慶應3年(1867)、龍馬ら海援隊はここ「酢屋」におったがじゃ。
「酢屋」いうがわ、享保6年(1721)から材木業を商う店の屋号ぜよ。
この材木商の二階で乙女姉さんに宛てた5メートルにもおよぶ書簡を書き上げたがじゃ。
書き出しは「今日もいそがしき故 薩州屋敷へ参りかけ朝六ッ時頃より この文したためました 当時私ハ京と三條通河原町一丁下ル車道すやに宿申し候」という文章じゃそうじゃ。
現在は一階が木工芸品販売の店で二階が「ギャラリー龍馬」を開廊してるがぜよ。
ギャラリー龍馬の天井の梁は江戸時代のもんで、当時、どおいて、あの太い重たそうな梁を組んだのかまっこと不思議ぜよ。
今ならクレーン車で吊って上げられるけんども、江戸時代にはクレーン車は無いきにのお。
あればあ技術を持ってる江戸時代の職人さんはまっこと凄いぜよ。
当時の地図を見たけんども、当時はもっと水量のあった高瀬川から船入れ船着場につけ商いをしとったそうじゃが、
今はその船入れ船着場は立派なホテルに代わっておるがぜよ。
すっかり様変わりしてしもうたけんども、この「酢屋」は風情があるがじゃ。
「酢屋」いうがわ、享保6年(1721)から材木業を商う店の屋号ぜよ。
この材木商の二階で乙女姉さんに宛てた5メートルにもおよぶ書簡を書き上げたがじゃ。
書き出しは「今日もいそがしき故 薩州屋敷へ参りかけ朝六ッ時頃より この文したためました 当時私ハ京と三條通河原町一丁下ル車道すやに宿申し候」という文章じゃそうじゃ。
現在は一階が木工芸品販売の店で二階が「ギャラリー龍馬」を開廊してるがぜよ。
ギャラリー龍馬の天井の梁は江戸時代のもんで、当時、どおいて、あの太い重たそうな梁を組んだのかまっこと不思議ぜよ。
今ならクレーン車で吊って上げられるけんども、江戸時代にはクレーン車は無いきにのお。
あればあ技術を持ってる江戸時代の職人さんはまっこと凄いぜよ。
当時の地図を見たけんども、当時はもっと水量のあった高瀬川から船入れ船着場につけ商いをしとったそうじゃが、
今はその船入れ船着場は立派なホテルに代わっておるがぜよ。
すっかり様変わりしてしもうたけんども、この「酢屋」は風情があるがじゃ。