(車窓から見た月山ー遠くの奥に見える右側の山)
(月山の弥陀ヶ原湿原)
芭蕉は、出羽三山では、羽黒山から月山・湯殿山と参詣して、
湯殿山ー月山ー羽黒山と戻り、
鶴岡に行っている。
昨日羽黒山へ行ったから、
芭蕉と同じように、月山に向う。
月山に向うといっても、
羽黒山の階段ですら昇れない年寄りのボクは、
標高1984mある月山には、八合目までバスにお願いする。
八合目まで行ったとしても、
そこから頂上まで行ってかえるには、
健脚の方で2時間半かかると言うから、
ボク達は月山の雰囲気だけ味わう意味で、
八合目にある弥陀ヶ原湿原を歩く事になっている。
(月山ー弥陀ヶ原湿原)
湿原とは言いながら、
1時間ほど前までガスが掛かって、
一メートル前も見えない状態であった場所。
幸運と言うのか、風がガスを払いのけて見晴らしが良くなっている。
少なくとも湿原だけは見ることが出来る。
それでも標高1400mあるというから、山はあなどれない。
時には月山の全貌も少しは見えるかなといった期待はあった。
(ガスに囲まれる弥陀ヶ原湿原、芭蕉が「雲霞山気の中に」と述べた)
(霧に包まれた月山、山裾が少し見える)
(湿原が見える程度の霧)
(雲霞の間に見える湿原)
ここで「奥の細道」から芭蕉の名文を載せておきたい。
「八日、月山にのぼる。木綿(ゆふ)しめ身に引きかけ、
宝冠に頭を包み、強力というものに導かれて、
雲霞(うんか)山気の中に、
氷雪を踏んでのぼる事八里、
更に日月行道(にちげつぎょうどう)の雲関(うんかん)に入るかとあやしまれ、
息絶え(いきたえ)身こごえて頂上に至れば、
日没して月顕(あらわ)る。
笹を鋪(しき)、篠を枕として、臥して明くるを待、
日出でて雲消(きゆ)れば、湯殿に下る。ー後略」
(注、岩波書店「奥の細道」の解説による)
(*1)木綿しめ= 紙縒り(こより)で作った袈裟のことで、
月山、湯殿山に登る間、これを首にかけた。
(*2)宝冠=頭を覆う白布のかぶりもの。
(*3)日月行道の雲関に入る=高い所だから、
太陽と月が雲で作った関所に入ったかの様の思われ。
八合目の月山レストハウス前に集合して、
二班に分かれてガイドに従う事になる。
レストハウスの前には山伏のような、
神々を詣でる白装束の人が何人かいた。
(白装束の先達が白い宝冠というかぶりものを付けている)
山岳ガイドは、湿原の案内が年寄りの大勢で、
がっかりしたようであるが、準備運動をさせて、
「一緒に歩いて行けないと思ったら、
勇気を出して、どうぞリタイアしてください、
道は木道になっていて判りやすいので、
恥ずかしい事はありませんから、遠慮なく戻ってください。
ただ、その場合は近くの方に判るようにしてください。
一列で進みますので、後ろのほうは、私にも解りませんので。」という。
こんな時、足に自信のある方が、ガイドのすぐ後ろにいるものである。
ボクはこんな時、意識してなるべく後ろの方にいるようにしている。
十年に及ぶ長い旅行の経験からだ。
誰が何処で抜けたか、記憶しておくと便利であるからだ。
最近、外国の旅行では、イヤホーンガイドが多くなっているが、
旅行者は興味のあるところで、立ち止まって観ていると、
どんどん集団から離れていても、
耳にはいやホーンがあるから説明が近くに聞こえ、
集団はすぐ近くにいるように錯覚してしまうからだ。
特にカメラなど構えている人は、
アングルだとか、シャッタースピードとか、
あれこれカメラをいじっている内に、
集団から遠く離れている事があるからだ。
挙句の果てに思わぬ方向に移動してしまい、
迷子になるケースがある。
脱線してしまったが、
(霧が晴れた僅かな時間に、
月山の湿原をよく見て欲しい)ガイドの希望もあって、
少し早めに歩くが、付いていくのが厳しい人もいる。
一列になっているから列が長く伸びてしまう。
ガイドさんは声が大きく、高山植物の名前もよく聞き取れるが、
さて、どの花の名前か後ろの方では、よく判らない。
(高山植物)
(高山植物2)
(あざみ?)
やっと覚えた湿原に咲く高山植物の名前も、
そのときは覚えているのに、
家に帰ってお風呂に入ったが最後、
忘れてしまう。
湿原の中にあるさまざまな形をした池を「池塘(ちとう)」と言うらしいが、
ハートの形をしたり、ひょうたんの形をしたり、
さまざまであるが、一ついえることは、
風が吹く方向に深く入り込んでいるとのこと。
さまざまな「池塘(ちとう)」をご覧ください。
「池塘(ちとう)」
(ハートの形をした池2)
「池塘(ちとう)3」
「池塘(ちとう)4」
「池塘(ちとう)の中の花」
やがて月山頂上への登山口に出る。
登山口には鳥居があって、
手前に「東日本大震災」で被害を受けられた人の冥福を祈る卒塔婆があり、
新しい地蔵像が建っている。
その手前に、狛犬でなく、大きな兎の石造がある。
月山の月にちなんで兎かと洒落ている。
(なで兎と書いてある)
(月山頂上へ八合目の登山口)
芭蕉は月山に登り、
・雲の峯いくつ崩れて月の山
(日中峰にかかっていた入道雲が、いくつか崩れて、
今は月山に月が、かかっている。)
の俳句を残し、湯殿山に向っている。
登山靴があるわけじゃなし、わらじを締めて、一歩一歩と自分の脚で・・・これまで考えても見なかった事でした。
こちらは今でも女人禁制を守ってますよ。
それにしても昔の人は偉かったですな。
現代人にはとても歩けない距離を毎日ながら
続けて旅をされたようですから。
コメント有難うございます。
芭蕉が歩いたのが50歳頃ですから、
今で言う80歳ころだったのでしょうね。
乗り物は籠か馬くらいしかありませんでした。
後は足だけが頼りでしたから・・・
それにしても芭蕉は健脚ですね。
記録によると、わらじは一足履き替えています。
コメント有難うございます。
いまだに女人禁制の所があるのですか。
そろそろ解禁しても良さそうに思いますが・・・
昔は便利な電車汽車がありませんから、
旅に出ることは、生死をかける位の決意が必要だったのでしょうね。
ボクの両親の時代は、遠くへ行くのも、せめて隣村、広くて隣県どまりだったでしょうね。
母に、生前「安芸の宮島」に連れて行く約束をしたのに、残念ながら、ボクが就職した年に他界しました。