中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

元庄屋のお屋敷・本亭旅館(旧中山道を歩く 136)

2008年07月02日 16時00分04秒 | 4信濃(長野県)の.旧中山道を歩く(110~1


(古い建物)

(和田宿5)
和田宿本陣が宿場の中心地であろう。
本陣を通り過ぎると時代を思わせる建物が続く。
やがて左側に「本亭旅館」の看板がぶら下がっているのが見える。
今日の宿泊旅館である。電話で予約したとき、
「古い建物の旅館です」と言われたが、
本当にこれが旅館?と思われる建物であった。
案内書によれば、もと庄屋の家を誰かが買い取って
旅館を営んでいるとあった。

武家政治の下請けとして村や町の代表者であった庄屋・名主の役割は、
村民町民の法令遵守・上意下達・人別支配・
土地の管理などの支配に関わる業務を下請けした。


(本亭旅館、年代ものの松、崩れかかった屋根)


(本亭旅館の屋根付段違いの黒板塀)

そのお屋敷は、予想はしていたが予想以上に古い建物であった。
いにしえの趣は玄関先の年代ものの松や、
その隣にある屋根が崩れかかった門、
それに続く屋根付の段違いの黒塀で十分感じられる。


(旅館のお向かいの脇本陣)

道路を挟んで正面がバス停と脇本陣になっているが、
その両方ともよく手入れされ真新しく感じるのとは好対照の古さである。


(車の後ろが本亭旅館入り口)

玄関の引き戸を開けて、案内を乞う。
昔ながらの高い上がりかまちの先が畳の部屋で、
左側の部屋の先に階段があり、
その奥に座敷が見える、ご主人と思しき人が出迎え
「いらっしゃいませ」。

右側にも部屋があり、板の襖?がその部屋の出入り口になっているようだ。
右奥はどうやら通路になっていそう。
正面奥の部屋の前にはよしずが架かっており、奥を遮断している。

昔とった杵柄で、玄関に入るなりそこまで観察した。
もちろん人を見る目は誰よりも鋭い。
宿の主人は温厚そうであるが、それでも客の足元をしっかり見る。
これも仕事のうちだからしょうがない。
変なお客にでも泊まられたら、宿泊代を頂くことはおろか、
挙句の果てにお金を添えなければならない時だってあるのだ。
それどころか心中でもされたら、お店の評判にもかかわる。

「電話で予約したH.B.ですが、今夜一晩お世話になります。」と言うと、
亭主よく観察したらしく、にこやかに安心したように、
「いらっしゃいませ、どうぞお上がりください」という。
もう夕方の5時近い。長久保宿から歩いて約8kmであるから、
普通の人は90分くらいで歩いてくるらしい。ボクも普段の散歩なら、
そのくらいの時間で歩くのである。
その道のりをボクたちは二人は倍の180分掛かって到着した。

「ずいぶんごゆっくりでしたね」と宿の亭主。
「史跡を見ながら、考えながら歩くものですから、
通り過ぎたところへまた戻ったりして時間が掛かりました。」とボク。

「長久保からの道のりは判りにくいですね。
どれが旧中山道かわからないところがありますね」
「案内は きちんとなっているはずですが」という。

きっと最新の案内は、薄いブルーの矢印で出来ているのだろうが、
古い案内板がそのまま残っているので、どちらを採ったらよいか判断に苦しむ。

「案内書に寄れば、和田峠もわかりにくそうですね」というと、
「お客様に聞くと、案内表示はきちんと出来ていると聞きます。
下諏訪宿まで5時間ほどで歩けるようですよ」と宿の亭主。
しかし22kmの山道を五時間で踏破できるとは、ボクの足ではおぼつかない。
第一標高差800mある山道だ。
碓氷峠の経験からどんなに早くても7時間は最低必要である。
山道は何があるか解からない。


(高札に書かれていた内容)

「高札場があるそうですが、それはどこですか?」
「この先200mほど右側です」
和田宿は、本日中に見学しておき、明日は和田峠の山道に専念したいので、
先に高札場を見学、正徳年(1711)の高札六枚などどこかに残っているらしい。
高札を読むと、
「旅人は笠などかぶりものを取るのが慣わしであった。」とあり、
思わず帽子に手をかけ、取ってしまった。
正徳年間の高札については、
当然法令遵守(今風に言えばコンプライアンス)の役目は庄屋にあるのだから、
今夜泊まる本亭旅館にその現物はあるに違いない。
そう考え高札を楽しみに旅館に帰る。


宿に帰り靴を脱ぐや亭主が待ってましたとばかり、
旅館内を案内しますという。
まず玄関を上がるとすぐ右のほうへ廊下を渡り左折して、
長い廊下を行くと突き当りの右がお手洗い、
これは水洗でなくポットントイレ。
その手前が洗面所(普段は共同であるが今日は貸切)その手前がお風呂、

「熱かったらどんどん埋めてください。湯上げタオルはお使いください。」
ゴルフ場のお風呂のように湯上げタオルが積み上げてある。
そこまで案内が終わると、次が食堂と紹介される。

本日の寝室は、二階への階段を上がって、
廊下を抜け西日が当たる角部屋に案内された。
もちろん部屋の仕切りは唐紙の襖。
通り過ぎてきた廊下脇の部屋は3室。
それに泊まる部屋の東側にもう一室ある。
廊下はミシミシ音がして、夜中にトイレに起きると、
この音でみんな起きてしまうだろうなと余計な心配をする。
今日はわれら夫婦以外の客はいないのに。

「夕食は七時ころから、朝食は朝の七時ころで、
どちらも用意が出来ましたらご案内します。」
「とりあえずお風呂をどうぞ」と言う。

部屋に入ると、もう布団が延べてあり、浴衣が置いてある。
汗をかいたので、早速風呂へ。


(本亭旅館)




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
始めまして! (更家)
2013-12-08 10:14:49
始めまして!
旧中山道のブログ、楽しく拝見させて頂きました。
「お気に入り」に登録しました。
これから先の中山道一人歩きの際の参考にさせて頂きます。
中山道以外の街道一人歩きの先輩の様ですので、これからも宜しくお願いします。
返信する
更家さん (hide-san)
2013-12-08 16:48:19
更家さん
暇を見つけてのわがまま歩きですので、京都に到着するのに8年懸りました。
どうぞ歩くのを楽しんでください。
中山道を思い出しながら、更家さんのブログを読ませていただきます。
楽しみにしています。
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