大木昌の雑記帳

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社会現象となった“藤井聡太”(1)―若さと成熟が同居する魅力―

2020-08-25 15:29:30 | 思想・文化
社会現象となった“藤井聡太”(1)―若さと成熟が同居する魅力―

若干18歳の棋士、「藤井聡太」はもちろん個人名ですが、今や“藤井聡太”は固有名詞の枠を超えて、AIを超える
頭脳をもち、たんたんと“空前絶後”の成績を収めてしまう若き天才、といったニュアンスを含んだ言葉となった感
があります。

2020年8月19日と20日の二日にわたって行われた将棋のタイトル戦(王位戦)第四局で、藤井聡太棋聖(18
才1か月)がタイトル保持者の木村一基王位(47)に勝利し、棋聖に続いて王位も獲得し、これで史上初の高校
生で二冠となりました。

この両日、私は朝からパソコンの画面にくぎ付けでした。そして勝負が決まる20日の夕方には、興奮は絶頂に達
しました。

藤井二聡太(以下、親しみを込めて呼び捨てで表記します)に関しては、彼がまだ14歳の中学生で四段になった、
つまりプロになったばかりのデビュー戦で、将棋界のレジェンド、加藤一二三九段に勝ったときから私は藤井ファ
ンになりました。

藤井二冠の活躍は将棋界を超えて社会現象になってしまいました。とりわけ今年の6月8日から始まった渡辺明三
冠とのタイトル戦(棋聖戦)のころからは、一般のテレビ放送でも、対局の結果だけでなく、藤井聡太が昼食や夕
食の“勝負メシ”に何を注文したか、までが速報で流されるほど世間の注目を浴びるようになりました。

それが今回は二冠と八段昇段という二つの史上最年少記録を破ったのですから、世間の驚きと称賛は異常なほどで
した。21日にはスポーツ紙のみならず、一般紙でも“藤井二冠”の文字が1面に踊っていました。

それにしても、将棋という地味な世界の藤井聡太はなぜ、これほどまでに注目を集め老若男女を問わず関心を呼び、
感動を与えるのでしょうか?

この背景にはいろいろな要素が関係していると思います。以下、私の個人的な解釈を思いつくままに書いてみます。

まず第一は彼の若さと、成熟がもたらすギャップです。中学生でデビューして以来一気に駆け上り、高校生になっ
た今、将棋界のほぼ頂点に近いところまで上り詰めました。この間に藤井聡太は、少年から青年の入り口にさしか
かりました。

もちろん、かつて神童と呼ばれた加藤一二三や、同じように若くして会談を上り詰めた羽生善治九段の例がないわ
けではありませんが、よほどの将棋通でないかぎり、こうした古い時代のことは知りません。

この若さにもかかわらず、彼の落ち着きと謙虚さに人びとは感心し、尊敬の念までもったのではないでしょうか?
実際、私は藤井聡太の対局はかなり多く観てきましたが、ごく普通の対局でもタイトルがかかる大一番でも、まっ
たく動ずることなく冷静沈着です。

これは、世間の評価や世間体など、将棋以外のさまざまな”雑念“が入ってしまいがちですが、藤井聡太はこうした
こととには無関心で、ひたすら将棋に集中します。

私たち普通の大人は、世間の評価や世間体、さらには勝ったらいくら貰えるのか、などにいつも心を奪われていま
すが、師匠の杉本昌隆八段によれば、聡太は昇段やタイトルそのものにはまったく関心がないそうです。

ここには、私たち大人の多くがすでに失ってしまった「若さ」と「純粋さ」に対する称賛と同時に、ちょっぴり嫉
妬さえ感じます。

若さと成熟とのギャップと言う意味では、何物にも動じないような物腰ですが、それと並んで彼が発する言葉に世
間は驚きました。

2017年4月4日(14才7か月の中学生)に、それまで四段昇段からの連勝記録10を破って11連勝した時の感
想を聞かれて、「自分の実力からすれば望外の結果」と答えています。

「望外の結果」とは「望んだこと以上の好成績」と言うほどの意味になります。同じ言葉は翌18年2月に羽生善
治二冠(当時)に勝利し、15才6か月で、全棋士が参加する朝日杯に優勝し、六段に昇段した時の感想を聞かれ
てやはり、「自分の実力からすれば望外の結果。まだまだ実力をつけ時期だと思っている」と述べました。

