人を愛する(他人を
心から大切に思う)ことです。この場合の「愛する」とは、「隣人を愛せよ」というキリスト
教的な意味合いを含んでいますが、一般的な意味でも十分理解できます。

今回の教皇のスピーチを聞いていて、私は今から30年以上も前に、偶然、テレビでマザー・
テレサがアメリカの大学で行ったスピーチを思い出しました。

正確な言葉は覚えていませんが、マザー・テレサは、おおよそ次のような言葉で大学生に向か
って話し始めました。

    私はこの度、アメリカに飢えをいやしにやって来ました。しかし、この「飢え」とは
    パン一枚を求めるという意味の「飢え」ではありません。今、この国の多くの人は、
    愛に対する“絶望的”な飢え”を抱えています(注2)。

当時私はマザー・テレサの名前や活動について多少は知っていましたが、この言葉を聞いたとき、
その洞察の鋭さに本当にショックを受けました。

マザー・テレサは愛に関する多くの言葉を残しています。たとえば、上に引用したスピーチに関
連した言葉として、「愛に対する飢えは、パンに対する飢えよりも、はるかに取り除くことが難
しいのです」あるいは「愛の反対は憎しみではなく無関心です」などがあります(注3)。

しかし、教皇とマザー・テレサが、現代社会、とりわけ先進国と言われる国々においてまん延し
ている深刻な事態の一つを「愛の欠如」したがって「孤独」である、という点を指摘しているこ
とは偶然ではありません。

というのも、二人とも現代社会が抱える深刻な病理である「愛の欠如」と「孤独」のさらにその
奥底では、他人に対する無関心、言い換えれば「自分さえ良ければ」「自分だけが大事」という
意識が支配的になっていることを見抜いているからです。

個人と個人の関係においても、無関心・愛の欠如・孤独は、いわば相互に密接に関連して、私た
ちの心を蝕みます。これが国家単位になると、国際紛争や対立、悪くすると戦争にまで発展して
しまいます。

残念ながら、今、世界では「アメリカ・ファースト」に象徴される露骨な自国第一主義が横行し
つつあり、保護貿易主義や移民や外国人に対する排斥などが強まっています。

また、国際的な貧富の格差が大きくなっていますが、それを少しでも平等化しようとする動きは
ありません。

他方で、国内においても、貧富の格差はますます大きくなっていますが、たとえば現在の日本を
見れば、大企業や富裕層などごく一部の特権層は税制やその他の制度で守られている反面、普通
のサラリーマン、中小企業の経営者やそこで働く人たち、福祉施設で働く人たち、社会的・経済
的弱者にたいする配慮は、むしろ後退しています。

国際的には豊かな国と貧しい国、国内的には本の一部の豊かな階層と大多数の貧しい人びととの
分断が進行しており、互いに思いやる感情は希薄です。

このような分断された社会状況の中で、特権層ではない多くの人は、老いも若きも将来に希望を
もてないまま孤立し、孤独にさいなまされているように私には感じられます。

「自国第一主義」との対応でいえば、分断された社会では「自分第一主義」がじわじわと、しか
し着実に進行し個人と社会を蝕んでいるようです。

今から20年ほど前の2000年ころから、私は上に書いたような問題に危機感を感じ始め、そ
れをまとめて2005年に『関係性喪失の時代―壊れてゆく日本と世界―』(勉誠出版、2005)
というタイトルで出版しました。

そこでは、現代の社会的病理の根底に、人と人、人と自然、との間の関係性が壊れてしまったと
いう状況があることを指摘しています。

大切なことは、自分以外の人や自然に、そして政治や社会にも関心をもち、もう一度関係性を取
り戻す努力をすることではないでしょうか?

そうしないと、自分も政治も社会も閉塞状況から抜け出せないと思います。

今回の教皇が訪問中に発したメッセージをどりつつ、私は以上のような感想を持ちました。

(注1)長崎でのスピーチに関しては、さし当り『日経新聞』(デジタル)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52551350U9A121C1000000/?n_cid=DSREA001 を参照。
広島でのスピーチに関しては『日経新聞』(デジタル)2019/11/23 17:32 (2019/11/23 20:27更新)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52544370T21C19A1MM8000/?n_cid=DSREA001を参照。
(注2)違っているかもしれませんが、この時のスピーチで私の頭に残っている英語は、”desparate hunger for love”だったような気がします。
(3)マザー・テレサの言葉集はインターネットで簡単に見つけられます。たとえば、
https://iyashitour.com/archives/21434#page1 https://iyashitour.com/meigen/greatman/mother_teresa を参照。




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混乱の東京五輪―全ては出発点のウソと無理にあった―

2019-11-01 20:53:11 | 思想・文化
混乱の東京オリンピック―全ては出発点のウソと無理にあった―

東京オリンピック・パラリンピック(以下「オリ・パラ」と略す)が2010年7月24日(開会式)
から8月9日(閉会式)までの17日間にわたって行われます。

この時期に関連して、大会の花形で最終日のメインイベントの男子マラソンと競歩の開催場所を巡
って、東京か札幌かで、IOC(国際オリンピック委員会)と東京都が激しく対立してきましたが、
11月1日、東京都とIOC、東京オリ・パラ大会組織委員会、政府によるトップ級協議が行われ、
小池東京都知事は、札幌への変更に伴う追加的費用を東京都は一切出さないことを条件に、この変
更を受け入れました。

最初に私の個人的な見解を示しておくと、東京での夏季オリンピックへの立候補の段階から、どち
らかといえば反対でした。

思えば1964年の東京オリンピックは10月10~24日に開催されましたが、当初は夏季の開催も
検討されたようです。しかし、酷暑の夏に行うことは不可能であるとの結論に達したため、涼しい
秋に行われた、という経緯があります。

以上の全般的な問題以外にも、今回の開催に関しては立候補の段階から問題と、うさんくささだら
けだったのです。

まず第一は、2020の東京開催に際して、東京都も招致委員会も、都民に対して東京開催を支持する
か否かのアンケートをしていなかったことです。

東京都は2005年に2016年の夏季オリ・パラの開催地として立候補しましたが、結果はリオ・デジャ
ネイロに敗れました。

その理由の一つは、当時のアンケートの結果、都民の支持率が低かったことでした。つまり、多く
の都民は、お金のかかるオリンピックに賛成しなかったのです(注1)。

これに懲りたのか、2020年のオリ・パラ招致に関して、招致委員会は、事前のアンケート調査を行
わなかったのです。経済的負担への拒否反応だけでなく、酷暑の時期に開催することを都民が知っ
たら、反対の方が多くなってしまうことを恐れたからでしょう。

第二は、福島の原発事故に関連して放射能の安全性に関する、安倍首相の明らかなウソです。2013
年のIOC総会での立候補のプレゼンテーション(9月7日)の際、安倍首相は、放射能に対する
懸念を想定して次のようなスピーチを行いました(注2)

   私が安全を保証します。状況はコントロールされています(The situation is under
control
   汚染水は福島第一原発の0.3平方キロメートルの港湾内に完全にブロックされている。

このスピーチにたいして早くも翌日には、上智大学教授の水島宏明教授は、「安倍首相が五輪招致
でついた「ウソ」 “汚染水は港湾内で完全にブロック” なんてありえない」と題して、次のよ
うに書いています。

    英語では「アンダーコントロール」と言った。え? 立ち並ぶタンクのあちこちから汚染
    水が漏れてくる。地下水は山側から容赦なく流れ込み、それが汚染されて港湾に流れ出る
    事態も続く。汚染水はいま、「アウト・オブ・コントロール(制御不能)」じゃないです
    か。(注3)

実は、私自身も本ブログ(2013年9月13日)で、安倍首相のウソを指摘しています。

2013年9月13日に福島県郡山市で開かれた民主党の福島第一原子力発電所対策本部の会合に出席
した、東京電力の山下和彦フェローは、安倍氏の発言を真っ向から否定する発言をしました。その
時の主なやりとりを以下に再掲します。

増子輝彦副代表
    安倍晋三首相が「ちゃんとコントロールされていて全く問題ない」と説明したその通りな
    のか。東京電力、経済産業省、原子力規制庁は答えて欲しい。
山下和彦東電フェロー
    コントロールする手当てはしている。ただ、想定を上回ることが起きていることは事実で
    あり申し訳ない。
増子氏
    だから今の状態でコントロールされていないとはっきり言ってちょうだい。
山下氏 
    申し訳ありません。今の状態はコントロールできていないとわれわれは考えます(『毎日
    新聞』2013年9月9日)。

第三の問題は、もう一つの「ウソ」が、今日大問題となった、マラソンと競歩の開催場所に関係し
ています。

すなわち、特定非営利活動法人東京2020オリ・パラ招致委員会及び東京都が提出した東京五輪立候
補ファイルの13ページにはこう書いてあります。

    この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリート が最高の状態でパ
    フォーマンスを発揮できる理想的な気候である(注3)。

これを信じる日本人はどれほどいるでしょうか? マラソンが行われれる予定の8月2日と9日と
いえば、日本では酷暑の時期です。

今年は、外に出ると危険だからなるべく外に出ないように、という警告が出ていたほどでした。実
際、今年の7月29日から8月4日までの1週間に熱中症で救急搬送された人は1万8347人に
も達し、57人が死亡しています。

どうして、「温暖」で「理想的な気候」などというウソが、公式の立候補ファイルで罪悪感もなく
書きこまれたのでしょうか?

