稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

「尼僧物語」から

2023年01月28日 | 日々
 BSで「尼僧物語」(1959年)。

 ぼくが確か高校生の頃だったかにみたが、よくわからなかった。

 今回改めてみるところとなった。

      

 (あらすじ)
 ベルギーの外科医の娘ガブリエル(O・ヘプバーン)は
尼僧となってコンゴでの看護活動に従事したいと修道院入りする。

 そこでの厳しい修行を経て、ついにコンゴに派遣される。

 しかし、尼僧として守るべき戒律は看護の仕事としばしば衝突。

 看護に従事していても鐘がなればそこを去って礼拝という戒律・・・

 対話を求める患者に対しても尼僧は沈黙を守れとの戒律・・・

 彼女は尼僧に求められる幾多の戒律は果たして意味があるのか?と疑問をふくらませていく。

 やがて彼女はベルギーに召還される。

 そのとき始まった大戦で父はドイツ軍の銃撃で死亡。

 彼女は尼僧には許されない敵に対する憎しみを覚え、
自分の偽善をさとり、修道院を去ることを決意するに至る。

 (この作品が語りかけるもの)
 映画の最後でガブリエルが修道院の
マザー・エマニュエルに修道院を去る決意を伝えるシーンがある。

      

 ガブリエルの疑問に対しマザーは応える。

「あなたは尼僧で、看護師ではありません。医療より信仰生活が大事です」と。

 が、ガブリエルにとって大事なのは信仰生活よりも看護の仕事なのだ。

 彼女は「疑問をもたず、ひたすら従う、キリストのみせた従順は私には無理です」と返す。

 尼僧に求められる、己を虚しくして神に近づくという自己完成の生き方。

 彼女はそれを偽善として否定し、自己の意志に忠実な生き方を選ぶ。

 自分の内部から湧き上がる疑問、
それをあいまいにせず、考え抜いて答えを出すという真摯な姿勢に敬服する。

 ヘプバーンの作品群のなかでは地味な扱いではあるけれど、一級の秀作だとぼくには思える。

 追記
 それにしてもこの時代のベルギー、なぜ尼僧が看護師なのか?
 なんらかの歴史的な背景があるのだろうか?

 原作のモデルは実際の看護師で尼僧をやめた女性であったらしいが、そのあたりも興味深い。
コメント
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