自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

差別と支配と暴力のない理想の世界をめざして~我々は何処へ行くのか?

2016-03-04 23:04:39 | 憲法を考える

 人間は「想像する脳」で生きている。「想像する脳」なので自己はあるようでない。それなのに、他者からの「承認」を求めて喜んだり悲しんだりしている。中には他者からの「承認」はいらないと、禅の「無」の世界を求める人もいれば、様々な自己のあることを楽しんでいる人もいる。

 始末が悪いのは自然も含めて他者がいるから自分も生きているのに、他者を否定して自己主張することが自分の「信念」だと思っている人達だ。それが差別や支配や暴力に繋がらない場合は、それもその人の生き方だとして許せる。しかし、人間は集団で行動する動物でもあり、「信念」のある人たちは集団をつくりやすい。

 現代では「国」が最も大きい集団である。人間は気まぐれなので、それぞれの「国」は「憲法」で「国」の枠組みを決めている。法律はその国の国民の自由を縛る「暴力」であるが、日本の憲法は戦争の悲劇を経験し、国同士の問題解決に暴力(武力)は使わない「戦争放棄」を謳いあげている。EUでは戦争(暴力)の悲劇を繰り返さないために、「国」の枠組みを大きくした「人の移動」と「国家間の共通の貨幣の流通」を普及させようと努力している。

 日本もEUも「差別」と「支配」と「暴力」をなくす方向を目指しているのに、アメリカは「差別」と「支配」のために「暴力」を使う国だという自覚がない。民主党のオバマ大統領は「支配」のために地上戦のような本格的な武力(暴力)を使わないことを決めているが、敵に対する空爆は今も実施している。大統領の予備選で共和党のトランプ氏の人気が高いことも、アメリカが有色人種を差別し、銃(暴力)で自己を守ることを正義だとし、世界を支配する野望の強いことを示す現象であろう。

 それは弱くなったアメリカに強くなって欲しいということではない。これまでの世界の覇権国としての「成功」事例が、時代の大きな流れの中でアメリカの未来への道を見失わせ、今や遅れた国、野蛮な国になろうとしている。そのことをアメリカもアメリカ人も気がついていない。
 れはローマ帝国が滅んだ後も、みんながローマ帝国の時代と同じ考えを持って暮らした千年以上の歴史と同じように。
 参考:BS1スペシャル「ジャック・アタリが語る 混迷ヨーロッパはどうなるのか?」
    「民主主義には長期的視点と移動の自由が不可欠」(動画)
    「定住者とノマド」の長い戦い(動画)
    「ノマドと自己中心的な利他主義」(動画)
    「日本と中国の真の平和を追求し、高齢化社会から抜け出るべきだ」(動画)

 日本の敗戦は、広島、長崎への原爆投下のように米ソ冷戦の始まりであった。日本の憲法の施行に対して米国にどのような思惑があろうが、日本の国会で承認された日本国憲法が「差別」と「支配」と「暴力」をなくす未来への理想を示していることに間違いはない。
 参考:新・映像の世紀~米ソ冷戦時代から日米関係を考える

 政治家や官僚、判事や検事などの公務員は、憲法を守る義務がある。しかし安倍首相は、憲法の3原則である国民主権、基本的人権、平和主義は守ると言いながら、その一方で在任中に「憲法改正をしたい」と国会で堂々と言う。憲法の3原則を守るなら憲法改正は必要ない。憲法の求める立法、行政、司法の3権分立を確かなものとし、憲法の曖昧な部分を修正して、憲法の3原則の理想を追及することが立憲主義の本筋ではないか。

 衆議院の解散は内閣の不信任案が可決された時に主権者たる国民に信を問うべきであって、内閣の都合によって解散するのは本末転倒である。国政選挙についても国民一人当たり議員数、小選挙区制か比例代表制か等について立法の場の利害関係で決めるべき問題でもなかろう。「憲法改正」に熱意があっても、憲法を充実させるために改正すべきことを放置したのでは、何を改正したいのか国民にはさっぱり分からない。

 日本の憲法は未来への道を指し示している。EUも未来を見据えている。理想の未来を見ていないアメリカに従い、「戦後レジームからの脱却」と過去への道に向かおうとする安倍政権は、激しく変わりつつある世界の動きも国民の幸福とは何かも想像できず、恥ずかしいほど幼稚な「信念」の世界に住む集団だ。