当時招致に関わった人、小池東京都知事も含めて今も推進している人にこの点についてしっかりと
説明して欲しいと思いますが、みんなこの点については口をつぐんでいます。

もし、東京での開催を強行して、誰か一人でも倒れたり、死亡したりしたらIOC、JOC(日本
オリンピック委員会)、東京都は責任をとれるでしょうか?

IOCは、9月28日、ドーハで行われた陸上の世界選手権の女子マラソンで、深夜の出発だった
にもかかわらず、途中棄権した選手が4割超にも達したことに衝撃を受けたようです。

IOCは直ちに委員会を開きマラソンは東京ではなく札幌に移すことを決定し、10月16日にな
って、東京都に通告してきました。

IOCは、すでにこれは決定事項である、と妥協の余地がない通告でした。小池都知事は、何の事
前の相談もなく、しかも準備が進んでいる今になって一方的に場所の変更を通告してきたことに反
発していますが、それには一理あります。

ただ、それを差し引いても、もし、選手の健康と命を考えるなら、それでも東京にこだわる合理的
な理由は何でしょうか?

東京都は暑さ対策として、蓄熱を防ぐために赤外線を反射する遮熱剤を道路に塗布する「遮熱性舗
装」を進めていることを挙げています。これによって温度上昇を10度ほど防ぐことができると喧伝
されています。

しかし、東京農業大学の樫村修生教授によれば、遮熱性舗装によって路面の温度は確かに
下がるが、反射した熱の影響により、人が立つ高さでは逆に1.5度から3度以上高くなる調査結果
が出たといいます(注4)。

つまり、東京は何が何でも東京都でマラソンを行うために、都合の良い数字だけを示した、と言わ
れても仕方ありません。

IOCが札幌への変更を決めた根拠は、2010までの過去30年における8月初めの平均気温が、
札幌の方が東京より5~6度低いというデータです。温暖化が進んでいる2020年にはさらに温
度差は拡大していると考えられます。

小池都知事がIOCの決定に強行に反対しているのは、一方的な通告に対する反発と、来年の都知
事選を念頭に、ここは都民に、「理不尽なIOCに敢然と立ち向かった」という印象を与えるため
のパフォーマンスという側面もあったのではないでしょうか。というのも、競技の場所を決める権
限はIOCにあることを小池知事は知っているからです。

会場に関しては、水泳にも問題があります。8月11日にお台場海浜公園で水泳(オープン・ウォー
ター・スイミング)のテスト大会が行われましたが、そこで複数の選手から「トイレのような臭い
がする」との指摘が出たという。また、大腸菌は基準値の2倍もありました。コース周辺の水域を
水中スクリーンで囲っていたが、汚れた水の問題は解決できていませんでした。トライアスロンも
同じ海のエリアを使うので同じ問題があります。

この問題は、汚水が入らないようにフェンスを設ける、ということで一応収まったかに見えますが、
依然として汚染水の流入が完全に防ぐことができる保証はありません。

マラソンと競歩が札幌に移ったとはいえ、暑さに弱い馬を使う馬術や、埼玉県の川越の霞が関カン
ツリークラブで行われるゴルフも、猛暑に見舞われる可能性があります。このクラブのメンバーに
よれば「7月後半から8月中旬の暑さは地獄です」とのことです。

今回の東京オリンピックに関しては以上の他にも、幾つもの不祥事や問題がありました。

たとえば、IOC前会長の竹田恒和氏が開催地の決定に投票権をもつ国に対して2億円の裏金(賄
賂)を使ったという疑惑で、今年初め、フランス検察当局が正式に捜査を始めることを発表しまし
た(『東京新聞』2016年5月17日)(注5)。

これにより、IOCからの突き上げもあって、竹田氏は辞任に追い込まれました。

また、東京オリ・パラのエンブレムに関しても、盗作疑惑でやり直しをしたり、新国立競技場の公
募で一度は採用された「ザハ案」が白紙撤回されるという問題もありました。

こうして見てくると、今回の東京オリ・パラは、出発の時点からウソや、都合の悪いことの隠蔽、
さまざまな不祥事や疑惑に満ちていました。暑さの問題は、今になって重大な結果を招いてしま
いました。

最後で、もっとも重要な問題は、そもそもこの東京オリンピックの大義は何でしょうか?

日本が立候補した時の大義は震災からの「復興五輪」と「コンパクト五輪」でした。

しかし、「復興」はほとんど実現していません。また、「コンパクト」(平たく言えば開催場所
が近接していて安上がり)についても、東京なら都内で競技場が確保できるから総経費7000
億円で実施可能と主張していましたが、実際には表に出ている金額だけで1兆3500億円プラ
ス予備費の1000億円に膨らんでいます。実際には3兆円かかるともいわれています。

競技場所も東京、北海道のほか6県(神奈川、埼玉、千葉、茨城、福島、宮城)、計8都道府県
に散らばっており、この点でもとうていコンパクトではありません。

競技場の建設工事を受注した建設会社や予想される海外からの観光客相手のビジネスには経済効
果があるでしょうが、総じて、今回の東京オリ・パラは、無理に無理を重ねて大義なき大会とな
ってしまったようです。


(注1)『日経新聞』2013/9/8付
    https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG07047_Y3A900C1000000/ 

(注2)Yahoo ニュース (2913年9月18日)
    https://news.yahoo.co.jp/byline/mizushimahiroaki/20130908-00027937/
    (2019年10月30日アクセス) また、同様の意見は、Web Ronza
    (『論座』)2013年9月18日
    https://webronza.asahi.com/science/themes/2913091700003.html
(注3)LITERA(2019.08.14 12:44)
    https://lite-ra.com/2019/08/post-4900_4.html
(注4)日刊ゲンダイ(DIJITAL、2019年8月11日)同10月30日アクセス。
    https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/260149
(注5)BBC NEWS JAPAN (2019年01月11日)
https://www.bbc.com/japanese/46840041

追伸 招致委員会の会長で当時の東京都知事だった猪瀬直樹氏の弁明
8月のマラソン開催地が東京から札幌に変更されたことに関して、そもそも8月2日と9日に
マラソンを東京で行うことに問題があったのでは、という声に対して猪瀬は朝日新聞のインタ
ビューで次のように弁明しています(注)。

まず、東京五輪は、7月24日~8月9日に開催される。この日程を招致委は「理想的な気候」
としていたこと、そしてマラソンの開催場所に関して。

    7月中旬までは雨期、9月からは台風シーズン。夏が最適というのは間違いない。高校
    野球の甲子園もこの時期にやっている。学校の夏休み期間でもあり、会社勤めの人も順
    番に休暇を取る季節で、交通機関のことも考えると最も適している。

    マラソンは皇居周辺を走る。中心に緑の余白がある東洋的な世界を世界に印象づけられ
    るチャンスだった。札幌はきれいな街だけど、大通り公園は意外に短くて1・5キロし
    かない。

時期に関して7月は雨期、9月からは台風シーズン、だから夏が最適としている。しかし実情は、
IOC収入の最大のスポンサーであるアメリカのテレビ三大ネットワークが国内スポーツの放映
という事情を忖度して、日本にとっては「理想的ではない」この時期に押し込められたというも
のです。しかし、1964年の東京オリンピックは10月10~24日で実施されたし、2012年
のシドニー大回は9月4日から10月1日でした。

高校野球が時期に行われる、というのは、たまたま高校生が夏休みに当っているからで、気候的
に理想的だからではありません。したがって、猪瀬氏の弁明は説得力がありません。

マラソンコースとして札幌の大通公園は短いから不適だという弁明も説得力をもちません。なぜ
なら、マラソンは大通り公園だけを走るわけでなないからです。

いずれにしても、猪瀬氏の弁明には、走る選手の健康、沿道で応援・見学する人の健康について
の配慮が見えません。

(注)『朝日新聞』デジタル (2019年11月4日)
   https://www.asahi.com/articles/ASMC34Q3DMC3UTIL002.html?ref=mor_mail_topix1

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丸木舟と「はやぶさ2」―ルーツを探る歴史ロマンへの情熱―

2019-07-22 06:04:59 | 思想・文化
丸木舟と「はやぶさ2」―ルーツを探る歴史ロマンへの情熱―

2019年7月には、ルーツを探るロマンに満ちた二つの大きな出来事がありました。

一つは、手作りの丸木舟で台湾から与那国島までを人力だけで漕いで到着したことです。

これは、3万年前の旧石器時代に、南のほうから日本人の祖先が海を越えてやってきたことを
再現する実験航海です(注1)。

もう一つは、小惑星探査機「はやぶさ2」による、小惑星「りゅうぐう」への2度目の着陸(
タッチダウン)と、それによる「リュウグウ」内部の岩石の収集を目的とした科学実験です。

