黄昏

2024-06-13 13:25:18 | 松山千春
松山千春


黄昏せまる頃ため息ひとつ
私の人生に灯りをともす
生きてゆくこととはただそれだけで
悲しいことだと誰かが唄う

幸せ不幸せ振りむくたびに
私のささやかな青春の日よ
なげすててゆくほど心の中は
すさんじゃいないと涙が笑う

移りゆく季節を見送るために
生まれてきたわけじゃないことだけは
やり場ない悲しみかみしめながら
いつかはこの夢かなえてやろう

やり場ない悲しみかみしめながら
 いつかはこの夢かなえてやろう 




黄昏は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことです。

たそがれ、たそかれ、コウコンとも読みます。

黄昏は、江戸時代になるまでは「誰そ彼」、つまり、夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると、誰かれとなくそこにいるのは誰ですかと訊ねる、

その様子言葉だったようです。

この風習は広く日本で行われていました。

「おはようさんです、これからですか」「お晩でございます、いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェック出来る、

そうすることで、ヨソ者を排除する意図があったとか。
























































































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