旅行最終日。
山の中にある霊松寺(長野県大町市)を訪ねた。
駐車場から寺に向かって坂道を下ると鮮やかな紅葉が見えてきた。
イチョウの黄、ドウダンツツジとモミジの赤、そのみごとな対照。
もっともこうした紅葉は京都の社寺でもよくみる。
つくられた紅黄葉の対照の美しさで、ぼくはさほど好きではない。
境内には山門(嘉永5年建立)がある。
木材の帯びた丸みが長い年月を物語る。
ただ、山門は一般に寺の入口でよく見るが、
これは敷地の中ほどにポツンと立っており、両脇には何もない。
住職の説明があった。
明治初期、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れたとき、当時の住職 安達達淳(あだち たつじゅん)が
松本藩の圧力に屈することなく、その後謹慎処分を受けつつも寺を守りぬいたらしい。
また住職は中央政府のところまでも足を運び、
廃仏毀釈の誤りを訴えたというから気骨のある人だったのだろう。
この山門は、同じく廃仏毀釈で廃寺とされた松川村の
観勝院で解体されたものを買い取り、ここに移築したものであるとのこと。
安達住職の見識の高さがしのばれる。
( 庫裏からの眺め )
この事件により、全国でたくさんの文化財を失ったと聞くが、残念なことだ。
思うに当時、安達住職のような気概をもって
新政府の圧力に抗った宗教者たちも少なからずいたのだろう。
今も残る文化財のうちにはそうした人々からの後世への「贈り物」も多いはず。
この人々の功績をいつまでも記憶にとどめておきたいものだ。
山の中にある霊松寺(長野県大町市)を訪ねた。
駐車場から寺に向かって坂道を下ると鮮やかな紅葉が見えてきた。
イチョウの黄、ドウダンツツジとモミジの赤、そのみごとな対照。
もっともこうした紅葉は京都の社寺でもよくみる。
つくられた紅黄葉の対照の美しさで、ぼくはさほど好きではない。
境内には山門(嘉永5年建立)がある。
木材の帯びた丸みが長い年月を物語る。
ただ、山門は一般に寺の入口でよく見るが、
これは敷地の中ほどにポツンと立っており、両脇には何もない。
住職の説明があった。
明治初期、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れたとき、当時の住職 安達達淳(あだち たつじゅん)が
松本藩の圧力に屈することなく、その後謹慎処分を受けつつも寺を守りぬいたらしい。
また住職は中央政府のところまでも足を運び、
廃仏毀釈の誤りを訴えたというから気骨のある人だったのだろう。
この山門は、同じく廃仏毀釈で廃寺とされた松川村の
観勝院で解体されたものを買い取り、ここに移築したものであるとのこと。
安達住職の見識の高さがしのばれる。
( 庫裏からの眺め )
この事件により、全国でたくさんの文化財を失ったと聞くが、残念なことだ。
思うに当時、安達住職のような気概をもって
新政府の圧力に抗った宗教者たちも少なからずいたのだろう。
今も残る文化財のうちにはそうした人々からの後世への「贈り物」も多いはず。
この人々の功績をいつまでも記憶にとどめておきたいものだ。
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