(島根二丁目のバス停)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/48/25626c01430691e4000ab2878dfb411c.jpg)
(草加宿へ)![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/48/25626c01430691e4000ab2878dfb411c.jpg)
国土安穏寺を出て旧日光街道を行く。
バス停(島根二丁目)があり、
先を見ると「島根 鷲神社」左矢印の大きな看板が目に付く。
もっと先の信号は良く見ると島根鷲神社前と書いてある。
看板を見て左折しようとしたら、左折道路入り口の右側に
大きく「鷲神社参道」の石柱が立っている。
(島根鷲神社左の看板)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/9f/391d5390c7420c435cd4d02909ec9f71.jpg)
(鷲神社参道の石柱)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/42/c35306d43331f55e16672dc4e59f395d.jpg)
(石の玉垣に囲まれた鷲神社と鳥居)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/03/e1b1024bc09baaa5e19799660632b9ae.jpg)
左折道路を行くと石の玉垣に囲まれた立派な神社が右手にあった。
入り口には石の鳥居が置かれている。
明神型石造りの鳥居には、享和二年(1802)の銘があるという。
(足立区教育委員会)
また足立区の案内板によれば、
(鷲神社の南に古代の海岸線と言われる所があり、
島の根のような微高地は一度も洪水に遭わず、
周囲が田畑の時代は、水面に森が映り、浮島明神の森と言われました。
神宿るこの木々は、祖先から子孫へ大切に受け継がれた宝です。)とある。
これで地名の「島根」が生まれた事がわかる。
(神社本殿と後ろの森)
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旧日光街道に戻って進むと(六月二丁目)の信号に出る。
六月とは面白い町名と思いながらさらに進んで、
竹ノ塚三丁目の信号に出たら鋭角に左折し進むと、
広い通りの交叉点に出るが、
直進するとY字路に出るので右方向に行き、
最初の露地を左折すると、
梅島の交番のお巡りさんが教えてくれた俳句寺、
正式名称 炎天寺が小公園の向こう側に見える。
炎天寺の右となりに八幡神社の登り旗も見える。
(炎天寺)
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(八幡神社)
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なるほどお巡りさんが教えたように、門前に俳句碑が建っている。
・日洩れては急ぐ落葉や炎天寺
誰の句かボクには作者名が読めないが立派な句碑である。
(句碑)
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門をくぐると。右手に小さな池があり、![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/ef/f53b2b59dc24ccdf347e914ff5167f25.jpg)
池の中央には蓮の葉を模した島の上に、
太った蛙と痩せ蛙が相撲をとっている彫像がある。
すぐ上にある句碑が、日本人なら誰もが知っている俳句、
・やせ蛙 まけるな一茶 是にあり 一茶
が刻まれている。
(小さな池)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/d7/6993b3629c4d9f361bb0bccb157c1bbd.jpg)
(やせ蛙とデブ蛙の相撲の図)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/c1/26e04e613084ab3394f4fa1f704dadf9.jpg)
(やせ蛙の句碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/3d/e966c79c79d7fe05fb95a5663ad4e80c.jpg)
この右側の池のほとりに、
・蝉鳴くや 六月村の 炎天寺 一茶
の句碑が、その右横に庚申塔や灯籠もある。
参道に沿って、小林一茶の銅像があり、
奥に本堂が見える。
(蝉鳴くやの句碑と庚申塔)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/d8/f6d29a48bd236dd91361d8b8eee3f8b0.jpg)
(小林一茶像)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/39/71a51b4b49bc4a5add77655d6521ebbb.jpg)
(本堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/df/b4444a99dc91e8d787c2c0deb93d1f14.jpg)
(本堂全景)![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/39/71a51b4b49bc4a5add77655d6521ebbb.jpg)
(本堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/df/b4444a99dc91e8d787c2c0deb93d1f14.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/0d/22d4e3c239f6330a086a3f78eb78ab09.jpg)
本堂の前には、やせ蛙ではなく、
でっぷり太った蛙が背中に子蛙を乗せて、
聖徳太子像の横に鎮座している。
その脇に炎天寺の歴史として案内板があるので紹介しておきたい。
(当山は平安期の末に創建されたもので、
天喜四年(1058)炎天続きの旧暦六月、
奥州の安倍一族の反乱を鎮圧に赴く
源頼義・八幡太郎義家父子の率いる軍勢が野武士と激しく戦い、
極めて苦戦となったが、京の石清水の八幡宮に祈念し、
ようやく勝利を得ることが出来た。
そこで寺の隣に八幡宮を建立、地名を六月村と改め、
寺の名を、源氏の白旗(幡)が勝ったので幡勝山、
戦勝祈念が成就したので成就院、
気候が炎天続きであったので炎天寺と改められた、
と伝えられる源氏ゆかりの寺で、
江戸後期の俳人 小林一茶がいくつかの名句を残している。
・ やせ蛙 負けるな 一茶是にあり(文化13年四月)
・ 蝉鳴くや 六月村の 炎天寺 (同年九月))
とある。
(やせ蛙でなくでっぷり太った蛙)
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(子蛙も背中に)![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/87/baf5fc811a206fa9809b89f0dab5087d.jpg)
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(隣の八幡宮の鳥居と社殿)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/a4/a532184bc82c9479e6bec1c456ece362.jpg)
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地名やお寺の名前の由来は、あまりにも とって付けたようで、
信じがたいが、一茶も俳句を詠んでいることだし、
お隣に八幡宮もあることだし、信じることにしよう。
炎天寺を出て、気になる隣の八幡神宮をのぞくと、
立派な社殿が、三つの鳥居の向こうに鎮座している。
神社の入り口には、松の枝が見事に伸びている。
いわゆる「見越しの松」である。
門に枝を伸ばしている松は、大昔に流行った演歌の「お富さん」に、
♪粋な黒塀 見越しの松に・・・・♪とあるように、
「見越しの松」といって、松が入口にある家は、
かなりな旧家か、お大尽の家だと母に教わったことがある。
(
見越しの松)
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そんな松が、八幡宮の入口にある。
神社の中へ足を踏み入れると、松の由来について説明がある、
要約すると、
(奥州征伐のみぎり、この地で賊と戦う。
時に陰暦六月(今の八月)炎天下で悪戦苦闘する。
源義家 神の助けを祈り、旗のぼりを建て、士気を鼓舞し軍を整え、
勇戦して賊を壊滅した。よって旗を立てたところに壇を設け、
応仁天皇を祀り凱歌を唱えた。
その旗のぼりを立てた場所がこの松という。
以後この松を「旗掛けの松」と伝承され、
時は変れど代々村人に受け継がれてきた)という。
これで町名の「六月」の由来が解けた。
(旗掛けの松=見越しの松)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/ac/8587df2243458b8370fb4d20c7cdaaee.jpg)