中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

白河の関(芭蕉の道を歩く 35)

2014年06月04日 19時32分12秒 | 芭蕉の道を歩く
(奥の細道【八】白河の関2)


(白河関2)
「境の明神」を過ぎて少し行くと右折の道があり、
新緑のまばゆい山中を進む。
道なりにかなりの距離を進むと突き当たる。
目の前が、白河の関跡である。

奥の細道には、
(やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白川の関こえんと、・・・)とあり、
曽良旅日記には、
(これより白坂へ十町ほどあり。
古関を訪ねて白坂の町の入口より右に切れて旗宿へ行く。)とある。
白河の関は、この記述と変わりない。
(白河神社鳥居)


目の前に「史跡 白河関跡」の石柱があり、
中央に鳥居と階段が見える。
鳥居の下の階段を登ると白河神社がある。
鳥居右横に「古関蹟の碑」と書かれた石碑が、
石垣に囲まれて建っている。

説明によると、
(白河藩主松平定信が寛政十二年(1800)八月、
ここが白河関跡であることを断定し、建立した碑である。)とある。
碑の裏面には、漢文で次のようにあるらしい。
(筆者の勝手な訳、漢文は「奥の細道の旅」ハンドブックより)
(白河の関は境明神のあるあたりとか言っているが、
あまり古い話で、どこにあるか定かではない。
旗宿にある小山とその麓に白川が流れて、
頂上に小さな祠があるここが、
白河の関跡だと、村の古老も言っているし、
昔の和歌にも詠われている様子から、
ここが白河の関跡だと確信したので、
ここに石柱を建て「白河の関跡」とする。
寛政十二年八月一日
白河城主 従四位下 左近衛権少将 兼
越中守 源朝臣 定信これを記す。)とある。

源朝臣 定信とは、ボクは歴史に疎いからよくわからないが、
三大改革「寛政の改革」を成し遂げた松平定信のことである。
(白河関跡碑)

(松平定信が建てた古関蹟の碑)


話を進めて、鳥居をくぐり階段を上る。
足に自信のない方は、古関碑を右に回るのが良い。
階段途中には、「矢立の松」の関碑がる。

説明によると、
(治承四年(1180)源の義経が平家追討のため平泉を発し、
この社前に戦闘を祈願、この松に矢を射たてたと伝えられる。)
が、その松は見当たらない。枯れて切り株だけが残っていると、
案内板にある。
(鳥居の中を階段で登る)

(矢立の松の石碑)

(白河神社本殿)


頂上には白河神社の本殿があり、左側に三首の歌碑が建っている。
古歌碑にある三首は、
・たよりあらバいかで都へつげやらむ
       けふしら河のせきはこえぬと    平兼盛
・みやこをバ霞とともにたちしかど
        あきかぜぞふくしら河の関   能因法師
・秋風に草木のつゆをはらハせて
きミがこゆれば関守もなし   梶原景季
である。

説明板によれば、
(一首目は、
「便りあらば いかで都へ告げやらむ
       今日白河の関は越えぬと  平兼盛(拾遺和歌集)」であり、
「三十六歌仙の一人、平兼盛が奥州に下り歌枕の白河の関を越えた感激を
都の知人にどうやって知らせようかと詠んでいる」
二首目は
「都をば 霞とともに立ちしかど
         秋風ぞふく白河の関  能因法師(御拾遺和歌集)」であり、
「風狂数奇の歌人、能因法師が羽州に旅した際、白河の関で詠んだ歌、
都と白河の関の距離・時間を詠みこんだ著名な歌である。」
三首目は、
「秋風に 草木の露をはらわせて
      君が越えゆれば関守もなし  梶原景季(吾妻鏡)」であり、
「源頼朝が、文治五年(1189)七月二十九日、奥州平泉の藤原氏を攻める途上、
側近の梶原景季が、白河の関の社殿で詠んだもの。」)と解説がついている。

神殿を右へ行くと、関所跡と思われる空堀跡があり、土塁も見受けられる。
(白河神社左の古歌碑)

(関所跡を思わせる空堀)

(関所跡を思わせる空堀2)

(関所跡を思わせる土塁)

(奥の細道文学碑)


さらに進むと、(奥の細道白河の関)の文学碑があり、
ここには奥の細道「白河の関」の項を、

・卯の花をかざしに関の晴れ着かな  曽良

の曽良の一句までが記されている。

少し下がると、右手に大きな杉の木があり、
{従二位の杉}と題して、
(鎌倉前期の歌人、従二位藤原宮内卿家隆が手植し、
奉納したと伝えられる老木で、推定樹齢約八百年、周囲5m)という。
(従二位の杉)


ここまで歩いてきた小山には(カタクリの自生地)の看板があり、
時期には可憐な赤い花が首を垂れるのを見ることができるようだ。

白河の関の先に、白河関の森公園があり、
ビジュアルハウスや食事ができるところもあるが、
五月のゴールデンウイークの後であり、
木曜日であるのにお疲れ休みか、お店は閉まっていた。
それでも曽良と芭蕉の旅姿はボクたち訪問者を出迎えてくれた。
芭蕉と曽良の銅像の台石には、二人の俳句が刻まれている。
・風流の初めやおくの田植えうた 芭蕉
・卯の花をかざしに関の晴着かな 曽良


(白河関の森公園)

(松尾芭蕉と曽良の旅姿銅像)

(台石の俳句)


・汗ぬぐい 白河の関 歌枕  hide-san






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