まず、丸木舟の方から考えてみましょう。

最初の日本列島人は3万年以上前に、北海道、対馬、沖縄の三つのルートでやって来たと考え
られています。今回は、これらのうち沖縄(琉球列島)ルートの実験航海です。

今回の企画は、国立科学博物館人類史研究グループによる「3万年前の航海 徹底再現プロジ
ェクト」に基づくもので、その趣旨を代表の海部陽介氏は次のように語っています。

    最初の日本列島人は、3万年以上前に、海を越えてやって来ました。それは、アフリ
    カを旅立ったホモ・サピエンスが、陸域を越えて海にも活動域を広げながら、世界中
    へ大拡散した壮大な歴史の一幕。中でも島が小さく遠く、世界最大の海流である黒潮
    が横たわる琉球列島への進出は、当時の人類が成し遂げた最も難しい航海だったと考
    えられます。・・・・・・
    この航海によって、太古の祖先たちがどうやって困難な海を越えたのかという謎に、
    はじめて実証的に迫ることができると期待しています。海の上で祖先たちがみたはず
    の景色を、皆さまにお届けできるよう、全力を尽くします。

つまり、この実験航海は、日本人のルーツを探る航海なのです。

このグループは、出発地で調達できる材料で舟を作ることを原則としており、2016年には
草(写真で見るとアシのような植物)で、17年と18年には竹を素材とした舟で、与那国島と
西表島間の航海を試みましたが、いずれも失敗しました。

そこで今回は、3万年前を想定して石斧で木を切り倒し、中を刳り抜いて5人の漕ぎ手が乗る
「古代舟」(長さ約7・5メートルの丸木舟)を製作しました。

時計やコンパスなどは持たず、太陽、星などの位置を頼りに、交代しながら漕ぎ続けた。食料
はおにぎり、そして1人計4リットルの水分をペットボトルで持参しました。安全のため、丸
木舟の航行に影響を与えない形で別の船が伴走しました。

5人の漕ぎ手の一人は女性でしたが、これは、かつての航海者がその先で人口を維持するため
には、女性も一緒だったはずだからです。

事前の準備としては、スーパーコンピューターを使って過去の黒潮を推定する研究など、様々
な研究が多数の協力研究者のもとで進められました。

しかし、時計・コンパス・GPSなどの文明の利器は持たず、風・うねり・太陽・星などを使って
針路を探る方法を採用しました。安全のために伴走船が同行しましたが、古代舟に針路や位置
を教えることはしませんでした。

こうして7日午後2時38分(日本時間)に台湾東海岸の烏石鼻を出発し、9日午前11時半
過ぎ、実に45時間かけて、200キロの大海原を越えてで無事、与那国島に着きました。

次に、この実験航海の成功の2日後、7月11日に、「はやぶさ2」が「リュウグウ」への二
回目の着陸に成功したニュースが日本中を駆け巡りました。

丸木舟による航海は、さまざまな知識や情報を可能な限り学習しているとはいえ、航海そのも
のは、5人の漕ぎ手の体力と気力だけが頼りの原始的な実験航海でしたが、「はやぶさ2」は、
現代の先端科学の塊のような宇宙探査機による小惑星の探査です。

リュウグウは、ロケットを使って片道2年半、地球から往復52億キロ離れた場所にあります。
そこに向かって、「やはぶさ2」に地球から電気的な信号で指示を与え、直径わずか700メ
ートルという小惑星、というより大きめの岩石の塊に着陸させたのです。

その際、探査機から弾丸を打ち込み、そこで飛び散った石を採取した(はずです)。

「はやぶさ2」が着地するリュウグウは、70万個以上ある太陽系の小惑星の一つ。採取した
物質を分析することで、太陽系の歴史や生命の謎の解明に役立つと期待されています。

約46億年前に誕生した太陽系は当初、小さな天体の集まりでしたが、これらが衝突、合体を
繰り返して地球などの惑星が生まれました。

地球など大きな惑星は誕生時の衝突エネルギーで高温になり、物質はどろどろに溶けて変質し
たため、太古の状態は既に失われてしまっています。

これに対し、惑星になり損ねたのが小惑星です。その多くは太陽から遠い場所にあり、低温を
保ってきたため、太古の状態を今もとどめています。いわば太陽系の「タイムカプセル」なの
です。

地球上の、生命の材料であるアミノ酸などの有機物や水は、小惑星などが原始の地球に衝突し
たことで運び込まれたとする仮説が有力です。

リュウグウは70万個以上ある太陽系の小惑星の一つ。これらが豊富に存在するとされるタイ
プの小惑星で、その物質を詳しく調べれば仮説を検証でき、生命の起源に迫れる可能性があり
ます(注2)。

ところで、3万年前の古代人が台湾(ちなみに当時は大陸とつながっていた)からどのように
して日本列島の西端、琉球列島の一角にたどり着いたのかを、当時使ったであろう最も原始的
な舟である丸木舟で実験航海することに、どんな意味があるのでしょうか?

このプロジェクトに参加し推進してきた人たちには、日本人のルーツに関する未解明の問題を
明らかにする、という学問的な探求心があったことは疑いえません。

歴史家としの感想を言えば、こうした問題意識はよく理解できます。

さらに、プロジェクト代表の言葉には、はっきりと語られてはいませんが、そもそもルーツを
探り、その経緯を明らかにする、という発想の背後には、日本人としてのアイデンティティを
確認したいという情熱もあったはずです。

もっとも、実際に丸木舟に乗り込み航海をしたのは、山口県在住のシーカヤックガイド原康司
さん(47)を初め、シーカヤックの経験豊富な5人(40~60才、女性1人)で、研究者で
はありませんでしたが、彼らなりにプロジェクトの趣旨に賛同した人たちです。

私の個人的な印象を言わせてもらうと、この実験航海プロジェクトに関わった多くの研究者も、
実際に舟に乗り込んだ5人も、彼らを突き動かしていたその根底には、純粋に「歴史ロマン」
への熱い情熱があったのではないかと思われます。

実験航海プロジェクトは、最初は草の舟で、次ぎに竹の舟で試み2回とも失敗をしています。
ただし、この場合、失敗そのものが経験知として蓄積されるし、国家や博物館に多大な損害を
与え、それらの威信を傷つけることもありません。失敗の度に、新たな情熱が湧いてきたので
はないでしょうか。

この点、「はやぶさ2」の探査は、JAXAという国家機関による、国家予算を使った、まさ
に国家の総力と威信をかけた巨大プロジェクトです。参加しているメンバーも大部分が科学者
からなる頭脳集団です。

今回の着陸では、あらゆる場合を想定して10万回も、コンピュータを使ったシュミレーショ
ンを行ったといいます。ここでは、失敗は許されません。ここには大きな重圧や責任があった
ことでしょう。

こうした、「はやぶさ2」のプロジェクトは、科学探査という衣をまといながらも、彼ら突
き動かしていたのは、現在の私たちのルーツと地球と生命のルーツを知りたいという純粋に
「歴史ロマン」への熱い情熱があったことは間違いないと思います。

丸木舟のプロジェクトとは比べようもない小さなことですが、私は早稲田大学に入学すると早
速「探検部」に入部しました。1960年代中頃、「探検部」では「ベーリング海峡踏破プロジェ
クト」が進行していました。

モンゴロイド人がユーラシア大陸を東に進み、ベーリング海峡を渡って北米から南米に移動し
たことは確かなので、探検部では、実際にシベリア側からアメリカ側に歩いて渡ろう、という
プロジェクトが発足し、私も極寒の冬山の訓練などをしました。

このモンゴロイドの移動が行われたのは今から2万5000年前と推定されており、当時、ベ
ーリング海峡は凍結していたので、徒歩で渡ることは、理論的には可能でした。

しかし、このプロジェクトには根本的な欠陥がありました。当時、米ソの冷戦真っただ中で、
ベーリング海峡はソ連とアメリカが至近距離で対峙している最前線でしたから、当然のことな
がらソ連側からもアメリカ側からも許可されるはずがありません。計画はかなり甘かったこと
は確かです。

結局、このプロジェクトで実施されたのは、数人がアラスカで生活したことくらいでした。

今思えば、この計画は発想とロマンだけが先行し、冷静に考えればおよそ実現するはずもあり
ませんでした。

しかし、こうした子供じみた狂気のようなことを大真面目にやろうとしたことには、なつかし
さと同時に、まず現実性を考えてしまう今の自分に淋しさを感じます。

この意味で、分別盛りの大人が、丸木舟や「はやぶさ2」のようなロマンに挑み続けていられ
る人たちがとても素敵で、羨ましさを感じました。、

(注1)丸木舟の実験航海に関しては、多くのメディアがとりあげていますが、とりあず、国立学
博物館のホームページを参照されたい。
   https://www.kahaku.go.jp/research/activities/special/koukai/about/
   『朝日新聞』(デジタル版) 2019年7月7日18時39分
   https:///digital.asahi.com/articles/ASM6R4V07M6RULBJ003.html?rm= 390
   『朝日新聞』(デジタル版  2019年7月9日11時38分)
   https://www.asahi.com/articles/ASM7934MPM79ULBJ006.html
   JIJI.COM (2019年7月9日)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019070900398&g=soc
(注2)『産経新2019年7月9日聞』(2019.2.16 18:31)https://www.sankei.com/life/news/190216/lif1902160029-n1.html





