年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治時代の栄養至上主義

2006年11月04日 | 宅老のグチ
明治30年代に食品の法規が整備された時、日本における牛乳の歴史が関係している。明治維新に伴う武士の失業の救済策として酪農が奨励され、いわゆる勧農畜産政策・文明開化の欧風化政策・牛乳の栄養価を推進し・肉を食べる。国民の体力向上のため政府が飲食を薦めた。
 北辰社は明治6年に神田猿楽町に設立し、牛乳を搾取する牧場を飯田橋につくった。北辰社は函館で最後に戦った旧幕府軍の会社であった。明治の牛乳販売は搾乳した牛乳を販売人が牛乳缶に入れ,各家庭に売り歩く方法であった。そこには衛生・ごまかしの問題が生じていた。この問題が大きくなったのは明治30年頃である。
 大久保利通が東大駒場の前身を作った岩山敬義にいった言葉と知られる。
「日本は漬物と味噌とイワシの汁を通常の食物として,鳥のサツマ煮などは容易に入らないような生活しているが、欧米各国では幼少の頃から常に牛乳を飲み、牛肉を食べて生活している。欧米人が賢いのも当然である。実に、健康なる頭脳は健康な身体に宿る。わが国民の食物を改良し、心身とも健康なる国民たらしむるは、君の任務である。」
 同じような趣旨の言葉は敗戦後、語られた気がする。とにかく戦前は欧米人との体格差から食品に於いての問題は栄養があるか無いかが重要視され安心安全はそれほどでもなかった。戦前、サッカリンの問題は栄養が全然無いということが問題であった。
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