宗論
2014-01-25 | TV
ぼくの家は先祖代々「浄土宗」で近くの地区の檀家にも入っています。今月の2日もお寺に年頭挨拶に行って来ました。
かといって月に何度かお寺に集まってなにかをするというほど信仰している訳でもありません。
そんな僕でもブッダには少し興味があったのでEテレでやっていた『落語でブッダ』という番組を観てみました。
普段、ぼくは落語は聴かないし、あまり興味はありませんでした。
落語はもともとお坊さんのお説教がルーツともいう伝統芸能なのだとか。
ぼくが観たのは五明樓玉の輔師匠の『宗論』という古典落語でした。
久しぶりに大・爆・笑。
『宗論』の登場人物はある店の大旦那(先祖代々、浄土真宗の熱心な門徒)にその一人息子で若旦那の孝太郎(キリスト教を信仰、ちょっと暴走気味)と番頭さんの3名。
店をほったらかしにしていた息子を取っ捕まえて、大旦那の説教が始まります。
若旦那:「このたび関西よりディオールと呼ばれる牧師が見えられたのであります。この牧師は皆から愛されクリスチャン・ディオールと呼ばれております」
大旦那:「情けないね。その免税品みたいなのを大勢でもって拝んでんのかい?お前は亡くなったばあさんに連れられてあっちのおこう、こっちのおざちょうも、有難いおみのりがはいっている。それがお前、学校を出てからというものキリスト教だか、やす教だか・・・いやいやいや、それが悪いって訳じゃないんだよ。そういうものはそういうお方にお任せをして、家には代々浄土真宗という有難~い、おしるしがある。なぜ阿弥陀様を拝んでくれないの、私はね、それが言いたい!」
若旦那:「OH!お父様のお気持ちは痒い?OH!痛いほど分かります。私もこないだまでは真(まこと)の神のあることを知・ラ・ズ、お父様の如く、愚像物を拝んだのであります!」
大旦那:「おいおいおいおいおい!そういうコト言ってると罰があたるよ、お前。阿弥陀様と呼ばれるお方はな、宝蔵菩薩の昔、せじだいおうぶつと言われる尊きお方の身元にましまして、我、ちょうせいの願をかけられ、ごこうしゅう○ののち、兆載永劫(ちょうさいようごう)の難行苦行あそばされたのちに阿弥陀如来と言われる尊きお方にお成りあそばされた。我々も、今日にも息がきれたから、お待ちもうけのお浄土へ、参らせて頂くことのありがたや、かたじけない。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とこれくらい有難い。そのお前の神様はどれくらい有難い!?」
若旦那:「我々の信ずるところの、すなわち天の神は我々の創り主であります!」
大旦那:「バカかお前は?私と亡くなったばあさんと二人でこしらえたんです!だれにも手伝ってもらった覚えはありません!」
若旦那:「確かに、この肉体をお創りになられましたのはご両親です。しかし、知力能力、魂をお創りになられましたのは天の神様なのデス!」
大旦那:「じゃ、なにかい?孝太郎!私と亡くなったばあさんと天の神様と三角関係か何かあったってーのかい!?」
若旦那:「お父様、そのように脱糞?OH!興奮なされてはいけません!」
中略
若旦那:「イエス・キリストと呼ばれる方は数々の奇跡を起こされたのであります。その一つをご紹介しましょう!これはある宴(うたげ)に出た時のお話です。人数のわりに葡萄酒が少なかったので皆からブーイングが出たのであります。そのとき側にあった水をすべて葡萄酒に変え、皆から拍手喝采を受けたのです。これが奇跡デス!」
大旦那:「ほう?それは急な来客のときに助かるな」
若旦那:「お父様、○○○3分クッキングではないのです!分かって頂けませんか?それではもう一つご紹介しましょう!これもある宴(うたげ)に出たときのお話です。あるおじいさんが口から“ペッ”と肉を吐き出てしまったのです。するとイエスは言いました“なぜ天からの授かりものを無駄にするのか”と。するとおじいさんは“OH~イエス様、申し訳ありません。私は年を取って歯が悪くて肉が噛み切れないのです”と。するとそのおじいさんに向かってイエスはこう言ったのでありマス。“喰い改めなさい”と。そしてその肉を口に含んだときにはその肉は柔らかくなっていたのです!これが奇跡デス!」
若旦那:「お父様!まだ分かって頂けませんか?それではイエス最大の奇跡をご紹介しましょう。これは“復活”デッス。ときのローマの帝(みかど)に嫌われていたイエスは自分の生命の危機を感じたのであります。それで信者たちを集めてこう言いました。“ちょっーと!3日ほど死んでみようかな?”と。そして最後の晩餐を開いたのであります。そしてこの席でとても重大な告白をするのです。“この中に、この中に裏切りものがいる。誰とは言えないがヒントだけは与えよう。ここに3つのグラスがある。この中に入っているのは葡萄酒だ。これは水だ。そしてこれは湯だ。”・・・省略・・・」
中略
若旦那は絶好調、大旦那は爆発寸前、ハラハラ見守る番頭さん
宗論の末、とうとう息子に手を上げてしまった大旦那に番頭さんが止めに入ります。
番頭:「だあ様、手をお下ろしください。昔からこう申します。“宗論はどちら負けても釈迦の恥。お釈迦様の恥は阿弥陀様の恥、阿弥陀様の恥はまたお釈迦様の恥”でもございますんで、どうかその手をお下ろしください!」
そんな具合で喧嘩もおさまり、大旦那さんに再婚を奨める番頭さん。
番頭:「ですから、私がどんな方でも探して参りますんで、いったいどんな方がお好みで?」
大旦那:「誰でもいいのかい?いや、これ、ちーと恥ずかしいんだけどね、まあ芸能人でいうと“フーミン”かな?」
番頭:「フーミンと申しますと?」
大旦那:「“細川ふみえ”だよ」
若旦那:「お父様、踏み絵だけは、勘弁してください」
これが落ちとなりました古典落語の『宗論』。
この番組の講師で宗教学者の釈徹宗さんによると「ずいぶんシャレのキツい宗論で楽しませて頂きました。ありがとうございます」と一言おいて「宗教を笑うというのは成熟した芸能」で「自分が正しいと思っている人ってなかなか自分の姿が見えなくて、どんどんどんどん偏った方向に行ってしまって視野が狭くなってしまうでしょ。どんな正しい意見でも、どんな正しい行動でも偏っちゃうとダメだ」と。「正しいと思ったところに落とし穴がある」という仏教の教えではないのかと話していました。
なるほど。
そうかも知れません。
ぼくもちょっとNHKに偏りすぎですね 笑。