日はまた昇る

2024-06-27 07:24:52 | Jポップス
北原ミレイ 

夢を削りながら 年老いてゆくことに
気がついた時 はじめて気付く 空の青さに
あの人に教えられた 無言のやさしさに
今さらながら 涙こぼれて
酔いつぶれた そんな夜
陽はまた昇る どんな人の心にも
ああ生きてるとは 燃えながら暮らすこと
冬晴れの空 流れる煙 風は北風

鉢植えの紫蘭の花 朝の雨にうたれ
息絶えだえに ただひたすらに 遠い窓の外
もしかして言わなければ 別離ずにすむものを
それでも明日の 貴方のために
あえて言おう 『さよなら』と
陽はまた昇る どんな人の心にも
ああ生きてるとは 燃えながら暮らすこと
春まだ遠く 哀しむ人よ 貴方を愛す

陽はまた昇る どんな人の心にも
ああ生きてるとは 燃えながら暮らすこと
春まだ遠く 哀しむ人よ 貴方を愛す
春まだ遠く 哀しむ人よ 貴方を愛す




人それぞれに夢があります。

たとえ、それが他者から見て、ほんのささやかで、ちっぽけな夢であったとしても、それはその人にとって、かけがえのない夢であるはずです。

Dreams come true-夢は現実となる、夢は叶う。

好きな言葉です。

でも、なぜか、せつない言葉です。

ささやかな、ちっぽけな夢でさえも、ときとして、叶わざる夢となってしまうことも、哀しいことに、true-事実であることを知っているからです。

そう、Un unfulfilled dream-見果てぬ夢。

だからこそ、人偏に夢、人の夢と書いて、儚い-はかない、と読ませるのでしょうか。

夢を削りながら 年老いてゆくことに
気がついた時 はじめて気付く 空の青さに


若いというだけで、ただそれだけで夢があった、そんな夢見る頃を過ぎると。

夢は夢にして終わるもの、だからこそ、それが夢なんだよねぇ~と、したり顔して、達観した顔つきになって、問わず語りに答えている。

そんな、自分の姿に気がつくときに、なぜかそこに、醜く老いそうな自分を見つけたような気がして、自己嫌悪に陥ることがあります。

人は、夢があるときは、前を向いて歩いていきます。

ときに早足に、ときに駆け足となっても、たとえ坂道であっても、目の前がドブであっても、前のめりになって、ずんずんと前を進んでいきます。

しかし、夢を失って、なすすべもなく、立ち止まったときに、人は恨めしげに、ただ天を見上げることになります。

そこではじめて、いままで気がつかなかった、空の広さ、空の青さに気がつきます。

夢は失った、でも、そのおかげで視野は広がった、見えなかったものが見えるようになったんだ、そう考えたいものなんですけどね。

あの人に教えられた 無言のやさしさに
今さらながら 涙こぼれて
酔いつぶれた そんな夜


やさしさは、言葉や態度にして表現しなければ、人に伝えられないものではありません。

しかし、また、言葉や態度にして表現しなければ、伝わりにくいのも事実です。

でも、決してやさしさは、饒舌ではありません。

言葉だけなら、なんとでも、掛けることができます。

目に見える態度だけならば、演じることもできます。

しかし、相手を思えば思うほど、相手の苦悩を背負いこみ、その重圧に、寡黙になってしまう。

思い余りて、言葉足らず・・・。

ただ、見守るだけの無言の中のやさしさ。

それもまた、やさしさの本質だとぼくは思います。

陽はまた昇る どんな人の心にも
ああ生きてるとは 燃えながら暮らすこと
冬晴れの空 流れる煙 風は北風


そうです…、朝の来ない夜はありません。

それは真実、誰もが分かりきっていることです。

誰もが経験していることです。

でも、そう言い聞かせても、眼前に広がる漆黒の闇は、永遠に続きそうな気配を感じるものです。

しかし、やはり、陽はまた昇る…。

そう自分の心に、強く言い聞かせて、歩き出さなければならないことが、人生の中では多くあります。

人生は重き荷物を背負いて遠き道を歩むが如し。

徳川家康の言葉とされている、この有名な言葉なんですが、ときとして、うっかり忘れらてしまうのは、これに続く言葉です。

人生は重き荷物を背負いて遠き道を歩むが如し。

急ぐべからず。

同じく、家康の性格を現すとされる「鳴かぬなら 鳴くまでまとう ほととぎす」という句と重ね合わせれば、家康が、ただ人生の労苦の実相を述べているだけでは

なく、「ときを待つべきのみ」、と、対処のアドバイスしてくれているのが、よく分かると思います。

削りに削られた夢のかけらを抱きしめて、やがて陽が昇るのを信じて、辛抱強く、忍耐強く、あせらずに待つ…、それが、今さらながらに大切だと思います。

鉢植えの紫蘭の花 朝の雨にうたれ
息絶えだえに ただひたすらに 遠い窓の外


紫蘭は初夏の野辺に、群生して咲くのが似合う紫色の花…、そして花言葉は、互いに忘れない…です。

しかし鉢植えにされた紫蘭は幸せなのでしょうか。

そばにいるだけで、互いに忘れないのでしょうか。

そばにいて、互いに忘れていく予感。

何事につけて、無理をすれば、いっときは華麗に花を咲かせることもできるのでしょうが、いつかはその無理が、どこかにひずみとして出てきてしまいます。

一所懸命の姿勢は大切なんですが、あくまで自然体で、けっして無理をしてはいけません。

手に取るな やはり野におけ れんげ草

もしかして言わなければ 別離ずにすむものを
それでも明日の 貴方のために
あえて言おう 『さよなら』と


多くのしがらみの中で、喉まで出かかった言葉を飲み込み、平穏さを装おいながらも、やはり心の奥底に広がるわだかまりの海。

善なる争いも、悪い平和もないのだからと、みずからに言い聞かせながらも、逡巡する心。

その心の旅路の果てに、導き出した答えはひとつ。

明日のために、そして、貴方のために、あえて。

陽はまた昇るとは、明日を信じること。

そして、未来を信じること。

つまりは、自分を信じること。

陽はまた昇る どんな人の心にも
ああ生きてるとは 燃えながら暮らすこと


生きてるとは、燃えながら暮らすこと。

しかし、考えりゃ、そりゃ、大変ですね。

あちらこちらで、燃え上がってくれちゃって。

消防士さんは、オチオチ寝てられません。(笑)

・・・って、最後の締めくくりは、やはり、マスターらしく、しょうもない親父ギャグでした。(笑)

でも、そんなギャグを期待されている方も多いので、あえて、そんな貴方のために・・・。(^^ゞ

でも、やはり、最後は決めましょう!!

春まだ遠く 哀しむ人よ 貴方を愛す
春まだ遠く 哀しむ人よ 貴方を愛す


冬は必ず春となります。













































































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