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『ボヘミアン・ラプソディ』を観て―個人的な感想―

2018-12-02 09:24:45 | 思想・文化
『ボヘミアン・ラプソディ』を観て―個人的な印象―

今年11月に日本で封切りとなった映画『ボヘミアン・ラプソディー』を観ました。いうまでもなくこれは、
有名なロックバンド「クイーン」のリードボーカル、フレディ・マーキュリーの生涯を描いた、伝記的な音
楽映画です。

正直に言えば、私はそれほど熱烈なクイーン・ファンだったわけはありません。クイーンの印象と言えば、
フレディーが上半身裸で、マイクスタンドを真横に持ち、胸を突き出して独特な歩き方で舞台を歩きなが
ら歌う姿です。

それ以外には、1999年11月にフレディがエイズで亡くなったことです。

私が最初に見たクイーンの映像は、ポール・マッカートニーの呼び掛けで開催された、カンボジア難民救
済のチャリティーコンサート(ロンドン、1997年12月)に出場した時のライブ映像で、日本ではNHKの
BSで2008年に放送されたものです(注1)。

もう一つは、NHKが2011年『SONGS PREMIUM』で放送した、「クイーン」のライブ特集で
す(注2)。

2011年、クイーンは東日本震災復興支援チャリティー・アルバム(『Songs for Japan』)を出しています。
後に、回想していますが、クイーンのメンバーは日本に強い関心と、震災に対して深い同情の心を持ってい
たようです。

これらの映像は、私の音楽コレクションとして保存してありますが、今回、映画を観るまで改めて観ること
はありませんでした。

今回、映画を観たので、もう一度昔の映像を観てみました。このため、今回観た映画にたいする印象は、こ
れら昔の映像の印象とがごちゃまぜになっています。

これを差し引いたうえでこの映画について、あくまでも個人的な感想を思いつくままに書いてみます。

まず、曲のタイトルでもあり映画のタイトルにもなっている、「ボヘミアン・ラプソディ」という言葉が、
私には何ともいえない、ある種の郷愁と言うか特別な感情を抱かせます。

「ボヘミアン」という語から「既成の概念などにとらわれず、自由に生きる」とか「どこかに定着するの
ではなく流浪しながら生きる」というイメージが浮かんできます。

「ラプソディ」(日本語で「狂詩曲」)自由奔放な形式で、叙事的な内容を表現した楽曲を指します。こ
の形式の場合、異なる曲調をメドレーのようにつなげたり、既成のメロディを引用したりすることも珍し
くありません。

しかし、私にとっては、リストの「ハンガリー狂詩曲」にみられる「熱狂的な」「狂おしい」という印象
がまず前面にでてきます。

「ボヘミアン」と「ラプソディ」が一緒になると、「自由で、規制の概念にとらわれず、しかも熱狂的な」
フレディの人生そのものと言えます。

これは、「ボヘミアン・ラプソディ」という曲そのものにも表れています。

フレディは、ゾロアスター教徒でイラン系インド人を両親に持ち、英領ザンジバルで生まれ、少年期はイ
ンドで過ごし、後に両親とともにイギリスに移住しました。こうした、彼の人生そのものが「ボヘミアン」
的な性格にもいくらか反映しているのかも知れません。

「ボヘミアン・ラプソディ」という曲は、ロックだけでなく、オペラ的部分もあり、そのメロディやコー
ド、リズムなどは、時にマイケル・ジャクソンやビートルズを思わせる部分(これは私個人の感想です)
があり、彼の人生そのもので、非常に複雑な構成になっています。

それでいて、クイーンのバンドの演奏とフレディの歌がしっかりと統一が取れた楽曲になっていることが
不思議です。

こういう楽曲を作るフレディというアーティストは、本当に天才なんだ、と感じました。

この曲が完成した時、それは6分間という長い曲になっており、通常のラジオ番組などでは使ってもらえ
ない、という理由でスポンサーから反対されましたが、フレディは、「あんたはクイーンを失うことにな
る」と言って、反対をはねつけてその場を離れます。ここには彼の自負と自信、そして意志の強さがはっ
きり表れています。

ところで、映画全編に流れるバンドと歌をたっぷりと聞けるので、これだけでもう十二分に楽しめます。

おまけに、フレディをはじめクイーンのメンバーに扮した役者たちの演技が、あまりに実際の人物と似て
いるので、うっかりすると、ドキュメンタリー映画ではないか、と勘違いしてしまうほどです。

そして、フレディが歌う場面では、フレディ自身の声を音源とした部分と、代役のマーク・マーテルが歌
っている部分とがあるようですが、昔のライブ映像と比べても区別がつきません。

この意味では、ほぼ実際のフレディのコンサート映像を観ている気分に浸れます。

クイーンの4人のメンバーが大卒で、フレディは美術を学び、ギターのメイ・ブライアンは天文学で博士
号を取得したインテリ、ドラムのロジャー・テイラーは生物学を学び、ベースギターのジョン・ディ―コ
ンは電子工学科を首席で卒業するという秀才です。

ロック・バンドと聞けば、世間常識を超えた人物の集まり、という印象をもちますが、クイーンの場合、
どこのなく知性的な雰囲気を感じていたのは、彼らのこんな背景がそれをかもしだしていたからなのかも
しれません。

とりわけ、仲間が「俺たちは家族じゃないか」と言った時、フレディーは猛烈に反発して「家族なんかじ
ゃない」と言って出て行ってしまいますが、それで決裂することなく他の3人は冷静に事態を収束してゆ
く大人の知恵と、フレディに対する信頼と温かい気持ちで包み込んでゆきます。

とりわけ感動的だったのは、フレディが自分はエイズに感染していることを仲間に告白し、しかしこのこ
とは絶対に他の人には言わないでくれ、といった後、メンバー全員が互いに肩を組み円陣を組んで結束を
確認するシーンです。

クイーンといえば、フレディが一人でクイーンを引っ張っていたような印象を受けますが、実際には、他
の3人のメンバーと一緒に楽曲を作り上げていったことが分ります。

実際、メイとロジャーは、それぞれリード・ヴォーカルを張れるだけの実力と作曲の能力をもちながら、
フレディのわき役として、しっかり彼を支え、そして輝かせていたことが胸を打ちます。

そして、それに応えるようにフレディはエイズに冒されながらも、そんなことをおくびにも出さず、エネ
ルギッシュに歌い続けます。

この映画は、第一義的にフレディの伝記的音楽映画であることは間違いありませんが、それに加えて、フ
レディとメンバーとの人間的な友情と交流も、この映画がもつ音楽映画を超えた素晴らしさです。

もう一つ、フレディと最初の恋人メアリとの恋愛と別離、また男性の恋人との出会いと別れも、人間フレ
ディの人生において大きな意味をもっており、この点をしっかり描いていることもこの映画をより深い人
間物語にしています。

メアリや男性との恋愛を描くのは、まったく不要だという意見もウエッブ上には見られますが、こうした
人間関係の問題は形を変えて私たちの間で普通に起こり得る問題で、私は、やはり必要だと思います。

この映画を少し離れて、今日、日本でも世界でも問題となっている性的少数者(LGBT)に対する差別
や偏見に目を向けさせたきっかけとして、フレディの存在と生き様が大きな役割を果たしたことは間違い
ありません。

ところで、私はこの映画を観た後で、どうしても、ジョン・レノン、マイケル・ジャクソンのことが思い
出されてしまいます。

フレディは45才、ジョン・レノンは40才、そしてマイケルは50才で亡くなっています。彼らはいず
れも音楽史上に残る天才的なミュージシャンであり、突然、命を絶っています。

もし彼がもう少し長く生きていたら、どれほど多くの素晴らし音楽を私たちに残してくれたかと思うと、
残念で仕方ありません。

クイーンに興味がある人はもちろん、無い人も、とにかく映画館に足を運んで、大きな画面で大きな音で、
この映画を楽しんでほしいと思います。

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晩秋の箱根芦ノ湖湖畔の散歩道                                   紅葉の箱根の森                               

 

(注1)2008年7月26日放送、NHKBS2「黄金の洋楽ライブ」
(注2)2011年12月15日放送 NHK




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タイ「チェンライの奇跡」―自己犠牲と瞑想(マインドフルネス)の力―

2018-07-15 08:30:50 | 思想・文化
タイ「チェンライの奇跡」―自己犠牲と瞑想(マインドフルネス)の力―

「チェンライの奇跡」と呼ばれる救出劇は、世界の中に感動と称賛を与えました。その内容については後に
触れるとして、まず、事実経過を確認しておきましょう。

6月23日、タイ最北部のチェンライで、11歳から17才までのサッカー少年12人とコーチ、計13人が、
メンバーの一人の誕生祝をするために洞窟に入りました。

洞窟に入った時には水量も少なく、奥のほうに移動できたのですが、その後あっという間に洞窟内が水で
満たされ、彼らは出てくることができなくなりました。

彼らの生存と所在は、7月2日、ダイバーにより入り口から5キロメートルの場所で10日ぶりに発見さ
れました。

あらゆる救出の可能性を検討し、ついに8日から順次救出が開始され、予想よりはるかに早い、10日に
は全員を救出することができました。

この救出は「チェンライの奇跡」と呼ばれるようになりましたが、それはいくつかの危機を乗り越えたか
らです。

まず、洞窟に入ってから発見されるまでの10日間、彼らはどのように命を繋ぎ、パニックにならずに過
ごすことができたか、という点です。

後に分かったことですが、誕生祝のために持ち込んだお菓子をコーチがまとめて預かり、少しずつ子ども
たちに分けて食べていたようです。

次に、水は、洞窟の濁った溜り水ではなく、岩から染み出てくる水を飲んでいました。これもコーチの知
恵に基づく指示です。

さらに洞窟内の衛生を保つために、排泄場所も決めておいた、ということです。

それでは、子どもたちの精神面はどうでしょうか。もし、私たち、普通の大人でも、10日間も暗闇の中
で、食料もない、いつ助けに来てくれるかも分からないという状況で10日間も洞窟に閉じ込められてい
たら、どのような精神状態になったでしょうか?

