中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

小林一茶 「七番日記」余話 (旧中山道番外記 5)

2005年11月01日 11時11分00秒 | 中山道番外記
(猫じゃらし)



岩波文庫の小林一茶の「七番日記」に、興味深いことが巻末に記されているので紹介したい。

「七番日記」の頃の生活と題して、巻末に解説がある。

その中に菊という女性と結婚した一茶は、
(夫婦仲むつまじく、
「婦夫月見」文化十三年八月十五日。

「菊と中山萱刈 萱取 栗拾い」同年九月五日。

といった微笑ましい記事も散見する。
一茶の結婚生活はひとまず順調にスタートを切ったらしい。
しかし、時にはいざこざもあったらしく、日記の八月二日の項に、
夕方菊女の姿が突然見えなくなったので、「古間川まで探すところ
不見、然所家尻に洗濯していたりしとかや」という事件があった。
川まで捜しにいったというところに、一茶の狼狽振りが窺がわれる。
翌日の記事には「春さしたるボケ、青々と葉を出したる所菊女一旦の怒にひきぬく」とあり、
余憤いまだ収まらずの感がある。
菊女は赤川の実家に帰り、相談などもしたらしいが、八日には
「夕方一雨(中略)菊女かえる、夜五交合」とめでたく
和合している。それよりしばらく「寒 夜雷雨(中略)三交」とか、
「墓詣 夜三交」「通夜大雷 四交」とか記事が続き、
この前後には、強精用の薬草を採取する記事も見える)
とある。

日記だから人に言えぬようなことを書いているが、
一茶の生活ぶりが如実に窺がえ、微笑ましい。
(岩波文庫:巻末の解説からの抜粋)

しかし、如何に精力絶倫とはいえ、夫婦生活は、実際には一夜に
五交、四交など余ほどの若さでないと実行不可能である。

ボクは結婚したのが28歳で当時は晩婚であった。
当時定年は五十五歳であったので、子供を定年までに
大学を卒業させて置きたいという願いから、
33歳までに産み終えておきたいと思った。
だから、すぐにも子供が欲しかった。
しかし、結婚して三ヶ月たち四ヶ月たっても、兆候が無い。
そこで産婦人科に夫婦で通うことになった。
夫婦共に異常は見つからなかったが、カミさんが毎朝体温を
測ることになった。
一ヶ月二ヶ月経ち、体温表をグラフにして婦人科に通うこと三ヶ月。
その第二週に入った時、医師から

「今日から三日以内に、頑張れば子供が出来る」と言われた。

この時、ずいぶん「頑張って、それでも夜三交」であった。
そして長男が生まれた。   参考までに・・・





最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
70項と本項にわたっての小林一茶の日記、興味深か... (salasala)
2005-11-03 19:46:27
70項と本項にわたっての小林一茶の日記、興味深かったです。
返信する
一茶のおじさんにそんな話があったとは (どら)
2005-11-05 00:37:28
一茶のおじさんにそんな話があったとは
それにしてもコメントしにくい記事ですこと
自分の夜の生活をつづるなんて 他に書くこと無かったのかしら?
HIDE-SANも・・・
赤面です
返信する

コメントを投稿