 他者の想像を理解できないもの同士が住むことは不幸なことだが、心配なのは利己的で五輪プレゼン・汚染水完全ブロックの嘘をシャーシャーと言う不誠実な「信念」を持つ安倍集団が政治的権力を持つことで、他者の想像から出る発言、即ち言論の自由を否定し、メディアの支配を始めていることだ。それはヒットラー政権が世界で最も民主的であったとされるワイマール憲法の機能を停止させて、独裁政権への道を歩んだのと同じではないか。

 日本の右翼、国粋主義、国家主義と思われる集団にも危険な動きがある。日本を独立国として大切にしたいなら、時代遅れになりつつあるアメリカに従って日本の国民を支配することを恥だと思うべきではないか。それなのに、日米同盟の深化・拡大を主張している。
 安倍首相は辺野古訴訟で和解案受諾を決定しながら、辺野古への移転は変わらないと言い切る。日本が中国やロシアと有効な関係を築き平和に暮らしていくためには基地はいらない。抑止力だという基地は「仮想敵国」をつくり、その国に不信感を与えるだけで、基地の存在する沖縄にとっても日本国民にとっても非情に危険な存在になる。

 集団は個人を生かしてこそ集団の価値がある。自衛隊を「抑止力」として「暴力」に向かわせるよりは、自然災害からの緊急救助隊とした方が個人が生かされ世界からも信頼される。それに、我が国にとって最も大切なことは、女性が安心して子育て出来、人々が安心して老後を迎える社会をつくることである。「抑止力」に国家予算を使うよりは、子育てと老後の暮らしを支援することにもっともっと税金を使うべきだ。
 
 我々は自然の一員として他者がいるから生きている。それに人々は国を越えて生き、国際結婚も増えてきた。子供は生まれた国が国籍となるが、子供や家族にとって国籍は今の時代の戸籍に過ぎない。人々は国の枠組みを超えて移動し暮らしている。今の「国」を超えた「自由と民主主義」への想像力が必用である。
 また、人はスマホで人工的につながる一方で、人と人のつながりの孤立化が深まり、親子という人のつながりの原点においてさえ殺人事件が数多く起きている。我々は「自由と民主主義」の想像力を進化させながら、自然と人々の繋がりを大切にし、「差別」と「支配」と「暴力」のない世界を目指さして生きねばならない。それは生物である人間の当然の責任ではなかろうか。

 先に紹介した「ジャック・アタリが語る」の番組で、NHKの次の質問、『年配の世代は第2次世界大戦を知っているから、民主主義の重要性を理解していると思います。一方、20代や30代の若い世代は民主主義をどうとらえているのでしょうか?』 という問いに対して彼ははこう答えている。 (「定住者とノマド」の長い戦い(動画)より
 『彼らは民主主義を自己中心的となれる唯一の権利だととらえている。それは民主主義の本当の定義ではありません。私が懸念するのは、若い世代が無意味な世界に生き倦怠感をつのらせることです。人間は退屈を感じたとき、そこから抜け出すためにどんなことでももします。 戦争体験のない若者は、戦争は悪ではなく楽しいとさえ考えてしまうかも知れません。戦争とは決してそんなものではありません。戦争を経験した世代は知っています。若者が戦争に走ってしまう大きな危険だと思います。』

 ここでもう一度、ジャック・アタリがの言葉「ノマドと自己中心的な利他主義(動画)」に耳を傾けていただきたい。彼がミッテラン仏大統領の顧問としてEU統合の大きな仕事をしていた頃、私は酪農と肉牛生産のハイブリッド化の仕事をしていて酪農界からも和牛界からも反発されていた。彼と私は同じ歳なんだと、凄い奴が同じ時期に凄い仕事をしていたことを知るだけで、深い敬意と不思議な親近感を感じている。

参考:大衆の不満を上には向かず下や外国に向かわせる政府の工作
 平和を嫌う戦争首相<本澤二郎の「日本の風景」(2284)
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 安倍晋三よ、この明らかな結果の責任を取れ!・・・アベノミクスの失敗
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 『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』
 破局へ向かう世界<本澤二郎の「日本の風景」(2277)
 安倍晋三グラビア写真集とは如何なる物か?・・・日本の宣伝は「安倍」の宣伝?
 マスメディアこそが国民の言論の自由を「委縮」させている

初稿 2016.3.4 更新 2016.3.6

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