ところが子どもたちは、10日間が2日ほどにしか感じなかったと、と感想を語っています。

後に、コーチは元仏教の僧侶で子どもたちと一緒に瞑想をしていたことが分かりました。ここに、宗教と
瞑想のもつ大きな力を感じます。

それにしても、子どもたちも、瞑想によって精神の平穏を保つ基礎が備わっていたことにも感動しました。

次に、現実の救出ですが、子どもたちは、ダイビングはおろか水泳もできない状態で、どのように救出し
たのか、という問題です。

これには、まず、子どもたちが全く視界のきかない濁った水の中で、パニックをおこさないよう精神安定
剤(沈静剤)を与え、担架に固定し、一人に対して二人のダイバーが前後について万全を期しました。

救出後の写真を見ると、子どもは担架に乗せられ酸素マスクをつけたままて半分、眠ったような状態で運
ばれたようです。

もう一つの奇跡は、洞窟のダイビングのプロが世界中から集まり、言語の違いを乗り越えて一つのチーム
として結束し、困難な状況を克服したことです。

実際、地形が複雑なうえ水が濁って視界が閉ざされているような状況でのダイビングは、熟練のダイバー
にとっても非常に危険です。

それでも、世界からボランティアで多くのダイバーが馳せ参じ、英知を尽くして救出方法を考えて成功し
たということもやはり奇跡ですし、あとで述べるように、コーチと亡くなったダイバーとともに彼らは自
己犠牲という尊い精神を私たちに示してくれました。

なお、これら奇跡の背後で、私たちに感動を与えたのは、救出された13人の中で、もっとも体重が減少し
て痩せていたのは、コーチだった、ということです。

恐らく、コーチは、わずかの食べ物をまずは子どもたちを優先して食べさせ、自分はほとんど食べなかっ
たようです。

こうした自己犠牲の精神が、仏教への信仰とあいまって、思わず涙がでてしまうほど感動しました。

なお、自己犠牲と言う意味では、救出の準備のため、酸素ボンベイの搬入を行ったダイバーが意識を失い、
亡くなったことも忘れてはなりません。

多くの人の自己犠牲という尊い精神と行為によって、今回の救出はめでたく幕を閉じました。

蛇足ながら、私も学生時代に沖永良部島の洞窟探検をしたことがあります。その時は、幾つものプールを
泳いで渡り、小さな滝をよじ登って前に進むのですが、朝に入って出てくるのは夕方でした。1回入るだ
けでくたくたでした。

今回のダイバーたちの状況ははるかに困難で人命がかかっているので、緊張や体力の消耗ははるかに激し
かったと思われます。

ところで私は、もし、日本の子どもたちがあの状況に置かれたら、どのように行動しただろうか、はたし
て、瞑想によって心の平静を保つことができただろうか、飢えと渇きに耐えられただろうか、また12人
の子供たちを、身体的にも精神的にも見事に統率し、支えることができるコーチはいるだろうか、とさま
ざまなことを思いつつ今回の救出劇をテレビのニュースを見ていました。

もう一つ、今回の救出に関連して、改めて宗教というものの力、そして瞑想が私たちの心身にもたらす大
きな力に驚かされました。

私たち日本人の多くは、日常敵意に宗教的な生活しているわけではないし、大人も子供も瞑想する習慣は
あまりありません。

個人としても集団としても、生存の危機に陥った時、冷静でいられるかどうか確信がもてません。

宗教とは関係ありませんが、私はここ数年、「マインドフルネス」のヨーガを実践しています。

偶然、7月13日の『テレビ朝日』の朝の情報番組「羽鳥慎一モーニングショー」で、洞窟に閉じ込められた
コーチと子どもたちの心身の問題を、「マインドフルネス瞑想」という観点から取り上げていたので興味
深く見ました。

私が「マインドフルネス」と出会ったのは20年ほど前のことです。当時、はあまり世間の注目を引くこ
とはありませんでしたが、私は何となく惹かれるものがありました。

マインドフルネスを世界に広めた一人、ジョン・カバットジン氏によれば、『マインドフルネス瞑想法』
というのは、“今”という瞬間に完全に注意を集中すること、と簡潔に定義しています。

これについてさらに詳しい内容については、彼の書いた本(注1)を読んでいただくとして、私はこの本
に示されている、マインドフルネス・ヨーガのポーズの図に注目しました。

しかし、当時は自分の生活に大きな変化があり、そのことに気を取られて実践まではゆきませんでした。

しかし、3年ほど前、少し歩いただけで息苦しさを感じ、極端に言えば命の危機を感じました。その時、
「マインドフルネス瞑想法」のヨーガを思い出し、やり始めました。

この時私は、いろんな想念や雑念を一旦、呼吸に移し、深くてゆっくりした呼吸をすることに意識を集中
することに専念しました。

これを2か月ほど続けた結果、呼吸が随分、楽になり、ウォーキングをする際、時々全力ダッシュを挟ん
でも大丈夫なようになりました。

いわゆる「瞑想」というと、何か宗教的な世界を想い起させますが、もともと宗教心が心の奥底に定着し
ていない私たちにとって、座禅で行うような瞑想は無理です。

しかし、深くてゆっくりとした呼吸は、有酸素運動にはなるし、呼吸に意識を集中するといやな想念やス
トレスからある程度解放されます。

マインドフルネスのヨーガ・ポーズは、あくまでも呼吸と意識の集中を促すためのポーズばかりで、よく
あるようなアクロバットの曲芸師のような無理なものはありません。

それでいて、全身の体中のストレッチ効果もあり、さらに副次的効果として、血圧もかなり低くなり正常
値にもどりました。是非、実践をお勧めします。

ちなみに、アメリカでは以前よりマインドフルネスは広く実践されており、たとえばアップルの創始者の
一人、故スティーブ・ジョブや映画監督のジョージルーカスなどが実勢んしており、その他小学校でも、
刑務所などでも採用されています。また、テニスの錦織がどうしても勝てないジョコビッチも実践者です。


(注1)ジョン・カバットジン『生命力がよみがえる瞑想健康法』(青木豊訳、実務教育出版、1993年)。
この本は最近、内容は同じで『マインドフルネス・ストレス低減法』(北大路書房、2007年、2015年、2200円+税)と
して出版されました。


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ワールドカップ2018―日本の課題:体力とゴールキーパー―

2018-07-08 09:30:12 | 思想・文化
ワールドカップ2018―日本の課題:体力とゴールキーパー―

私は今回のワールトカップで日本の全試合をリアルタイムでテレビ観戦し熱狂し感動した一人です。
改めてスポーツのすばらしさを実感しました。

日本は3回目のベスト16、決勝トーナメントへの出場は果たしましたが、悲願のベスト・エイト
には残れませんでした。

今大会の戦術的・技術的検討はサッカー協会の専門家によって行われるようですが、私たちが接す
る一般のメディアを通じた評価はほぼ一巡しました。

結論から言えば、私が感じた日本の課題は、日本選手の体力の限界と、世界レベルに達していない
ゴールキーパー(以下「GK」と略)川島選手の技量でした。

私はサッカーの熱烈なファンではありますが技術的な面については素人です。以下は、そのような私
の勝手な素人談義です。

現段階までの世間の評価は大きく二つに分かれています。

一つは、そしてこれが大勢を占めているようですが。「西野ジャパン、よくやった」という好意的な
評価です。とりわけ「西野監督はこの2か月余の短期間によくぞ日本チームを一つにまとめた。選手
もそれぞれのいいところを十分に発揮した。長谷部は素晴らしいリーダー・シップを発揮した」とい
う評価が多いようです。

私も、これらの評価には全体としては賛成です。

まず西野監督は、怪我をしていた乾選手を、本人と医師と話し合ったうえで日本代表に選んだ。そして、
乾選手は2ゴールを決めているのです。西野監督の眼力の良さが証明されました。

また、「おっさんジャパン」と揶揄されながらも、香川、岡崎、本田など、ハリルホジッチ監督なら呼
ばれなかったかったかもしれない選手を選抜しており、本田に至っては、1ゴール、1アシストで、決
勝トーナメントへの進出を可能にした決定的な役割を果たしています。

