中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

やせ蛙の小林一茶と炎天寺(旧日光・奥州道中ひとり歩る記 19)

2013年09月29日 14時49分19秒 | 日光・奥州道中ひとり歩る記
(島根二丁目のバス停)
(草加宿へ)
国土安穏寺を出て旧日光街道を行く。
バス停(島根二丁目)があり、
先を見ると「島根 鷲神社」左矢印の大きな看板が目に付く。
もっと先の信号は良く見ると島根鷲神社前と書いてある。
看板を見て左折しようとしたら、左折道路入り口の右側に
大きく「鷲神社参道」の石柱が立っている。

(島根鷲神社左の看板)

(鷲神社参道の石柱)

(石の玉垣に囲まれた鷲神社と鳥居)

左折道路を行くと石の玉垣に囲まれた立派な神社が右手にあった。
入り口には石の鳥居が置かれている。
明神型石造りの鳥居には、享和二年(1802)の銘があるという。
(足立区教育委員会)
また足立区の案内板によれば、
(鷲神社の南に古代の海岸線と言われる所があり、
島の根のような微高地は一度も洪水に遭わず、
周囲が田畑の時代は、水面に森が映り、浮島明神の森と言われました。
神宿るこの木々は、祖先から子孫へ大切に受け継がれた宝です。)とある。
これで地名の「島根」が生まれた事がわかる。
(神社本殿と後ろの森)


旧日光街道に戻って進むと(六月二丁目)の信号に出る。
六月とは面白い町名と思いながらさらに進んで、
竹ノ塚三丁目の信号に出たら鋭角に左折し進むと、
広い通りの交叉点に出るが、
直進するとY字路に出るので右方向に行き、
最初の露地を左折すると、
梅島の交番のお巡りさんが教えてくれた俳句寺、
正式名称 炎天寺が小公園の向こう側に見える。
炎天寺の右となりに八幡神社の登り旗も見える。
(炎天寺)

(八幡神社)

なるほどお巡りさんが教えたように、門前に俳句碑が建っている。

・日洩れては急ぐ落葉や炎天寺
誰の句かボクには作者名が読めないが立派な句碑である。

(句碑)
門をくぐると。右手に小さな池があり、
池の中央には蓮の葉を模した島の上に、
太った蛙と痩せ蛙が相撲をとっている彫像がある。
すぐ上にある句碑が、日本人なら誰もが知っている俳句、

・やせ蛙 まけるな一茶 是にあり  一茶
が刻まれている。

(小さな池)

(やせ蛙とデブ蛙の相撲の図)
(やせ蛙の句碑)


この右側の池のほとりに、

・蝉鳴くや 六月村の 炎天寺  一茶
の句碑が、その右横に庚申塔や灯籠もある。
参道に沿って、小林一茶の銅像があり、
奥に本堂が見える。

(蝉鳴くやの句碑と庚申塔)

(小林一茶像)

(本堂)
(本堂全景)

本堂の前には、やせ蛙ではなく、
でっぷり太った蛙が背中に子蛙を乗せて、
聖徳太子像の横に鎮座している。
その脇に炎天寺の歴史として案内板があるので紹介しておきたい。
(当山は平安期の末に創建されたもので、
天喜四年(1058)炎天続きの旧暦六月、
奥州の安倍一族の反乱を鎮圧に赴く
源頼義・八幡太郎義家父子の率いる軍勢が野武士と激しく戦い、
極めて苦戦となったが、京の石清水の八幡宮に祈念し、
ようやく勝利を得ることが出来た。
そこで寺の隣に八幡宮を建立、地名を六月村と改め、
寺の名を、源氏の白旗(幡)が勝ったので幡勝山、
戦勝祈念が成就したので成就院、
気候が炎天続きであったので炎天寺と改められた、
と伝えられる源氏ゆかりの寺で、
江戸後期の俳人 小林一茶がいくつかの名句を残している。
・ やせ蛙  負けるな 一茶是にあり(文化13年四月)
・ 蝉鳴くや 六月村の 炎天寺      (同年九月))
とある。

(やせ蛙でなくでっぷり太った蛙)
(子蛙も背中に)

(隣の八幡宮の鳥居と社殿)


地名やお寺の名前の由来は、あまりにも とって付けたようで、
信じがたいが、一茶も俳句を詠んでいることだし、
お隣に八幡宮もあることだし、信じることにしよう。
炎天寺を出て、気になる隣の八幡神宮をのぞくと、
立派な社殿が、三つの鳥居の向こうに鎮座している。
神社の入り口には、松の枝が見事に伸びている。
いわゆる「見越しの松」である。

門に枝を伸ばしている松は、大昔に流行った演歌の「お富さん」に、
♪粋な黒塀 見越しの松に・・・・♪とあるように、
「見越しの松」といって、松が入口にある家は、
かなりな旧家か、お大尽の家だと母に教わったことがある。

見越しの松)


そんな松が、八幡宮の入口にある。
神社の中へ足を踏み入れると、松の由来について説明がある、
要約すると、
(奥州征伐のみぎり、この地で賊と戦う。
時に陰暦六月(今の八月)炎天下で悪戦苦闘する。
源義家 神の助けを祈り、旗のぼりを建て、士気を鼓舞し軍を整え、
勇戦して賊を壊滅した。よって旗を立てたところに壇を設け、
応仁天皇を祀り凱歌を唱えた。
その旗のぼりを立てた場所がこの松という。
以後この松を「旗掛けの松」と伝承され、
時は変れど代々村人に受け継がれてきた)という。
これで町名の「六月」の由来が解けた。

(旗掛けの松=見越しの松)



最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは。お久しぶりです。いつも私のHPによ... (みなりん)
2013-10-30 18:00:12
こんばんは。お久しぶりです。いつも私のHPによくおいでくださいまして、ありがとうございます。HPを拝見して、とても楽しく勉強になりました。人間蛙じゃないけれど、みんなやせ我慢しても踏ん張って生きているんですね。今日はなんだか寂しい気分で、こちらへお邪魔しました。少し元気をいただきましてありがとございます。みなりん拝
返信する

コメントを投稿