稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

かみしめたい「疑わしき」の怖さ

2022年08月05日 | 日々
 今年1月に起こった奈良西警察署での銃弾5発紛失事件。

 今日、窃盗犯と疑われていた警察官が県を提訴したとの報道。

 行方不明とされていた5発の銃弾。

 その後わかったことは、結局、定期的な実弾交換の際、
誤って5発少なく配られていたということだった。

 疑われた警察官は、家宅捜索を受ける一方、取り調べでは「お前しかおらん」
「いろんな罪を掘り起こして何度でも逮捕する」と自白を求められていたという。

 この報道に接したとき、ある日突然上司たちから犯人と決めつけられ、責め続けられ、
おそらく周囲の同僚たちからも冷たい視線を浴びせられたであろう、
その警察官の絶望感はいかばかりだったかとぼくは胸が痛んだ。

     

 趣旨は少し違うが「疑わしきは罰せず」という原則がある。

 過去の司法の歴史のなかで、
多くの冤罪を生んできたことへの反省から生み出された貴重な知恵だ。

 くわしくはわからないが、
今回の事件も証拠がないまま疑いがその警察官に向けられていった可能性も想像できる。

だが、それは超えてはならない一線だったと考えるべきだろう。

 思い出すのはどこかの警察署で
押収した大金を金庫に入れておいたが、それがなくなったという事件だ。

 報道では、調査したが犯人は不明で、
その警察署の管理職たちが出し合って弁済することになったとか
(その後の報道はなく、どうなったかはわからない)。

 管理職たちも生身の人間、釈然とはしないだろうが、
冤罪を生み出さないという点では賢明な選択だったような気がする。

     

 考えてみれば、警察署内の事件だから大きく報道されるものの、
こうした事柄はぼくらの身の回りでも常に起こりうる。

 「疑わしき」の怖さを改めてかみしめたい。
  
コメント (2)
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