谷山浩子 『窓』

2019-07-23 17:03:58 | 谷山浩子
谷山浩子 『窓』


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桜の花びらが、無風状態で散りゆく速度は、秒速約50センチだそうです。

風の無い夜に飛び交っている日本のホタルの速度が、秒速約50センチ。

ぼたん雪がひらひらと舞う速度も、秒速約50センチだそうです。

色づく落ち葉たちが散りゆくときも、おそらくは、秒速約50センチでしょうか。

日本の四季折々の風景のなかに、秒速約50センチの速度で動くものがあり、これが日本人の好きな速度であり、感性であるということを教えてくれたのは、マスターが、師匠とも、先生とも仰ぐ、さだまさしさんです。(笑)

仰げば尊し、わが師の恩。

もっとも、かってに、仰いでるだけであり、単なる隠れさだファンのひとりというだけなんですが、年とともに、最近は、隠そうとしても、隠れなくなってきて、扇子で扇(あお)げば、多少、薄くなってきたのがばれるかも。(笑)

ところで、この秒速約50センチのさださんのステージトークを初めて聞いたときは、目が点になるどころか、さすがに、さださんやなぁ、目の付けどころが違うがな、やはり、伊達に、伊達眼鏡かけてへんやん、とますます、リスペクト(尊敬)の念が高まりました。

しかし、よくよく考えてみると、秒速約50センチということは、5秒で、250センチ=2.5メートルの距離を移動することになるわけです。

つまりは、速さは、距離を時間で割って求めますから、○の中にTという線を引いて、左下に「は」、その隣の右下に「じ」、そして上には「き」を書いて、たとえば、「は」を求めるのには、「き」を「じ」で割る、「き」は「じ」と「は」を掛けることで求めることができます。

習ったのは、小学校の高学年だと思いますが、距離÷時間=速さという公式を覚えたあとに、この法則を教えてもらっても、あまり意味がありませんでした。

それはさておき、距離÷時間=速さということですね。

2.5メートルの高さの桜の木の花びらが落ちるのに、いくら無風でも5秒はかからない。

いちど5秒を、時計の秒針を見ながら、数えてみてください。

わずか5秒ですが、されど5秒で、思いのほかに、結構長い時間ですよね。

逆にいえば、秒速約50センチというスピードは少し遅すぎるかもしれない。

まあ、さださんも、新聞に書いてあったこと、ということですし、トークも秒速約50センチ~70センチ、1メートルとおっしゃるときもあるので、気がついているのでしょう。

いや、師匠に対して、ケチをつけているわけじゃないです。

先生に対して、そんな恐れ多いことは申しません。(笑)

でも、先生だって、早とちりもするし、間違うこともあるし、誤魔化すこともあるし、盗みをすることもあるし、わいせつなことをして捕まることもある…って、方向がそれてきましたね。(笑)

教室の窓から見る秋は
いつも不思議に光ってた
北向きの窓のすリガラス
ギリシャの海も見えた


ところで、記憶する四季折々の風景のなかに、学校のなかでの風景がありますよね。

いわゆる633制といわれる義務教育の小学校の6年間と、中学校の3年間に加え、高等学校の3年間で、ほとんどの人が12年間ほど、学校に通うわけです。

学校で過ごす時間も、やはり長いから、学校の風景が記憶に残るのも当然です。

そして幼稚園の3年間と大学の4年間を加えると、さらに19年になります。

えっ、予備校に通う人も多いから、20年としたらキリが良いんじゃないかって?。

マスターが予備校に行ってないから、ひがんで外したしたのかって?

そんなわけではないのですが、学校教育法では、その第1条に、「この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校とする。」と学校についての定義があり、これをいわゆる1条校と呼びます。

学校教育法第134条では、「第1条に掲げるもの以外のもので、学校教育に類する教育を行うものは、各種学校とする。」と規定されており、予備校も各種学校に含まれますが、1条校ではないので、学校教育法でいう学校ではないとされます。

各種学校と規定して、学校という文字をつけながら、学校ではないというのは、あたかも、なんとか味とか、なんとか風味とかいうのに、似ていますね。(笑)

ちなみに、幼稚園は、学校教育法に規定される幼児教育施設の学校と規定され、免許制の幼稚園教諭がいますが、保育所については、児童福祉法の児童福祉施設とされており、資格制の保育士がいますが、学校という位置づけではありません。

ここから、幼稚園は幼児教育という範疇で、文部科学省の管轄となっていて、保育所は児童福祉の分野であるとして、厚生労働省の管轄となります。

話を戻して、教室の窓から見る秋は、どんな光景があったか覚えていますか。

多くの方には、ずいぶんと遠い昔話になりますけどね。(笑)