おそらく西野監督は、本番までに与えられた短期間を考えると、海外での経験のある選手はどうしても
必要だと判断したのでしょう。

こうした西野監督の英断は功を奏したといえるでしょう。もし、これらの選手が機能してなかったら、
彼は激しいバッシングを受けたに違いありません。

次に、西野監督は選手とのコミュニケーションを重視し、選手の意見を徹底的に聞いたことです。「私
は世界を知らないから、世界でプレーしている皆さんから教えて欲しい」という姿勢が、選手との信頼
関係を築く大きな要因となりました。

ただしこれは、リスクを伴いました。というのも、それぞれが自分の言いたいことを言い始めて、途中
から収拾がつかなくなっていたからです。

キャプテンの長谷部はたまりかねて西野監督に、監督の方向を決めてくださいと直訴し、そこで西野監
督は自分の方針を示したという経緯があります。

ハリル監督は、縦のパスを重視し、スピードをもって敵陣に攻め込むスタイルでしたが、西野監督は、
もっと細かなパスを組み合わせながら隙をみて長いパスや縦パスで一気に攻めるスタイルです。

この戦略は一次リーグの3試合と決勝トーナメントのベルギー戦で2点先取するところまでは見事に成
功しました。

最後に、GK川島の能力の優れた面と弱点(後述)があい半ばする重要なポイントです。

弱点については後で書くので、まず、今回のワールドカップの試合で良かった点は、とりわけ決勝トー
ナメントのベルギー戦で見せた2度の「スーパー・セーブ」です。

もちろん、あれは「スーパー・セーブ」であったことは確かですが、世界の舞台で勝敗を争うチームの
GKのプレーを見ていると、川島のプレーは通常の「ファイン・セーブ」ではあっても「スーパー・セ
ーブ」と言うほどのプレーかどうかは専門家に聞きたいところです。

以上は、今大会の「光」の部分ですが、それでは、「影」の部分はなかったのでしょうか?

これからの日本のサッカーの向上を願って、敢て厳しく「影」の部分について考えてみたいと思います。

まずは、全4試合の結果を見ると、日本は1勝2敗1引き分けでした。これを、「良く戦った、誇るべ
き好成績だ」と見るかどうかは意見が分かれるところです。

私は、ひいき目に見ても、それほど誇れる成績とは思えません。まだまだ世界レベルの実力には達して
いないと感じています。

日本の1勝は相手のコロンビアが10人で闘った試合でした。辛口で知られるセルジオ越後氏は、もし
相手が11人相手だったら1勝もできなかった。強くなったとは言えない」と手厳しい(注1)。同じ
ことは、帰国後、長友も言っています。

西野監督は後半の、ここぞという場面で本田を投入し、彼のコーナー・キックに大迫が合わせて勝ち越
し点を取ることができました。これは幸運でもあったし西野監督の采配がズバリ的中したといえます。

大迫のゴールに関して日本のメディアは「大迫 半端ない」とはやし立てましたが、セルジオ越後氏は
7月4日TBSの午後のラジオ番組で、「それは高校生レベルの話」、本当に優れて選手なら、1回だ
けでなくもっと得点にからんでいたはずなのにその後ミスが多かった、と語っています。つまり、日本
のメディアは彼を持ち上げすぎで、それが選手をだめにしていると、と指摘しています。私も同感です。

次に、ポーランド戦に関しては、特殊事情があったために負けても敢て1点を取りに行かず、パス回し
で時間を使う作戦でした。この選択は正しかったと思います。

日本の良い面も弱点も、決勝トーナメントのベルギー戦に一気に現れました。

良かったのは前半を守り切ってO-Oで終わったこと、後半が始まった3分後、相手の背後に飛び出し
た原口に芝崎のスルーパスが通り、先制ゴールができたこと、またその4後半に香川とのコンビネーシ
ョンで乾がミドルシュートを決めたことです。

しかし、その直後から事態は一変し、日本の弱点が出てしまいます。ベルギーは高さを生かす攻撃のた
め、長身のフェライニ(194センチ)とシャドリ(187センチ)の選手2人を投入します(後半20分)。

私の素人考えでは、この時点で日本も背の高い牧野や上田を投入して対抗すべきだと思っています。

しかし後半24分、ゴール前の高く浮いたボールをフェルトンゲンがヘディングで合わせてゴール。そ
して、29分には交替したばかりのフェライニがアザールの左クロスに合わせてヘディングでゴール。
同点とされます。両方とも、長身を活かしたヘディングによるゴールでした。

最後は、ロスタイムに入り本田のフリーキック・ボールをキャッチしたベルギーのGKクルトワがすぐ
にフリーの司令塔にスローイングし、的確な判断で攻撃の起点になり、あれよあれよという間に超高速
カウンター攻撃で決勝点を奪われました。

この時、日本は3点目を取るために守備陣の選手も相手陣のゴール周辺に出ていたため、カウンター攻
撃に間に合わなかったのです。この作戦はどうだったか、検討のよちがあります。

個々の問題はあるとしても、私は今回の大会で、日本が克服しなければならない課題が3つ明らかにな
ったと思います。

一つは、走る速さと持続力です。ミサイル追尾用に開発されたトラッキングという手法を使うと、個々
の選手の動いた距離や速さがデータとして捉えられます。

FIFA発表のデータによれば、チーム全体の走行距離はベルギーの107.846キロメートルに対して日本
は108.889キロメートルで、走行距離だけをみると、わずかながら日本の方が勝っています。

ただし、問題はその走行距離がどれだけ有効な走りであったかは問題です。ベルギーが3点目を入れた
時、俊足で走るデブライネに誰も追いつきませんでした。

ベルギー戦では、終盤にいたって長友は息切れし、酒井宏樹は足がつっていました。他にも複数の選手
が足を痙攣させるほど疲弊の極に達していました。もし、ベルギー戦で延長戦となったら、30分間を
走り続けることは無理だったでしょう。走る持続力をアップすることは日本の大きな課題です。

二つは、GKの能力です。現代サッカーでは攻撃で有利になるため、GKもパス回しへの参加が求めら
れます。もっと言えば、GKは攻撃の一角を担っているのです。実際、ベルギーの3点目はGKのスロ
ーインが起点になっていました。

これまでの日本のサッカーでは、こうした発想はなく、GKはシュートからゴールを守る人で、攻撃要
員でもあるという認識がなかった。

日本のメディアが川島の2本のセーブを「スーパー・セーブ」と評価しましたが、データをみるとGKの
攻撃力に大きな差があることがわかります。

ベルギーのGKクルトワは32本のパスを出したうち30本が有効で、成功率は94%。川島は同じ32
本のうち18本(56%)しか通すことができていなかったのです。

さらに大きな違いはパスの距離の内訳です。クルトワは最多の27本を中距離に出し、全て成功(100%)。
川島は最多23本が長距離で9本(40%弱)しか成功していません。

川島はボールを持つと終始ベルギーからプレスを受け、苦し紛れにロングキックを強いられ、相手にボー
ルを奪われることが多かったのです。

こうした弱点を相手に研究されていた可能性があります(『東京新聞』2018年7月4日、6日)。以上の
川島の弱点を考えると、GKの質を世界レベルに挙げることが日本サッカーの大きな課題です。

最後は、監督による明確な指示です。ベルギー戦に負けた後のインタビューで、西野監督は、こういう状
況(2点を先行するという状況)を想定していなかったので、どのようにゲームを組み立てたらよいか考
えられなかった、という趣旨の発言をしています。やはり、監督はいかなる状況でも常に明確でベストな
指示を出す必要があります。監督自信も「結果に対しては成功とは言えない」と総括しています。

続けて西野監督は「何が足りなかったんでしょうね」とインタビュアーに向かって自問自答しています。

最後の段階で明確な戦略を指示できなかったことを吐露しています。

それでは、選手はどうかと言えば、長友は「一瞬、ベストエイトの夢を見た。でもベルギーの方が明かに
強く、化け物だと思った。これが世界との差」と感想を述べています。

また長谷部は「これだけ長い間、日本代表でプレーさせてもらい、日本が最終的に目指すサッカーを確信
出来ていない部分がある」と控えめながら、日本サッカーの方向性に自信が持てなかったことを告白して
います(前掲 『東京新聞』)。

日本は「善戦こそしたが、最後は必然の敗戦だった」。これは今大会全体を通じて私が感じた印象です。

日本は、課題は多くありますがU21、U18のグループに有望な選手が育っているので、それらを克服
して次回のワールドカップで大いに活躍して欲しいと思います。。


(注1)https://www.nikkansports.com/soccer/column/sergio/news/201807040000159.html



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人間「本田圭祐」が面白い―サッカーとビジネスへの挑戦―

2018-07-01 08:40:58 | 思想・文化
人間「本田圭佑」が面白い―サッカーとビジネスへの挑戦―

今、サッカーの2018FIFAワールドカップ・ロシアが行われ、日本は2大会ぶりの決勝進出を果たしました。

今回のワールドカップについての感想は別の機会に譲るとして、今回は本田圭佑という一人の人物に焦点を当てようと
思います。

本田圭祐については、2015年1月21日、28日、2月3日のブログ記事で3回にわたって書いており、当時から
私は「人間 本田圭佑」に強い関心をもってきました。

私は専門家ではないので、彼がサーカー選手として、どれほど優秀なのかを判断することはできません。人によっては
「ほら吹き」とも「有言実行の人」とも言います。私には、過去、大きな試合で、重要な場面で大きな役割を果たして
きたことは印象に残っています。

