シクラメンのかほり

2024-07-01 04:20:51 | 小椋佳
小椋佳


 
八代亜紀


小柳ルミ子




真綿色したシクラメンほど 清しいものはない
出逢いの時の君のようです
ためらいがちにかけた言葉に
驚いたようにふりむく君に
季節が頬をそめて過ぎてゆきました
うす紅色のシクラメンほど まぶしいものはない
恋する時の君のようです
木もれ陽あびた君を抱けば
淋しささえもおきざりにして
愛がいつのまにか歩き始めました

疲れを知らない子供のように
時が二人を追い越してゆく
呼び戻すことができるなら
僕は何を惜しむだろう

うす紫のシクラメンほど淋しいものはない
後ろ姿の君のようです
暮れまど惑う街の別れ道には
シクラメンのかほりむなしくゆれて
季節が知らん顔して過ぎてゆきました

疲れを知らない子供のように
時が二人を追い越してゆく
呼び戻すことができるなら
 僕は何を惜しむだろう






シクラメンは、北アフリカや中近東、地中海沿岸など、雨季と乾季が存在する地域を原産とする植物です。

そのため、雨季に花を咲かせ、乾季に休眠するという性質を持っています。

原産地では「涼しい雨季」が開花時期になり、日本では「冬」にあたります。反対に「暑い乾季」が日本では「夏」になります。

そのため、日本で一般的な育て方で生育するシクラメンは秋から春にかけて花を咲かせ、夏に休眠するのです。

さらに日本の夏はアフリカや中近東、地中海沿岸地域の乾季よりも湿度がかなり高くなります。ですから、夏の休眠期には湿度対策がとても重要。


真綿色したシクラメンほど 清しいものはない
出逢いの時の君のようです


当時は珍しかったシクラメンも、今では、スーパーなどでも売られていて、あちらこちらで見かけますが、このシクラメンのような「君」のような人は、残念ですが今はあまり見かけません。(笑)

ためらいがちにかけた言葉に
驚いたようにふりむく君に
季節が頬をそめて過ぎてゆきました


詩の中にある比喩の使い方が、ほんとに見事です。
 
この比喩、直喩かな?、隠喩だったかな?・・・えっと、どっちがどっちか、すっかり忘れました(^^ゞポリポリ・・・そうそう、擬人法も使われてますねぇ、

まるで国語の入試問題のようです。(笑)

さすがに、東京大学法学部卒業、元第一勧業銀行銀行員という感じがします。
 
銀行員は関係ないか。(笑)
 
まあ、銀行員だけに、この作詞法「マネー」したいです。(笑)

木もれ陽あびた君を抱けば
淋しささえもおきざりにして
愛がいつのまにか歩き始めました


人と人とが出会った頃というのは、どうして、あんなにもお互いに輝いて見えるのでしょうか。
 
木陰の薄暗がりのなかで、まるで木もれ陽をあびたように、その人にスポットライトがあたっているように見えるものです。
 
そう言えば、この現象、フランスの作家、スタンダールは、これを恋愛における「結晶作用」として、有名な彼の恋愛論で述べています。

疲れを知らない子供のように
時が二人を追い越してゆく
呼び戻すことができるなら
僕は何を惜しむだろう


小椋佳さん・・・もちろん小椋佳はペンネームであり、この名前の由来は、「佳」の漢字がつく「佳穂里=かほり」さんという女性の名前にあやかったのだ

そうです。

もちんその女性とは、この歌のように別れたから、このような詩が書けたのだろうと、思っていたら、現在の小椋佳さんの奥様のお名前です。(笑)




































































































































































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