まさか、「エーゲ海に捧ぐ」の池田万寿夫さんや「魅せられて」のジュディ・オングさんやあるまいし、教室の窓からギリシャの海が見えた人はいないとは思いますが。(笑)、

もっともインターネットの世界では、帰国子女の方や、あるいはギリシャの海岸部で生まれ育った人も閲覧しておられる可能性もあって、いないとも限りませんね。

ちなみに、土木系のお仕事をした人や、体育会系のクラブに所属した人なら知ってると思いますが、校庭のグランドの整備には、土ぼこりを防止し、土を固めるために、塩化カルシウムという薬剤を撒布します。

塩化カルシウムというのは、冬場の道路に撒く結防止剤や、あるいは豆腐用凝固剤、いわゆるニガリの成分ですが、もともと海水にも含まれる成分なので、あるいは校庭を海に見たてるという発想も、あながちおかしくはないかもしれません。

学校の校庭というのも、さきの学校教育法の第3条では、「学校を設置しようとする者は、学校の種類に応じ、文部科学大臣の定める設備、編制その他に関する設置基準に従い、これを設置しなければならない。 」と規定されており、文部科学省令において、「小学校設置基準」「高等学校設置基準」が定められ、教室の校舎や運動場の面積などの施設及び設備についての基準が定められています。

なお、学校を設置しようとする者とは、いわゆる国立の学校の国と、都道府県立、市町村立の学校、つまり公立学校の地方自治体と、いわゆる私学といわれる私立学校の学校法人がありますが、最近は、大学などは国立大学法人や公立大学法人などの独立行政法人系や、構造改革特区では株式会社やNPO法人が学校を設置することも認められるようになりました。

なお、以前はどこの小学校の校庭などに見られた、薪を背負いながら本を読んで歩く少年の姿の像、いわゆる「二宮金次郎像」は、特に基準等で設置すべきとされたわけでも、文部行政からの通達があったわけでもないようですが、多くの学校で建てられたようですが、最近は減少しているとのことです。

さて、お堅い話はこれくらいにして、学校の窓から見える秋の光景に戻りましょう。

校庭に並んだ生徒たちの制服が、白っぽい夏服から黒っぽい冬服へと衣更えするとき、、校庭の木々も、衣更え、お色直しするかのように色づく頃を迎えます。

春にはうららかな陽光に映えて、薄い紅色の花を咲かせ、そしてあっけなく散らし、そして青い空と白い雲に彩りを添えた葉桜も、やがて秋には桜紅葉となって散り急ぎます。

校舎を守る直立不動の兵士のように、整然と並んだメタセコイアの木々も、地味な渋い色の紅葉となっていきまます。

その紅葉たちに負けまいと、銀杏黄葉もポプラ黄葉も、夕陽に競うようにして、金色の輝きを増していきます。

あたかも、秋の日のヴィオロン(バイオリン)のためいきが聞こえそうな風景です。

思い出せばもう夢の中
午後の陽射しにまどろめば
遠いアコーディオンのすすり泣く
光と影の世界


そういえば、学校の思い出の中の楽器と言えば、カスタネットやトライアングル、ハーモニカなどがあると思いますが、まずは、オルガン、そしてピアノ、そしていわゆる学校の帰り道に歩いて吹いてた、たて笛のリコーダーかなと思います。

なかには、アコーディオンを思い出す人も少なくないかもしれません。

オルガンやピアノが弾ける友人たちは、アコーディオンを難なく弾いていましたが、そうでないマスターなどは、鍵盤に意識がゆくと、蛇腹の操作ができず、蛇腹に気をとられると、鍵盤が弾けないということになりました。

ちなみに、アコーディオンは、「和音」を意味する「accord」に「器」を意味するギリシャ語の接尾語を組み合わせたものだそうです。

まあ、アコーディオンがすすり泣いたり、夜中に講堂のピアノが鳴り出したり、音楽室のベートーベンの目が光ったりと、学校には不思議なことがたくさんあります。(笑)

時代が移り変わっても、いわゆる学校の七不思議といわれることが語り継がれているということは、それは、多感な少年期や思春期にならではの広がる世界への憧れと不安がもたらすものだからなのかもしれません。

まあ、思春期から青春期を経て、中年期や高年期になると、なにもしていないのに、冷や汗が出てきたり、聞こえない音が聞こえたり、ふらっと地面がうごいたり、天井がまわったりと、それはそれで、こわいものがありますが。(笑)

やさしい時代を置き去りに
やがて街へとび出した僕には
教室の窓がもう見えない
夢の行き場がどこにもない


青春の夢に忠実であれ!