今大会でも、1ゴール、1アシストで、日本を勝利と引き分けに持ち込んだ大きな仕事をしました。このために決勝に
進出できたのです。

しかし、私が彼に関心をもつのは、そうした技量的なことではなく、生き様や人生哲学が、この年齢(20代から現在
32才まで)の日本人アスリートとしては非常にユニークだからです。

今年の5月14日放送されたNHKの「プロフェショナル 仕事の流儀 ラスト・ミッション本田圭佑」に出演した本田は、
当時はまだワールドカップに呼ばれるかどうか分からない段階でした。

不安と期待が入り混じった微妙な時期でのインタビューで、私がハッとさせられたのは、インタビュアーの、イタリア
の名門ACミランからメキシコに来たことに触れて「言葉を選ばなければ都落ちという人もいますが」、というぶしつけ
な質問にたいする彼のストレートな返事です。

彼は、「その通りです。都落ちです。それがどうかしましたか?」と平然と切り返している。こういうい切り返しがで
きる度胸をもった日本人はなかなかいません。

このインタビューだけでも興味深い点はたくさんありますが、今回は、アスリートの本田としてではなく、人間本田に
迫ったみたいと思います。

本田圭佑は1986年6月13日生まれ。大阪府摂津市出身。サッカー選手としての本田の経歴は、2005年名古屋グランパス
エイト、2008年オランダ・VVVフェロン、2010年ロシア・CSKAモスクワ、2014年イタリア・ACミラン、2017年メキ
シコ・パチューカと実に5カ国のチームでプレーしています。

これだけみても、彼が多様な世界を見てきたことが分ります。

しかしトップ・アスリートとして活躍する一方で、本田には別の顔がありあす。

たとえば彼は、米マサチューセッツ工科大学メディアラボ特別研究員であり、国連財団「グローバル・アドボケート・フ
ォー・ユース(青少年の国際支援者)」など、サッカーとは関係ない仕事も務めています。

この他、彼はさまざまな事業の経営者としての顔をもっています。事業家としての本田の右腕となって実務を担当している
小脇聡太氏(ソルティーロ施管理部兼広報部長)が本田の多面性や生き様を語っていますので、それを紹介しましょう(注1)。

本田が現在手掛けている主な事業は、アジア最大規模のサッカースクール「ソルティーロ ファミリア サッカースクール」
や、オーストリアのクラブチーム「SVホルン」の運営といったサッカー関連事業(このほか、豪州、カンボジア、ウガン
ダなどのクラブチームの運営にも参加)です。

また、アスリートのセカンドキャリア支援事業「Next Connect(ネクコネ)」や、スポーツのコーチと指導を受けたい人を
マッチングさせる事業「Now Do」、千葉・海浜幕張にある「ZOZOPARK HONDA FOOTBALL AREA」や金沢大学・金沢市
との共同プロジェクト「金沢大学 ソルティーロフィールド」などのスポーツ関連施設運営事業、アスリートのマネジメン
トも手がけています。

サッカー関連では、中高生を対象としたクラブを計5つ保有し、サッカースクールも含めると小中高合わせて4500人くらいの
子供たちが所属しています。特に2012年にスタートしたスクールは、「18年までに300校に拡大する」と本田が大きな目標を
公言しています。

サッカーの選手としてトレーニングや試合への出場だけでも忙しいのに、ホンダはなぜ、こんな無謀とも思える多くの事業に
手を染めているでしょうか?

その理由を小脇氏は三つ挙げています。

一つは、『「人生は一度きり」「やる」かどうか迷ったら とりあえずやった方がいい。とりあえずやってみよう』という、
本田の口癖に現れている彼の人生哲学です。

いつも「それは無理だろう」というほど大きな目標をぶち上げて、全力で目標達成に挑み実現していく。この姿勢は、サッカ
ーだけではなくビジネス分野でも全く同じだという。

本田は2007年、つまり21歳の時に個人事務所を立ち上げましたが、現在は、KSKグループというホールディングカンパニー
の下に、ホンダエスティーロ、ソルティーロを含むいくつかの事業会社があって多岐にわたる事業を展開しています。

実際、サッカー・スクールはかなりのスピードで規模を拡大しており、現在では中国、タイ、豪州など海外を含めると83校
(18年5月末現在)に達していて、アジアでは最大級のサッカースクールですが、300校という目標は達成していません。

しかし本田は一度立てた目標は変えません。大きな目標をぶち上げたからこそ、今の結果があると考えているからでしょう。

二つは、「むちゃな目標をぶち上げ 仲間と全員で力を合わせる。達成の喜びを共有したい」という彼の生きる姿勢です。

本田には、目標に向けて何をすべきかを緻密に考えられる力と、失敗を失敗と思わないという強いメンタルがあります。

本田が小学校の卒業文集で、「大人になったら、セリエAで10番をつける」と書いたことは、今では広く知られたエピソード
です。そして実現させました。

もちろんその過程では、実現できなかったことや失敗、挫折も山のようにあり、本田自身「失敗の体験は誰よりも多い」と、
常日頃から言っているそうです。

なぜそれでも平気なのかと言えば、成長を楽しみに進んでいるからでしょう、と考えているからです。小脇氏は、「本田は
目標しか見ていない。だから一個一個の失敗は気にならない。
それがメンタルの強さにつながっている」と分析しています。

三つは、「成功より成長を喜びたい。サッカーは私にとって選択肢の一つに過ぎない」というサッカーの位置づけです。

彼は、サッカーにおいても、もちろん一流でいたい、しかし、サッカーは自分の人生の全てではない、と考えています。

これは現役の選手としては、なかなか言えない、といより言うことがタブー視される発言です。

実際、彼の選手寿命はそれほど長くはないでしょう。しかし、人生はまだまだずっと続くので、何か別の目標を持ちたいと
いうことでしょう。

ただ、彼はサッカーというスポーツには特別な愛着をもっています。本田が多くのサッカー・スクールを作るのは、スクー
ルの中から世界の一流の選手が育って欲しい、と答えています。次の世代のサッカー選手を育てたという強い信念があるよ
うです。これを、身銭を切って実行しているサッカー選手はなかなかいません。

アスリートを引退してから、指導者や解説者になる人、芸能界に進出する人、タレントを目指す人、などさまざまですが、
本田はこれらの、どれも選ばないでしょう。

最後に、本田は「実は一匹狼ではない」という小脇氏のコメントに触れておきます。

ビジネス分野に限らず、本田は仲間と一緒に、心躍るような目標に向かっていくのが好きで、「一緒にやろうぜ」と声をか
けて仲間を増やしたり、組織を動かすことが大好きなのです。そして人を巻き込むのがとてもうまいのだそうです。

未踏の領域へと進んでいくという哲学も持っているので、その事業が成功する確率も高いとは言えない。
 
本田は会社の仕事としてスクール事業や、サッカーのクラブ運営をしていますが、それらとは別に立ち上げた「KSK Angel
Fund」は会社とは別の個人ファンド。ドローン開発で注目を浴びている「Aerial Lab Industries」 など三十数社に出資
しています。

ビジネスの世界では本田に共感して下さる著名な経営者の方々もいて、多くのビジネスリーダーとの出会いから、気づきを
得て経営を実地に学んでいるのだと思います。

小脇氏は最後に、「本田の思考は私にとっては想定外が多くこれから何を言い出すのかは分かりませんが、本田のチャレン
ジは社員にとっての楽しみでもあります。ワクワクするようなビジネスを今後も仕掛けてくれることを期待しています」と
結んでいます。

本田とは、一筋縄では理解できない、ある種の「怪物」だと思います。NHKの番組の最後に、本田さんにとってプロフェシ
ョナルとは何ですかというお決まり質問に、「ケースケ・ホンダ」と答えています。これには少し本人の解説が必要です。

(注1)『日経ビジネス ONLINE』 2018年6月12日(火)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/090600161/060800050/?


