「ここは私がご馳走しますね」
とアイスクリームはTさんが奢ってくれた。
有り難いことである。
ともかくアイスクリームで一息ついて体力も復活してきたようなので、今日の夕刻のハイライト、マンダレーヒルへ向かうことにした。
マンダレーヒルから夕日を眺めるという、本日のメインイベントが待ち受けているのだ。
そう、時刻はすでに日没前2時間ほどになっていたのだった。
マンダレーヒルといえば、昨日列車でマンダレーへ着く時の目印にしようとした丘である。
「あ、あれがマンダレーヒル?」
「お、今度こそ、マンダレーヒルだ」
と小高い丘に灯るライトを見つける度に叫んでは、
「あ、違った」
と訂正し、24時間を越える列車の旅で疲れ果てた車内で顰蹙をかったマンダレーヒルなのであった。
結局列車からはマンダレーヒルは望むことができなかったが、ある意味、ここは想い出深い観光スポットに訪問前からなっていたのだった。
マンダレーヒルへ向かう途中、まだ日没には時間があるということで、シュエナンドー僧院へ立ち寄ることにした。
ここはマンダレー王朝時代に築かれた僧院で、その一番の特徴は全体に施された精巧なチーク材の彫刻にある。
建物その物もチーク材で出来ており、他の仏教建造物とは一線を画すものがある。
まず、僧院の玄関先へ到着しただけで、その外観に圧倒されるのだ。
はっきり言って、建物全体の容姿がアントニオ・ガウディーも真っ青なオーラを醸し出しており、ミャンマーの建築技術とそれに関わる装飾技術がいかに高度なものであったのかを改めて思い知るのだ。
境内に入る前に、例によってサンダルを脱ぎ裸足になった。
ところが境内の芝生を通り抜けて建物の入り口のステップまで来ると、そこに多くの履物が置かれていた。
「あ、ここまで靴を履いてきても良かったみたいですね」
とTさん。
「あんた、ガイドやのに、ここは初めて来たんかい」
と思わず突っ込みそうになったが、先ほどのアイスクリームの賄賂が効いている私は「時々アバウトになる」Tさんにも慣れてもいたので、そういう乱暴なことは言わなかった。
そう、言わなかったが、
「ん~、正直、足痛いんですけどね、裸足は」
と不満を述べると、
「でも、これは間違っています。私たちが正解です。境内に入るのは裸足にならなくてはいけません」
とTさんはキッパリと断言。
なかなかお寺へのマナーには厳しいTさんなのであった。
僧院の中へ入ると壁面に彫り込まれた仏教美術に圧倒される。
外側にも、そして内側にも彫り込まれた彫刻は、仏教の教え、お釈迦様の一生、伝説などが表現されており、なかなか興味は尽きない。
手塚治虫のマンガ「ブッダ」を読んでいて良かったとつくづく思った。
僧院の中に小僧さんと若い僧侶の姿を見かけた。
太陽は西の空から僧院を照らし出し、開かれた窓から差し込むオレンジ色の陽の光と、壁面の彫刻、そして僧侶のシルエットが見事に美しい情景を作り出していた。
私はデジカメをポケットからとり出し、その情景を納めた。
するとどうだろう、僧侶が微笑んで私の方に近づいてきた。
そして驚いたことに右手を前に差し出してきたのだ。
「お金くれって?」
ふざけるんじゃない!
僧侶はお金のような不浄なもの、しかも、それもチップとして受取ろうとしているのだ。
ミャンマーは敬虔な仏教徒の国であることは度々述べている。
ミャンマーにしろタイにしろ、お坊様は日々に必要な食べ物の喜捨は受取るが、金銭は受取らない。
お寺に対する寄付であればお寺が受取るが、個人である僧が金銭の喜捨を受取ることはないのである。
ましてや「写真撮影のチップおくれ」などという者は坊さんではない。
金をもらうための坊主をするとは、貴様ら日本のクソ坊主か!
