年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

梅ちゃんせんせい

2012年04月15日 | 宅老のグチ
戦後の昭和21年新春頃だったと思うが蒲田のヤミ市で新婚の夫婦が甘酒を売っていた。この頃は食糧難で食べるものが不足していて、食するものがあればなんでも売れた時代だった。飲めば失明する恐れのあったメチールアルコールを提供するところもあった。そんな時に、漬物で使う酒粕を1万円で買い、サッカリンを加え、お湯で溶き、蒲田のヤミ市で人々に飲ました。この頃の都内の住宅地の値段は1坪100円位の時ですぐに3万円の売上があったという。この金を元手として生活の基盤にしたという。この話は私の両親の話である。
 東京タワーが立った頃、ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。」というエノケンのCMで一世を風靡した粉末飲料を殆んどの子供たちが飲んでいた。このジュースの素に入っていた人工甘味料(チクロ・サッカリン等)の発がん性があると言われ使用が禁止された。すでに50年経ったが人工甘味料由来のガンの多発の影響もなく団塊の世代は生きている。
日本では消えてしまった粉末飲料(今では駄菓子屋しかない)がアメリカと中国には残っているという。
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