最近、福太郎が「お尻トントン」を要求するようになった。
小太郎がそうするのを、たまにさりげなく見ていたので、「福もおいで」と同じように
トントンしようとすると、いつも「するり」と逃げられていたのに。
小太郎が逝ってしまってから、福太郎にこれまでと違った様子と変化がみてとれる。
遠慮していたというより、プライドが邪魔していたようにも思えて、その呪縛から解き
放たれたかのような変化に、いっそう愛しくなる。
「お母さん、恥ずかしいからやめにゃさい!」
小太郎は「お返事する猫」だった。
あの不思議な「ん~」とゴロゴロが混じり合った声で、私が一言話しかけると一言返す。
その調子で何度でも「ん~」と、まるで会話しているようなのだ。
あれは病気が発覚する直前のこと。いつものように私が小太郎の傍で歌うと、合いの手
を打つように丁度いい「間(ま)」で「ん~」とコタが鳴く、その繰り返し。
まるでデュエットしているようで可笑しくて、動画に撮ったものの、あまりの歌の酷さ
にその後消してしまった。
そして、それっきり、元気な小太郎の声が入った動画は撮れないままに逝ってしまった。
あれから、録りためた動画をいくら見返しても、コタの「お返事」が入ったものは見つ
からなかった。じゃらしで遊んでいるシーンでの「唸り声」の入った動画はあっても、
不思議なことにお返事どころかただの鳴き声入りの動画さえもなく。
二女に「〇ちゃん、スマホに撮ってない?」と調べてもらうも、鳴き声入りのものはな
かった。こんなことなら消すんじゃなかったと、後悔した。いつでもあると思っていた
ものが、突然失われることに全く頓着がなかった自分が恨めしかった。
いつかあの不思議で愛しい鳴き声さえ思い出せなくなりそうで悲しかった。
それが、一昨日、長女の持っている動画の中にいくつか見つかったのだ。
(残念ながら私たちの姿も入っていて、ここでは公開できないけれど)涙がとまらず。
何度見返してもまだ涙はでるけれど、それも(みなあんさんが仰るように)必要なプロ
セスだと。
どうか私のような後悔がないよう、動物家族と暮らしておられる方、くれぐれもその
可愛い様子と一緒に鳴き声も残しておくことをお忘れなく☆