藤井聡太の中学生とは思えない言葉は他にもあります。11連勝の2カ月後の18年6月2日、20連勝がかかっ
た大一番で危うく負けそうになった局面を最後に大逆転して勝利しました。

この時には「連勝できたのは僥倖としか言いようがありません」とさらりと答えています。

「僥倖」の辞書的な意味は、「思いがけない幸い。偶然に得る幸運」という意味です。

私自身を振り返ってみても、これまで「僥倖」などという言葉を使ったことはありませんし、この言葉を聞いたこ
とさえない人も多くいると思います。

メディアで、一斉に藤井聡太がこうした難しい言葉を知っていたことに驚いて取り上げていましたが、私は別の意
味でも感心しました。

「望外」にしても「僥倖」にしても、普通の大人なら自分の実力で勝ったことを誇りたいところを、「幸運」も味
方してくれたから勝てたんです、という、一歩下がった謙虚さがにじみ出ています。

しかもこの謙虚さは他の面にも現れており、決してどこかで覚えた言葉を使ってみた、というわけではありません。

例えば、対局の始めと終わりには互いに礼をしますが、その時藤井聡太は、ほとんどの場合、相手より長く深々と
礼をしています。彼の謙虚さは一貫しています。

“藤井聡太”は、若さがもつ純粋さ、将棋にたいする一途さと、とんでもない才能、そしてそれらと不釣り合いな成熟
を一身に体現している存在です。

そこに、多くの日本人はしびれてしまうのではないでしょうか?

王位戦で勝利して二冠を達成した後に、「18才になり、タイトルホルダーにもなった。将棋界をある意味代表する
立場として、自覚は必要になる」とコメントしています。

18才という若さで、すでに自分が将棋界を代表している身であり、将棋だけでなく自分の言動にも、その自覚が必
要だ、と自覚しているのです。

この言葉から、彼が、将棋しか興味関心がない「将棋バカ」ではない、社会人として成熟した一人の人間であること
をこれほど率直に表現したことに、私は感動しました。

王位戦の第四局が行われた福岡市の大濠公園能楽堂の周りには多くの老若男女が対局の行方を見守るために集まって
いました。しかも、その中には普段は将棋にはあまり縁がなさそうな中年の女性もたくさんいました。

藤井聡太勝利が告げられた後で、テレビ局のインタビューにある中年の女性は、「体が震えました」と答えていまし
た。

この女性が感じていた、「体が震える」思いを、私も含めて多くの人が共有したのではないでしょうか。

次に、“藤井聡太”が社会現象になった背景に、今年の春以来の新型コロナウイルスの感染拡大があると思います。

思えば、この春以来、“外出を自粛せよ”、“三密を避けよ”、“マスクを付けよ”と、行動の自由を縛る要請というか命令
の下で、仕方なく巣ごもり生活を続けています。

加えて、“自粛警察”と呼ばれる市民を監視する人たちが現れ、マスクをしない人や自粛をしない人に監視の目を光ら
せ、時には匿名で中傷したりします。

これだけでも、うっとうしいのに。毎日のようにコロナ感染者が何人出て、何人亡くなったか、といった数字が来る
日も来る日も報道されています。

これが、一時的なことなら何とか我慢もできますが、既に半年以上続いており、しかも、これからどれだけの期間、
我慢を続けなければならないのか先が見えません。そして、これからの生活は大丈夫だろうか、と心配の毎日です。

こうした、暗く抑圧された空気が日本中にまん延しており、中には精神のバランスが保てない人も出てきます。ヨ
ーロッパでも日本でも、自粛生活のもとで不満やイライラを家族にぶつける、家庭内暴力が増えているという報道も
あります。

こんな暗い状況の中で、藤井聡太の快挙は、ほとんど唯一、明るいニュースでした。人々は、彼の才能だけでなく、
人柄や、若者がもつさわやかさ、純粋さ、凜とした言動に、一条の光を見たのではないでしょうか。

藤井聡太二冠の誕生は、こうした背景も手伝って、日本社会に元気と希望を与えてくれたように思います。
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脱皮したばかりのセミ。なぜ敢てコンクリートの所まで這ってきたのだろか?                   地下生活者の姿は見えないがモグラの動きの跡は良く見えます。
      

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