自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

「地位ある人」に現場と他者を思う心がないと社会悪を生む

2016-03-20 16:17:38 | 憲法を考える

 世の中にはいろいろな考え方がある。いろいろな考えを言うことが許されているのが「自由」な社会だ。しかし、自己の自由が認められるのは他者の自由も認められるからである。自己の自由を認めて他者の自由を認めないことは「差別」と「支配」を認めることになる。それを「暴力」で認めさせるのは「地位」という権力であり、「法律」であり、「お金」であることもある。

 稲盛氏は「人生の結果 = 考え方 × 熱意 × 能力」で表せるとし、考え方がマイナスなら人生もマイナスになる、プラスにするには利他的な考え方で仕事をすべきとした。なかでも政治家や官僚等の公務員は「法律」という暴力を行使できる立場にあり、国民に代わって「法律」をつくり実践する立場にあるので、他者を尊重する誠実さが必須である。公務員が利己的に行動することは、その人の人生をマイナスにするだけでなく社会に弊害を与える「社会悪」だ。縄文時代から自然と一体である他者を尊重する遺伝子が受け継がれ、公務員が利己的に行動することは恥だという文化が「美しい国日本」にはあったはずだ。

 今、世界は国境のない世界に向かって歩んでいる。少なくとも個人一人一人にとって男女平等と同じように、国境によって自由が制限されない世界が理想である。ヨーロッパ統合の思想的指導者ジャックアタリは難民問題に対しても一国よりもEUで対応すべきであり、国を閉じることよりも開放することを原則とすべきだと言う。これからはEUや国連から、さらに国境を無くして実質的に機能する「地球会議」を展望する時代に入っていると言えよう。
 差別と支配と暴力のない理想の世界をめざして~我々は何処へ行くのか?

 これに対して安倍政権は利己的で他者の考えを否定し、自分の考える国を目指して憲法を改正すると言う。それまでは憲法解釈を変更してこの国を自分の考える「美しい国」にするのだろう。しかし、誠実であれば憲法のどこに問題があり、どう改正したいのか真摯に国民に問いかけるべきだ。国民の命を守るためと言って、「個別的自衛権」を「集団的自衛権」に拡大解釈し、「日米軍事同盟」の約束事を日本の憲法より優先的に実施しようとしている。憲法を解釈で自由に変えることは憲法を無視することと同じだ。

 安倍政権はすでに言論統制を始めている。前回は政府の圧力で番組を降板したNHK「クローズアップ現代」の国谷弘子キャスターキャスターの最後の放送(動画)を紹介した。また、「ノーベル賞学者が消費税増税を否定」というNHKの報道(動画)に対して、「報道ステーション」は学者に直接取材して(番組への出演は断られたらしい)その見解を報道した。この点について「サンデーモーニング」(2016年3月20日)は、「政治の問題~大臣の答弁と元大臣の態度、消費税増税(動画)」と報道している。まだ頑張っているメディアもある。

 安倍政権の議員の劣化は議員の緊張のなさというより、そのような議員を登用した安倍首相の体質の問題であり、政治の劣化をメディアが取り上げるのも安倍政権の民を無視した政治に対して世間の風当りが強くなってきたということではなかろうか。
 安倍政権の報道統制に対してメディアの反骨精神に期待し、その実態を皆さんにも知っていただくために、政府の圧力で降板する古舘伊知郎氏の「報道ステーション」を降板される日までは追って、必要と思えば紹介したい。

 朝日テレビ「報道ステーション」(2016年3月18日)で報じられた「核兵器の保有も使用も『憲法上禁じられていない』(動画)?」という考え方も憲法解釈の問題だが、国を守るために核兵器を使えば守るべき日本も核兵器で攻撃され壊滅状態になることは、少し考えれば分かること。核兵器は日本を守るためにも絶対に使用してはならないし、使用しないものは所有する必要もない。これを所有することは抑止力にはならず、北朝鮮と同じ自滅の道を歩むことになろう。

 同じ日に報道された「教科書検定~政府の統一見解を反映」も、政府による放送支配と同様に教育支配による国民支配の意志を感じて恐ろしい。また、安倍内閣には衆議院の解散を自分たちの有利な時に実施することは憲法違反であるという自覚がない。国会議員定数削減にも消極的だし、国の政治には裁判所は口出しをしないという統治行為の法理も三権分離ではなく三権癒着の温床になっていて、誠実な政治家なら憲法改正を言うなら検討すべき問題だ。

 これらの危険な憲法解釈と憲法改正の動きがある不誠実な安部内閣には、引き返せなくなる前に退陣して欲しい。本日は、安倍政権が考えている憲法改正がなぜ危険かということを指摘した朝日テレビ「報道ステーション」(2016年3月18日)の特集「ワイマール憲法からなぜ独裁がうまれたのか」を紹介しておく。
 憲法を「緊急事態条項」から改正しようとしている危険性(動画)
 「緊急事態条項」の必要性は首相判断、必要なら法律で対応できる。(動画)

追加(2016年3月20日)
 2016年2月15日の衆議院予算委員会にて放送法4条「政治的公平」について安倍総理に重要な質問があったことを、ニュース・コメンタリー (2016年2月20日)「安倍政権が放送局への介入を躊躇しない理由が判明した」で知りましたので、引用し紹介させていただきます。
 2016年2月15日の衆院予算委員会 山尾志桜里衆院議員(動画)
 「憲法において表現の自由や信仰の自由などの『精神的自由』が、財産権や営業・契約の自由のような『経済的自由』に対して優越的地位にあると解される理由は、精神的自由が維持されていれば、仮に統治権力によって経済的自由が侵害されたとしても、われわれはその事実を知ることができ、またそれを批判したり、それを投票行動によって改めさせたりすることが可能だが、精神的自由が侵害されれば、われわれは統治権力に対してそれを改めされる機会を失うばかりか、そもそも自分たちの権利が侵害さていることを知ることさえできなくなる恐れがあるからだ。」

 民主党の山尾志桜里議員は検察庁出身で、安倍首相や首相の答弁を求めているのに、しゃしゃり出て説明する総務大臣、さらには野次を飛ばす自民党議員よりはるかに論理明快であり、これに対して日本の「地位ある人」の多くがいかに民主主義の知識的根拠が希薄かを思い知らされた。山尾志桜里議員のような人材が政界で活躍されていることを知り、私も政治に希望を持つ元気が出てきた。

 日本人は「民主主義と自由」を敗戦により与えられたが、その知識的根拠は安倍首相なみに成熟していない。これが「優しい」日本人が愚かな政治を怒らない大きな原因だと気づかせてくれた質疑であった。

初稿・更新 2016.3.20

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