これは、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」の原詞の作者としても知られるドイツの詩人、シラーの名言ですが、名言ではあるにしても、青春の夢に忠実であるには、現実の世界は多少、厳し過ぎるのかもしれません。

この名言は、中学校のときの担任の先生に教えてもらったのですが、シラーの言葉とは知っていても、出典は知らなかったので、50歳で亡くなったシラーが、この名言を何歳のときに言ったのかを、知りたくて、今回調べてみましたが、わかりませんでした。

なお、有名なサミュエル・ウルマンの「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ」という「青春の詩」は、ウルマンの晩年発行された「80年の歳月の頂から」の詩集の巻頭にあることから、70歳超えての作といわれています。

いずれにしろ、「年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いがくる。希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。」のウルマンの言葉は、夢や希望、理想を持ち続けることがいかに大切かを教えてくれています。

授業をひとりでぬけ出して
空き部屋の窓から空を見た
幾億年もの時の彼方
空翔ける船を見た


空翔る船といえば、ギリシャ神話や旧約聖書、あるいは日本神話などにも登場する、天空高くを、神々しく飛ぶ船のことを想像する人も多いでしょうが、一般的には現実的に、飛行船を想像する人も多いでしょう。

そして、飛行船といえば、1973年(昭和12年)にアメリカで発生したドイツのツェッペリン社の「ヒンデンブルク号」の爆発墜落事故を想起してしまう人もいるかもしれません。

あるいは、アニメ映画の巨匠、宮崎駿監督のジブリ作品の「魔女の宅急便」や「天空の城ラピュタ」に登場するような飛行船を想い出す人もいるかもしれません。

指でわっかを作り望遠鏡で覗いているまねをする子

爆発したときにすぐ机の下に隠れるように用意している子。

授業が中断されるのを迷惑顔でためいきをついてる子。

テレビのコマーシャルソングを歌いだす子。

教室の窓から、飛行船が見えたときの教室のざわめきを覚えています。

思い出せばもう夢の中
一枚の窓のそのむこうに
見しらぬあしたがふるえていた
きらめきふるえていた


おそらくは見しらぬ明日も、いつのまにか昨日になっていくのでしょう。

でも通りすぎた昨日たちなら、振り返れば、懐かしさもあるはずなのに。

でも想い出した昨日たちも、妙になにか、よそよそしくて。

昨日たちすら、そうなんだから、見しらぬ明日たちなら、なおさら、あたりまえ。

なにも、明日をおそれることはない。

ときは、みんな、見しらぬままに過ぎていくものかもしれません。

そんな気がします。

いくつも街を歩くうちに
いつか外の世界は狭くなる
教室の窓がもう見えない
夢の行き場がどこにもない


教室の窓から背伸びして見ていた、広がる世界も広がる夢も、やはりそれ自体が、夢のごとくと知るようになります。

いや教室の窓から見ていた、ということすらやはり夢だったのかもしれません。

だから、夢の行き場すら、もはやないんでしょうね。

でも、だからこそ、行き場を失った夢を抱いて…、もすこし生きてみませんか。

行き場のない夢といっしょに…。


この「窓」は、1978年(昭和54年)に、谷山浩子さんの4枚目のアルバムとしてリリースされた「鏡の中のあなたへ」に収録されて、翌1979年(昭和54年)には、谷山浩子さんの4枚目のシングルとしても、リリースされている谷山浩子さんの代表的な曲です。

谷山浩子さんの唄は、ファンタジックというか幻想的というか、ミステリアスというか、どこからが夢なのか、現(うつつ)なのか、まぼろしなのか、よく分からないところがあります。

今回、この「窓」を取り上げるにあたり、ネットでいろいろ探索していたら、二番目の歌詞が異なる「窓」の初期バージョンというのに遭遇しました。

授業をひとりでぬけ出して

屋上の上から街を見た
イルカの小川のカルモヂイン
空の彼方に見えた

いくつも街を歩くうちに
いつか外の暮らしに慣れてきて
世界がこんなに狭く見える

夢の行き場がどこにもない


授業を抜け出して屋上へ行くというシチュエーションは、良からぬ結果を想像させるとして、屋上から、空き部屋になったのでしょうか。

また、「イルカの小川のカルモヂイン」というのは、さっぱり分からなかったのですが、詩人の西脇順三郎「太陽」の影響ということで、「カルモヂイン」は、太宰治が自殺をはかった睡眠薬「カルモチン」からの造語というから、やはり、なにやら意味深長です。

結局、現在の歌詞に変更されたのでしょうね。

ただ、いつか外の世界は狭くなるのが、外の暮らしに慣れてきたからという意味なら、なるほど、と納得できたりします。

世慣れたくないけど、世慣れてしまったということで、苦笑いですね。

いずれにしろ、教室の窓から見る秋を覚えていますか。

友だちの笑顔、困惑した先生の顔、桜や紅葉、枯葉の音、あの日あのとき…。


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