年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

なた豆の比喩

2011年10月11日 | 福神漬
驥尾団子 第221号 明治16年1月31日
自由刀(じゆうとう)
これは個人の所有物であったがいつの間にかその存在を失い、忘れた。渡来してきた西洋人が日本人の中にも所有していると聞き、明治5~6年頃から詮索し、ついに探しだしたものである。この刀は古今無二の宝刀で、これを身に付ければその剣利(権利)のために天下の妖魔(明治政府)は首を縮めておののき、尊い天皇もみだりに奪うことはできない。この様な重要な刀(党)を持って近頃全国の有識者はこの刀を大切にすること神のようである。しかし間々この刀を乱用し、愚民を扇動する者あり、監守人はよく注意して、刀の価値を落とすことがないように注意すべし。明治23年になれば、いくらの値に上がるか見当もつかない。
改進刀
この刀も自由刀と同名異物であるがこれもまた貴重な宝刀でその製品は自由刀より立派で世間は希望している。この貴重な刀も気に入らない人達にとっては二束三文の値打ちもないと言いふらし、自己の鈍刀を売りつけようとするのは見苦しい。仮にどんな声価となっても縁の下の力持ちとどうして違うことがあるのだろうか。ただ23年の共進会を待って審査官(国民)の鑑定を待つべし。
帝政刀
この刀は装飾の飾りや鉄まで、外観は名刀のように見えるが、手にとってよく観察すれば皆鈍刀でようやく外観を保護する金で付け焼刃し、光っている。しかし元来偽物で金がなくなるとサビが出てきて、次第に菜切り包丁のようになってしまう。世間の欲張り連中向きの刀で、立派な方はこの刀に手を出すな。

やっと團團珍聞のところに「刀」と福島事件と関連がありそうな比喩があった。この221号には総多楼昌安(鶯亭金升=16歳)の投書が載っていて、さらに梅亭化生(梅亭金鵞)の戯作が載っている。
刀はなた豆(刀豆)に通じる。福神漬になた豆が当初から入っていて比喩に影響を与えたと思われる。
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