年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

清親考から

2018年04月16日 | 福神漬

明治の浮世絵師の小林清親の娘の(清親考)の文から色々な疑問が解けてきた。明治14年に小林清親は団団珍聞という風刺漫画雑誌社へ入った。小林34歳。鶯亭金升(長井昌太郎)の紹介という。長井は明治元年生まれなので14歳となる。。(この当時は数え年なので文献では少し異なるかもしれない)年の離れた二人を誰が結びつけたのだろうか。鶯亭金升は明治23年頃小林清親が仲人となって花柳流の縁者と結婚した。

 明治6年に前年秋に開業したばかりの鉄道寮の官員であった父長井昌言が死去したため、金升の母とともに下谷根岸で生活をした。下谷の親子二人の生活を支援した人の記録は無いが横浜の豪商で今でも地名として残っている高島嘉右衛門と思われる。

 高島が江戸時代横浜で法を犯した行為で石川島の犯罪者収容所に収監された。地獄の沙汰も金次第と言葉がある。監獄の中の生活も金の力で快適に生活できることを意味していた。収監中の高島を支えたのは高島の姉で大垣藩主に行儀見習いで勤めていた時、藩主の子を宿した。後の戸田欽堂である。石川島の事情を知っているのは江戸町奉行の人達である。旗本長井家は火付盗賊改の職に文化年間勤めた御先手弓組の家柄だった。長井昌言はペリ-が浦賀に来たとき米国国書を久里浜で受け取った戸田氏栄の3男である。大垣戸田家と縁があり、戸田伊豆守は黒船来航時、事前に大垣藩小原鉄心に野次馬整理のため出動要請を依頼していた。(維新史綱要)

 鶯亭金升が団団珍聞をどこから手に入れたのだろうか。銀座で十字屋というキリスト教関係の書籍を販売していた原胤昭・戸田欽堂からと思われる。14歳の鶯亭金升で団団珍聞に小林清親を入社させる力がどこにあったのだろうか。

 このことを理解できたとき、福島事件の浮世絵配布事件が別の意味を持っていること思われる。福島事件被告人花香恭次郎は鶯亭金升の叔父で戸田氏栄の5男である。

 大正12年7月に鶯亭金升が福神漬を語り始めたのは何があったのだろうか。

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