A Daily Life Diary

日常や思い出を綴ったblog

宣誓

2011-03-26 | エッセイ
宣誓。
私たちは16年前、阪神・淡路大震災の年に生まれました。
今、東日本大震災で多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。
被災地ではすべての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられます。
人は、仲間に支えられることで大きな困難を乗り越えることができると信じています。
私たちに今できること。
それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。
がんばろう!日本。
生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。

2011年 センバツ高校野球の宣誓。
創志学園高校野球部主将の心のこもった、力強いこの宣誓は心に響きます。

僕は負ければ終わりというあとのない必死さを感じる高校野球のファンの一人なのですが、今大会はこの大震災もあり高校野球どころではなくなっていました。

ところが大会が始まればやはりTVをつけて観戦してしまいます。
この大震災がなければ、きっとブラスバンドが入って思いっきり応援し、チアリーダーもポンポンを振り声援を送っていることでしょう。

努力と幸運によって高校3年間の中で一生に1度プレー出来るか出来ないかという甲子園という大舞台で大震災で被災した選手はもちろん直接的な被災を受けていない全ての出場選手もまた被災者のような気がしてなりません。
もちろんそれを応援する応援団の方々も。
今大会はナイター使用を極力しないようにする早い試合進行やブラスバンドによる応援の禁止、チアリーダーのポンポン禁止などの制限があります。


配慮をする。
それはとても嬉しいことです。
「被災された方々は今体験したこともない大変な思いをしているかもしれませんが、私たちも心を痛めています。私たちも同じ日本人です。その傷ついた心に配慮します」という心遣い。
心に届きます。




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被災して思うこと

2011-03-25 | その他
被災して思うことは食料もそうですが非難所に避難している方々の食事の食器やトイレなどはどうなのだろうか?と心配してしまうところがあります。
睡眠障害はないだろうか?

水が断水のときは水は大切なので、私は食器を極力洗わないように紙のものや陶器にサランラップをまいて使用していました。
紙の皿などもサランラップを巻き何度も使用。
周りの方々も私と同じようにサランラップを巻いて使用していたと聞き「人間同じことを考えるものなのだな」と思ったりしたものです。


水洗トイレを流すにもバケツ半分の水が必要ですから、避難所には仮設トイレが十分にあるのだろうかなどと考えてしまいます。



一週間前ほど、成田の街に行ったとき普段見ることのない福島ナンバーやいわきナンバーの車を何台も見かけました。



会社のリーダーが避難用具を持っていたが懐中電灯は液漏れで使用出来ず、手回し発電ラジオは音が小さくなって不便とか、水が期限切れになっていたりとか「持っていてもちゃんと点検しないとだめだね」と。
避難用具を持っているだけ彼は持っていない僕よりセイフティーな生活をしている気がする。


「uchiさん、今、原子力発電所を無くせっていうのは電気のない原始的な生活をしろと言っているのと同じですよ」と言われたけど、今の日本の技術で、もう少しコストがかかっても効率のいい原子力に変わる安全な発電所は出来ないものなのだろうか?と思ってしまう。
快適な生活や生産性を求めてときどきその安全性が犠牲になってしまうが(日本は世界的にも安全基準の高い国ではあるかもしれないが地震が多いというのも事実)「安全あってこその生活」ではないのだろうか?と思ってしまう。
「人生は大いなる矛盾」なのかな?


「これだけの死者、行方不明者の出た、そしてこれからも出るかもしれないこの大震災の体験を無駄にしたくない」と思います。


【追記】
料理研究家、坂本廣子さんの「非常時に飲料水を確保する方法」のYouTubeに共感しました。






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東北関東大震災(東日本大震災)と引継ぎ

2011-03-22 | その他
帳面を仕上げ昨日でやっと今年度の区と消防(自警)の引継ぎを終えました。

昨年のように賑やかに楽しい会話で盛り上がった引継ぎではありませんでしたが、無事来年度の役員へ引継ぐことが出来、ほっとしているところです。

3月初め地区で昼に大きな火災が発生しました。
建物火災だったのですが、十○年も火災が無かった地区だったので慌てました。
街や近隣の地区から消防車もかけ付けてくれ総勢16台の消防車の出動により山などへ燃え広がらず無事、鎮火することが出来、胸を撫で下ろしました。
夜間勤務だったため寝ていたところを飛び起き現場へ駆けつけたのですが
あれだけの大きな炎を間近で見たのは初めてでした。
恐ろしささえ感じました。
原因は不審火ではないのかと・・・。

3月11日は夜間勤務を終え、就寝後13:30に目を覚まし録画しておいたTVをかけながら、沢木耕太郎さんの「深夜特急 1」を裁断機とスキャナーで電子書籍化すべく、ちょうど自炊しているところでした。

14時46分、ガタガタと小さく始まった揺れが次第に大きく揺れだしたので庭へ避難。
その後、さらに大きく揺れが増し今まで体験したことのない揺れに家が潰れるのではないかとさえ、感じたくらいでした。