「あげないよ」
と手を振り払い外に出ると、玄関の近くでは小僧が白人の観光客に手を差し伸べているところだった。
あいつらは僧ではなく、僧の恰好をした物乞いだったのである。
つづく
ミャンマー大冒険のバックナンバーを写真と一緒に楽しめる
東南アジア大作戦
とアイスクリームはTさんが奢ってくれた。
有り難いことである。
ともかくアイスクリームで一息ついて体力も復活してきたようなので、今日の夕刻のハイライト、マンダレーヒルへ向かうことにした。
マンダレーヒルから夕日を眺めるという、本日のメインイベントが待ち受けているのだ。
そう、時刻はすでに日没前2時間ほどになっていたのだった。
マンダレーヒルといえば、昨日列車でマンダレーへ着く時の目印にしようとした丘である。
「あ、あれがマンダレーヒル?」
「お、今度こそ、マンダレーヒルだ」
と小高い丘に灯るライトを見つける度に叫んでは、
「あ、違った」
と訂正し、24時間を越える列車の旅で疲れ果てた車内で顰蹙をかったマンダレーヒルなのであった。
結局列車からはマンダレーヒルは望むことができなかったが、ある意味、ここは想い出深い観光スポットに訪問前からなっていたのだった。
マンダレーヒルへ向かう途中、まだ日没には時間があるということで、シュエナンドー僧院へ立ち寄ることにした。
ここはマンダレー王朝時代に築かれた僧院で、その一番の特徴は全体に施された精巧なチーク材の彫刻にある。
建物その物もチーク材で出来ており、他の仏教建造物とは一線を画すものがある。
まず、僧院の玄関先へ到着しただけで、その外観に圧倒されるのだ。
はっきり言って、建物全体の容姿がアントニオ・ガウディーも真っ青なオーラを醸し出しており、ミャンマーの建築技術とそれに関わる装飾技術がいかに高度なものであったのかを改めて思い知るのだ。
境内に入る前に、例によってサンダルを脱ぎ裸足になった。
ところが境内の芝生を通り抜けて建物の入り口のステップまで来ると、そこに多くの履物が置かれていた。
「あ、ここまで靴を履いてきても良かったみたいですね」
とTさん。
「あんた、ガイドやのに、ここは初めて来たんかい」
と思わず突っ込みそうになったが、先ほどのアイスクリームの賄賂が効いている私は「時々アバウトになる」Tさんにも慣れてもいたので、そういう乱暴なことは言わなかった。
そう、言わなかったが、
「ん~、正直、足痛いんですけどね、裸足は」
と不満を述べると、
「でも、これは間違っています。私たちが正解です。境内に入るのは裸足にならなくてはいけません」
とTさんはキッパリと断言。
なかなかお寺へのマナーには厳しいTさんなのであった。
僧院の中へ入ると壁面に彫り込まれた仏教美術に圧倒される。
外側にも、そして内側にも彫り込まれた彫刻は、仏教の教え、お釈迦様の一生、伝説などが表現されており、なかなか興味は尽きない。
手塚治虫のマンガ「ブッダ」を読んでいて良かったとつくづく思った。
僧院の中に小僧さんと若い僧侶の姿を見かけた。
太陽は西の空から僧院を照らし出し、開かれた窓から差し込むオレンジ色の陽の光と、壁面の彫刻、そして僧侶のシルエットが見事に美しい情景を作り出していた。
私はデジカメをポケットからとり出し、その情景を納めた。
するとどうだろう、僧侶が微笑んで私の方に近づいてきた。
そして驚いたことに右手を前に差し出してきたのだ。
「お金くれって?」
ふざけるんじゃない!
僧侶はお金のような不浄なもの、しかも、それもチップとして受取ろうとしているのだ。
ミャンマーは敬虔な仏教徒の国であることは度々述べている。
ミャンマーにしろタイにしろ、お坊様は日々に必要な食べ物の喜捨は受取るが、金銭は受取らない。
お寺に対する寄付であればお寺が受取るが、個人である僧が金銭の喜捨を受取ることはないのである。
ましてや「写真撮影のチップおくれ」などという者は坊さんではない。
金をもらうための坊主をするとは、貴様ら日本のクソ坊主か!
「あげないよ」
と手を振り払い外に出ると、玄関の近くでは小僧が白人の観光客に手を差し伸べているところだった。
あいつらは僧ではなく、僧の恰好をした物乞いだったのである。
つづく
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