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セネガル戦でゴール後、岡崎と敬礼し合う本田。「おっさんジャパン」の2人がたたえ合う(『東京新聞』2018年6月26日)
岡崎が「つぶれ役」となったおかげで、フリーになった本田はゴールを決めきめることができた、とされる。ただ、岡崎は「
俺も本気でゴールを狙っていた」と話し、本田も「岡崎に三大会で連続でアシストしたい」と語っています。「おっさん」に
これからの試合も頑張ってもらいましょう。


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文脈全体で真相に迫る(1)―日大アメフット危険タックル事件の場合―

2018-05-27 07:07:09 | 思想・文化
文脈全体で真相に迫る(1)―日大アメフット危険タックル事件の場合―

5月6日に開催された日大アメリカンフットボール(以下「アメフット」と略す)と関西学院大学(以下「関学」と略す)
アメフット部との定期戦において、日大アメフット部の宮川泰介選手が関学クオーターバックに反則タックルを行い、その
ためタックルされた選手は全治3週間のケガを負いました。ただし、幸い神経の損傷はなく日常生活には支障ないようです。
(ちなみに今月27日の試合には出場しています)

この問題は今や日大全体、あるいはスポーツをめぐる社会問題となっています。

ちなみに、体と体が激しくぶつかり合うコンタクト・スポーツ(サッカー、ラグビー、アメフット、アイスホッケー)など
では、ケガはそれほど珍しくありません。

高校時代にサッカーをしていた私の知人によれば、そのチームでは“削る”という表現があり、これは意図的に相手の選手
の足にラフ・プレーでケガをさせて、その試合を続けられなくすることだそうです。

あるアメフット関係者は、アメフットのようなスポーツでは2~3週間のケガというのは、それほど深刻というわけではな
いが、今回の反則タックルで2~3週間のケガで済んだというのは幸運かもしれない、と語っています。

というのも、今回のタックルでは、頸椎や脊椎が骨折したり、その中の神経の束が損傷を受ければ、重度の麻痺や、最悪の
場合、死ぬ危険性さえあったからです。

関学のクオーターバック(QB)がパスを投げ終えてから2秒後に後ろからタックルされたのですが、元プロの川口正史氏
は、2秒後というのは選手にとっては15~20秒、人によっては1分くらいに感じる、それくらい無防備になるそうです。

この状態でタックルを受けるというのは、「皆さんが町のなかで景色を見ている時に体重100キロくらいの男が全速力で
突っ込んでくるようなものです」(『東京新聞』2018年5月18日)。

映像でみると、後ろからタックルされた選手は頭と背中がのけぞりながら倒れてゆきました。この映像を見た時、よく重大な
損傷にならずに済んだと思いました。

この件のあらましやその後の展開については、メディアが毎日報道しているので、ここではそれらを繰り返えさず、今回の問
題の何が真相で、どのようにそこに迫るのか、という方法に焦点を絞りたいと思います。

その方法を一言で言えば、文脈全体から問題をとらえる、ということになります。具体的に見てゆきましょう。

もっとも、この問題に関する限り、敢て「文脈全体」と強調しなくても、事の顛末ははっきりしていますが・・・。

まず、今回の反則タックルを生んだ、最も重要な文脈は、昨年、27年ぶりに「甲子園ボウル」で関学に勝って優勝したこと、
その偉業をこれかも続けてゆくために、どんな手段を使ってでも関学に勝たなければ、という監督・コーチ陣の強い思いです。

この文脈の中で現在、争点となっているのは、宮川選手が反則タックルをするよう、コーチなり監督が指示したかどうか、と
いう点です。

今月22日に宮川選手は記者会見で井上奨コーチから、「相手のクオーターバック(QB)を一プレー目でつぶせば(試合に)
出してやると(監督から)言われた」と告げられたこと、ここで宮川選手は「つぶせ」という指示を「ケガをさせろ」という意
味でとらえた、と説明しています。この意味で、反則タックルは「実質的に」井上コーチと内田正人監督(当時)の指示であっ
た、と宮川選手は言っているのです。

これに対して15日に日大側から関学大に提出した回答では、指導者による指導と選手の受け取り方に乖離が起きていたことが
問題の本質、と書かれ、その後の発言でもこの見解を続けています。

言い換えると日大側は、厳しく当たれという指示を、宮川選手が勝手に「ケガをさせろ」と解釈してしまったことが本質だ、と
主張しているのです。

また23日の記者会見で内田前監督は、QBをつぶせというのは自分の指示ではない、と語り、また井上コーチは、相手のQB
をつぶせという指示はしたが、「ケガをさせることを目的とした指示ではなかった」と答えています。

確かに、宮川選手も井上コーチも内田(前)監督も「ケガをさせろ」という直接的な言葉による指示はない、と言っています。

次回に検討する政治の世界でもよく起こることですが、「言った」、「言わない」という水掛け論のように聞こえます。

しかし私は、「ケガをさせろ」という言葉があったか否かが決定的な問題ではなく、文脈全体から判断して「指示はあった」と
考えます。

宮川選手はなぜ危険を承知で反則タックルをしなければならなかったか、という問題こそが問題の本質です。

まず、宮川選手は、「たとえ監督やコーチに指示されたとしても、私自身が『やらない』という判断ができずに、指示に従って
反則行為をしてしまったことが原因である」と、自分の罪を正直に認めています。

その上での証言は、非常に具体的で、矛盾がなく、筋がとおっていて、信ぴょう性があります。

宮川選手には、もう失うものはない、とのスタンスがはっきりしており、本当のこと言っているとの印象を持ちましたが、コー
チと監督には職責や地位という「失うもの」「守りたいもの」があるため、記者会見での答えも矛盾やあいまいさがあり、言う
ことが多少変わってきました。

次に、6日の試合に至るまでの状況を、時系列を追ってもう少し具体的にみてみましょう。

今年度の試合は4月22日と29日の2回行われ、両方ともスターティング・メンバーで出場していた。つまり、彼の実力はコ
ーチ・監督とも認めていたのです。

ところが、5月3日の実践形式の練習で、プレーが悪かった(やる気が足りない。闘志が足りない)として練習を外された。

5月4日、宮川選手は6月に中国で行われるアメフット大学選手権大会の日本代表に選抜されていたが、練習前に監督から「日
本代表に行っちゃだめだよ」と言われた(ただし、その理由は説明なし)宮川選手は「分かりました」と答えた。

この日の実践練習は、コーチに確認したところ「宮川は出さない」と言われ外された。

5月5日。この日も実践練習から外された。練習後井上コーチから「監督に、おまえをどうしたら試合に出せるか聞いたら、相
手のQBを一プレー目でつぶせば出してやる」と言われた。『QBをつぶしにゆくんで僕を使ってください』と監督に言いに行
け」と言われた。

さらに「相手のQBがケガをして秋の試合に出られなかったこっちの得だろう」「これは本当にやらなくてはいけないぞ」とコ
ーチから念を押された。

5月6日(本件当日)。宮川選手は、ここでやらなければ後がないと思いつつ試合会場に向かった。しかし試合のメンバー表に
自分の名前はなかった。

監督に「相手のQBをつぶしに行くんで使ってください」と伝えたところ、監督からは「やらなきゃ意味はないよ」と言われた。

井上コーチには「リード(本来のポジションでのプレ-)をしないでQBに突っ込みますよ」と確認すると、「思い切っていって
こい」と言われた。

では、試合当日に「なぜ危険を承知で反則タックルをしなければならなかったか」という、問題を考えてみましょう。

すでに多くの論者が指摘しているように、宮川選手は、問題が起こる試合の数日前から実践形式の練習から外され、日本代表も辞
退を言われ、6日の試合にも出してもらえない状況にありました。

唯一、彼に残されたチャンスは、1プレー目で相手QBを潰すこと、しかも相手をつぶすくらいの強い気持ちでやってこいと言う
意味ではなく、本当にやらなくてはいけないのだと追いつめられて悩んだ、と心情を語っています。

このように思わざるを得ないほど、宮川選手は強いプレッシャーを受けていたことがわかります。

試合の当日監督とコーチは、「ケガをさせろ」という指示に限りなく近い言葉を発しています。たとえば試合直後に関東がインタ
ビューに答えて、「あれぐらいやらなければ関学みたいなチームには勝てない。宮川もこれから良くなるだろう」と言っています。

以上を総合的に考えると、コーチと監督は「ケガをさせろ」「得になる」とは言ってない、と答えていますが、それらの言葉が実
際に発せられたか否かよりも、文脈全体からみて、やはり「指示はあった」ということが「真相」(現段階では「事実」とは言い
切れない)に近いと思います。

問題が大きくなって、日大アメフット部の問題から日大全体の問題へと拡大しています。25日には学長が記者会見を開き、謝罪し
ましたが、コーチと監督の指導に誤りがあったかなかったのかには言及しませんでした。

現役部員は近く抗議の声明を出すそうですが、私が疑問に思うのは、今回の問題に関して教授会が何の反応もしていないことです。

日大のアメフット部は任意団体なので事情が違うかもしれませんが、それでも大学の部活動は教育の一環ですから、何らかの形で教
授会が関わっているはずです。現在、教職員組合が声明を出していますが、本来は、教育を担当する教授会も何らかのメッセージを
出してもおかしくはありません。

次に、一般の学生の動きがまったく伝わってこないことです。これは現代学生気質というものでしょうか?

なお、今回の「事件」は警察と法廷の場に移されることになりました。現実に負傷者が出ている以上、これは、仕方がないかも知れ
ませんが、私個人としては教育の一環である部活動に警察や司法が入ってくることには、いささか違和感があります。

今回は、スポーツの試合中に起こった反則タックル問題に限定して、その真相を文脈全体から検証しましたが、今や、アメフット部
の枠を超えて、マンモス大学日本大学という、大きな文脈全体の中で検証する必要が出てくるかもしれません。

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栃木市内を流れる「巴波川」は、かつて江戸までの舟運が盛んで、巴波川―思川―渡良瀬川         経済交流で栄えた栃木には、巴波川沿いに、今でも江戸時代から
―江戸川―行徳―小名木川―隅田川―江戸との舟運が利用された。市内には4つの川港(河岸)       の蔵が今の立ち並ぶ。
がある。ここは、その一つで、舟だまりがある。 







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