街から「各消防団は出動願います。地区の見廻りを行い安全確認、避難誘導をお願いします」と放送が流れたため私も自転車に乗り地区を巡回。
私の住む地区は戸が少ないため消防車もなく『自警』という立場をとっているので、消防署からは「地区の消防団は怪我をしたら保険がおりますが、自警団は保険がおりないので出来る範囲で行動して下さい」と言われていました。
私は自分が本当に馬鹿だと思いました。
見廻りをするのにヘルメットさえ被っていなかったのです。
被っていなかったというより、防災ヘルメットを買って持っていなかったのです。

見廻りを始めると何件もの家の屋根の棟瓦が落ちているのです。
地盤沈下を起こしているところもありましたが幸い怪我人と火災がなかったことは救いでした。
携帯電話や固定電話が繋がらず、水も出ないこのときに「もし、火災が発生していたら・・・」
と考えただけでぞっとしました。

見廻りの最中に2度目の大きな地震が発生しました。
近所の家の屋根の棟瓦がガラガラと落ちる音が聞こえたので急いで近所の畑へ避難。
屋根の棟瓦が車のフロントガラスに落ちガラスが粉々になってしまった家もあったので屋根瓦がヘルメットを被っていない頭に直撃したらどのようになるのか容易に想像が出来ます。

近所の人達と物や木が倒れても大丈夫なように畑の真ん中あたりに移動して、いったん家からポータブルラジオを持ってきました。
スイッチを入れるとNHKのラジオ放送が受信出来、東北地方から関東にかけてかなり大きな地震が発生したことが分かったのです。

この日の夜間勤務は無くなり休暇となりました。
停電の上、断水。そして続く余震。
阪神淡路大震災が大変な大震災だと分かっていても本当の意味でのストレスや大変さを分かっていなかったことがこの大震災で分かった気がしました。



僕の住む街は田舎なので清水が出るためそこへ毎日汲みに行き水を確保しました。
風呂には入れませんが、飲み水が確保出来ることは有難いことです。
電気は2日目に復旧。
電気があるだけでも本当に助かります。
TVを付けると東北地方太平洋沖地震によるあまりに悲惨な映像が目に飛び込んで来ました。
ショックでした。


地区を見廻ると半数の墓石が倒壊し神社の灯篭も倒壊。
水を求めて近隣の住民が清水に長蛇の列。
街の給水所も設置されましたが、それはTVの映像で観たことがある光景。

近所の人達と話をすると「ここも被災地だけど、東北地方の人達に比べれば・・・」と口を揃えて話していました。


屋根の棟瓦が落ちた家ではブルーシートによる仮補修も始まりました。
大きなブルーシートに二つのどのう(土を入れた袋)をひもで縛り、シートが風に飛ばされないように上に何個も乗せ仮補修をします。
ところがスーパーやホームセンターに行ってもこのブルーシートが売り切れ状態。
シートを被せずにいると隙間から雨のときに雨漏りが発生しそれによる土台腐食などが起こってしまいます。
瓦屋さんも足りないのでいつの復旧になるのかと落胆の声も出ます。
「uchi、金がないから街に貸してもらえるように交渉してみてくんねえか?」と相談があったので緊急対策事務所へ相談にも出かけました。

出かけるにしても車のガソリンがなかなか手に入らずに苦慮しました。

他の地区では家の傾きや液状化現象や隆起や陥没で下水管が破裂し、下水が流せない地区も。
「海や田んぼの埋め立て地の家は軒並み酷い状態だ」と。


計画停電は2日ほど行われましたが、被災地ということもあり今後、計画停電がないことも人伝に聞きました。

会社もかなりの被害がありましたが、私が出勤したときにはかなり復旧されていました。
他のエリアの酷い破損状況などもあり現在試運転までで、今も本格稼働が出来ない状態です。


食料
電気
灯油
ガソリン
関東も不足していますが、東北地方はさらに酷い状態。
長野なども大丈夫なのだろうか?


以前、私は青年が事故で亡くなっていくのを目の当たりにしたことがあります。
ニュースで流れる「あの時の顔が忘れられない」という気持ちは少しは理解出来るつもりです。
この大震災で亡くなられた方々へ心からご冥福をお祈り申し上げます。



我が家はこの大震災でも幸い軽度の被害ですみました。

清水や井戸を管理している地区の方や先輩からのメール、友人からの水や食料の支援に心から感謝致します。
この場をお借りし、御礼申し上げます。


少しずつ復興に向け進んでいます。
福島原発などもありますが、人々がみな前を見て悲しくなりながらも少しずつ進んでいます。
私には何が最善なのかまだよく分かりませんが、私も前を見て少しずつでも進んで行こうと思います。

そして引継ぎを行った来年度の役員の方々宜しくお願い致します。


【補記】
隣県の野菜の放射性物質検出などがある中、「今年は米が作れないか、もしくは収穫が遅くなるかもしれない」と引継ぎで噂されていました。
田に送る給水モーターなどが地震で損傷してしまったので水が引けないかもしれないと。
「街では“全力で修復作業にあたる”と言っているが楽観視は出来ない」と不安な面持ちでした。


【追記 2011.3.29】
会社からの水や食料の支援、ありがとうございました。




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