子どもの頃、野球中継といえばほとんどが巨人がらみ。
いきおいぼくらの間では巨人ファンが多かったのも自然なこと。
その他のチームは影が薄く、パ・リーグともなればまったくよその世界だった。
それでも、日本シリーズでようやく南海ホークス、鶴岡監督、杉浦投手、
そしてキャッチャー野村をみたように記憶する。
その野村元監督が84歳で逝った。
名のある野球選手は多いが、
野村元監督ほど「考える野球」で功績を残した人はまずいなかったのでは・・・。
最近、テレビで彼に関する逸話を聞いた。
彼が現役時代でまだ若かったころ、大リーグから日本にやってきた
なんとかという米国人選手がおり、野村は大リーグの話をいろいろ聞きだしたそうだ。
その米国選手は日本の野球を評して「日本の野球は頭を使わない」と言ったそうだ。
野村の「考える野球」はここから始まったとも言われるらしい。
ということは、当時の日本野球は伝統的な「根性」「努力」「がまん」
等々の精神的なものが多かったのかもしれない。
そうだとすれば、彼の学習、応用能力には感服する。
もっとも蛇足ながら、これを聞いたあとふと思ったのは
先の大戦で両国が臨んだその姿勢の違いだ。
これはやっぱり文化の違いなのか・・・と。
それにしても、先日逝ったカネヤンといい、
ぼくらの子どもの頃のスターたちが次々世を去るのはさびしいかぎり。
野村さん、カネヤンたち、安らかに。
いきおいぼくらの間では巨人ファンが多かったのも自然なこと。
その他のチームは影が薄く、パ・リーグともなればまったくよその世界だった。
それでも、日本シリーズでようやく南海ホークス、鶴岡監督、杉浦投手、
そしてキャッチャー野村をみたように記憶する。
その野村元監督が84歳で逝った。
名のある野球選手は多いが、
野村元監督ほど「考える野球」で功績を残した人はまずいなかったのでは・・・。
最近、テレビで彼に関する逸話を聞いた。
彼が現役時代でまだ若かったころ、大リーグから日本にやってきた
なんとかという米国人選手がおり、野村は大リーグの話をいろいろ聞きだしたそうだ。
その米国選手は日本の野球を評して「日本の野球は頭を使わない」と言ったそうだ。
野村の「考える野球」はここから始まったとも言われるらしい。
ということは、当時の日本野球は伝統的な「根性」「努力」「がまん」
等々の精神的なものが多かったのかもしれない。
そうだとすれば、彼の学習、応用能力には感服する。
もっとも蛇足ながら、これを聞いたあとふと思ったのは
先の大戦で両国が臨んだその姿勢の違いだ。
これはやっぱり文化の違いなのか・・・と。
それにしても、先日逝ったカネヤンといい、
ぼくらの子どもの頃のスターたちが次々世を去るのはさびしいかぎり。
野村さん、カネヤンたち、安らかに。